※このエントリは、第32話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。第32話は、西宮祖母の手紙という形を借りて、硝子の障害発覚によって硝子の両親が離婚にいたった悲しい経緯を説明するところから始まっています。
ところで、このシーンで、気になる組み合わせの描写が2つあります。
1つは、硝子が遊んでいるおもちゃに、音のでるおもちゃが異様に多いこと。
もう1つは、夫方の祖父が、「ワシは 障害の発見が こんなにも遅れたのが気になる あんた わざと このこと 黙ってたんと違うか」と西宮母を問い詰めていることです。おもちゃの件については、第32話冒頭で硝子が遊んでいるおもちゃが木琴ですし、そのすぐ隣にはピアノのおもちゃも置いてあります。

第4巻165ページ、第32話。
さらに、夫方家族が去っていったあとも、硝子は木琴のバチで裏返しのバケツの底をたたく遊びをやっている描写まであります。
そういう目で見てみると、
実は32話の回想では、硝子は「音の出るおもちゃ」でしか遊んでいません。
でも、よく見ると硝子は、音の出るおもちゃで、「音を出して」遊んでいるのではなさそうだ、ということに気づきます。
硝子は、音を出して遊んでいるのではなく、バチでものを叩いて、手に返ってくる「叩いた感覚」を楽しんでいる(もしくは耳で聞く音ではなく、腹などで感じる空気の振動を楽しんでいる)可能性が高い、ということです。
だから、たたき方が非常に乱暴ですし、木琴だけでなくバケツも同じように叩いて遊んでいるのだと思います。
では、なぜ硝子はバチでものを叩く遊びを覚えたのか。
それはきっと、
母親が熱心にそれを教えたからだろうと思います。
では、なぜ硝子の周りには音の出るおもちゃがたくさんあって、母親は木琴を叩く遊び(硝子にとっては実際にはバチで物をたたく遊び)を特に熱心に教えたのでしょうか。
ここには間違いなく、子どもの障害受容の過程における「否定」のプロセスが関与していると私は考えます。
子どもの障害受容の過程は、キューブラー・ロスが「死ぬ瞬間」で提唱した「
死を受容する5段階」と非常に似たプロセスを通ると私は考えています。このあたりは実は私自身も本に書いています。聲の形とは全然関係ない「自閉症」の本ですが一応ご紹介。
私が考える「子どもの障害受容の過程」で、
最初に訪れるのが「否定」という段階です。
この段階では、子どもの障害の可能性に徐々に気づきつつも、「そんなことはない」と信じ、
子どもに障害などないことを示すようなさまざまな根拠(「気にすることはない」という周囲の声や、「心配したけど結局障害ではなかった」といったネットの経験談、障害がないと判断できそうな子ども自身の行動など)を一生懸命集めます。
そして、この段階でよくある親の行動パターンとして、「その障害があれば遊べないようなおもちゃをあえて買い与えて、それで遊べることを確認しようとする」というのがあるのです。
例えば、社会性に困難のある自閉症なら、ままごと遊びの道具や人形などを与えて、それらのおもちゃで遊べることを確認しようとするのです。そして、子どもが奇妙な形であってもそれらのおもちゃで遊ぶのを見ると、「ああ、やっぱり障害なんてなかった」と安心するのです。
西宮母が硝子に「音の出るおもちゃ」ばかりを買い与えられていること、そして硝子が木琴のバチでものを叩く遊びを習得していること、これらの描写はまさに、西宮母が既に障害の可能性に(無意識であっても)気づき、それを「否定」するために音の出るおもちゃを集中して買い与え、そして硝子が「音」ではなく「叩く感触」で遊んでいるのを見て、西宮母が「音の出るおもちゃで遊べたから大丈夫」と自身を安心させていた、という、ある意味非常に典型的な「子どもの障害に気づく最初の段階」が描かれているのだと言えます。
私自身も障害児の親で、こういう「否定」の段階も実際に通ってきましたので、身につまされます。
西宮母は、夫方の祖父の「わざと 黙ってたんと違うか」ははっきりと否定しましたが、
もしこの問いが「少し前からうすうす勘づいてたんと違うか」だったら、彼女は否定できなかったかもしれません。

第4巻167ページ、第32話。
西宮母自身が自覚的だったかどうかは分かりませんが、音の出るおもちゃをたくさん与えて始めた時点で、何らかの形でそういう不安を感じ、それを否定しようとする行動が始まっていたのだ、と考えられるからです。