ちょっと思い出してみただけでも、
・硝子と将也の時をこえた「友達に…なれるか?」
・第2巻冒頭と巻末の結絃の「オレはこいつが嫌いだ」
・さらに、その内側にはさまれる、将也の(巻頭と巻末の)「俺は俺が嫌いだ」
・硝子の過去を取り戻したい将也と将也の過去を取り戻したい植野
などなど、いくつも思い当たります(たぶんもっとたくさんあるはず)。
そんな中でも、「植野回」といわれる第3巻第21話に、非常に興味深い「相似・呼応」関係がありますので、今回はそれについてとりあげたいと思います。
第21話で、(それまでの何度かの再会の試みが失敗した後)川井と結託して、強引に将也との再会を果たした植野は、これまた無理やり乗り込んだ自転車の荷台から、こんなことを将也に聞きます。(第3巻119ページ、第21話)

「石田さ 私のこと嫌い?」
そして、硝子と遭遇し、修羅場があって、そのあと自宅まで将也に自転車で送ってもらった植野は、別れ際にふたたびまったく同じことを聞きます。(第3巻140-141ページ、第21話)


「石田 私のこと嫌い?」
同じ人間が、同じ人間に対して、同じ日に、まったく同じことを聞いています。
ところが、それに対する返事がまったく違います。
(最初の問いに対して)「……まあ別に…なんとも…」
(2回目の問いに対して)「嫌い」
なぜ答えが変わったのか、それはもう明らかですね。
将也にとって、再会したときの植野は「ただの過去の人(まあ相当気にはしていますが)」で、特段の感情をいまさら持つような相手ではありませんでした。
それに対して2回目に聞かれたときには、まさに「いま」、将也にとって大切な人である硝子に対してひどいことをし、将也の人間関係まで笑い飛ばした、そして「顔も見るだけで頭痛くなる」(第3巻136ページ)存在に変わってバッテンがついた(ちなみに、バッテンがついてなかったのに後からついたのは現時点で植野
ここで面白いのは、対する植野のそれぞれの答えに対するリアクションですね。
最初の答えには「ふーん…私の知ってる石田は はっきりと「嫌い」って言っちゃう奴なんだけどなー」と、将也の答えに満足できない様子を示している一方で、2回目の答えにはとても嬉しそうな微笑みを返しているのです。
これはなぜでしょうか?
もちろん、最初の植野の返答からわかるように、2回目の将也の答えを「自分の知っている石田が戻ってきた」と感じた、ということもあるでしょう。
植野にとっての「石田」とは、裏表や遠慮のない、思ったことをストレートにぶつけストレートに行動する痛快な人物であり、それこそが魅力だと感じていたのでしょうから。
そして、それとは別のもう一つの「解」として、「将也にとって、自分が『過去の存在』から『現在の存在』に変わった」と実感できたから、ということがあると思います。
将也の最初の返答からは、目の前にいる自分に対し、積極的な感情をもっているとは思えない、もはや「過去の人間」として取り扱われているという印象しかもてません。
それに対して、目をしっかり見据えて「嫌い」と言い切った(2回目の)将也からは、あらためて、高校生となったいまの将也にとっての「現在そこにいる人間」としての感情をぶつけてもらえた(ネガティブなものであっても)という印象を持つことができます。
「相手にされていない」よりは、それがたとえネガティブなものであっても「相手にされている」ほうが関係再構築への距離が近いことは間違いのないことです。
植野は、この「大事な質問」を2回することで、また2回目に期待どおりの答えを得られたことで(ライバルになりそうな硝子との関係もまだ「恋人」ではなさそうだと分かったこともあり)、「昔好きだった石田」との関係をふたたび作れるかもしれない、という前向きな気持ちにいたったのだと思います。
なお、この第21話のやりとりによって植野が得たであろう「将也に対する認識」こそが、「植野がなぜ再会後、こりずに将也を熱心に追いかけているのか」という「なぞ」を解く鍵になると思うので、改めてエントリ書きたいと思います。
ついでに言っておくと、久しぶりに再開して、いきなり最初の問いかけが「私のこと嫌い?」なんていうものだ、という時点で、植野の将也に対する恋心はすでにものすごくはっきり透けて見えていますね。
このあたりの描写も実に心憎いところです。
ラベル:第21話