「条件付きの承認を得ることで、自分の価値を確認する」という行動原理に基づいて、少しずつ築き上げてきた、佐原の「成長して価値ある存在になった自分」という自己イメージ、自己肯定感は、橋事件以降の一連のできごとで、激しく傷つきました。
最後の拠り所の1つだった妖精の衣装の共同制作についても植野から否定され、あらゆるものを失って失意の底に沈み、まさにその妖精の衣装を捨てようとしていた佐原の肩をたたいたのが、硝子でした。
「どうしたの?」と。

第47話、16ページ。
この場面は、既に別エントリで触れましたが、まさに小学校時代のリフレインです。
条件付き承認を得ようとして行っていた行動が否定され、自己肯定感が損なわれて、もうこれは逃げるしかない、と諦めそうになったときにかけられた、硝子の「どうしたの?」のことば、という構図です。
ここでの佐原の反応は、基本的には小学校の時と同じでした。
いまの私には、あなたに与えられるものがなくなってしまった。与えられるもののない自分はあなたにとって価値がないから、あなたに承認してもらえない。だから、そんな私はここに存在する価値がないから、ここから去るしかない…。
ただ、小学校のときと違っていたのは、佐原が手話を覚えていたこと。それによって、実際に去ってしまう前に、わずかでも、硝子に「こえ」が伝わったこと。
そして、硝子も「変わり」、自分の考えをはっきり伝えるようになっていたことでした。
硝子の答えは、「必要」でした。

第47話、17ページ。
これは、植野から「映画はぽしゃった」と聞かされ、さらにコンテストに提出することも拒否されたことで、無価値になったと感じていた妖精の衣装への「承認」であると同時に、自らの成長の証だと信じていたさまざまなものが信じられなくなり、自分自身の成長と存在価値を証明するものをすべて失った(と感じていた)佐原に対する「承認」でもありました。
しかも、ここで硝子が示しているのは、「条件付き承認」ではなく、限りなく「無条件の承認」に近いものです。
一見、硝子も、これまで佐原が受けてきたものと同様、「映画のために役に立つから」という「条件」つきでの承認を佐原に与えているように見えます。
でも、そもそも、硝子が映画制作にとりかかっている理由は何だったでしょうか?
「壊れてしまったものを取り戻す」
つまり、映画制作のほうがむしろ「手段」であって、その目的はむしろ、佐原との関係を再構築すること、そちらにこそあるわけです。
つまり、硝子の佐原へのメッセージとは、
ただ、あなたがそこに、そのまま、ありのままでいるだけで、あなたが必要です。
ありのままのあなたにこそ、ここにいて一緒に歩いてほしいのです。それが必要なのです。
そういう、「無条件の承認」としての「必要」に他ならないわけです。
長いですね。もう1回エントリを分けます。次が最後になると思います。
ラベル:第47話
