これも私のなかで永らく謎だったのですが、いちおう自分なりの答えを出しました。
将也は、小学校での学級裁判後、いじめられる側に転落したわけですが、将也が中学時代はどんな扱いを受けていたかがいまいちはっきりしないのです。
端的にいうと、このコマの意味がよくわからなかったんですね。

第1巻183ページ、第5話
このコマだけ見ると、中学生の将也の机に、小学校時代と全く同じ落書きが書かれ、中学生の将也がそれを消しています。
これをそのまま受けとると、中学時代の将也も小学時代と同様に机に落書きされ、その首謀者は恐らく島田だった、ということになります。
でもこれはさすがに不自然です。
まず、中学になっても机に落書きを続けるというのはいくらなんでも執念深すぎて、もし島田がそれをやっていたとするなら相当強い「恨みの理由」が必要です。
また、落書きの内容が小学校時代と同じレベルに見えます。小学校時代同様の「寄せ書き」だとするなら「共犯」がたくさん必要ですし、内容的には中学生にしては幼稚すぎるように思います。
そして、そこまでひどいいじめを受け続けていたとするなら、さすがに将也は限定版CDを「買ったよ」と話しかけるだろうか、という疑問もあります。
また、「机の落書き」について、「(小学校)卒業まで毎日続いた」とありますが、その後中学校に入っても続いていたのだとしたら、この表現になるでしょうか?

第1巻168ページ、第4話。
こういう疑問を考えるには、まず「原典にあたる」のが基本、ということで、第1巻にある、「将也いじめ」をすべてピックアップしてみます。
まず、小学校時代。
第1巻126ページ、第3話:学級裁判の放課後、島田に池に落とされる(筆談ノート発見)
第1巻137~140ページ、第3話:島田・広瀬からプロレスいじめ
第1巻144ページ、第3話:放課後、誰か(恐らく島田・広瀬)に暴力をふられ倒れている将也
第1巻148ページ、第4話:体育の時間に硝子とともに仲間はずれ
第1巻149ページ、第4話:クラスで広瀬から「タバコくせ、グレてんじゃね?」
第1巻150ページ、第4話:上履きが盗まれる(ページ内で2回、恐らく犯人は島田)
第1巻150ページ、第4話:給食にいたずらされる
第1巻150ページ、第4話:自席のいすが隠される
第1巻150ページ、第4話:後ろから「わ!」と脅かされる
第1巻150ページ、第4話:ベランダから頭の上にごみが落とされる
第1巻155ページ、第4話:硝子が机の落書き消し(実際には将也の机)
第1巻156ページ、第4話:島田・広瀬に上履きを捨てられる
第1巻157ページ、第4話:島田・広瀬にボコボコにされる
第1巻166ページ、第4話:机に落書きされる
第1巻168ページ、第4話:机の落書きは卒業まで毎日続いた
続いて中学校時代です。
第1巻171ページ、第5話:島田が入学式で「将也に近づくな」と言う
第1巻180ページ、第5話:限定盤CDの件で島田・広瀬から「うわ俺もうファンやめる」「俺も」と言われる
第1巻183ページ、第5話:机に落書きされる
最後のものが問題の「机の落書き」ですが、やはり明らかに異質です。
この描写を除くと、将也は中学時代は「いじめを継続的に受けていた」のではなく「疎外」されて孤立していた、という描写になります。
こちらのほうが自然であるように思われます。
では、この「中学生将也の机の落書き消し」のコマはなんなんでしょうか。
あらためてこのコマの前後をみると、178ページの後半から183ページの前半までは枠外が黒くなっていて、この技法はこのまんがでは「回想」を示しています。
では、いつの「回想」か。
183ページの、回想が終わった直後のコマからは、硝子と会える場所が分かって自殺のために身辺整理する場面が続きます。
つまり、この「回想」は、硝子の居場所がわかった、将也が高校3年の4月初頭のもの、ということになります。
そして、183ページの机拭きコマにかぶる将也のモノローグ。
どーせ死ぬんだ
死ぬなら さっさとやり残したことを片づけよう
将也が自殺の前に片付けたかった「やり残したこと」とは?
言うまでもなく、硝子に対して後悔のことばを伝えることです。
そして、その「後悔」の象徴ともいえるのが、「机の落書き」でしょう。
島田・広瀬からからかわれていただけだと思っていたら、実際にはクラス全員からハブられていた。
そんな絶望的な孤立を端的に示す「机の落書き」を、毎朝黙って消して、クラスのなかで唯一の味方だった硝子に対して、自分は愚かな敵意を向けて転校させてしまった…。
ですから将也にとって、「机の落書きを消す」というのは、硝子が転校してから小学校卒業まで毎日毎日繰り返された、「自分がクラス全員から疎外され孤独だという現実の再確認」と「たった一人の味方だった硝子を理解できなかった後悔の再確認」という「儀式」だったのだと思います。
そう考えれば、この「中学での机の落書き」のシーンについて1つの解釈が成り立ちます。
島田の言動により中学で孤立した将也。
孤独を感じつつも、限定版CDを手に入れたことで、「一度失ったもの(友達)もまた手に入るかもしれない」と希望を持つ。
そのときたまたま名古屋の書店で手話の本を買う。
限定版CDで友情はもどらず、ぽっきり折れる将也の心。将来に絶望し死を意識する。
ここで出てくるのが「机の落書き」のシーンです。
つまりこのシーンは、実際に机に落書きがされたわけではなく、将也にとって、中学になっても友情が失われた小学校時代から時計は止まったままで、今もさげすまれ疎外されている、ということを再確認したという「将也の心の中の風景」である可能性が想定されるわけです。
そしてこの日から、将也は手話を勉強し始めたのだと思います。
「やりのこしたこと」=硝子にことばを伝えることと、補聴器代をバイトで弁償することだけを、残りの人生の目的にして。
バイトの方で真柴から「バイトの鬼」と呼ばれるくらいなので、手話の方も「手話の鬼」になるくらい猛烈に勉強したのだと思います。
さて、話がずれましたが、私の個人的な1つの仮説として、中学時代の将也は孤立してハブられていた(話しかけても相手にされなかった)のは事実でも、「机の落書き」みたいな具体的ないじめは受けておらず、183ページの描写は将也の心証風景であって実際に起こったことではないのではないか、と考えています。

>まず、中学になっても机に落書きを続けるというのはいくらなんでも執念深すぎて、
>もし島田がそれをやっていたとするなら相当強い「恨みの理由」が必要です。
仰るとおり不自然だと思いますが
この漫画って割とそういうのだらけではないですか?
読み進めていけば納得行く真相が描かれるのかなと思ったけど…。
不自然と言うなら小学校の時点で不自然なような。
小学校でのことは自然で中学でのことは不自然、
という境界はどの辺りでしょうか?
>そして、そこまでひどいいじめを受け続けていたとするなら、
>さすがに将也は限定版CDを「買ったよ」と話しかけるだろうか、という疑問もあります。
この漫画ってそういう人だらけではないですか?
硝子ちゃんだけの特異性ではなく
佐原さんも主人公も真柴君(うらんでるポーズはしてたけどポーズだけ)も
みんなそういう傾向があります。
疑問ばかり書いてしまいましたがいつも楽しく読ませていただいています
アニメ、テレビの方が嬉しかったですが劇場版もまた期待出来て楽しみですね。
コメントありがとうございます。
私は、このまんがで、最後まで納得できない不自然な描写というのはそれほど思い当たらないです。
まんが的なデフォルメした人物描写(その最たる例が植野でしょう)であったり、物語的なデフォルメされた展開(入れ替わっての転落や橋の上の奇跡など)というのはあったとは思いますが、そういう物語としてのフォーマットをふまえたうえで、それでもおかしな違和感の拭えない人物というのは特に見当たらないと感じています。
いじめられていた子たちが逃げずに相手に向かっていく「理由」は、硝子にしても将也にしても佐原にしても真柴にしても、それぞれちゃんと描かれていましたね。(それを「納得する」かどうかは読者次第ですが、描かれていることだけは間違いありません。)
中学校のときの落書きが不自然だと思うのは、環境の変化と時間の長さです。
将也がいじめられるようになってから小学校卒業まではせいぜい5~6か月しかなく、かつ将也の周囲には、将也の硝子いじめや学級裁判でのひどい行ない、硝子の転校といった一連の顛末をすべて知っているクラスメートばかりがいたわけですから、この期間、ずっといじめが続くのは特に不自然ではありません。
でも、中学になると、まず他学区の生徒も入り、かつクラス替えもあって、「将也の事件を知っている者」はクラスの1~2割になっていたでしょう。
さらに、中学の落書き消し事件は中2のときに起こっていて、その間にはさらにもう1回クラス替えが行われています。
ここまで「薄まった」状態で、机の落書きのような面倒臭いいじめが継続されるのは、「不自然」と感じます。
だから、中学2年の時点でこうしたいじめやいじわる受けても不思議でも何でもない。退屈しのぎの酒のつまみにうってつけなのがいじめやいじわるなんですな。閉鎖社会にいると、町の方が不自然と感じることが当たり前になり、石田君の心象風景と気がつかないでいました。
島田君も、あげたこぶしを引っ込める機会を失って行ったんでしょうな、まわりがこれだけ盛り上がると。
このコマをどっちに取るかで島田の印象が大部変わっちゃうな
心理描写と取った方がいろいろ辻褄が合うような気がするけど
作品的にも、硝子が将也に歩み寄ってノートを池に捨てられたイベントに対応する形になって綺麗ですし。
この落書きですが、もし「本当にあったこと」として描かれているなら、確かに、CD事件があった日に1回だけあったことだと思われます。
ただ、中学での将也いじめは、やはり積極的なものというよりは無視される、「ハブられる」といったもので、机の落書きを「再現」させることを面白がるようなものではなかったんじゃないか、と私は感じています。
面白おかしく学生生活を送っている島田らにとっては、将也というのは「かかわりたくない過去」程度の位置づけなんじゃないだろうか、と感じるわけです。
一方で、将也については、小学校でのいじめが始まって以降、「時が止まって」います。
なので、CD事件で「過去が再現された」のは、島田の側ではなくて将也の側だったのかな、と考えたいですね。
中学での机の落書きについては、もちろん「このとき1回だけ」と考えれば不自然とまではいかないのですが、どちらかというと「心象風景」だと考えたほうが、個人的にはおさまりがいいと今でも思っています。