そのなかの1つとして、硝子の「自殺」という行為が、物語のなかでどのように位置づけられ、どういった意味において「過ち」であったのかが整理された、ということがあると思います。
第52話の筆談ノートの回想は、将也が「忘れ物」といって筆談ノートを持ってきてくれたシーンから始まります。

第52話、8ページ。
そこから小学校の回想に入り、硝子が「手に入れたかったもの」の象徴だった筆談ノートが将也によって池に捨てられ、それを硝子がいったん拾い、でも改めて池に落としてしまいます。
その筆談ノートは将也に拾われ、5年後に将也から硝子に手渡され、手渡したときに将也は「友達になろう」という手話を伝えます。

第52話、10ページ。
その後、将也は「筆談ノート」が象徴していた「手に入れたかったもの」、それを捨てたときに「諦めたもの」を実現していったわけです。
そして硝子の回想は、花火大会での将也の「来年の誕生日を一緒に」という手話で終わるわけですが…。
その後に硝子は、もう1つ、思い出しているはずです。
その「象徴」である筆談ノートを部屋に残して、自らの身を投げたことを。
そしてそれこそが、硝子の犯した最大の過ちでした。
この「過ち」の構造を、「筆談ノート」を中心に据えて、整理してみたいと思います。
繰り返しになりますが、「筆談ノート」とは、硝子が手にいれたいと望み、でも手に入れられないのだと「諦めた」、幸せで豊かな人間関係の象徴です。
硝子が持っていた筆談ノートは、将也によって奪われ、捨てられてしまい、硝子はそれによって「諦め」ました。
ところがそのノートは、その後将也が拾い、改めて硝子の手に渡されました。「忘れ物」というせりふと一緒に。
将也が再会時に筆談ノートを手渡したことと、将也との再会後に「諦めたもの」が取り戻せたことは、本質的に同じことを指していると思います。
ところが硝子は、橋崩壊事件後、思い詰めて、将也や仲間、家族を捨てて、自殺を決行します。
第42話の自殺決行シーンで将也がいすにつまづいて筆談ノートが地面に落ちる描写があります。
これは、「筆談ノートをおいて自分だけ飛び降りる」ということを示しており、もっと象徴的に言うなら「硝子が筆談ノートを自分から捨てた」ということを意味しているわけです。

第5巻186ページ、第42話。
つまり、硝子の自殺決行という過ちが物語のなかでもつ意味を、筆談ノートになぞらえて象徴的に語るとするなら、
せっかく将也が持ってきてくれた「筆談ノート」を、自ら捨ててしまうという行為だった。
ということになるんじゃないかな、と思います。
それは、将也がそれまでに行ってきたことの全否定でもありますし、さらに突き詰めれば、自分自身が小学校のころにもがいていたこと、それ自体の全否定でもあったのだ、と思います。

私の中の謎は
どうして西宮さんはせっかく
見つけたノートをまた池の中
にいれたのでしょうか??
(小学生の頃のです)
西宮さんにとって大事なノート
なのに手に入れた物を捨てるという
私には理解しがたい事です。
コメントありがとうございます。
小学校のころ、硝子がいちど拾った筆談ノートを捨てたのは、高校で再会したときにも言っているとおり、この瞬間に「諦めた」から、です。
「諦めた」から、もう筆談ノートが「大事」ではなくなってしまったわけですね。
そのあたりについて、いちばん詳しく触れたのは、こちらのシリーズのエントリになります。
http://goo.gl/n8zQWw
よろしかったら、(1)から順にご覧いただければと思います。
あとは、こちらのエントリでも少し触れています。
http://koenokatachi.seesaa.net/article/405388843.html