2014年06月26日

第43話以降の展開を推理する

もはや「なぞ解き」でも何でもないですが(^^;)、ここまで衝撃的な展開になってくると、どうしても「推理」とか「憶測」で次回以降を語りたくなります。

次回のサブタイ煽りは「西宮硝子の話」となっています。外すことで定評のあるサブタイ煽りなので信用できませんが、以前「西宮家のこと」という煽りだったときには「中身は合ってる」だったので、今回もそうである可能性もあります。

だとすると、場面転換して初めての硝子視点でこれまでのことが語られることになるのでしょうか。(過去の話なので回想黒ベタ枠で)

それはそれで、「なぜ硝子は将也に接近して友達になろうとしたのか」「死にたいと結絃に言った後どうやってメンタル回復したのか」「将也と離れた後の硝子の中高時代はどうだったのか」「将也と再会後ちゅきに至る心の動き」など、物語の核心に迫るなぞが語られることになっていいのかもしれませんが、「あのクリフハンガー状態から二人はどうなるのか」という切迫した不安は解消されずに先送り、ということになってしまいますね。

ただ、次回が6巻の最初、ということを考えると、これは十分ありえるように思います。
下手をすると1巻分まるまる、スピンオフ的に「硝子視点でトレースし直した聲の形の物語」になって、6巻の最後か7巻でようやく42話の終わりに戻ってくる、というのも構成としては可能だと思うので。

一方、サブタイ煽りが無視されて、42話の続きから43話が始まる場合。
この場合、「そもそも引き上げ成功するのか?」というところがまず謎です。
まあ、あの流れで腕をつかむことに成功して、しかも硝子も将也も肩を脱臼していない時点で現実にはありえないマンガ的展開なわけですが(嫌いではないです)、ここから硝子を持ち上げることができるか、というと、すでに「将也は足をくじいていて力が入らない」という伏線が張られまくっていることを考えると、将也が引き上げに成功する(設定)とはやや考えにくいです。

そうなると、

1)結局硝子を落としてしまう。
2)二人で落ちてしまう。
3)誰かが部屋に入ってきて助けてくれる。
4)1フロア下の人が助けてくれる。
5)将也がひたすらふんばって時間稼ぎして、その間に警察か誰かが助けてくれる。


あたりのどれかということになります。
いちおう、

0)将也がひとりで引き上げて助ける。

も残しておきましょうか。

ここでヒントになりそうなのが、この場面を録画していると思われる結絃のカメラです。
これはほぼ間違いなく、「この事件の真相が分からない状況になるが、結絃が録画内容を見て初めて明らかになる」という展開を示唆していますから、「将也も硝子も真相を語らない(語れない)」という状況になることが予想されます。

そうすると、4)5)のように、回りの一般人や公人を巻き込む展開の可能性、真相を将也が語れるであろう1)の可能性が低くなり、0)と2)の可能性が高くなります。
3)については、広瀬や植野、大穴で真柴あたりがかけつける可能性が考えられますが、普通に考えてマンションの部屋には入ってこれないので、下から救助を求める形くらいしか考えられず、結局4)5)に収束してしまいそうです。
2)で二人とも死ぬか意識不明となり、心中かと思ったら結絃のカメラで真相判明とか…うーん、でもその展開だけは勘弁してほしい。
それだったら、0)で、土足で部屋に上がり込んでる将也と浴衣が乱れて呆然としている硝子を、帰ってきた西宮一家が誤解して問答無用で将也を追い出し、その後結絃が真相を知る、という展開のほうがまだ救いがありますね。
でも、0)でも(2で助かった場合でも)、硝子がメンタル崩壊もしくは脳障害などで入院し、会話もまったくできないような硝子を将也が見舞う、みたいな展開もありうるので、当分は(あるいは最後まで?)暗い展開が続くことも覚悟しなければいけないかも。

いずれにしても、ここから2~3話で明るい展開になるとはとても考えられず、読者はしばらく鬱々とした気分でいることを覚悟しておかなければならないのかもしれません。

救いはどこに?(--;)

おまけ:以下、「さすがにこの展開だったら私も読むのやめるかも」的な最悪パターン展開予想「こんな聲の形は嫌だ(鉄拳風)」。

1)43話は過去の回想。44話は「死死」ということで硝子も将也も転落して死亡。残された結絃は最悪の「死」を撮影(録画)してしまったカメラを見て絶望、残り2巻分は残ったメンバーで葬式モードで話が進行。

2)第6巻全部が硝子視点の回想、第6巻最後で結局硝子は墜落して助からない。第7巻は、聲が届かず全てを失った将也が、硝子の分も生きるため橋メンバーや島田と関係修復する。

3)第6巻どころか第7巻までずっと硝子視点の回想、最後の1話でようやく42話の場面に戻ってきて、救出失敗、硝子(または硝子+将也)が落下してる途中で完結。
タグ:第43話
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2014年07月02日

第43話と第1話の完璧な関係とは?

さて、怒濤の展開が続く聲の形ですが、43話も事前のあまたの予想の裏をいく展開でした。

ところで第43話について、このあと内容についてもどんどん書いていこうと思いますが、「なぞ解き」ブログとして、個人的には何より先にこの点に触れずにはいられません。

43話のサブタイトルは「度胸試し」です。(例によって前話ラストの煽り文とは全く違いましたが(^^;))


第43話1ページ。

このサブタイトル、どこかで聞いたことがあります。
そうです、第1話で、将也が島田・広瀬と放課後にやっている川への飛び込み、最初のが「第41度胸試し大会」、その次(ヌートリアを見つける回)が「第42度胸試し大会」と呼ばれていました。


第1巻21ページ、第1話。

えっ、「第42回」…?
この中途半端な回数、当然これを読んだ時点では「たくさん度胸試しをやってる」という「たくさん」以上の意味のない数字だと思っていたのですが、

今話は「第43話 度胸試し」です。

なんと、42と43でつながってる
こんなところでよく分からない伏線回収してる!

その符合をふまえて改めて読んでみると、驚くべきことに気づきます。

もともと第1話で「第43回」をやろう、と島田・広瀬にもちかけたとき、島田は塾で断り、広瀬からも「俺ら もう少し安全で身になる時間の使い方しよーよ」と断られた結果、「第43回」は実現せず、度胸試し大会は第42回で中断しているのです。

さらに、この「度胸試し大会」ができなくなり、友達が微妙に離れていき、将也が退屈に押しつぶされそうになったときに現れたのが、他ならない転校生の西宮だったわけです。

そして今回、広瀬が回想に登場して、水への跳び込みの衝撃についてウンチクを語りだすという、「ッオイ石田ァ! そんな悠長なこと思い出してる場合じゃないだろッ!」という(ある意味ユーモラスな)展開も、これこそかつて「第43回」の誘いを広瀬が断るときのセリフで、ここでも伏線回収しています。


第1巻46ページ、第1話。
今回将也は思い出せませんでしたが、正解?は「15メートル」でした。

さらに、第41回の「度胸試し大会」で、広瀬に「いつか死ぬぞあいつ」と言われているのが、今回「それはきっと」と回収されている。

つまり、第43話は、第1話で描かれた「度胸試し大会」を伏線としてきれいに回収しているのですが、そもそもこれは後付けで考えられたものではなく、「第42回」で中断してしまった度胸試し大会を「第43話」でもう一度やる、そしてそこには第1話で広瀬にしゃべらせたこと(水面に落ちたときの固さや、「いつか死ぬぞ」の暗示など)を使う、ということが予め想定されて描かれていた、ということになります。
そうでなければこういう構成には絶対できないわけですから。

つまり、大今先生は第1話の時点で、「第43話に何を描くか」まで(下手すればネームに近いレベルで)完璧に決めていたことになります。
そしてその構想を実際の連載でも完璧に実現した、と。

…これはとんでもないな。
「聲の形」の連載が始まった時点で、もう既に将也・硝子のいまの運命は大今先生によって完璧に定められていたんですね。
そして、そのプロットは、たった1話のずれも発生させることなく、完璧に想定どおりここまで進んでいるということなんですね。
これは確かに「当初の構想を簡単にはいじれない」という編集さんの話も分かる気がします。




私も、事実上新人に近い大今先生が、初の週刊誌連載で、第1話の時点の構想を第43話で完璧に実現していることが分かって、まさに「異次元の驚き」を感じずにはいられません(^^;)。やっぱ天才だわ。
タグ:第43話
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第44話の展開を推理する

前週も、次週予測のエントリがけっこう盛り上がりましたので、今回も試しに立ててみようと思います。

前回、私がたてた「次回以降の予測」は、残念ながらことごとく外れてしまいました。

まさか、硝子が助かって将也だけ落ちるなんて…
さすがにそれは斜め上すぎました(笑)。
これからは、展開予測として「オカルトにならない範囲のいちばん斜め上の展開」を選ぶのが正解なのかもしれません。

ただ、実は先のエントリでも触れていたとおり、「第43話」というナンバリングそのものが大きなヒントになっていたんですね。
「度胸試し大会」が第42回で中断していたことが伏線になっているとピンと来ていたら、第43話では(かつて度胸試しでやっていたように)少なくとも将也は落ちる・飛び込むだろう、と予測できていたかもしれません。

そういう意味では、次話のナンバーも大今先生が意味を乗せてきそうな「第44話」です。乗せられそうな「意味」としては、

1)44=死死=2人死ぬ。

考えたくないけど「意味づけ」として一番ありそうなのはこれではないでしょうか。「2人」の組み合わせとしていろいろ考えましたが、やはりストーリーが破綻しないのは、

1a)将也が死んで、硝子が再度後追い自殺

だけかな、と考えました。
実際には死なないが死んだも同然、というパターンもいくつか考えられます。

1b)将也は意識が戻らない・または下半身不随に、硝子はショックでまともじゃない状態に。

もっと大きくファンタジー方面?に振るなら、

1c)将也は外傷性ショックで、硝子はトラウマで、二人とも記憶喪失に。

希望がある方向性なら、

1d)将也もかつて自殺を硝子に救われており、2人がそれぞれ一度死に、それぞれ相手に救ってもらったことを悟る。

こんなところでしょうか。

ちなみに、もし「44」が「死死」で回収されるのなら、「45」はやはり「死後」で回収される可能性が高いでしょうから、第44話で描かれた「2つの死」の「後」、という話になるのではないかと予想されます。

さて、上記1)とは別の「44」に関連しそうな物語の中での「意味」としては、

2)西宮母の44歳の誕生日。

というのがありました。
このときの「44」というのもなんか不自然な感じだったので、実は伏線回収の方向性としては十分あり得そうなんですが、回収のしかたがまったく想像つかないですね。
ベタな想像でいうと、将也が搬送されたのが西宮母が勤務する病院で、将也と西宮母のからみが何かある、という展開でしょうか。

もう1つ、「44」で思い当たるのは

3)「四肢」=両手両足

です。
これだと、将也に四肢まひの後遺症が残る、という展開が予想されますが、だからといってそれを「44」というナンバリングと結びつけて意味を持たせるというところが必ずしもぴんと来ない気もしますね。(麻痺が残る、という展開自体は十分考えられるのですが…)

あとは、ちょっと「44」に対してはこじつけとなりますが、

4)「視死」=目が見えなくなる

は「大技」としてあるかもしれません。
第1巻でも「目つぶし」がいじめネタで出てきましたし、硝子とのコミュニケーションは目がやられるとほぼ壊滅ということで試練がやってきますし、クラスメートへの×の問題にも関係してきますね。

いずれにしても、第42話の「死に」、第43話の「度胸試しの続き」など、ここのところ話数に意味を持たせてきている大今先生なので、「44」にも意味がこめられている可能性が高そうです。

それ以外の予想要素としては、43話ラストで石田母が姉から「大丈夫」と言われていることから、この時点で将也は少なくとも生きていること、でも直接面会できない程度には重体なことはわかります。
また、病院に石田母と石田姉しかおらず、西宮ファミリーも橋メンバーもいない、ということから、「どんな経緯で病院に搬送されたのか?」「来てない人たちはいまどこにいて何をしているのか?」というのも、推理を難しくしているところです。

個人的な予想としては、

・このまんがは将也と硝子の物語で、あと2巻もあるんだから、将也も硝子も死なないだろう。
・将也は入院、硝子も話せる状態ではなく、最初は何が起こったか誰もわからないが、結絃がカメラの録画に気づき、真相が明らかになっていくのでは。
・展開の興味深さということで「44」は上記の4)で回収する予想。伝えたいことがたくさんあるときに限って、お互いの「聲」がどうしても伝わらない苦悩を描く、とか。
・ただ、硝子のショックは半端なものではないだろうから、ここで硝子は将也から逃げていくのではないだろうか。第1話の冒頭のように。


あたりでしょうか。
うーん、やっぱり難しいですね。
タグ:第44話 第43話
posted by sora at 08:20| Comment(20) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする

繰り返される「飛び込み」、硝子が「諦めたもの」、そして「鯉」の謎とは?

さて、考え始めるとすべてが伏線に見えてくる(笑)聲の形ですが、もう1つ、今回の第43話を受けて、伏線としてつながってきているようにしか見えないものがあります。

それは、「川に飛び込む」という行為が意味しているものです。

この作品では、やたらと登場人物が川に飛び込みます。
その飛び込みですが、大きく3回あって、

1)小学校時代の将也の飛び込み(度胸試し)
2)高校再会時にノートを拾おうとして硝子が飛び込み
3)第43話で硝子を救うために将也がマンションから川に転落


このうち、1)と3)が「連続した1つのもの」であることは、第43話の見事な構成で明確に示されました。1)+3)の飛び込みが意味しているものは、端的には「将也の並外れた『度胸』で、消えかけた硝子の命が救われた」みたいなことだと思います。

ここで思い出すのが、第2巻で将也が結絃に切った啖呵と、その直前の会話です。


第2巻152ページ、第13話。

将也「体があるうちは西宮のために消耗したいと思ってる!命を!

今回、将也は3)でこの宣言を有限実行しました。
さらに、その直前の会話を考えてみると、

将也「あいつ この前…『一度 諦めた』って言ったんだ」
「俺のせいで あいつは何かを諦めた だから…」


この「一度 諦めた」発言は、2)のときに硝子が将也に語ったものです。
つまり、3)と2)はつながっています。
3)と1)もつながっていますから、1)2)3)はすべてつながっているわけです。

そして2)については、「諦めていたもの=将也が拾ってくれたもの=筆談ノート(が象徴するもの)」であり、2)の飛び込み(と筆談ノート探し)には「硝子が、一度諦めたことにいま一度手を伸ばしてみることにした」という意味が込められていることも間違いありません(落ちるときに大きく手を伸ばしていますしね)。

だんだん深くもぐってきました。
(この先も個人的考察の長文になっていくので、好きな方だけどうぞ。)

小学校時代、筆談ノートを将也に捨てられて「諦めたもの」とは何だったのでしょう。
この「諦めた」の語は、作者が2巻で繰り返し登場させています。特に先ほどの将也と結絃の会話は、この第2巻のドラマのピークともいえる部分ですから、このまま放置されるとは思えない、特A級の重要な伏線(しかもまだ回収されていない)の1つだと言えます。

この「諦めたもの」を素直に解釈すると

a)(筆談ノート等を使って)自分からすすんで友達を作ろうとすること

といったあたりでしょう。

でも、ここで思い出したいことがあります。
この「筆談ノート投げ捨て事件」の日、ずぶ濡れの硝子が結絃に伝えた「自殺」のメッセージです。

読みきりで分かるとおり、硝子は池ポチャされた筆談ノートを発見しますが、絶望のあまりそれを回収せず、池に落としたまま帰宅します。(それを後日将也が拾うわけですが)
そして「命を捨てたい」というメッセージを結絃に伝えるのです。

つまり、「諦めたもの」にはもう1段すすめた解釈をする余地があって、

b)硝子にとっての、生きること・行き続けることの積極的な意味

と読み取ることも可能になるでしょう。
さらに踏み込んでいうならば、「諦めたもの=筆談ノートが象徴しているもの」とは、

c)硝子の命、生の実感

と考えることも可能です。
a)b)c)はほぼ同じことを、順に、より深刻にとらえているということになるかと思いますが、硝子が筆談ノートを捨てられて「自殺」を考えるくらいですから、a)で留まるというよりはb)ないしc)にまで踏み込んで理解したほうがより本質に近いのではないでしょうか。

そして、今さっと流してしまいましたが、「硝子がずぶ濡れ」「将也が拾う」のところにも実は飛び込みがあることを見逃してはいけません。つまり、

4)硝子が筆談ノートを拾うために学校の池に飛び込み。
5)学級裁判後に島田らに落とされて、将也が学校の池に飛び込み。


という「飛び込み」もあるので、全部で5つの「水に飛び込み」場面があることになります。

そして、これらのすべてをつなぐのが、「筆談ノート」です
「筆談ノート」を「硝子の生の意味」におきかえて時系列に並べて整理してみると、

1)=3)を成功させるための「練習」、壮大なイントロ
4)=「硝子の生の意味」が池に捨てられる。硝子は拾うのを「諦めた」→自殺念慮
5)=「硝子の生の意味」を将也が偶然拾う。3)につながる、硝子と将也の運命を示唆。
2)=将也が硝子と再会、拾った「硝子の生の意味」を持ってくる。
   硝子は「一度諦めた」生への意味付け、生きていることへの実感を劇的に取り戻す→うきぃ
3)=「硝子の生の意味」に書かれた「死」のページ。→自殺、しかし、5)で「硝子の生の意味」を拾った将也が、「死」を蹴飛ばしたうえで、再び硝子の命を本当に「拾う」。


きれいにつながるのです。
簡単にいうと、硝子にとっての「生きる意味・生の実感」は、「筆談ノート」により象徴的に実体化されていて、かつそれは何度も捨てられ、また拾われて、しかもそこには常に将也が運命的に存在していた、ということになるわけです。(最初に捨てたのも将也でしたが…)

そう考えると、硝子にとって、4)から2)までの5年間は、ちょうど第41話がそうであったように、「自殺念慮を持ち、生の実感を喪失しながら、でも表面だけは平穏に生活してきた5年間」だったと言えるでしょう。

そしてそのことを察していた結絃は、学校に行くことも放棄して、必死に硝子を守っていた。
でも、2)で将也に会って以降、それがいい方向に激変して安心した。
その嬉しさを語った場面こそが、第29話「ばーちゃん」での結絃と祖母の会話だったのではないでしょうか。(このときもまた筆談ノートが登場しているのも見逃せません)

だとすれば、2)以降、硝子があっという間に将也に惹かれ、第23話で「うきぃ」となってしまうのも、それまでの「生きながら死んでいた5年間」との対比の鮮やかさを思えば不思議ではありませんし、逆に、第39話の橋事件でそれがすべて再び壊れてしまったショックが、硝子のなかでストレートに「自殺」につながったのもまったく不自然ではありません。

そして、もう1つ忘れてはならないこと。
1)から5)までの、将也や硝子が飛び込んだすべての水の中に、「鯉」がいるのです。

あまりに文章が長くなりすぎたので、この「鯉」についての考察は別の機会にしたいと思いますが、将也と硝子の運命を濃縮したような「川(池)への飛び込み」「筆談ノート」、そのすべてを見つめている「鯉」、さらには将也の心象風景にも繰り返し登場する「鯉」…。

まだまだ、「聲の形」について考えなければならないことは多そうです。
タグ:第13話 第43話
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(超深読み)改めて考える、「鯉」が象徴するものとは?

「聲の形」の重要場面で必ず登場する鯉。
それがもつ意味について、これまでも何度か考察してきました。


第2巻15ページ、第6話。

将也の心象風景に現れる鯉
なぜ40話の表紙に鯉がいるのか?
繰り返される「飛び込み」、硝子が「諦めたもの」、そして「鯉」の謎とは?

今回は、従来のこれらの考察よりもさらに深読みをして、ちょっとオカルトというか「さすがにそこまで考えてないだろ」というレベルにまで踏み込んでみたいと思います。
(というわけで、まあある意味のことば遊びでもあります。あまり本気にせずに気軽に読んでいただければ。)

これまで、「鯉」について、将也のまわりに現れる鯉は、将也の犯した「罪」を象徴した存在であり、それとは別に、硝子がいつもえさをやっている橋の下の鯉はそれほど深刻なものではなく、「鯉にえさをやって(将也との)恋を育てる」程度のもの、と、これらを別々のものとして考えていました。

でも、第43話で、将也が川に飛び込む前にいきなり神様に祈りはじめて、それから川に転落したことで、1つつながった(オカルト的に)ことがあるのです。

これは、キリストの「最後の晩餐」とつながっているのではないか、と。
最後の晩餐では、イエスは弟子たちに「このパンは私のからだ、ワインはわたしの血だと思って食べなさい」と言ってパンとワインを与えました。
パンはそれを与えているひとの「からだ」を象徴していると言えるでしょう。
そして、「鯉」がこれまでどおり「かかえている過去の罪」を意味するのだとすれば、「鯉にパンをあげる」というのは、「過去の罪を償うために自らの身体を提供する」という行為を象徴している、ととらえられないでしょうか?

そしてこれは、将也だけではなく硝子にも当てはまるのです。
硝子は、生まれながらの障害により、周囲の人を不幸にしてしまう、という「罪」の意識にずっとさいなまれています。
ですから、「自らすすんでパン当番になって鯉にパンをあげる」というのは、上記のとおり、「自らの罪深さを償うために、身を切り刻んで(パンをちぎって)提供している」ということを意味しているのではないでしょうか。


第2巻26ページ、第6話。

そう考えると、将也のまわりにいた「鯉」と、硝子がえさをあげてきた「鯉」は、実は同じものだ、ということになります。

そして、このバカッター事件の記事にある「最近、鯉の元気がない」というのは、鯉に十分にえさが与えられていないということだと考えれば、この直前に将也が考えていた「罰が足りない(贖罪=鯉にえさを与える、が不十分)と符合します。


第2巻104ページ、第10話。

そして、第43話です。
将也は、まず神に祈ります。
そしてそのあと転落。
転落後の川には、えさを与えるべき(=贖罪の対象である)鯉がいます。
そして、将也は自らの身を投げ、同時に出血しています。


第43話、17ページ。

と、いうことは…

最後の晩餐で、パンとワインになぞらえられたのは、イエスの「からだ」と「血」でした。
そして第43話のラストで、将也は川のなかに「からだ」と「血」を捧げ、そこに「鯉」が泳いでいる…。

しかもそれは、もしも将也が硝子を引き留めなければ、硝子がやっていたことでした。
その場合も、これまでは「パン(「からだ」の象徴)」を鯉(過去の罪)に与えていた硝子が、ついに本当の「からだ」(と「血」)を鯉に提供する、という形になっていたはずです。

もしそうだとするならば、将也は、過去の罪を償うために、ついに自らの「からだ」と「血」を、贖罪の象徴である「鯉」に捧げた(それによって救済が成った)、と考えることはできないでしょうか

これらは、単なる偶然の符号なのでしょうか。
それともここには、将也が「過去の罪」をあがなうために、「からだ」と「血」を捧げた、という「宗教的な描写」が含まれているのでしょうか?

ここまでくるともう意図的なものか、オカルト的な深読みなのか、私自身もよくわかりませんね。(^^;)
(もし本当に「パン」=「からだ」なのだとしたら、第4巻95ページ、第28話の「このパンもいいパンだ」が微妙にエロくなりますね(笑))

もしそうだとすると、この花火大会があったのが「金曜日」で(最後の晩餐の曜日)、将也はそれから3日目の日曜日に復活する(イースター)、という展開もありえるかもしれません。
また、そうやって復活という奇跡をおこした将也は、硝子を含むあらゆるメンバーに「救済」を与える存在となるのかもしれません。

また、これもこじつけかもしれませんが、将也と硝子が再会した「4月15日」というのは、どうやらキリストが復活した日であるという説が割と有力なようです(その2日前の「13日の金曜日」に刑が執行され、15日の日曜日に復活)。
あとは、将也の姪が「マリア」だ、というのも、その親が「ペドロ(=ペテロ)」だ、というのも、キリストと関係ある名前ですね。これも偶然?

ちなみに、キリスト教と鯉との関係としては、かつてのキリスト教では肉を食べてはいけない日があり、その日に肉の代わりに食べる魚として鯉が養殖されるようになった、ということがあり、特に東ヨーロッパでは、クリスマスには鯉を食べるという風習がいまでもあるということです。
タグ:第43話
posted by sora at 20:46| Comment(25) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする