2014年06月20日

2巻最後と41話の不気味な対比とは?

41話はかなりの確率で第5巻の最終話になりそうです。

ボリューム的にはもう1話入るという噂もありますが、ストーリー的にはここで第5巻を締めると、第2巻と不気味な対比が生まれるという意味で、大変興味深い構成になります

第2巻の最後では、とびっきりの笑顔を見せた硝子に対して、


(第2巻186ページ、第14話)

将也:昔の過ちを許してもらって
自分にとって都合のいい結果をもらったらそれでいいってか?
そんなわけがない!
忘れちゃいけないんだ 笑顔だったはずの時間も 嫌な思い出も
でも あの笑顔を見てたら
いつか忘れてしまうんじゃないか?

結絃:この、硝子の笑顔を見てたら
忘れてしまうんじゃないだろうか
この笑顔を取り戻すためについやした時間も 嫌な思い出も


と、硝子が笑顔を見せたからといって「忘れちゃいけないんだ」と自分を厳しく律する思いが表されています。

ところが、これが第41話になると、

結絃:姉ちゃんが元気になったならいーや!(第41話9ページ)

将也:わからないよ そんなの
でも この笑顔があれば 俺は それでいい



(第41話17ページ)

と、二人とも、硝子が笑顔だからほかの問題は全部棚上げにしてしまおうという思考になっており、ある意味、硝子の笑顔に依存した思考停止に陥っています。

これは、同じ「硝子の笑顔」に対して、第2巻とは対極のことを、将也・結絃の二人ともが考えている、という点で実に不気味な対照をなしていますね。

しかも、その拠り所となっている「硝子の笑顔」については、逆に2巻のほうが邪念のない(恋心はあるかもしれませんが)心からの笑顔であるのに対して、第41話のほうは、何か心にある陰をあえて振り切って見せているかもしれない、含みのある笑顔です。

そんな笑顔に依存して思考停止する、というのがもし(2巻と対比させた)第5巻の最終話として構成されているのだとすると、この先はどうなるのか…なかなか心配な展開ですね。
ラベル:第41話 第14話
posted by sora at 21:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 第5巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
管理人さんは41話に対して悲観的な見方をされてますが
自分は41話に対しては楽観的な点も多いと思っています。

今まで基本的に週一回火曜日しか会っていなかった将也と硝子が少なくとも週3日以上顔を合わせるようになった事
互いに汗を流さずに遊びに誘う様になった事
将也が西宮家に招待された事で今後将也が西宮家に自由に出入りできる様になった事
西宮家の母ともさらに親しくなった事
悪い言い方をすれば共依存だが良い言い方をすれば将也と硝子の関係がさらに深まった事

今までの関係とは劇的に距離が近くなったとも言えると思います。

両者とも互いに現実逃避をしているんじゃないかと不安点もありますけど。
良い所も悪い所も、期待と不安が混在している話だったと思いました。
Posted by ねーこ at 2014年06月20日 22:55
ねーこさん、

コメントありがとうございます。

はい、私は40話から続いて、この41話も非常に不気味に写っています。
まさに、遊園地編の「友達っぽい!」のときのハイテンションと同じようなものを感じているんですね。

もちろん、これは私の勝手な想像なので、この後の話で単にこれがポジティブな関係の深まりとして描かれているだけ、という展開になることも十分ありえるとは思っています。

本当に来週以降の話が楽しみです。早く読みたい(笑)。
Posted by sora at 2014年06月20日 23:58
将也と硝子の関係は意外とスラスラと
深まっていくのかもしれません。
しかし、それが二人のメンタルや
コミュ障の解決に繋がるか?という
とそうではなく、その後、二人の間に
も、周囲にも二人が付き合いをやめたくなるような困難、トラブルが次々と
といった感じの展開ですかね?

まあ、「地雷」には事欠きませんし…。そこに、ママ宮と石田母が
絡むってことかも…と予想。
ママ宮と石田が接近したのはその為の
前触れというかフラグというか下準備
なのかも?
大今先生、何かのインタビューで今後、ママ宮の厳しさの中の優しさ、
石田母の優しさの中の厳しさを描く
みたいなこと言っていたような記憶が
あったんで、そう予想してみたんですけどね。
Posted by レッドバロン at 2014年06月21日 00:21
「石田は幸せになってはいけない」は、「インガオーホー」の論理です。
この作品は苦しむべき人間がいるという考えの下には書かれておらず、
だから、今の硝子が少しでも幸せになれるように頑張るという発想は、
正しい、少なくとも作中では推奨されているはずです。

にも拘らずどんどん状況が不味くなっているのは、
石田の罪悪感と人間不信が相変わらずピンピンしているから。
だからこそ、石田は硝子に逃げている。
石田が解散した仲間と関係を修復する様子も無く、
硝子も石田が立ち直れていないことを理解しています。
逃げ続けることが出来なくなったとき、
硝子に救われていたことに気づいて石田が罪悪感に押しつぶされてしまうことも。
石田の中に爆弾をせっせと積み込んでいると分かっていながらも、
硝子には優しくすることしか出来なくて、ああ、青春してるなぁ。

結局、石田が打ち明けられるかどうかですよね。
自分が何を悪いと思っているのか、硝子のことをどう思っているのか。
思えば石田は未だにちゃんと謝れていないわけですから。
読み切りとの最大の違いというか、
読み切りが再会で完結したのに連載がまだ続いているのは、
ひとえにそのためだと思うのです。
Posted by 白えんぴつ at 2014年06月21日 01:26
この対比、私も真っ先に思いつきました。。
大今先生、上手すぎます。

私としては、硝子と石田の今の共依存ともいえる結びつきが先にできあがり、それに対しての起こる出来事、崩壊した映画メンバーとの(ある意味)和解、その後2人がプラスの意味で共に生きていける流れかなと予想、というか、切望しています。

その中でぜひ、真柴に、石田の小・中学時代の事実を知って欲しいです。

自分の願望コメントです(笑)。

pixivで小説を公開されている方の気持ちがわかるような気がします。

Posted by 934 at 2014年06月21日 04:24
レッドバロンさん、白えんぴつさん、934さん、

「優しさの中の厳しさ」と「厳しさの中の優しさ」は既に両方描かれ済みのような気がします。
そして、将也の問題は将也自身の中にあり、硝子の問題も硝子自身の中にある…と。そして、それを二人とも、周囲に明かさずに抱えてるのが問題だと思うので、今後は、それぞれが相手に対して抱えている闇というか問題をさらけだしていく、そういう展開を期待したいです。

そう考えてみて、改めてこのまんがが「コミュニケーション不全」によって構成されているのだな、と強く思います。
そもそも、将也が中学校までいじめを受け続けてメンタルをやられている、という基本的なことさえ、将也は硝子にも結絃にも(たぶん佐原にも)伝えていません。
硝子も「あなたをもっと知りたい」と言いつつ何も聞いてこないし、植野は「硝子いじめ」と「将也いじめ」を常に混同してごちゃごちゃにしながらでしかいじめについて語れないし。
そういう中でいろいろなすれちがいや誤解が生まれて、それがずーっと解消せずに物語が進んでいく、この「不安定感」というのは私はあまりほかのまんがで感じたことがないです。

私もこのネタでは小説、書いてみたいなあと誘惑されているんですよね。
割と書きたいのは植野ネタですね。39話で、植野が橋メンバーの説得に成功するif小説とか、将也に声をかけたくてかけられなかった中学時代から、猫耳つけて将也に会いに行くまでの話とか、書いてみたい気がすごくしています。

今回のメインストーリーそれ自体については、大今先生がすごく巧妙に描いていますから、素人は手を出さずに(笑)、本編を見守りたいと思います。
Posted by sora at 2014年06月21日 22:25
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