2014年04月26日

第14話・カレーの謎

まあ、これはたぶん作者のど忘れというか、勘違いで起こってしまった矛盾だと思います。

第2巻172~173ページ、第14話で、カメラを取りに来て永束につかまった結絃が、将也らと一緒に夕食を食べるシーンがあります。



これを見る限り、食べているのはどう見てもカレーライスです。

ところが、これを作っている仕込み・調理の段階では、明らかに違うものを作っているんですよね。



同じ第14話、第2巻169ページをみると、永束が石田母の調理に横やりを入れていますが、ここでは少なくとも以下のことが分かります。

・こんぶでだしを取っている。
・豆腐を切って入れている。
・ポン酢を用意している。
・丸ごとの魚をさばいて入れている。
・ネギが必要。


これを見る限り、どう見ても「和風の鍋料理」です。

ところが、実際に料理が終わって食卓に並んでいるのはカレー。

石田母は、きっとすごい魔法を使ったのでしょう(笑)。
(これについては、「なぞ解き」はちょっとできません。たぶん作者が間違えてしまったのだと言わざるを得ないですね。)
posted by sora at 18:00| Comment(12) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

2014年04月29日

西宮一家から暴行を受けまくる将也(笑)

さて、現在ではすっかり西宮家の家族全員と打ち解けた?将也ですが、ここに至るまでには長い道のりがありました。
その過程のなかで、実は将也は西宮家の家族全員(祖母を除く)から殴る蹴るの暴行(笑)を受けている事実に気づきます。これらのコマだけを取り出してみると、「聲の形」がバイオレンスマンガのようにみえてきます。

時間軸のとおりに並べてみると、まず最初は、小学校時代の硝子からビンタ。(まあこれは最初に手を出してるのは将也なわけですが)第1巻162~163ページ、第4話です。



このシーンが、将也と硝子の関係にとって決定的に重要な意味をもっていたことは論をまたない、そんな重要な場面ですね。

そして、高校生になって硝子と再会した日には、硝子の母からもビンタ。親子直伝の技。第2巻40ページ、第7話です。



そしてさらに、後日、登校途中に偶然であった結絃からは跳び蹴り。自転車ごと将也が吹っ飛ぶほどの衝撃。第2巻96ページ、第10話になります。



これらのシーン、大今先生のアクション描写が光りますね。
こういったアクション・バイオレンス系の描写は、実質のデビュー作となった、「マルドゥック・スクランブル」で存分に楽しむことができます。


マルドゥック・スクランブル
コミック 1-7巻セット
講談社コミックス

「聲の形」ファンなら、この「マルドゥック・スクランブル」もぜひおさえたいところです。
後半のほうのバロットがかなり聲の形の植野に似ているという話もありますし(笑)。

ところで、少し最後に真面目な論考も加えたいと思いますが、これらの暴力の描写、決して無意味に入っているわけではなくて、これもまた、歪んではいるものの「聲の形」なのだ、という作者からのメッセージであることは間違いないと思います。

特に、最初の硝子と将也のけんかのシーンは、将也みずからが「あの時は傷つけ合うことでしかこえを伝えられなかった」と回想し硝子に伝えていることからも、明確にそうですし、西宮母と結絃からの暴行は、その時点でのふたりからの交流拒絶のメッセージだったといえます。

そんな風に考えながら、この作品にはいくつ「聲の形」が表現されているのだろう、という視点で読んでいくのも興味深いところですね。
posted by sora at 09:48| Comment(7) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

今日は「2度目の橋での再会」記念日です!

今日、4月29日は、日本国では祝日ですが、「聲の形」の世界では平日らしく、将也が硝子と高校になってから(結絃の妨害にもめげず、永束の協力?もあって)2度目の再会を果たす日です!



物語では、第2巻の第9話に相当しますね。
「会う資格があるのかわからなかった」という将也からの告白に、硝子が「同じこと考えてた、おかしいね」と返す、硝子の将也への気持ちを考えるにあたって非常に重要なやりとりが交わされている回でもあります。

ちなみに、こちらに掲載している時系列カレンダーでは、このGWあたりの推測が非常に難しく、どう設定しても矛盾が生じる感じです。(特に「停学1週間」のところ)
ラベル:第09話
posted by sora at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

2014年04月30日

第6話「友達に…なれるか?」の裏にあるドラマとは?

分かってる人にはあまりにはっきり分かっていて、「謎」でもなんでもないと思いますが、第2巻の冒頭、第6話に、絶対に見逃せないドラマが仕込まれています。
というか、読みきり版ではこれがクライマックスになっている、それくらい重要なシーンですね。

第2巻19~20ページ、第6話で、将也は5年ぶりに再会した硝子に、「俺とお前 友達になれるか?」といきなり聞いています。




なぜ将也は、急に「友達になれるか?」なんてことを聞いたのでしょうか?

それは、

それこそが、かつて硝子が将也に手話で語りかけたことそのものだったから

です。

このシーンでも、よくみると将也の手話の1つ1つに、かつての小学校時代の硝子の姿が挿入されているのが分かります。
そして、実際にこのシーンがどこにあったのかを遡ると、第1巻114ページ、第3話にあります。



将也は、このときの硝子とまったく同じ手話を返しているのです。
私は手話はまったく詳しくありませんが、さすがにこれくらいなら検索して調べられるので調べてみたところ、予想どおり、

http://www.symphony.co.jp/fukusi/shuwa/kyositu/lesson07_1.html
最初のが「あなた」(さらに前に「私」)で、

http://matome.naver.jp/odai/2128012528450037201/2128012559750047203
次が「友達」

だと分かります。
つまり、将也が手話をやりながら口にも出しているとおり、「友達になろう」と言っている、ということですね。

かつて、硝子が将也に対して勇気をふりしぼって語りかけた「あなたと友達になりたい」、それを5年後の将也がまったく同じ形で返してきた。しかも手話を勉強して、筆談ノートを持って…。

これ、単純に「いい話だなあ」というのを超えて、すごいドラマを内包しているのです。
そこについて少し考えてみたいと思います。

そもそも、なぜ小学時代の硝子はあの場面で、「友達になりたい」という意思表示を「手話で」伝えようとしたのでしょうか?
そんなの、まず伝わりっこないのに。

それは、改めてあの場面を振り返るとわかるとおり、「筆談ノートを奪われたから」です。
だとすると、どうなるのでしょうか。
硝子は筆談ノートに、まず「ごめんなさい」と書きました。
その後、もし筆談ノートを奪われなかったら、きっとその筆談ノートに「友達になりたい」と書いたのだ、と思うのです。
このときの硝子が、かなり積極的に将也との友達関係を求めていたことは、第1巻109ページで将也がつぶやいているとおり、硝子が「わざわざ筆談ノートをかかえて将也を待っていた」ことからも分かります。
そして、筆談ノートを奪われて「友達になりたい」という「こえ」を伝える手段をなくした硝子は、まず将也の手を握ることでそれを伝えようとし、それでも伝わらなかったのでこんどは手話で「友達になりたい」と伝えたのです。

この、当面考えていた手段を奪われてもくじけずに別の手段で自分の気持ちを伝えようとするメンタリティは、第23話での告白シーンを彷彿とさせます。筆談ノートで伝えようとしたがかなわず、そこで手を握ってもだめなら、さらに手話までやってしまおうという「押し」の強さは、3回も告白を繰り返した第23話のシーンとかぶるものがありますね。

…で。

その小学生時代の「友達になりたい」というメッセージの結果は?
将也らに嘲笑され、筆談ノートを池に投げ捨てられるという、最悪の結果に終わりました。
当初「友達になりたい」と伝えるはずだった(わざわざ待ち伏せしてまで)筆談ノートを池に投げ込まれてしまった硝子の心の傷はどれほど深かったでしょうか。
これについては第4巻収録見込の第28話で描かれますが、結絃いわく「あの時は きっと ねーちゃんも 限界だったんだ」というくらいで、硝子の人生のなかでも最も辛い経験だったようです。

だからこそ。

将也が、(かつて他ならない自分自身が投げ捨てた)筆談ノートをもって5年ぶりに現れ、わざわざ手話を覚えて、かつて自分が投げかけ、そしてかなわなかった「友達に…なれるか?」というメッセージを伝えに来た。
そのことに対する衝撃はどれほどだったでしょうか。

「あのとき、伝わらなかったこえ、かなわなかった願い」が5年の歳月をこえて伝わった瞬間だったのです。

しかも、そこには単なるきれいな感動だけではなく、将也視点から見れば「決して簡単には許されない罪」の提示も同時になされています。
読みきり版では「クライマックス」であった物語が、連載ではまさにここがすべての始まりになっています。

私は、このシーンに盛り込まれた、幾重にも折りたたまれた複層的なドラマの濃密さを読むたびに、この作品の凄みを思い知らされる思いです。



そして最後に。

ここには新たな「なぞ」があります。
この、小学時代に硝子が「友達になりたい」とわざわざ伝えにきた日は、将也が硝子の補聴器を窓から投げ捨て、さらに反対の耳を引っ張ってケガをさせた、まさにその日です。
こんな暴力を受けた日に、なぜわざわざ待ち伏せしてまで(しかも将也だけを狙って)友達になろうとしたのか…?

この謎も、今後解ける日がやってくるのでしょうか。
posted by sora at 16:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

硝子担当の火曜以外に鯉にえさをあげているパンのおじさんの名前は?

これはちょっとしたパズルです。

「聲の形」の固定舞台ともいえる「橋での鯉のえさやり」、毎週火曜日だけ硝子が担当しており、それ以外の日は「パンのおじさん」がえさをやっている、という話が2巻の最初に出てきます。(2巻24ページ、第7話)



この「パンのおじさん」、一度も実際には登場しませんが、実はちゃんと名前がついています。彼の名前は、

高須さん

です。

どこに書かれているかというと、ここです。



第2巻104ページ、第10話で、結絃が将也の川飛び込み写真をバカッターに投稿し、それが記事になってしまった、という場面で、その記事の中にこうあります。

週6日、この場所で鯉に餌をあげている高須さんは言う。『最近ここの鯉の元気が無い・・・・』」

週6日、というと1週間に1日足りませんから、それがちょうど硝子が代わりにエサ係をやっている火曜日ということになってつじつまが合います。

ですから、この「高須さん」というのが「パンのおじさん」ということでほぼ間違いないでしょう。

ちなみに、ここで言われている「最近鯉に元気がない」に、いったいどういう意味があるのかというのもなぞの1つです。

こちらについてもいつかエントリを改めて書ければと思います。
ラベル:第07話 第10話
posted by sora at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする
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