・話頭煽り
・話末の次号煽り
・カラーページや特集ページ
・巻末目次ページの大今先生の漫談
などがありますが、それ以外にもう1つ、連載でだけ読める要素として、
・時々掲載される「あらすじ」ページ
があります。
そして、今回第45話にも「あらすじページ」があるのですが、驚くべきことに、このあらすじで回収された伏線がありました!(笑)
それは、
硝子の自殺の理由
です。
今回のあらすじで重要なのは、まず「人物紹介」の「西宮硝子」の項目です。

第45話、話頭のあらすじページ。
「将也を自分が不幸にしていると感じ自殺を図るも、将也に救われる」
なんと、硝子の自殺決行の理由がはっきり書いてあります。
これ、実際の物語のなかでははっきり明かされずにまだ伏線扱いだったはずなのに(笑)。
さらに、あらすじのところでさらに自殺の理由について踏み込んで書かれています。

第45話、話頭のあらすじページ。
「そんな将也に、「私と一緒にいると不幸になる」と告げた硝子。そして夏祭りの夜、硝子は飛び降り自殺を図り、助けようとした将也は代わりに転落してしまう…。」
多少間接的ですが、硝子が「将也を不幸にしていると感じ」の中身は、「一緒にいると不幸になる」、つまり、何か具体的な行為に対する責任とかそういうロジカルな問題ではなく、「一緒にいるだけで不幸になる」という「呪い」的なものへの絶望だった、ということがはっきり示されていると思います。
さすがに、実際にマガジンに掲載されている「あらすじ」による解説ですから、これが公式見解、公式解釈だと考えていいでしょう。
というわけで、「硝子の自殺の理由は何か?」というなぞ、単行本では回収されないかもしれませんが、連載では回収されました(笑)。
その理由は、概ね、以前こちらのエントリで考察した内容で正解だったと言っていいと思います。
うーん、連載時しか載らない「あらすじ」で回収される伏線があるとは。
やはり「聲の形」を深く読むには連載を追うしかないということですね。(笑)

これは盲点でした!!
そういえば、漫画の中では示されていない川井のフルネームも「あらすじ」であきらかになるという前科(笑)もありました!
単行本での対応方法ですが、現在のストーリーは第6巻の前半部分なので、第6巻の冒頭で[登場人物紹介&第1巻~第5巻までのあらすじ]を見開きページで置く方法が考えられますね。実際、長編漫画の場合はそういうケースが時々見られます。
それにしても、さすがは大今先生&マガジン編集部、我々読者の予想のはるか斜め上を行きますねぇ(脱力)
[巻末目次ページの大今先生の漫談]
これも毎週なかなか面白いので、こちらについてもエントリー投下を期待しています。
まぁ、おそらく実際のところは、漫画内で丁寧にこの伏線を回収すると、残り話数が足りなくなることと、テンポがダレるので、漫画内ではざっという形でこの伏線を回収し、「あらすじ」はその補足という形になるのかなと思います。
古いものは見逃していたので、エントリーを作られるなら是非読んでみたいです。
…いやまあ、あらすじは二ページ前とか書く辺り、高い確率でわざとだと思いますが(^o^;
でもこういうのも単行本には無い、連載ならではのリアルタイムに追いかけてる醍醐味というか、楽しみだなぁ、と思ったりする部分なわけですが(笑)
コメントありがとうございます。
まあ、「自殺の理由」については、本編を丁寧に読めば、概ねこのあらすじと同じ結論には到達できると思うので、厳密にいうと「伏線回収」というよりは「伏線回収の確認」みたいなものだと思います。
ちなみに「巻末の漫談」は、私も注目し始めたのが最近なので、古いものは手元にありません(笑)。
ですのでまとめることがちょっとできず、すみません。
でも、今回の件を見て、単行本が出たあとも、連載バージョン(を自炊したデータ)は残しておこうと、改めて感じた次第です。
マガジン本誌でのインタビューや対談、巻末の目次コメ等、大今先生の発言を読むうちに、おそらくどこかのタイミングで『西宮硝子』の評価がガラリと変わるような展開があるのだろう、という予感がありました。事実、ネット上の書き込み等では最初は『西宮硝子』に対して好意的な意見がほとんどだったのですが橋事件の辺りから徐々に厳しい意見が出始め、飛び降り未遂の頃には『西宮硝子』に対し批判的な意見の方が多くなりました。悪意のある発言や攻撃的なコメント、『西宮硝子』という存在を否定するかのようなモノもあります。
私は大今先生の才能は高く評価しています。おそらく意味の無い事は描かない人だろう、とも思っています。
であるならば、この『西宮硝子』の炎上騒ぎも『聲の形』という作品にとって必要な物として最初から計算されていたのではないか?と思えるのです。
そこで考えてみたのですが、
もしかして、『筆談ノートの書き込み』と『ネットの書き込み』をシンクロさせているのかな?と。
硝子が転校してきたばかりの頃はクラスメート達も好意的に『西宮硝子』を受け入れていて、筆談ノートの書き込みも和やかなものでした。それがだんだんと厳しい声の書き込みになっていき、合唱コン以降は酷い内容の落書きになっています。
この、筆談ノートとネット上、『西宮硝子』に対する2つの書き込みの流れや雰囲気がとても似ていると思うのです。
今現在ネット上で起こっている『西宮叩き』のような流れ。『西宮硝子』に向けられた悪意や敵意。
これは、硝子が18年間感じていた『聲』はこういうものだったんだよ、という事を私達に体感させる為の大今先生の仕掛けだったのではないか?
というのは考え過ぎなのでしょうか(^^;)
コメントありがとうございます。
はい、同感です。
私もなんどか言及していますが、いまときどき見かける硝子に対する、過度に叩くような意見は、「聲の形」の物語の中でみたような障害者バッシングを、まさにリアルの世界でもう一度見ているような錯覚を起こします。
もともと、硝子が聖人のように描かれているということについては、逆に障害者の当事者に近い側からは批判がありました。
ですから、そこの部分については、だんだん硝子の「聖人性」が壊されていって、人間くさい側面が見えてくることは期待していましたし、予測もしていました。
またそのときに、硝子の「聖人性」を好ましく思っていた層からは反発もでるだろうな、と。
それがいま実際に起こっていることで、恐らく大今先生もそれを織り込みながら、少しずつ謎の多い硝子の人間性のベールを解いていっているんだと思います。