2014年05月08日

第26話・植野のいう「似たもの同士」とは?

第4巻に収録予定の「遊園地編」は、植野が自らの過去の硝子いじめを正当化し、健常者の立場から硝子の側の「問題」を指摘するという衝撃的な場面があり、遊園地編が掲載された頃の聲の形の話題はほとんど植野が独占していた印象ですね。

そんななかで、硝子がらみ以外で植野が発した印象的なことばがありました。第26話・10ページの植野のこの一言です。


「あんたと私って似てるよね」

この第26話、サブタイトルも「似たもの同士」となっています。

さて、将也はこの場では植野のこの発言を否定しますが、心の奥ではその点について、植野と非常に近い認識を共有している点が随所に見られます。

その最たるものが、この発言の直前にある「こいつ!俺と同じことをしやがる!」ですね。(第26話・5ページ)

こいつ!俺と同じことをしやがる!
俺が 西宮に佐原や植野を会わせようとしていた時みたいに…

「聲の形」では、違う人が違う立場で似たようなことをする、といった「相似形」が物語の随所で効果的に使われているわけですが、植野もまさに、「将也と同じことを違う立場でやる(ところがその結果、違うことが起こる)」という役回りで登場していることが、よく読んでいくと分かります。

具体的にいうなら、

・将也は、失われた硝子の楽しかったはずの小学生時代を取り戻すために行動している。植野は、失われた将也の楽しかったはずの小学生時代を取り戻すために行動している。

・将也は、硝子に対してのかつての自身の行動を今になって本人に謝罪しにきて、「友達になろう」と言った。植野は、将也に対してのかつての自身の行動を今になって本人に謝罪しにきて、復縁を求めた。

・将也は、壊れてしまった硝子の小学生時代の友人関係を復活させようと、佐原と再会させた。植野は、壊れてしまった将也の小学生時代の友人関係を復活させようと、島田と再開させた。


こうやって書くと、実は「将也→硝子」で将也が考えていること・やろうとしていることと、「植野→将也」で植野が考えていること・やろうとしていることは、実はほとんどそっくりで、まさに「似た者同士」と呼んでも差し支えないような関係になっていることがわかります。

ところが、その働きかけの結果は、将也は成功を繰り返しているのに対して、植野は失敗を繰り返していて、ほとんど真逆と言ってもいいくらいです。

(さらに追加するなら、将也は小学生時代に硝子に対して「腹の底の気持ちを言え」と言ってケンカをし、植野は高校時代に硝子に対して「すぐ弁解して逃げる」と言ってビンタをしました。ここもある種の「対称形」になっています。)

どこで差がついたのか。慢心、環境の違い

まあ、真面目に考えると、将也は過去の過ちの原因を「自分自身」だと受け止め、購罪のためにこれらをやっているのに対して、植野は過去の問題の原因を自分ではなく「硝子」にあると考え、また自分自身の恋愛を成就させるために行動している、そういった違いが、行動の結果を大きく異なったものにしている、と言えるのかもしれません。
(まあ、硝子絶対主義者となっている将也を前に、悪いのは硝子だというポジションで攻めこんでいっている時点で、植野に勝算はほとんどないわけですが、そういった「空気を読まない」ところは、逆に植野のある種の純粋さを示しているとも言えるのかなと思います。)
ラベル:第26話
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2014年05月28日

マガSPE番外編2の橋のシーンは何月何日か?

先日出た、マガSPE番外編2、よかったですね。
あれを見ると、また硝子の告白リベンジがありそうで、いまから楽しみです。

さて、あの番外編2は重要なシーンが目白押しですが、中でも注目したい1つが、4ページ目の、橋での硝子と将也の会話のシーンです。



なぜこのシーンが重要に見えるかというと、この真ん中のコマでの硝子の表情が、明らかに「好意を持っている異性に対する表情」に見えるからです。

このまんがの最大のなぞの1つは、「硝子はいったいいつ、将也のことを好きになったのか?」ということです。

その最大のなぞに対する非常に重要なヒントとして、「この橋のシーンでは既に好きになっている(ようだ)」ということが言えそうなので、このシーンが重要なわけですね。

さて、実はこの橋のシーンがいつなのか、意外とシンプルに特定できます。
私のカレンダーのなかから、可能性のありそうな日を抜粋してみました。



話の流れから、この橋のシーンは硝子と将也が再会してから「うきぃ」(第23話)までの間の火曜日のいずれかです。

4/29:結絃は手話サークルのベランダ?から望遠鏡で見ているので違う
5/6:可能性あり
5/13:佐原がいるはずなのでおかしい
5/20:佐原がいるはず、結絃が橋の上にいる間に将也は帰ったのでおかしい
5/27:将也が橋にいかなかった
6/3:うきぃ


このように並べてみると、このシーンはほぼ間違いなく5/6のものである、ということが分かります。

でもって改めて第3巻を見てみると、確かに同じシーンがあるわけですよ。
第3巻7ページ、第15話のこのシーンです。



…見た目、同じシーンですが、実際に同じシーンだったようですね。

このシーン、将也目線では、自分のメアドを教えようと思ったら佐原の連絡先を聞かれてがっかり、というシーンなのですが、実は硝子はこのときすでに将也のことが好きになっていた、そしてそれは結絃からはバレバレ、ということだったわけですね。

さて、このシーンで既に硝子が将也に好意を持っていたすると、硝子が好意をもつに至った可能性期間は相当に絞られます。
そして、実は「この瞬間じゃないか」と私が考えている瞬間もあるので、そちらについてもエントリを改めて書こうかなと思っています。

※一応…番外編の4ページで「橋のシーン」と、「その次の硝子のはにかみ」が違う時期のもの、という可能性もあるのですが、だとすると橋のシーンが描かれている必然性がまったくないので、やはり同じタイミングだと思います。
ラベル:番外編 第15話
posted by sora at 07:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 第4巻 | 更新情報をチェックする

2014年06月03日

植野の×が取れたのはいつ?

さて、先のエントリで植野の×(まあ島田もですがこっちは割とどうでもいい)が、会うたびにわざわざどこかから「飛んでくる」ことに触れましたが、それにしても、この×、割と何度も植野といい感じになりつつも、しつこく外れずに残っていますね。

ですから、ネットなどでも「いつになったら植野の×が取れるんだ」といった話題が定期的にあがりますが、実はすでに、第21話で植野に×がついた後、1度だけ、「ついた×が外れる」展開がありました
ちょっと気を抜くと見逃してしまうくらいわずかですが、それはどこでしょうか?

それは、第4巻収録予定の第25話、将也が「友達っぽい!」と叫んだ後です。(第25話18ページ)



「石田!たこやき喰おーよ!」のコマ、
「頭の中でこねくり回すものじゃない」のコマ、
「やっと今理解した気がする」のコマ、


すべて植野の×が外れていることが分かります。

ここで一旦、植野に限らずすべての人間に対する警戒心を緩めて、植野の×もとれてしまった(前のエントリで触れたとおり、植野についている×は意識してわざわざつけているものなので)わけです。

…ただ、このあとまさに植野の差し金で、たこやき屋バイトの島田と遭遇してしまい、植野にはまたまた×がついてしまいます。(26話5ページ)



ここで、島田だけでなく植野にも、×が「飛んできた」動作線が入っていることは見逃せません。
「飛んできた」ということは、「それまではついていなかった」ということに他ならないわけですから。

それにしても、ほんの一瞬だけ、「友達っぽい!」のおかげで心を許しかけてくれた将也に、よりによってトラウマの塊である島田を合わせてしまってまた心を閉じさせてしまうとは、ほんとに植野は常にやることが裏目裏目にでる可哀想なキャラですね。(^^;)
ラベル:第25話 第26話
posted by sora at 21:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 第4巻 | 更新情報をチェックする

2014年06月04日

「聲の形」コミックス第4巻の表紙がきました!&ロケ地?考察

今月17日に発売予定のコミックス第4巻、注目の表紙デザインがでてきました。


(楽天BOOKSにリンクして予約・購入可能です。)

やはり大方の予想通り、遊園地ですね。
今回は私服ですが、将也は例の「タグの出ているTシャツ」ですね。タグ見えてないけど(笑)。
そして硝子も、「いつも同じあの私服(笑)」ですね。

これまで、表紙の二人は巻数が進むにつれてだんだんお互いの方を向いていっていたんですが、今回は将也が一気にあさってのほうを向いてしまいましたね。硝子の微笑みもちょっとレベルダウン。

まあ、遊園地編って実際には将也にとっても硝子にとっても割とろくでもない結果に終わっているので、この表紙は「嵐の前の静けさ」といったところでしょうか。

ちなみに、この「遊園地」は「ナガシマスパーランド」だ、ということですでに同定されていますが、この表紙の「撮影」場所はどこかな、ということでちょっとネットでだけですが調べてみました。
公式ページのマップをお借りしました。)



観覧車の位置、右側に見える建物の雰囲気からして、どうやらこの○印の場所が近そうですね。
どなたか聖地巡礼された方がいらっしゃたら、ぜひより正確な位置を教えてください。(^^)

ところで気が早いですが、5巻はどうなるんでしょうね。
平和に描くなら水門小学校にロケハン許可をとりにいったときの場面で、このあたりで表紙絵でも大きく「物語」を動かすならまさに今週の39話のボロボロの将也とそこに寄り添う硝子、あるいはこのあとに続くかもしれない傷心デートでのワンショットというのもあるかもしれません。

ともあれ、コミックス第4巻は6月17日、火曜日発売です。ちなみにこの6月17日は、「カレンダー」によると、なんと将也が「今日めっちゃかわいいね」と硝子をほめ、硝子が植野への手紙を投函する日なんですね。

posted by sora at 22:04| Comment(8) | TrackBack(0) | 第4巻 | 更新情報をチェックする

2014年06月06日

第27話、植野の「硝子と嫌いなものが一緒」の意味は?

これも39話で「回収」されたと思っていますので、書いておきたいと思います。

第27話、遊園地編で植野が硝子と観覧車にのって降りてきた後、植野が「硝子と嫌いなものが同じだった」と話すシーンがあります。


(第27話、3ページ)

「でも話してみて気が合うっていうか?
 嫌いなものが一緒だった所がシンパシー?って感じ」


で、その後、結絃の録画した観覧車の会話で、「硝子が嫌いなもの」が「わたし」だということも明かされます。


(第27話、19ページ)

「…ち…ちがいあしゅ… わたちは…わたちが きあいでしゅ…」

この回のリリース当時、この植野の「嫌いなものが一緒」というセリフの解釈が2つに割れたのを記憶しています。

1.硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=硝子

2.硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=私(植野)


私は、この27話の段階では、このセリフの解釈は「1」であることは明らかだと思っています。

そもそも、この観覧車での会話は、「私はあなたのことが嫌い」という植野の発言で始まり、最初から最後まで「植野はなぜ硝子のことが嫌いだったのか」という話をし続けているわけです。
もうこれだけで、そのたった数分後の上のセリフの解釈が「1」であることは明らかですね。

それ以外にも、3~4巻での植野は、はっきりと自己肯定感の高い自信満々の人物として描かれていますし、また観覧車の会話でも、硝子に対して「昔の感情は間違いだと思ってない」と発言するなど、過去の自分も含めて自分を肯定しているととれる発言も繰り返しています。

ですから、ここの解釈は1で終了、と思っていたのですが…。

大今先生がまたまたやってくれました。

第39話、集まったすべてのメンバーの内面の弱さをえぐることとなったあの橋の上のやりとりで、植野が最後にこうつぶやいて去っていくのです。(第39話13ページ)



「ごめんね石田…
 私がやること 全部 裏目に出るね…
 ホント…
 自分がやんなる……!」


硝子に対して(そして周囲に対しても)強気に振舞っていた植野の内面の奥深くには、一生懸命やった自分の行動が期待通りの結果につながらないということへの自己嫌悪の気持ちが隠れていたのです。

だとすると、小学校時代の植野についても、観覧車では「間違ったことだと思ってない」と言い切っていたものの、実際には、世話係としての努力が認められず評価されなかったこと、硝子との関係がいろいろこじれた結果として将也との仲のいい友達グループが崩壊したことに自分自身も責任の一端があったことなどについて、後悔の念(何か自分は間違っていたのではないか)という思いを秘めていた、と考えることもできるのではないでしょうか。

そういった、隠れていた植野の自己嫌悪と後悔の気持ち、それが39話の「場」であらわにされ、第27~28話でいったん回収されたはずの「伏線」がさらに大きなスケールで回収されなおした、ということになるのではないでしょうか。

つまり、こういうことだったわけです。

表面的意識:硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=硝子

深層的意識:硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=私(植野)


こういう多層的な伏線の回収の仕方、ほんとうに興味深いところです。
ラベル:第27話 第39話
posted by sora at 07:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 第4巻 | 更新情報をチェックする
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