2014年04月06日

2巻冒頭のセリフは誰が言っている?

第2巻は、劇的な硝子と将也の再会から始まりますが、ここになんか違和感のあるセリフがかぶっています。



第2巻3ページ、まさに冒頭のシーンです。
このシーンを過ぎると、次のページからは普通に将也視点からみた、硝子との再会の描写になっていくのですが、少なくともこの最初のシーンは将也の独白とは思えません。
じゃあ硝子の内面なのでしょうか?

・・・
第2巻を最後まで読んだ方はこの謎は簡単に解けますね。

この独白は、将也のものでも硝子のものでもなく、硝子を見守り続ける結絃の独白です。
その証拠として、第2巻の最後、189ページにも同じようなモノローグがあって、第2巻は最初と最後を同じ構成にして締めくくられています。



ラベル:第06話 第14話
posted by sora at 00:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

硝子が耳を見せるとき

これは大変興味深いのですが、硝子は将也と会うとき、何回かに1度ですが、意識的に耳を出しています。

特にそれがよく分かるシーンが、第2巻78ページ、第9話で手話サークルを去ろうとする将也に硝子が追いついたときのシーンですね。



他にも、佐原を最初に探しに行くために電車で待ち合わせしたとき(第3巻・第15話)にも出しています。

また、他のどのシーンよりも決定的に「耳を出して」いるのは、言うまでもなく第3巻・第23話でのポニーテイルです。



これらのシーンでなぜ耳を出しているのか、ということを考える前に、「なぜ普段は耳を隠しているのか?」ということから考えたほうがいいかもしれません。
自然に考えれば、恐らく「補聴器が見えないように」ということなのだと思います。
できれば見えないに越したことはない、といった程度の意識なんだろうとは思いますが、それは少し大げさにいえば、やはり「負い目」のような気持ちがゼロではないということだと言えるのではないでしょうか。

だからこそ逆に、硝子が「あえて」耳を出すという行為には、そういった、自身の障害に対するネガティブな気持ちを乗り越えて、将也の気持ちに近づこうという思いが(もしかすると無意識のうちに)現れている、と考えるのが自然なのではないでしょうか。

まあ、もしかすると、聴者である将也と話をするために、補聴器の設定を切り替えているだけ、みたいな可能性もありますが(笑)、それでも少なくとも「ポニーテール」はそうじゃないですよね。

また、第23話でポニーテールになった硝子が、その後また元の髪型に戻ったことは、いったん極限まで盛り上がった硝子の「想い」は、伝わらなかったことでいったん小康状態に戻った、ということを表しているんだろうな、と思います。

posted by sora at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

将也の心象風景に現れる鯉

これは、まだ個人的に解けていない謎です。

第2巻以降、非常にしばしば登場する生き物として「鯉」がいます。

もちろん、硝子が橋で火曜日にパンをあげている鯉もさることながら(こちらについても後で触れます)、それよりも気になるのは、「将也の心象風景」として登場する鯉です。

最初に出てくるのは、第2巻15ページ、第6話で、硝子に筆談ノートを渡したときです。



ポイントは、この時点ではまだ「橋でのエサやり」の場面も話題も登場していないので、ここで出てくる「鯉」は、断じて「橋でえさをやる対象としての鯉」ではない、ということになります。
また、鯉の横で沈んでいく靴は、このとき将也がはいていた靴です。

そして、もう少し読み進めていくと、(エサやりの鯉はとりあえず飛ばして)第2巻56ページ、第8話で、貸した自転車をパクられて、硝子に会いにいけなくなりそうだという場面で登場します。



こちらも、将也の心の中に現れている(現実ではない)鯉です。
しかも、なぜかその直前のコマで、小学校時代の硝子の後ろ姿を思い出しています。

なんなんだろうこの鯉は。まったくの謎です。

1つだけ、そうかもしれないという仮説があります。
鯉は、「滝登り」とかでも知られているとおり、古代中国などでは「出世・成長」の象徴として喜ばれていた魚なのだそうです。

だとすると、こういった場面で出てくる「鯉」は、「いままさに成長しようとする・しつつある将也」を象徴しているのではないか。
小学校時代に犯してしまった罪を償い、止まっていた時間を動かし、いまこそ成長しようとして苦悩する将也の姿を、この鯉は象徴しているのかもしれません。

そう考えると、最初の鯉に将也の靴が写り込んでいることや、次の鯉が描かれる場面で「小学校時代」を思い出していることもある程度は説明がつくように思うのです。

まあ、実は単に「鯉」=「恋」のアナロジーで、実はすでに硝子に恋をしている将也の心情を暗示的に描きつつ、橋で硝子とふたりで「鯉にえさをやる」=「恋をはぐくむ」みたいなベタなネタなのかもしれない、という可能性もなくはないと思っているのですが(^^;)。

いや、でも逆に、「橋」の場面も、実は「硝子や他のメンバーが、将也を象徴する鯉にえさをやって、みんなして将也の成長を支えている」という壮大な暗示だと考えるのも楽しいじゃないですか。

とりあえずいまのところ、そんな風に考えています。
ラベル:第06話 第08話
posted by sora at 23:28| Comment(9) | TrackBack(1) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

2014年04月15日

今日(2014年4月15日)は、将也と硝子の再会記念日です!

さて、いよいよやってきました。

本日、2014年4月15日は、まんが「聲の形」のなかで、高校3年生になった将也と硝子が劇的な再会をする日です。




ちゃんと曜日も火曜日(橋の日)で合っていますね。

今日の午後5時ごろ、まんがの中の将也と硝子は手話サークルで5年ぶりに再会するわけです。

まんがと実際のカレンダーがシンクロするのって面白いですね。
posted by sora at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

2014年04月21日

硝子発見後、なぜ急に空が明るくなるのか?

ひとつ、どうしても分からない描写がありました。
それは、2巻159ページ、第13話で、家出した結絃を探しに行って帰ってこない硝子を将也と結絃が捜索した場面で、硝子が見つかったあとの場面が急に夜のシーンから昼のシーンに変わってしまう部分です。



硝子探しは明らかに深夜であり、場面の描写も薄暗く描かれています。
ところが、石田母や西宮母と合流し、やりとりをしている場面で急に背景が白く(つまり、まんがの表現として明るく)反転し、それ以降は手話をしている将也の姿を石田母が遠くから見つけたりと、明らかに「明るい場面であることを前提とした描写」がなされているのです。

最初に読んだときは、ここで日が変わったのかと思っていたのですが、よくよく読んでみると前の場面と時間的につながっているのが分かります。

なぜここで真っ暗から昼間みたいな明るさに変わっちゃうんだろう、とわけがわからなかったんですね。

でも、確認していってようやく納得できました。
「親を呼んでいる間に夜が明けた」という、ただそれだけのことだったんですね。
そんなに絶妙に夜が明けるかなあ、と思って調べてみたら、たしかに無理がない時間の流れになっているので、納得しました。

まず、硝子の母親が石田家のドアを叩いたのが、深夜の3時となっています。(第2巻143ページ)
そして、捜索に1時間半~2時間ほどかけ、連絡して親がやってくるまでが20~30分と考えると、硝子が見つかったのが4時半~5時頃、親がきたのが5時~5時半頃と考えられます。

私の推測したカレンダーに基づくと、この日は5月2日(から3日の未明)。硝子をみつけた橋を、大垣市の「虹の橋」だと仮定すると、北緯35度21分28秒、東経136度36分46秒、標高は約8m、この数値に基づいて2014年5月3日の日の出を計算すると、ちょうど5時0分

つまり、硝子が見つかったのが夜明け前くらいで、親が来たのは日の出後、という、ちょうど絶妙のタイミングになるということです。

この日は雨が降っていますから、日の出前にはそれほど明るくならないであろうことを考えると、この描写はまったく問題なく、硝子を見つけて親を待っている間に周囲が明るくなる、というのは自然だということになりますね。

最後に雲の間から日が差してくる描写もありますし。(第3巻166ページ、第13話)


ラベル:第13話
posted by sora at 22:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする
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