さて、別のエントリで、硝子視点からみた将也が、汗もかかずいつもクールなイケメンに描かれていて、将也側からみた実態とはかけ離れている(笑)、という話題について触れましたが、第52話、あるいは第51話も含めて、硝子視点で描かれた「世界」をつぶさに見てみると、いくつか気づくことがあります。
まず1つは、将也だけでなく、あらゆる人が美形で善良に描かれているということ。
例えば、第52話に登場する植野のイメージ。

第6巻177ページ、第52話。
この笑顔の植野の写真、いったいどのシーンだろうと探してみると、なんとあの、遊園地回の朝、駅で出会っていい加減な謝罪をしたときの場面なのです。

第4巻24ページ、第25話。
周りで見ていた将也ですら「なんてテキトーな!」と呆れたこのシーンですが、今回、何と硝子の「素晴らしい仲間としての植野」を回想する場面として(硝子の意識のなかで)、このシーンが選ばれているわけです。
確かに、第4巻に戻ってこのシーンをよくみると、硝子は笑顔で応対していますし、さらに遡って考えてみると、硝子が植野と再会して以降、最初にまともに応対ができたのはこのときだったのも事実ですが、いずれにしても、硝子はこのシーンを悪意のあるものとしては受け止めておらず、ポジティブな場面として記憶していたことが分かります。
さらには、川井と真柴のシーンについても同じですね。
こちらも遊園地回、遊園地に向かって移動中の電車のなかですが、ここでも真柴や川井からはわりと差別的なことばを投げつけられているのですが、やはりこの場面も「いい思い出のシーン」として硝子にはポジティブに焼き付いていることが想定されます。
まあ、そもそも、将也との思い出ですらネガティブなものとして扱われていないところからして、硝子は、周囲との人間関係、まわりの人間からの自分へのかかわりについて、ものすごく肯定的、ポジティブに受け止めていることが分かります。
この連続エントリでは、こういった硝子の「ものごとを極度に肯定的に受け止める行動原理」について、少し掘り下げてみたいと思います。
