恐らくほとんどの「聲の形」ファンが知ってることだとは思いますが、せっかくなのでここでもとりあげておこうかと。(後半にオリジナルネタも盛り込みました)
「聲の形」前半の最大のヤマ場が、第3巻最終話、第23話の硝子の告白であることは誰も否定できないでしょう。
ところが、硝子がこの気持ちを手話ではなく、声で伝えようとした「思い」が裏目に出て、将也はそれを聞き取れず、「好き」を「月」と聞き間違えてしまいます。

その間違いに驚愕した硝子ですが、さらに将也はそこに輪をかけて、「きれいだね」と言ってしまう間抜けさ。

結局、硝子の想いは将也には伝わらず、硝子はテンパって走ってその場を逃げてしまいます。
ところが、このやりとり、別の見方をすると意味が全然変わってくるんですね。
このやりとりを整理すると、硝子が「好き」と言ったのに対して、将也は「月が綺麗だね」と答えていることになります。
そして、この「月が綺麗だね」というのは、かつて、かの文豪、夏目漱石が「I love you」の日本語訳として示したものである、という逸話が大変有名なのです。
”小説家・夏目漱石が英語教師をしていたとき、生徒が"I love you"を「我君を愛す」と訳したのを聞き、「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と言ったとされる逸話から。遠回しな告白の言葉として使われる。 ”
つまり、将也は実際には単なる聞き間違いをしているだけなのですが、結果として硝子の「好き」に対して(夏目漱石的には)「I love you」で返していることになるのですね(^^)。
第28話で、机の上にびっしり本が並んでいるところを見ても、第29話での結絃の話からしても、さらには先天性の聴覚障害であるにもかかわらずまったく違和感のない日本語を駆使できているところからしても、硝子は大変な読書家であることが想像され、恐らく夏目漱石のこの逸話も「知っている」でしょう。
そこまでふまえてこのやりとりを見ると、本当に、本当にこの場面って味わい深いんですよね。大今先生天才すぐる。
さて、これがネタの1つめ。
もう1つのネタは、「実はこの月の見え方はありえない」という話です。
もういちど先ほどのシーンを見てみましょう。


将也は、月をかなり高い目線で見上げて、見上げた先には満月が見えます。
また、このやりとりは橋での鯉へのえさやりの時間からそんなにたっていないはずなので、せいぜい午後6時前後だと思われます。
実は、月の形と月の出・月の入りにははっきりした関係があって、満月の場合、月の出がだいたい午後6時くらいです。
http://www12.plala.or.jp/m-light/keisan/sun.htmこちらで、月齢15前後の日の月の出・月の入りを見てみてください。
ですから、月が満月の場合、午後6時だと普通の場所に立っている限り、月は出たばかりで建物の影に隠れて見えません。
恐らく7時半くらいになってようやく建物の向こうに低く見えてくる、といったくらいの感じです。でも、それでも「見える角度」は非常に低いわけです。
ところが、この場面で将也はかなり高く空を見あげています。
この高さの目線の先に満月があったら、もうそれは深夜です(笑)。
逆に、もし夕方6時半くらいに高く空を見あげて月が見えるとしたら、それは上弦の月のはずなんですね。
以上、23話に関する月の話題2件でした。
23話については、書きたいことがまだまだあるので、おいおい書いていきたいと思います。