ところで、私は川井が「登校日事件」で言ったこのせりふが、ずっと忘れられませんでした。

第38話、9ページ。
「石田君 お願いだから記憶を捏造しないで…! 真実を見て…!」
この場面を見たときからずっと、「でも記憶を捏造してるのはむしろ川井だよな…。このすぐ前に「何もしてない」「悪口なんて一言も言ってない」なんて言ってるし…」と思っていたのです。
そして今回、「川井視点回」となったことで、川井が自分の記憶をどう改ざんしているかが、具体的に分かりました。
たとえばこれです。

第48話、9ページ。
「あんたと違って 私は葛藤してた!」
これ、実際に植野が言ったせりふと微妙に違うんですが、思い出せるでしょうか?
では答えあわせです。

第39話、6ページ。
はい、「笑って同調してただけのあんたと違って 私は葛藤してた!」ですから、「笑って同調してただけの」が抜け落ちてます。
同じように、8ページのこれは(時間がたってることもあって)かなり改ざんされてます。

第48話、8ページ。
「川井さんもやってた!」
これ、第1巻の124ページと対応すると思いますが、オリジナルの発言は、
「それに 悪口なら 女子が一番してました! 特に 川井と植野がね!!」
です。
「悪口なら」の部分が抜けています。
全体的に、川井は、「暴力的・直接的な」いじめはやってない、ということをもって「いじめはやってない」と自分を正当化しているようです。
ですから、「同調していた」とか「悪口を言っていた」のような、それ以外のいじめ行為(もしかすると自分もやってたかも、と思い出してしまいそうなタイプの行為)に関する記憶は、優先的に忘れている、ということのように思われるわけですね。
まあ、このコマのモノローグにある「いわれのない罪をなすりつけられそうになった」というのも、そもそも相当に偏った認知ではあります(ただ、それは記憶を修正した「結果」といえなくもないです)。
第38話の登校日には「悪口なんて一言も言ってない」とか「何もしてない」と断言したりもしていますが、実際には「わかるー」を筆頭に、同調的な悪口は間違いなく言っていたし、合唱コンの黒板の落書きもやっていた(たぶん「みんなにあやまってください!」)わけで、このあたりにも「記憶の捏造」が感じられます。
よく「泥棒は他人のことを泥棒だとよく言う」みたいな話がありますが、記憶の捏造や改ざんが多々見られる川井だからこそ、登校日事件で将也に「記憶を捏造しないで 真実を見て」なんてことを思わず言ってしまったのかな、と思ったりもします。

「葛藤していた」の植野さんと「川井さんもやっていた」の植野さんと将也君の顔を見ると、落書きみたいな顔をしています。
今まで、他の人物の思考でもこの様な表現ありましたが、こんなに崩れた絵での表現はありませんでした。
今回わざわざこの様な絵にしたのは、記憶の曖昧さを表現しているのだと考えらます。
なので、ここの台詞も捏造以前に具体的に言われた内容を記憶していないのだと判断しました。
ただし、それが都合良く忘れたのか、そもそも耳に入っていなかったのかはわかりません。
頭は良いですが天然なところもあるので、ここは本当に判断しかねます。
コメントありがとうございます。
この、落書きみたいな顔は、自分にとって重要でない人物はほんとにどうでもいいという、川井の認知のスキーマを表しているんだと思います。
(その証拠に、真柴は非常に細かく描き込まれて、場面によってはバックに花まで咲いていたりします。)
せりふについても、記憶の「捏造」だけでなく、都合よく忘れたりすることもまた、自分に都合がいい形に記憶を修正していく働きだといえますね。
「聞こえない」と考えたとしても、「聞く気がない」「聞いても頭に入ってこない」ということで、これもまた認知を自分に都合よく修正していることには変わらない、と言えそうです。
なるぼど、こちらの方が恋に溺れている様子が感じられるのが良いです。
黒板の件は、表情と台詞だけでは説得力に欠けるでしょうか?
こちらの件では、作品の構成に絡む理由もあります。
それは、川井さんはイジメ同調者で、植野さんはイジメ実行者とする、この二人に与えられた対立軸がはっきり示されている事です。
ここは、硝子さんの隣に立つ川井さんが、同調者ではあるが実行者ではない、植野さん達とは隔離された存在である事を示すシーンだと思います。
仮に同調者の川井さんが黒板の書き込みに参加したとするならば、植野さん達の後に引きづられる様に書く様子は描かれるべきです。
この実行者と同調者の区別は明確にしとかなければ、植野さんと川井さんが対立する意味や物語上の存在意義が薄れてしまいます。
この辺は、何か考察する際にも外してほしくはないポイントです。
コメントありがとうございます。
黒板ですが、「みんなにあやまってください!」はやはり川井だと思います。
そう考えないと、これを書きそうな人が他に思い当たらないからです。
ただ、これを川井が書いていたとしても、内容が「みんなに謝ってください」なので、川井にとっては「悪口は言ってない」という「線」は守られている、と考えることはできるんじゃないかと思います。
川井は硝子いじめについては「傍観者」ではなく「同調者」であって、いじめの現場にいて「わかるー」とか言っている存在です。
「同調者」は、相手に聞こえるように「わかるー」と言ったりもするわけですし、そういう意味では、黒板に「悪口といえないような悪口」を書くくらいの関与は、「同調者」であってもやっていると考えていいんじゃないだろうか、と思っています。
まあ、大今先生はきわめて巧妙に、「川井はみんなに叩かれてるけど、実はほんとに硝子いじめをいっさい実行していないんだよ!」という風に描いている可能性があることは否定しないです。(ただ私は、そこまで読みきるのはちょっと無理があるかな、と感じている、ということです。)
女性は自分の都合の良いように記憶を改ざんする
という事らしいので、川井は自分が正しいと思っているのでしょう。
コメントありがとうございます。
「女性が」というふうに限ったことではなく、人は誰もが過去の経験を自分の都合のいいように書き換えて記憶しているものだと思います。
将也も、自分がほとんど一人で暴走していた硝子いじめを「みんながやっていた」と記憶の改竄をしていますし(実はその最大の被害者はどうやら川井です)、そういえば高校になってから会った竹内も、小学校時代のことをずいぶん自分に都合よく記憶していたな、と思います。