読みきりでは登場せず、連載で登場したキャラクターの代表が、永束であり結絃であるわけですが、この「西宮結絃」というキャラクターはそもそもなぜ「連載で登場」したのでしょうか。
それは、前のエントリでも掲載したこちらのカットなどからうかがい知ることができます。

以前のエントリでご紹介したとおり、作者の大今先生は、「聲の形」を連載するにあたって、描写に1つの大きな制約を自ら課しました。
「クロノ・トリガー」のマンガを描いていました「週刊少年マガジン」で新連載『聲の形』大今良時に聞く2【読切とは読み味を変えた】
───『聲の形』の連載にあたり、読切と何か大きく変えたところはありますか。
大今 読切ではとにかく必要最低限の要素──それぞれの登場人物の感情がどう動き、何がどうなったという“情報”を作品の時間軸に合わせてひとつひとつ描きこんだり、コンパクトに情報を伝えるために、聴覚障害者の西宮硝子視点のシーンも描かなければならなかった。連載では視点をなるべく主人公の石田将也にしぼって、理解できない相手との間でどうやって理解を深めていくかということに焦点を当てるつもりです。“読み味”は読切と少し違うかもしれません。
───視点を固定した狙いはなんでしょう。
大今 これまで読んでいない人をどう引き入れるかということを考えた結果です。読切で描き上げたものを連載にするというのも、リメイクといえばリメイクですし、同じことを描きながら、いままで興味を持ってもらえなかった人を引き込みたい。それでいて読切で知ってくれたたくさんの読者にもオトク感というか、新鮮な印象で読んでもらえたらいいですね。
簡単にいうと、読みきり版では使っていた「西宮硝子の視点や内面を直接描く」という手法を、連載では封印して、基本すべて将也の視点からだけの一人称の物語にしている、ということになります。
ところがこれだけだと、「将也が見ていないところで起こる物語」をまったく描けなくなってしまいます。
やはりどうしても、「硝子の側だけで起こる物語」や「硝子の内面や視点を、『石田フィルター』なしに描く物語」を描かなければならない場面は少なからず起こってしまうわけですね。
でも、だからといって硝子の内面を直接描いたのでは、ある意味読み切りと同じだし、また読者が「神の視点」に立ちすぎてしまう、という、(恐らく作者が危惧したであろう)問題が結局浮き上がってしまいます。
「コミュニケーションの難しさやすれ違い」がテーマである本作において、たとえ読者であっても、それらをすべてお見通しな視点を設定するのは安易だ、ということもありますね。
そこで登場したのが「結絃」である、というのが私の考え方です。
硝子本人ではない、でも硝子に誰よりも近くて硝子の近くで起こる物語を代弁し、また、将也と硝子のコミュニケーションがすれ違っているときにそれを仲介することができる役回りをもったキャラクター(=結絃)を設定することで、上記の問題をクリアできるようにしたわけです。
実際、第3巻~第4巻において、将也と結絃のコミュニケーションがスタックしたとき、結絃が動き回って問題を解決していくシーンがたくさん出てきますね。
そして、第4巻において顕著ですが、作者は「石田視点の一人称の物語」以外に、チャプターによっては、「結絃視点の一人称の物語」を許すという、制約の緩和をも行っています。
とだけ書くと、結絃ファンからは怒られそうです(^^;)。
もちろんそれだけではないのは当然です。
作者も、結絃を単なる「便利屋」にしてしまわないよう、第2巻、第4巻を中心に、結絃自身を深く掘り下げ、物語全体の中核キャラになるように設定しています。
ですから、出発点としては「物語に別視点を与える便利キャラ」ではあったと思いますが、そこから物語を深めていった結果としては、「物語になくてはならない中核キャラ」になったんだと思います。