すでに書いている内容とかぶる部分もありますが。改めて整理してみたいと思います。
第39話の最後でデートを承諾した硝子ですが、その夜結絃から橋事件の詳細を聞いて、自分の存在があらゆる人を不幸にしてしまう、という絶望を深くしたことでしょう。
翌日の「デートごっこ」をあえて(恐らく将也を絶望させないために)断らなかったものの、その結果、今度は将也にケガを追わせてしまいます。
橋事件に続いてまたも将也を「不幸にした」ことで、硝子のなかで「私と一緒にいると誰もが不幸になる」という気持ちが、自分でも制御できないくらい大きくなってしまったのだと思います。
そして、この表情。

第40話、17ページ。
これは、将也に筆談ノートを捨てられてずぶ濡れになって帰ってきたとき、結絃に見せたのと同じ表情であり、「自殺念慮」と直結する表情です。
つまり、硝子は、この瞬間に自殺することを決めたのだと思います。
そのあとの吹っ切れたような笑顔はつまり、自分はもうすぐ自殺して消えるから、長くここに居続けて将也を不幸にすることはない(だからもうそのことを心配する必要もない)、という意味で「吹っ切れた」笑顔だったのだと思います。
そしてこの後、硝子はつきものが落ちたようなさっぱりした表情になり、将也に対する態度も別人のようになります。
(手話サークルで会ったときはギョッとしたものの)映画への誘いを素直に受けただけでなく、自宅にまで呼んで一緒に家族の誕生日を祝い、さらに花火にも積極的に誘っています。
これはやはり、好きな人、一緒にいたい人、必要だと思ってくれる人と、最後のひとときだけは過ごしたい、という気持ちの現れだったのだと思います。
それに加えて、「周囲を不幸にするという呪いの意識」を(最悪の形でですが)吹っ切れたことで、やりたくてもやれなかったこと(将也を積極的に誘うことなど)ができるようになった、ということもあったのだと思います。
そして、これ以降硝子が汗ひとつかかなくなったのは、硝子にとっての現実が、自殺決行にむけて少しずつリアリティを失っていくことを示していたのだと思います。
そんな、束の間の幸せな、でも少しリアリティを失った時間のなかで、将也から「来年の誕生日を一緒に祝おう」が硝子に突き刺さります。
それまで淡々と将也との会話に応じていた硝子は現実に引き戻され、叶えることのできないこの約束に対して、あの変顔が出てしまいます。

第42話3ページ。
この笑顔の口元、かつて第3巻21話で硝子が見せた、「とても笑顔でいられる状態じゃないけど辛うじて作った笑顔」とまったく同じ類のものです。

第3巻144ページ、第21話。
とうとう耐えられなくなった硝子はこの会話を期に花火会場を去り、自殺を決行するために自宅に戻っていきます。
このとき、将也の「また」に対して、「また」ではなく「ありがとう」を返しています。

第42話4ページ。それにしてもこのまんがは、「またね」の手話を超有名にしましたね。
硝子が将也に「また」を返さなかったのは、これで2回目になります。(1回目は植野と再会したときの修羅場)
もしも将也がこのあと硝子の命を救わなければ、これが硝子のさいごの「聲」になるところでした。
ありがとう。…そして、さようなら、と。

なんでその表情になったのか?
「わたしといると不幸になる」と語ったその後の石田の態度を見たからですよね
歯切れが悪かった
それを硝子に見抜かれたわけですが・・・
石田も心の中では認めてるんでしょうね、硝子が全ての元凶だったと
それと自分が本当に欲しいものを硝子と一緒にいながら追うことの矛盾にも
コメントありがとうございます。
あそこは確かに歯切れが悪かったですが、それは将也が心の底で「硝子といると不幸になる」と思っていたからではなく、何を言われたか分からなかったからだと思います。
将也は、第2巻の最後で結絃に言い、また42話で去っていった硝子を追いかけるときにも言っているとおり、硝子のことだけを思い、硝子のために生きることを誓っています。
「硝子といると不幸になる」なんてことは、かけらも考えたことがなかったと思います。
だからこそ、硝子に「ごめんなさい」と言われて、坂道を転落したことを謝られたと思った将也が「勝手に落ちただけだから」と返したときに、急に、全然違うレベルの深刻な「私といると不幸になる(だからごめんなさい)」と返されたときに、何を言われているかまったくわからず、きょとんとしてしまった、というのが真相だと私は考えます。
おそらく絶望感に襲われながらも逡巡し続けていたのでしょう。
そして、ご指摘の通り、自殺を決意・吹っ切れてしまった後、母の誕生祝に将也を招き入れたのは、「せめて、最後に母と将也を仲直りさせてあげたい」という悲しい気持ちだったのでしょう。
是非はともかくとして硝子の悲しい決意にはこちらも心を締め付けられるような気持ちになります。
(某掲示板は炎上状態に近い状況のようですが、むしろ、議論がおこることが大今先生の意図したところでしょう)
さて、まもなく第43話掲載紙の発売日です。どうか、救出に成功しますように。
強引な解釈ですね
将也の本当に欲しいものはなんでしょうか?
硝子じゃないですよ
遊園地回を見ればわかります
それは普通に友人を手に入れ、普通に友人と遊べるようになることです
遊園地編での将也の考えが「ずれている」ことは、遊園地編の中でも示され(サブタイ「気のせい」)、映画制作編で徹底的に提示され、そうではなく本当に大切なものはなんなのかを、ついに43話で悟る、という流れになっていると思います。
もし将也が硝子を心の底で否定しているなら、なぜ43話の展開がああなるのか、まったく説明できません。
ところで、当ブログは公式ブログでもなんでもなく、私が「勝手な感想」を書きながら、作品を肯定的に楽しんでいく目的で開設しており、コメント欄を用意しているのもそれが目的です。
特定のキャラを叩いたり、作品や作者をディスることはこのブログではやりたくありません。(もしそれがやりたいなら、自分でブログを開設される等、やり方はいろいろありますね。)
これまで、ラストエンペラーさんは3回のコメントで、毎回特定のキャラ叩きを行っていらっしゃいます。ご意見の多様性をできるだけ尊重したいとの意図からコメントを承認させていただきましたが、どうやらキャラ叩きを主な目的としてコメントされているようなので、今後はそういったことはご遠慮いただければと思います。
貴サイトには「聲の形」「西宮硝子」の検索でたどり着きました。
聲の形を知ったのは、ごく最近(1ヶ月くらい)です。
単行本は全て買い揃えました。
講談社さんには読み切り版(?)とリメイク版(?)を収納+作者さんにる作品中の手話解説本を出して頂きたいと密かに熱望しています。
手元にある単行本を何回も読み直していると作者さんの漫画家としての実力にビックリしています。
それとブログ主さんの作品の読み解きの鋭さにもビックリしています。
特に、
この記事1枚目の画像(第40話、17ページ)の解釈。
ブログ主さんの「この瞬間に自殺することを決めた」との考察。
ドキッとしました。
オレは「何で表情をトーンで隠すのかなぁ」としか思っていませんでした。
コメントありがとうございます。
ファンブックは、私も絶対にほしいです。ここまで出ずにきてしまいましたが、映画化を期に必ず何らかのものは出てくると確信しています。
そこに、読みきりとかオリジナルとか手話解説はぜひとも盛り込んでほしいと私も思います。
考察については、この記事を書いてからもう1年以上たっていますがが、当時は連載の1話1話が出るたびに、猛烈に読み込んで毎日記事をあげることに没頭していました。懐かしいです。
貴方の解説を片手に、単行本を読んでます。
桜の咲く4月に、大垣市に行ってきますわー
名古屋住みなんで、近いんで
コメントありがとうございます。
4月に行けば、あの橋も桜が満開、ちょうど2巻の表紙のようでしょうね。
きっと今年も多くのファンが聖地巡礼に訪れることと思います。
2015年12月末に書いてから、なかなか大垣を桜咲く季節に行けずにいます。
新型コロナウイルスの影響が、桜咲く時期まで終息しているか不明ですが、今年こそはと思っております。