2014年05月23日

真柴が最初に登場したのはいつ?

さて、第4巻(相当)で登場し、最初は何者かよくわからないキャラだったにもかかわらずここへきて急速に中ボス感をかもし出してきている(もしかしたら巻数的にはラスボスの可能性も)真柴ですが、実は最初の登場は4巻ではなくずっと前だということに気づきます。

ほんとに最初に登場しているのは、実は1巻です。174ページ、第5話で将也に内心でいやみを言われる伽羅として登場します。



いきなり「まずお前」とか言われています。
ちゃんと第1巻の段階で仕込んであるとはさすがです。

そして、単なる観察対象としてではなく、実際に会話が発生する形での登場は、第3巻10ページ、第15話でのことになります。



バカッター停学事件から復帰してきた日に最初に話しかけてきたのが真柴でした。
(ちなみに、このときなぜ話しかけてきたのかについては、今週の37話で真柴自身が語っていましたね。)

そして、このやりとりの直後に川井がなぜか話しかけてきて、それが結果として佐原との再会というドラマチックな展開につながるわけですが、この一見不自然に見える「突然の川井の話しかけ」も、よく考えるとあとでちゃんと伏線回収されていますね。

こういう緻密な組み立てで「ドラマ」が構成されているところも、実に味わい深いです。
ラベル:第05話 第15話
posted by sora at 07:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 第1巻 | 更新情報をチェックする

2014年05月24日

将也の高校クラスの席順は?

真柴登場のネタで、コメントもいただきましたのでエントリ書いてみました。

高校生編で、将也と同じクラスのメンバーとして、永束、川井、真柴などがいるわけですが、それらのメンバーがクラスの中でどういう配置になっているかを考察してみました。

結果がこちらです。第1巻176~177ページの見開きのクラスの大写しをベースに考えます。

sekijun.jpg
クリックで拡大します。

まず、将也の席は窓際の後ろから2番目、これは確定。
その後ろが永束、これも確定ですね。

そして将也の前に座っているのは、名前は不明ですが第2巻103ページ、第10話でスマホのバカッター記事を見せながら「ねー…石田君 このニュース マジメにウケんだけど どーしたの?」と話しかけてくる生徒です。

次に川井です。
川井の席の最大のヒントになるのは、おそらくこちら、第3巻14ページ、第15話のこのシーンでしょう。

KOE_KATACHI_03_017.jpg

こちらを見ると、川井の席は将也から見て3席程度廊下側、2席程度前であることがわかります。
そして先の見開きのページを見ると、まさにこの位置に川井らしき髪型の女子生徒がいるので、たぶんこれでしょうということで。

そして難問が真柴ですが、とりあえず「川井に窓側から話しかけてるコマがいくつかあること」と、見開きページでぎりぎり見える髪形から、川井の左隣と推測しました。

いかがでしょうか?
もしほかにも特定できる生徒がいたらぜひ教えてください!

ラベル:第05話
posted by sora at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 第1巻 | 更新情報をチェックする

2014年05月26日

将也のメンタルは回復したのか?(1)

さて、将也は小・中と続くいじめで精神的に大ダメージを受け、最後に硝子に会って自殺しようと考えるまでにいたりました。

その後、硝子やまわりの人間との交流を再度深めることによって、将也のメンタルは少しずつ改善の方向に向かっているように見えますが、その回復の程度はどの程度なのでしょうか?

このまんがは、「将也視点」ということが徹底して、それはすなわち、「将也のメンタルの状態が、まわりの風景の描写そのものに影響している」ということでもあります。
つまり、将也のメンタルの状態はまんがの描写を見ることでわかるようになっている、ということにもなります。

そのことを具体的に示す描写はいくつかありますが、今回は「幻聴」についてとりあげたいと思います。

第1巻173ページ、第5話をみると、クラスメートのせりふの表現に2種類あることがわかります。



たとえば右下の女子生徒のせりふでは、

石田君って なんでいつも1人なの?

というせりふと、

”ぼっち きも”

というせりふ、2つが別の吹き出しに入って表現されています。

どうやらこのうち、「”」(ダブルクォーテーションマーク)で囲まれた表現は、実際には相手が話していないにもかかわらず将也には聞こえてしまう、「幻聴」であるようです。
(実際、将也は次のページで「うるせーよ!!」と耳を押さえています。)

この「幻聴」は、第3巻10ページ、第15話で、将也が停学から復帰してきたときも聞こえています。

「あ 石田君 来てる ”学校来てるぜ あいつ”」
「本当だ ”よく来れるなー”」
「”恥知らず”」


第2巻での硝子や結絃、永束とのさまざまな交流も、将也の幻聴をとめるまでにはいたらなかったようです。

そして、最近はこの「幻聴」、ほとんど登場しなかったのですが、第5巻に収録されるであろう、第36話で再び聞こえてしまったようです。4ページです。



「”なにあれー”」
「”うるさー”」


この第36話あたりから、再び将也にとってトラウマをえぐられる辛い展開が続いていますので、将也のメンタルが完全に回復するのはまだ先になりそうです。
(というより、その回復がこのまんがのテーマの1つそのものであり、回復したらこの物語そのものが終わってしまいそうでもありますからね。)
posted by sora at 07:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 第1巻 | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

将也のメンタルは回復したのか?(2)

さて、前のエントリに続き、将也のメンタルのダメージを象徴する描写についてです。

前回みた「幻聴」よりも、はるかにわかりやすく将也のメンタル面での問題を象徴していて、かつこのまんがを非常にユニークなものにしている描写、それは「クラスメートの顔についた×印」ですね。



この×印は、将也のどういう思いを示しているものだと考えるのがいいでしょうか?

そのヒントとして、この×印が最初に登場する、第1巻最終話の第5話をみるのがいいと思います。

第5話はサブタイトルが「拒絶人間」となっています。
この「拒絶人間」というのが将也自身のことを指しているのは間違いありません。

そして、この話の将也のモノローグを追っていくと、「俺は孤立した(1巻171ページ)」→「俺は孤立を自分から選ぶようになった 自分は本当は孤独ではないと思い込むためなのかもしれない(178ページ)」とつながっています。

そして、第5話での限定版CDをめぐる島田・広瀬とのやりとりが最後の決定打になったのだと思います。
将也は他人とかかわることの難しさ、本当に自分は孤立していてどうにもならないんだという事実に打ちのめされてしまったのでしょう。

つまり、この×印というのは、将也が「自分は孤立している」という事実から目を背けるために、「自分が拒絶しているんだ」と思い込んでいること、それを象徴的に表したものである、ということが言えると思います。つまり「拒絶の×印」というわけです。

ですから、日々会うことのない、クラスメート以外のその辺の人たちには×印がついていないですし、×印がついたクラスメートであっても、相手からの何らかのリアクションがあったり、興味の対象になったりして、将也にとって「自分から拒絶する」必然性がなくなったときには、あっさり×印がとれてしまうわけです。

今のところ、下記の3人について、

永束:自転車パクられ事件以降友達になったから(第8話)
真柴:「自分と友達になりたい」と言ってくれたから(第24話)
川井:硝子ポニテ事件の直後に髪型を変えたことに興味をもったから(第24話)


といった理由で、×印が外れていますね。
特に、「はじめて×印が取れる」イベントとなった、永束との自転車事件の際には、その×印がとれる瞬間がドラマチックに描写されています(第2巻65~66ページ、第8話)。




でも逆にいうと、ずいぶん友人関係が広がってきたにもかかわらず、「その他大勢」のクラスメートの×印はいまだに取れていません。
これは、比較的理解のあるクラスメートや硝子姉妹などに支えられて交友関係が広がってきたとはいえ、将也のメンタルは本質的にはまだ弱ったままで、とても回復したといえるような状態にはない、ということを示しています。
おそらく、エンディングに向けて、どこかのタイミングですべての×印がなくなる日がくるのでしょう。

それと、言うまでもないことですが、上記の「×印のルール」にあてはまらなくて×印がついてる人があと2人います。
それについてはまたエントリを分けて書きたいと思います。
ラベル:第05話 第08話
posted by sora at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 第1巻 | 更新情報をチェックする

2014年06月23日

担任・竹内のいじめ問題への責任とは?

今回のエントリは、第40話とあわせてマガジンに掲載された、大今先生と荻上チキ氏の対談をベースにまとめた記事になります。

この対談、「完全版」と称するものがシノドスに掲載されているんですが、読み比べてみると、マガジン掲載の対談の内容とシノドスの内容、あんまりかぶっていないんですよね…。
両者がどういう関係なのか分かりにくいですが、今回のエントリの内容により近いのは、マガジンに掲載されたほうの対談です。

さて、担任の竹内ですが、6年生の将也のクラスで、いじめを2件発生させてしまっています。
硝子へのいじめと、将也へのいじめです。

いじめの発生自体はどんなクラスでも起こりうることですが、この2つのいじめで、竹内は適切に対応をしている(問題を小さくする方向の働きかけができている)か、不適切に対応をしている(問題を大きくしている)のか、どちらかのでしょうか?

荻上氏は対談で、竹内の対応は「問題を大きくする」、つまりいじめの発生を促進する方向に働いてしまっている、と指摘しています。

それは、竹内が「マーキング」という行為を行ってしまっているからです。
マーキングとは、「こいつはいじめてもいい対象だ(こいつならいじめても大人は黙認する存在だ)」ということを暗に示してしまうことを指します。

そういう視点で第1巻を見直してみると、まず硝子いじめについては、竹内はまんがの中で2回、明確なマーキングを行っています。

1回目は、硝子の耳が聞こえない理由について話していて、将也が「お経書き忘れた」と冗談を言ったとき、竹内までが一緒に「ぶふっ」と吹き出したときです。


第1巻102ページ、第2話から。

2回目は、将也が硝子の補聴器を奪おうとして、耳を引きちぎって怪我をさせてしまったとき。竹内は、「お前の気持ちもわかるよ」と発言し、将也による硝子いじめを正当化してしまっています。


第1巻108ページ、第2話から。

これらの「マーキング」によって、将也の硝子いじめに対する罪悪感は薄くなり、「先生もわかっている」といった感覚で硝子いじめがエスカレートしていくことになります。

そして、硝子いじめの問題が校長に知られ、担任としての立場がまずくなった学級裁判では、今度は竹内は明確に将也をスケープゴートに仕立てあげ、クラスメートにも将也を断罪するように仕向けることで、こんどは将也を「いじめてもいい存在」として明確に「マーキング」します
それ以降については「将也視点」では見えませんが、島田や広瀬に対しては、「将也はいじめてもいい存在だ」という竹内のマーキングが繰り返し行われたことでしょう。

このように考えると、竹内は担任教師として、いじめ問題に対してはかなり間違った対応をとっていたことがわかります。
ある意味、「クラス内秩序を安定させる」ために、常にいじめてもいい存在をマーキングして、スクールカーストの構造を強い大人の立場から促進していた、と言えるでしょう。

将也が高校生になって再会した竹内は、当時のクラスを「運が悪かった」と回想していますが、運が悪かったのではなく、そういう不適切なクラス運営をした、その結果の現れが、いじめ問題が繰り返されたことだったのではないかと思います。
posted by sora at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 第1巻 | 更新情報をチェックする
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