そんななかで、なぜか表紙に、例の「鯉」が久しぶりに登場です。

以前もこの鯉についてはいろいろ考察したのですが、今回表紙に登場したのはなかなか意味深です。
というより、極めて不自然な形で表紙にわざわざ描かれるというのは余程のことだと言えるのではないでしょうか。
ここで、考察のためのベースとして、これまでに登場した「鯉」をすべて拾ってみます(漏れていたら教えてください。)
第1巻22ページ、第1話:川に飛び込んだ将也の周りに鯉。
第1巻23ページ、第1話:同じく、川に飛び込んだ将也の周りに鯉。
第2巻15ページ、第6話:将也の心象風景として、ローファーと一緒に。「罰が足りてない、死ぬための資格が」

第2巻25ページ、第7話:橋の下にいる現実の鯉、硝子がパンをあげている
第2巻26ページ、第7話:橋の下にいる現実の鯉、硝子「必要とされるのが嬉しい」
第2巻56ページ、第8話:将也の心象風景として。「やっぱり(硝子に)会いに行くべきじゃない…?」

第2巻85ページ、第9話:橋の下にいる現実の鯉、硝子と将也、二人でエサをあげている。「わざわざあいつとつるまなくても幸せになれるのに(結絃)」
第2巻96ページ、第10話:結絃がタモですくった鯉の死骸。
第2巻104ページ、第10話:ネット掲示板で高須さん「最近ここの鯉の元気がない」(文字のみ)
第2巻108ページ、第11話:入浴中の硝子が持つ鯉のおもちゃ
第2巻109ページ、第11話:入浴中の硝子が持つ鯉のおもちゃ、「石田が彼女つれてたぜ」でピギュー
第3巻63ページ、第18話:橋の下にいる現実の鯉、再開した佐原と硝子の二人でエサをあげている。「おー がっつくねー」
第24話13ページ、鯉は登場しないものの心象風景風の水面が登場。「やっぱあれって俺から逃げたのかな…」 すぐあとにいつもの橋が登場するので心象と現実の中間くらい?

第29話16ページ、現実の鯉が佐原のまくエサを食べに集まる音だけ「ビチビチ」
第29話17ページ、現実の鯉が佐原のまくエサを食べに集まる音だけ「ビチビチ」
第30話10ページ、結絃のデジカメに収められた鯉の死骸の写真。
第35話17ページ、鯉は登場しないものの、水門小学校の池に2つの水紋。
第40話のカラー表紙に、硝子と一緒に鯉。背景はデート先の滝(養老の滝)に見えるが、水泡も描かれているので同時に「水のなか」でもあり、これは明らかに「心象風景の鯉」のほうの描写になっている。
こうやって並べてみると、どうやら「現実の鯉」と「将也の心象風景の鯉」は別の意味を持っているように思われます。
「現実の鯉」のほうは、実はけっこうベタで「鯉にエサをあげて恋を育てる」程度の意味合いであるように思われます。
一方、「心象風景の鯉」のほうは、将也の、硝子に対する過去の罪の意識を象徴しているもののように思われます。(前回考察したときはこの2つを混同していたので、ちょっとピントがずれていたように(今となれば)思います。)
では、なぜ将也にとって鯉が「過去の罪」の象徴になっているのでしょうか?
これは、読みきり版で鯉が登場するシーンをチェックすると見えてきます。
読みきり版27ページ、投げ捨てられた筆談ノートを拾うために池に入った硝子の足元に鯉。
読みきり版28ページ、いったん池から拾った筆談ノートを硝子が絶望して落としてしまったとき、ノートの横に鯉。

読みきり版57ページ、再会時の回想で硝子が池で泣いているシーンの池の中に鯉。
つまり、将也の心象風景の鯉とは、水門小学校の池の鯉であり、その鯉が象徴しているのは「硝子に(何かを)諦めさせた罪」ということだと考えられるのではないでしょうか。
そういえば、結絃視点から見た、「硝子が最も絶望して、限界だった日」もまさに、筆談ノートが池に捨てられた日でした。
硝子が「諦めた瞬間」を鯉は見ていて、学級裁判の後に池に落とされた将也は、筆談ノートを拾うのと同時に、鯉から硝子への罪に対する呪いをかけられた、といった感じでしょうか。
この「諦めたもの」が何か、ということも改めて考察したいと思っていますが、端的にいえば「友達を作ろうとすること」(実際にはもう少し複雑だと思いますが)でしょう。
ところで、第2巻の終わりで、硝子や将也に対して「過去を忘れてしまいそうな笑顔」を見せます。
以降、将也に好意を抱いた硝子は、その笑顔を繰り返し将也に見せたことでしょう。
だから将也はつい過去の罪を忘れ、2巻の後半以降、しばらくこの心象風景の鯉はまったく登場していませんでした。
ところがここへきて、過去の罪は硝子と関係のないところで暴露され、えぐられ、あらためて断罪されました。
そして今回の「デートごっこ」の表紙です。
今まで、「心象風景の鯉」はほんとうに将也の心のなかだけにぽつりと登場していたのですが、今回は現実の風景のなかに登場しています。しかも、他でもない硝子と一緒に。
将也にとって、あらためて、これまでよりもはるかに強烈なレベルで、硝子の存在そのものが過去の罪の意識とつながってしまった、ということなのでしょう。
でも、今までは単に「忘れた(つもりだった)」だけでした。
このあとはきっと、忘れるのではなく受け止めて前に進む、そういう展開が待っているのだと期待したいです。
ラベル:第40話

貴重な情報ありがとうございます!
たしかにいますね。
というわけでエントリ本文に書き足しました。
これは、第40話表紙の鯉と対をなしていると考えるのが自然でしょうね。
この鯉が将也の「罪の意識」の象徴であるなら、今回の登場は「贖罪は終わった」というような意味なのでしょうか?
そうであれば、今後はもう登場しないか、あるいは最終回間際で「何かに昇華していく」形で登場することになるのかなと私は解釈しました。
「17~18ページの見開き」
↓
「16~17ページの見開き」
でした。失礼しました。
コメントありがとうございます。
「鯉」の存在感、デートごっこの回の表紙あたりからどんどん大きくなってきましたね。
「鯉」そのものの考察は先送りしてしまったのですが、別エントリで「飛び込み」と「筆談ノート」と「鯉」の関係について書きましたので、よろしければご覧ください。
「鯉」については、今回も泳いでいるだけなので、もしかすると大今先生は「贖罪」ということは認めてなくて、永久についてまわる「許されることのない罪」として描いているかもしれないですね。
で、その「罪」を認めた上で、目をそらさずに未来の関係を作っていく、という感じかもしれません。
40話の扉絵について・・・
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org5159142.jpg
上下を逆さまにして 2枚繋げると背景が「滝」のように見えます。
(滝ではないかもしれませんが、何かしらの風景ですよね)
このときに既に
「水の中に落ちる」という予言(伏線)があったのか、と思いましたが
これから硝子が、または石田と二人で
「滝に落ちる」という伏線にも感じました。
※こちらのコメントには
いつ消えるかわからない、所謂「アップローダー」のURLが含まれておりますので、反映なさらなくて構いません。
コメントありがとうございます。
この40話の鯉は、私は「硝子の心のなかにある罪の意識=鯉が、ものすごく大きくなって、とうとう将也からも見えるようになった」ととらえたいと思います。
その意味は、先ほどアップした「超深読み」の鯉に関する考察をごらんいただければと思います。
http://koenokatachi.seesaa.net/article/400868849.html