2014年06月18日

第41話から分かる大今先生の取材方法の片鱗とは?

さて、私はカメラも趣味にしていますが、そんな観点からみて、第41話で気づいたことがあります。

それは、将也が初めて西宮家にあがりこんだこのシーンで気づいたことですが、


第41話、9ページより。

大今先生が取材に魚眼レンズを使っている。

ということですね。

このシーン、よく見ると室内の風景が楕円のような形に激しく歪んでいます。
このような歪んだ描写は、魚眼レンズで写真を撮ったときに典型的に現れるものです。

それに気づいて、これまでの背景にもあたってみると、第4巻の遊園地編、観覧車のゴンドラ内の場面の背景も一部「魚眼レンズ背景」になっていました。(ゴンドラ自体が丸いですが、この背景はそれ以上に歪んでいます)


たとえばこのシーンです。第4巻80ページ、第27話より。

魚眼レンズは、画角(写真に写り込む範囲)が非常に広いので、室内のような狭い場所の全体を撮影するのに向いています。
まんがの中で、狭い室内を描写するシーンで「魚眼レンズ背景」が集中して使われているのは偶然ではありません。

私も、手持ちのレンズで撮り比べてみました。6畳の和室で、壁から1間(1畳分)離れて撮っています。


これが魚眼レンズの画角。焦点距離18mm相当。


これが、最近の「広角に強い」といわれるデジカメの一般的な画角、24mm相当。


廉価クラスのコンデジや、一眼カメラのキットレンズなどで一般的な、28mm相当。

魚眼レンズだけが、狭い室内の壁面を端までしっかり写せることがはっきり分かると思います。その代わり、ものすごく歪むわけです。(ただし、歪ませずに超広角が撮れるレンズもあります)

ちなみに、結絃が持っている一眼レフは、ニコンのエントリー機(D3000シリーズかD5000シリーズ)ということで誰かが特定されていたようですので、恐らく大今先生もニコンの一眼レフに魚眼レンズを装着して、これらの写真を撮影されたのでしょうね。

なお、外の風景も魚眼レンズで撮れば広々と撮れますが、歪みが目立ってコミカルな絵になってしまいがちです。ですから大今先生は屋外では通常のレンズを使って撮っているようですね。
40話の養老天命反転地、将也が「広エ!」と言っている割には、背景が28mm相当くらいのそんなに広々としていない画角になっていますが、これは推測ですが、ニコンの一眼に最初からついていたキットレンズの広角端で撮った写真が使われているのかな、と推測しました。


第40話の、養老天命反転地っぽい風景。正直、あまり広々とした構図にはなっていません。

ところで、私は超広角の画角で撮りたいときは、魚眼レンズではなく、直線が曲がらない超広角ズームレンズを使うのですが、最近激安の魚眼レンズが発売されたので「魚眼レンズデビュー」しました。


OLYMPUS ミラーレス一眼 9mm f8 フィッシュアイ ボディキャップレンズ BCL-0980
オリンパス

マイクロフォーサーズ規格用のレンズですが、オリンパスのPENシリーズの古いモデルなら、中古が1万円以下からありますので、それとセットで買っても通常の魚眼レンズの「レンズだけ」より安いと思います。
今回の上記の写真も、この魚眼レンズで撮りました。


オリンパス PEN E-PL2に、上記魚眼レンズをつけて。

最後におまけで、魚眼ではない超広角レンズで撮った写真に、ひとむかし前に流行したHDR効果をつけた写真も貼っておきます(聲の形全然関係ないですが(笑))。


ラベル:第41話
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2014年06月19日

第41話、硝子の本心を表すもっとも重要なコマは?

第41話が「いい話」なのか「不気味な話」なのか、まだこの先が出てこないとわかりませんが、これが「不気味な話」のほうであることを示唆する、非常に重要なシーンだと思われるコマがあります。

それが、こちらです。

(第41話3ページ)

このコマで、硝子の脇に描かれた「ギョ」の文字(と首筋の汗)、これこそが、硝子の将也に対する偽らざる本心をかいま見せているのだと考えています。

第41話では、硝子はこれまでになく積極的に将也を誘い、一緒に過ごす時間を作ります。自ら自宅に「連れ込み」、母親との誕生日パーティにまで誘い、花火大会に一緒に行こうと言うあたり、これまでの硝子ではとても考えられません。

それなのに、手話サークルで見かけたときは「ギョ」なわけです。

シンプルに考えて、硝子は将也がいつもの橋にやって来ることは想定していたと思います。
ところが、その硝子の想像を超えて、将也は手話サークルにまで(初めて)踏み込んできたわけです。

つまり、この「ギョ」は、硝子が想定していた将也との「距離感」よりも、ぐっと近いところにまで将也が「侵入」してきたことに対する一瞬のとまどい、違和感を示した「ギョ」である、と解釈するのが一番自然だと思います。

そして、そこで感じた「相手への距離感への違和感」に対して、硝子はどう対応したかと言えば、「自分の側の将也への距離感をadjustした(合わせてしまった)」ということですね。
つまり、将也がそこまで近い距離にいたい、近づきたい、という意思を示してきたことに対して、自分からあっさりと距離を縮めてしまったわけです。

これは、硝子がもともと持っている「必要とされるのが嬉しい」メソッドを、将也に対してストレートに発動した、ということだと思います。
橋事件でメンタルが壊れかかっている将也に、自分はいま必要とされている、だからそれに応えたい、求められているものを与えたい、そういうことなんだろうと思います。
もともと硝子→将也はすでに明確に恋愛感情を意識してるわけですし、40話の最後で、硝子は「一緒にいると不幸になる」というネガティブ感情も(少なくとも一旦は)吹っ切れたわけですから、求められているものを素直に与えることを止めるものは何もないことになります。
実際、この後のコマで、硝子が将也を誘うとき、定番の「汗」の描写が全然ありません。


第41話8ページ。将也を「自宅に誘って(母親とも会うかもしれない)」いるときにさえ、汗の描写はまったくありません。

ということで、佐原、植野からのコンタクトを拒絶しつつ、硝子にだけはこれまでになく近づいていこうとするという、ある意味、硝子への甘え・依存をみせる将也に対して、その「接近度」が想定以上だったため「ギョ」とはしたものの、「自分が必要とされている」ことをポジティブに認識してそのすべてを受け入れ、自らも積極的に行動することにした硝子、という構図がこの41話には込められているように思います。

結果、ますます将也は硝子への依存を強めてしまいましたが…
このあたり、ストーリーが全然ハッピーエンドに向かう動線になっていないので、幸せな描写しかないのに不気味な読後感を与える、巧妙な構成になっていて素晴らしいと思います。
そういう41話の全体像をとらえる意味でも、この「ギョ」は本当に重要な描写だと言えますね。
ラベル:第41話
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2014年06月20日

2巻最後と41話の不気味な対比とは?

41話はかなりの確率で第5巻の最終話になりそうです。

ボリューム的にはもう1話入るという噂もありますが、ストーリー的にはここで第5巻を締めると、第2巻と不気味な対比が生まれるという意味で、大変興味深い構成になります

第2巻の最後では、とびっきりの笑顔を見せた硝子に対して、


(第2巻186ページ、第14話)

将也:昔の過ちを許してもらって
自分にとって都合のいい結果をもらったらそれでいいってか?
そんなわけがない!
忘れちゃいけないんだ 笑顔だったはずの時間も 嫌な思い出も
でも あの笑顔を見てたら
いつか忘れてしまうんじゃないか?

結絃:この、硝子の笑顔を見てたら
忘れてしまうんじゃないだろうか
この笑顔を取り戻すためについやした時間も 嫌な思い出も


と、硝子が笑顔を見せたからといって「忘れちゃいけないんだ」と自分を厳しく律する思いが表されています。

ところが、これが第41話になると、

結絃:姉ちゃんが元気になったならいーや!(第41話9ページ)

将也:わからないよ そんなの
でも この笑顔があれば 俺は それでいい



(第41話17ページ)

と、二人とも、硝子が笑顔だからほかの問題は全部棚上げにしてしまおうという思考になっており、ある意味、硝子の笑顔に依存した思考停止に陥っています。

これは、同じ「硝子の笑顔」に対して、第2巻とは対極のことを、将也・結絃の二人ともが考えている、という点で実に不気味な対照をなしていますね。

しかも、その拠り所となっている「硝子の笑顔」については、逆に2巻のほうが邪念のない(恋心はあるかもしれませんが)心からの笑顔であるのに対して、第41話のほうは、何か心にある陰をあえて振り切って見せているかもしれない、含みのある笑顔です。

そんな笑顔に依存して思考停止する、というのがもし(2巻と対比させた)第5巻の最終話として構成されているのだとすると、この先はどうなるのか…なかなか心配な展開ですね。
ラベル:第14話 第41話
posted by sora at 21:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 第5巻 | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

第42話は各巻のラストを伏線として回収し直している?

さて、朝早々ですが、第42話の内容が内容なので、さっそくエントリを1つ投下したいと思います。
第42話は、間違いなくこの物語の大きな転換点となっていますが、同時に大量の伏線がばらまかれ、大量の伏線が回収される回にもなっているように見えます。

そんななかで、この第42話(と、その前いくつかの話)が、1巻から4巻までのすべてのラストを、ある種の伏線として再回収しているという驚くべき可能性に気づきました。

まず第1巻
第1巻のラストは、将也が再会した硝子の腕をつかむ場面です。
第1巻ラストで硝子が将也に腕をつかまれたとき、将也は死を決意しており、筆談ノートを持っています。(その後、これは2巻に入ってからですが、将也は硝子に腕をつかまれて引き起こされます。)
一方、42話のラストシーンでは、硝子が将也に腕をつかまれたとき、硝子は死を決意しており、その直前に筆談ノートを読んでいた形跡があります
こじつけっぽいと言えばこじつけっぽいのですが、わざわざ「筆談ノート」が再登場しているあたり、作者が意図的に第1巻のラストをリピートさせた可能性は低くないようにも思います。

続いて第2巻
これは既に別エントリで書きましたが、第2巻ラストの硝子の笑顔に、将也と結絃が「この笑顔で過去の辛い体験を忘れちゃいけないんだ」と自戒していたのに対して、第41話では硝子の笑顔に対して、将也と結絃の二人ともが「硝子が笑顔なんだから細かいことは忘れてしまおう」と、深く考えることを放棄、その結果硝子の笑顔に隠された重大な決心を見逃す結果となりました。

そして第3巻
ここで関係してくるのは、第23話の「うきぃ」回で硝子が将也にプレゼントしたガーデンピックです。
ガーデンピックについては、一言「これって何?」と聞けばいいだけなのに、いろいろあって結局将也はいまだに聞けていません。
そして聞けないまま42話の展開になってしまいました。
これは、将也と硝子のふたりが、これまで結局ずっとバラバラで、お互いの「聲」なんて全然聞けていなかった、ということを、この「ガーデンピック」というアイテムが象徴的に示しているのだと考えられるでしょう。(これについては別エントリでもう少し詳しく書きます)。

そして4巻
第42話と第4巻のラストをつなぐのは、コンテストに応募されたという結絃の写真作品です。
硝子が選んだというそれは、4巻ラストの「ガムシロ」の回で、将也達が探した鳥の死骸を取り除いたあとの地面でした。
これを「硝子が選んだ」この写真が選ばれたということは、硝子にとって、「ガムシロ」回の幸せな世界から、自分だけがきれいに消えていこう、という硝子のメッセージだったのだを感じるのに十分だった、と考えられます。(これについても別エントリで詳しく書きます。)

というわけで、第5巻のラストは、これまでの4巻のラストがすべて「ハッピーエンド」だった(1巻も探していた硝子を見つけたのでハッピーエンドでしょう)のに対して、初めてアンハッピーエンドになるという点でも異例ですが、実はそれだけではなく、これまでハッピーエンド扱いだったすべての巻末を、伏線としてネガティブに回収してその意味をハッピーからアンハッピーにひっくり返すというとんでもない操作も加えていると読めるのです。

第1巻ラスト
 探していた硝子にやっと会えた「希望の始まりとなる腕つかみ回」(表)→
 ここで将也と硝子が出会ったことが数ヵ月後の硝子の自殺につながり、全然別の意味で「硝子の腕をつかむ」結果となる「絶望の始まりとなる腕つかみ回」(裏)

第2巻ラスト:
 硝子が将也を信頼し、好意を感じたことで生まれた「最高の笑顔回」(表)→
 硝子の笑顔を見ると過去を忘れてしまう、という、ここで示された作用により、将也・結絃は硝子の自殺のサインを見逃して悲劇になる「過去を忘れる魔の笑顔回」(裏)

第3巻ラスト:
 硝子が路上で将也に大告白、最高のラブコメ展開に突入する「ラブコメうきぃ回」(表)→
 実は二人ともバラバラでなにもつながっていないことを象徴する「伝わらないガーデンピック回」(裏)

第4巻ラスト:
 結絃を思う仲間の友情と姉妹愛が温かく描かれる「ガムシロ回」(表)→
 仲間は離散し、姉も死んで「きれいな地面」が残るのみの「コンクール写真回」(裏)


そう考えると、確かに3巻のラストも、将也はトラウマ発動してるし、硝子は渾身のたった一言のメッセージすら伝わっていないし、プレゼントも結果として「二人はずっとバラバラ」を証明するものになってしまっていて、5巻ラストとあわえて読むと意味が完全に反転し、ハッピーどころかその後の暗い展開を示唆する不気味な回にさえ見えてきてしまう恐ろしさ。

大今先生エ…
ラベル:第42話
posted by sora at 06:34| Comment(11) | TrackBack(0) | 第5巻 | 更新情報をチェックする

第42話、硝子の行動は「唐突過ぎる」か?

第42話は決定的なシーンがあって、単行本派の人にはネタバレの極致になってしまいますので、単行本派でネタバレは嫌だという方はここから先は読まないでください。







というわけで、第42話では、とうとう硝子が自殺を「決行」してしまいました。
これはもう未遂じゃなくて事実上の既遂で、たまたま将也が間に合って手を伸ばしただけ、という状況だと言えると思います。

この衝撃の急展開について、いろいろな意見が見られますが、いくつか見かけたのが「唐突過ぎて不自然」といった意見でした。

ただ、私はこの硝子の行動はまったく唐突ではなく、(後づけでかっこ悪いですが)橋事件を受けてそうなってしまうかもしれないな、ということは考えていました。

何より、先日のエントリでも書いたとおり、硝子にとっての「私と一緒にいると不幸になる」の「確信」は筋金入りだと思うからです。

母親の離婚、妹の不登校、佐原の不登校、石田の(小学校時代の)カースト転落、それらすべての起点に自分の呪われた存在があるということの絶望。
そして、自分から親しい関係を作っていくことを「諦めていた」硝子の前に、生まれ変わったかのように魅力的になって再登場した将也は、佐原との関係、妹との関係、そして他ならない将也との関係を次々と再構築してくれる魔法のような存在と映ったでしょう。
…その将也が、またもや自分のことが原因ですべてを失い、壊れ、また橋に集まっていたすべてのメンバーも傷つき去っていった。

「自分がもつ呪い」という観念にとらわれて、セルフエスティーム(自己肯定感)が極端に低い硝子にとって、この状況は、自分が生きて存在してもいいという理由を失わせるに十分だったと思います。

そんな呪われた、近づくと不幸になる(と信じている)自分から、どうしても離れない将也。それどころか、今まで以上に依存してどんどん接近してくる将也。
硝子は、将也のことを大好きだからこそ、将也がさらに「呪い」にからめとられて不幸になる前に、関係をすっぱり断ち切らなければならないという気もちにとらわれていったと思います。

第29話で、小学生時代の将也にノートを捨てられたときの結絃の回想で出てくる手話が「自殺」なんじゃないかという話題は、ずいぶん以前から出ていましたが、「憶測度」が高すぎるのでこのエントリでは取り上げていませんでしたが、結局これはやはり伏線で、このとき硝子は自殺希念を結絃に伝えていたのでしょう。


第4巻110ページ、第29話。

「自殺」の手話(「手話勉強会」HPさんより)

そして、私も前回のエントリを書いたときには気づきませんでしたが、この自殺の手話をしたときの硝子の表情こそ、


第4巻88ページ、第28話。

あの、デートごっこで「謎の笑顔」になる直前の、硝子の表情そのものでした!


第40話17ページ。

…そうか。
あそこは、何かを吹っ切れた笑顔だと思いましたが、まさか自ら死ぬことを決意してようやく「呪いの意識、呪縛」を吹っ切れた笑顔だったとは…。

というわけで、硝子の今回の行動は、くるものが来てしまった、きてほしくないものがきてしまった、という感情こそ沸いてくるものの、まったく想像できない唐突なものがやってきた、という印象はまったくなかった、というのが私の感想です。
ラベル:第42話
posted by sora at 08:00| Comment(15) | TrackBack(0) | 第5巻 | 更新情報をチェックする