最初にアニメ化の情報が出てから、長く長く待たされましたが、いよいよ、聲の形のアニメ映画、「映画・聲の形」が、明日から一般公開されます。
http://koenokatachi-movie.com/
映画・聲の形 公式サイト
上映時間は129分、内容としては、原作の最初から最後までをカバーしつつ、2時間強という尺に収めるために、エピソードを「将也と硝子の関係」に焦点を当てて大胆に切り取るスタイルとなっています。
私は運よく試写会に参加することができましたが、確かに早回しという印象は免れないものの、いい意味でアニメっぽさのない、とても「映画的」で美しい映像と音楽、そして声優の方の素晴らしい演技により、完成度の高い作品に仕上がっていると思いました。
逆説的ですが、コミックの原作に忠実に映画化された作品ではあるものの、原作をいったん忘れて、ゼロベースで映画の世界に没入したほうがずっと楽しめる、そんな印象を持ちました。
私は、明日の公開日に1回、さらにそのあと2回は見ようと思っています。
いま映画・聲の形を見終わりました。
— そらパパ㌠ (sora y.d.) (@sora_papa) 2016年9月17日
今回は試写会のときとまったく違って純粋に楽しめました。
で、はっきりわかったことは、この作品は原作と答えあわせしながら見ちゃ駄目なんだということ。原作と同じエピソードは使ってるけど、実は物語の構造は相当再構成されてる。原作忘れて見るのが吉。
↑2回目、「答え合わせ」を意識してしないようにして見たら圧倒的に楽しめました。
聲の形字幕上映スタッフトーク終了
— 保線後ティータイム (@hosengoteatime) September 24, 2016
・山田監督手話で自己紹介
・手話にも方言があり通った教室で関西と見破られた
・佐原が手話の習熟度が一番低く、分からない言葉は指文字を使っている
・最後の植野の指文字はハカになってるのを硝子がバカに直してあげてるが結果的に硝子が植野にバカと言ってる pic.twitter.com/yBPFC51rpr
↑謎解き要素が含まれていて非常に興味深いツイートがあったので転載しました。
↓そして、ここから下は3回目に見に行った際の連続ツイートです。
3回目の聲の形終了。やっぱりあれだ、原作答え合せは絶対ダメだ。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
原作を忘れて見ると、遊園地からあと、橋崩壊からいとの「事件」(そもそもここは順序逆になってる)、デートごっこ(これはごっこじゃなくてほんとのデートになってる)、誕生日から花火大会まで、全然違う展開になってると気づく。
花火大会のあと硝子があの「決断」をするに至る、「理由」の作り方が、原作と映画でまったく別物になってる。だから、「原作答え合わせ」をやってしまうと「はしょりすぎ」に見えるけど、実は原作忘れて見ると、ちゃんと連続性があって説得力のある「硝子がそう決断する理由」のドラマが見えてくる。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
冒頭から遊園地までと、将也が消えてからラストまではだいたい原作と同構成だけど、遊園地のあとから花火大会までは全然違う話になっている(同じエピソードを使ってるけど、再構成することでそれぞれのイベントの意味が変えられている)というのが映画・聲の形の本質だと気づいたのが、今回の収穫。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
映画・聲の形の、原作とは異なる構造の例をあげると、「ガムシロ」での将也と「デートごっこ」での将也が映画では基本的に「同じキャラ」なんですよ。原作だと、「ガムシロ」ではイケメンで「デートごっこ」では硝子依存空元気モードだけど。実際、映画での養老デートの将也は空元気モードじゃない。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
そして、映画・聲の形で将也が「空元気モード」になるのは養老デートのあと(原作では養老デートから)。空元気モードになる理由も、映画では硝子の「一緒にいると不幸に」ということばを聞いたことで、硝子のことが心配になったから(原作では橋崩壊による硝子依存)。「理由の組立て方」が全然違う。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
そうなってくると、映画での将也は、橋崩壊から花火大会にいたる過程で、硝子のメンタルが落ちていっていることに自覚的だということになる。そういう目で見ると、映画では橋崩壊の直後、将也が硝子を見て、硝子が落ち込んでいることに「気づく」シーンが新たに入れられていることに気づくわけです。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
そういえば、橋の上の奇跡のときの硝子のことば(手話)も変わっている気がします。映画では、「私が変わらなかったから」と、「変化のなさ」について硝子が謝りますが、原作では確か「みんなの関係を壊してしまって」という「呪い」を語っていたはずです。これは「変わること」が大切なんだという→
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
(続)ラストで将也が到達する「ゴール」と同じ挑戦を硝子も共有している、という「わかりやすさ」のための改変であるように思います。そして、この「変わる」については、佐原や結絃についても共通したものとして描かれています(追加シーンやセリフもあり)から、映画の1つの芯になっていると。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
そんな風に、映画を原作のダイジェストではなく再構成された別の物語として見ることができると、「原作に染まってしまった見方」とは全然違う見方ができると思います。原作を「忘れる」のはとても難しいこと(私もそうです)が、それがうまくできないと、映画・聲の形のおいしいところに気づけません。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
と、今回、試写会を入れると3回目の映画・聲の形でしたが、回を追うごとに、原作とは別の感性された作品として映画を見ることができるようになり、どんどん楽しめるようになってきました。手元の前売り券はなくなりましたが、少し時間をあけて、もう一度は見に行きたいと思っています。
— そらパパ/sora y.d. 聲の形応援 (@sora_papa) 2016年9月28日
あと、季節感が素晴らしかったです。アジサイ・青田・ひまわり・コスモス・ススキ・稲穂…で季節の変化を抒情的に美しく描いていました。重いテーマを扱っているだけに、このシーンが一種の清涼剤となった感です。
なお、9月3日に行われた舞台である大垣市での特別鑑賞会で、驚いたことがあります。
なんと、市長の舞台挨拶だけでなく、映画本編にも手話通訳がつきました。
以下の大垣広報ページの写真をご覧ください。
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000032694.html
司会位置の背後及びスクリーンとの間に黒い衝立がL字状に置かれているのがお分かりいただけると思います。映画本編の間、ここに立った手話通訳者にスポットライトを当てていたのですが、そのライトがスクリーンに影響しないように遮るための衝立でした。
また、スポットライト自体も通訳の内容を読み取るのに支障ない程度に光量を落としていました。
これほど、聴覚障害者に配慮した映画試写会がかつてありましたでしょうか?この件については、ツイッターでも多くの方が「非常に良い試み」と称賛しています。
この映画が聴覚障害者への理解をふかめるきっかけの一つになれば、これはすばらしいことだと思います。もちろん、この作品の狙いはそれだけでなく、もっと根本的な人間の抱えている課題などにもあるわけですが、そういった難しいことを抜きにして、純粋な娯楽作品としても楽しめる作品であるとも思いました。
映画作りの話が無くて驚いたというのと、絵の質の良さに驚きました。
西宮が飛び降りるシーンは、観客が涙を流している人が多かったのも印象的でした。
本当は公開初日の舞台挨拶回も日本語字幕付上映・手話通訳を適用して欲しかったですが、一歩前進したのはよかったです。、
http://koenokatachi-movie.com/news/?id=45
このサイトの考察が好きで、原作を読み返し、号泣してた自分には楽しめませんでした…
やっぱり映画は無理があったと思う。
テレビシリーズでを2クールくらいで丁寧に作ってほしいです。
ただ、初見の人や私みたいに原作廚じゃない人には良い映画なのかもしれません。
映画館で泣いてる人や、絶賛してい方もいるので、
京アニだから大丈夫!と期待し過ぎていたので、この映画はとても長く退屈に感じてしまいました…
マンガで楽しめた「伏線→回収」のパターンがことごとくなくなってて、あそこ大事なんだけどなーって歯痒い気持ちです。
原作でも謎のままだったシーンの解明や新しい展開とかもなく、まぁでも本当に原作を忘れて観れば楽しめるのは間違いないんでしょうね。
聖地巡礼者が十数人ほど立ち代わりやってくる感じです。
映画を観てから巡礼する人が大半の様。
原作連載中に巡礼してみた時は、あまり見かけなかったが、映画化はインパクトがあるみたいですね。
石田や、西宮や、その他のメンバーが居る様に想像して、景色をみると、また違った風景に感じる。
原作をすでに読まれてる方は皆、感じられるように
「なんでここが省略」「ダイジェスト版」という
印象をどうしても持ちがちでしょうけれども、私は
それほど気になりませんでした。
ストーリーに関しては元々7巻のものを2時間ちょっとにまとめる企画自体がかなりの無理難題で万人に納得のいく取捨選択は不可能ってことで初めからあまり期待していなかったので。
むしろ、よくあのボリュームを一本の映画作品として
成立させたものだと思います。
背景もキャラの作画も凄まじいクオリティだし
女キャラみんなメチャクチャ可愛い・・これだけでも
金を払う価値は十分あると思いました。
あと原作といえどもすべてが素晴らしいってわけでは
なく演出過剰、不可解な行動が少なからずありましたが、その辺が良い意味で改変されているところもあります。
あとラスト。実は私、ラストは原作より映画の方が
お気に入りなんですよね。
興業成績も好調な滑り出しのようですし未見の方には
是非ともおすすめしたいです。
今はこんなイメージの音楽が流れています…と言う内容(だと想像しました)まで手話されていて、手話と画面で見られた方は、どんな風に楽しまれているのか、捉えているのかが気になりました。
映画版は、地元で暮らす者にとっては、すべてのシーンで実写ベースの再現率の高さが楽しめました
電車の車窓から見える景色も、実在する区間から見える内容に忠実で、こんなところまで?!と言う印象です
原作では関東方面と噂された病院も、見事に地元の市民病院の景色だったことも「にやっ」として見てました
地元で暮らす人は、是非見て貰いたいですね!
それでも、そらパパさんのコメントを読んでいたので、間違い探しをせずみ済み、純粋に映画を楽しめました。本当に奇跡的な構成変更だったと思います。原作を知らない人にも本心から勧めることができます。でもやはり欲を言えば、静寂のシーンをもっと尺を取って欲しかったというのが本音です。
それと公式設定集を買えなかったのは残念です。せめて通販で売って欲しいです。もしくは二回目に行く時に映画館に補充されてたら良いのですが。
映画版聲の形って一見、原作をなぞっているようで
雰囲気などかなり変えられていたような気がします。
なんていうか、映画版の方は全般的に「性善説」っぽい感じ、うまく説明できないのですが・・・。
一番、驚いたのはクライマックスの橋の上の再会での
手話が変えられていたこと
原作ですと
石田「生きるのを手伝ってほしい」
硝子「はい」なんですが
映画だと
硝子「約束する」なんですよね。
(指切り)
原作通りでも問題ないところなのにどうして
変えたのだろう?と興味がつきません。
現時点では朝日新聞のサイトで、見られますが、一定期間経過すると削除される可能性があるので、ここでのリンクは控えます。
そのかわり、その部分のみ抜粋します。
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「障害、いじめ、手話といったものが出てくるが、軸は『わかり合いたい』という普遍的な思い」と山田。大事な場面で、将也の心からの懇願に硝子が「約束する」という手話で応える。原作とは違う手話だ。「約束するということは未来があるという意味。生きようという彼女の決意が、小指と小指を絡めた指の“表情”に表れるよう、すごく気をつけました」
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私も映画を観たときは、このシーンで「あれ?」と思ったのですが、この記事を見て腑に落ちました。
ありがとうございます
手話だけじゃなくて、キャラクターも性格が微妙に
異なってるような気がするんですよねぇ
うまく説明できないんですが、将也も硝子も原作に
比べるとずいぶんと「普通の子」になってるというか
なんというか・・・。
それにしても映画、予想外の大ヒットですね。
正直、映画制作自体、無理だよと思ってまして
制作発表(連載終了時)から1年以上経っても
音沙汰がないんでこりゃあかんかな?と思って
たくらいで。
関係者でも何でもないですが、作品の知名度アップに
繋がれば・・ですね。
作品を構成している要素としていじめ、障害というものがある以上仕方がないことなんでしょうがモヤモヤします。
一昨日、やっと鑑賞して参りました。
管理人さんを含め、多くの原作ファンの方々の劇場版への肯定的または好意的感想を観て、なるほどと感じる点が多々ありました。
ただ、私は劇場版に対してあまり感情移入したり、石田などの主要キャラクターに魅力を感じたりすることができなかったというのが、正直な感想です(笑。
確かに、映像の美しさや早見さんを始めとする声優さんたちの名演には大変感心しました。音響も良かったです。
しかし、小学生時代の石田役の声優さんの演技が残念で、声から感情移入できなかったこと(笑)、原作がマンガである弊害からか物語の盛り上げどころがはっきりせずグダグダになっていると感じてしまったこと、キャラクターのモノローグを省いて情景描写に頼ったためか、伝えるべきことがなあなあになっていたと感じてしまったこと…。
そしてなにより原作であれほど強調されていた、石田や西宮が抱えるの罪の意識、過大なまでの自己嫌悪感の表現がマイルドになってしまい、ラストがまるで感動できなかったことが残念だったと感じています。
あくまで、私一個人の感想ですし、まだ一回しか観ていないのでわたくしが見落としていた点があると思います。
また、劇場版に感情移入できなかったのは、私の読解力不足であるとも思います。
ただ、こういった点についてみなさんがどのような感想を抱いたのかは大変気になるところであります。
長文失礼いたしました。
25日に、嫁さんと一緒に日本語字幕付きの回を観ました。
早く観たかったから、封切からの1週間の待ち時間が長かったです。
日本語字幕については、場面が変わるのが早くて全部は読めないけれど、聞こえた日本語が同時に確認できるので助かると、日本語が母語ではない嫁さんは言っていました。これだけでも待った甲斐が有ったかなと思います。
私の方は、手話の訳を期待していたのですが、訳はありませんでした。考えてみれば、字幕は外国人のためではなく、日本人で聴覚に障害があり手話を理解する観客のためものなので、訳は必要ないのですね。
「鼓動の音」や「チャイムの音」など説明があったり、曲の歌詞が分かるのは良いですね。機会が提供されれば、私は一人で観るときでも、これからは字幕付きを選択しようと思います。
初めて映画を観た私の感想は、こちらのブログでポジティブなコメントをしている皆さんと近いと思います。私は、原作の読み切り(リメイク版)を初めて読んだ時の様な気持ちになりました。映画では実際、読み切りの雰囲気で学園祭までを描いていた様に思います。
確かに、駆け足で沢山のエピソードが出てくるので、ぱっと見ただけでは消化しきれない感じはあります。
でも、ある出来事以来、固く心を閉ざしていた将也が、硝子と周囲と自分自身を受け入れて行くという、将也の再生のメインストーリー(ですよね)は良く理解できました。
その他の部分では、どうしてそうなるのか十分な説明が足りていない場面もある様な気がしましたが、理解するためには自分で考えたり、soraさんのブログやファンブックが必要だった原作と、同じなんだと思います。
映画のパンフや設定集が、その役目を果たすものになっているのかと思っていましたが、グッズは売り切れで何もありませんでした。
原作の番外編がもらえなかったのは仕方がない気がしますが、有料のグッズが1週間で売り切れというのは、映画が製作側の予測を超えた人気になっているということなんでしょうか。
まだ一度しか観ていないので、これ以上のことは言えません。
でも、映画になって良かったと、ホントに思います。感激しました。
前売り券はあと1枚残っているし、私は少なくともあと2回は観たいと思います。
原作と同じで、何回も見れないです自分。心が痛くて。
大好きな作品なのでむしろ「気に入らない」と言っている人の言い分のほうが自分は気になるらしく、いろいろ読んでいるのですが、「ダイジェストされてて辛い」という意見が多いのかな。
自分としては7巻全部を2時間は土台不可能なのだから、総花的にせず、本当の神髄に絞って台本にしてくれれば!と願っておりました。
そして、その願いはこれ以上ないくらい実現されていたと感じました。制作に携わったすべての方に感謝!です。
ただ否定的意見で「おおむね理解できたのだが硝子が将也を好き!になった理由がよく分からん」という感想には、「うん、オレも分からんw」と思いました。
あれは原作の時からよく分からず、なぜなんでしょうかね。
人が人を好きになるのに理由はないのでしょうが、自分の最悪の挫折と最も関連ある異性に好意を抱く過程が、たとえ償いに来てくれた相手だとしても・・・すんなりとは飲み込めない・・・これは原作の時からそうでした。
みなさんは、どうお感じになったでしょうか?
告白の理由ですが、ガーデンピックという同世代の男の子にはまず解らなそうなお返しで会話の糸口を見いだそうとしたりしてるので、あの時点ではすでにある程度好意を持っていたことが伺えます。しかし予期しない美少女+幼なじみという強力なライバル候補の登場で硝子は一種の焦りを感じたはず。そして髪型や行動を変えて気を引こうとするも、声が変と言われる始末。一旦落ち込みますが「それでいいから」とこれ以上ないフォローを受けて感激した硝子は、将也の気持ちを確かめないまま「あーもー行っちゃえ!」とばかりに勢いに乗って告白したのでしょう。一種の若気の至りなのかもしれません。
硝子に関して、高校生活についての言及がほとんど無いことから、辛い訳ではないけどあまり楽しいとは言えない現状ではないかと思われます。そんな中かつてのいじめっ子が、あのノートを携え手話を覚えて友達になりたいとやって来た。これだけでも衝撃的なイベントだったのに、大切な妹に親身になってくれたり、母との和解を試みてくれたり、かつての友達との再会を手助けしてくれたりと、将也がやって来てから劇的に生活が変化したのです。恋心にまで発展するかはその人次第でしょうが、動機としてはアリかと思います。
昨晩、もう一度映画を観ました。今回が2回目です。
1回目に観た時のコメントで、「どうしてそうなるのか説明が足りていないと感じる部分がある」と書かせて頂きました。その最たるものは、「硝子の飛び降り」から「橋での約束」に至る流れでした。
映画を観終わったあと、あれこれ考えながらPCを開いたところ、soraさんがツイッターの考察を追記しているのを見つけました。
私の感じたことも、soraさんの考察と似ている様です。
飛び降りの理由は、硝子自身が橋での再会時に「私がいなくなれば良いと思った」とハッキリ言っているし、植野が病院の駐車場でも同様の指摘しているので、それで理解できますね。
いなくなれば良い理由は、「人を不幸にするから」なのでしょう。
映画の将也は、「自分がしたことはそっくりそのまま自分に跳ね返る」、「自分は罪を背負って生きなければならない人間だと悟った」といったモノローグから、硝子を不幸にしたという罪の意識を、原作より強く持っている様に感じました。
そして、養老からの電車の中での、「西宮は、一緒にいると不幸になると言った。西宮を不幸にしたのは俺なのに」という将也のモノローグから、硝子が将也と同じ罪の意識を抱えているらしいことに、将也は気づいたのだと思いました。
橋での再会時の将也の言葉、「同じことを考えていたけど、死には値しないと思った」は、自分も死を一度は考えたけれど、硝子のおかげで思いとどまったことを、硝子と本音で向き合って話していれば、硝子の飛び降りを防ぐことができただろうと後悔している様に感じました。それで、将也は「もっと君と話したかった」といったのかなと思います。
私の理解が正しいかは分かりませんが、どうやら映画の方がシンプルで分かりやすいストーリーになっている様な気がします。
先日、映画の宣伝をテレビで見て、昔を思い出しを映画館に足を運んだだけでは物足りず、コミックも全巻を手に入れ読んでみました。
正直、いろいろな意味で衝撃を受けました。
そして、一人でも多くの人にこの作品を見て頂きたいと思いました。
仕事の関係上、私にも生徒がいますが、現在は生徒のみならず、保護者にも映画も漫画も見るようお節介を焼いている状態です。
「聖地巡礼」にも行きましたが、頭の中にはいろいろなシーンが思い出され、周囲に人がいるのにウルウルしてヤバかったです。
「海賊ロシア語版の聲の形(原作)では、橋での再会時に将也が、誤訳というレベルではない明確な愛の告白をしている」と、前に雑談コーナーにレポートさせて頂きました。
では、映画のPVやTVCMはどうなっているのか?、ネットで情報を集めてみました。
現在youtubeでは、いくつかの非公式なロシア語吹き替え版や字幕版を見ることができますが、「君に生きるのを手伝って欲しい」という将也のセリフは、どれも「君が生きるのを手伝いたい」、「君を支えて生きたい」という意味になっています。
動画の翻訳者は同一とは思えませんが、意味は全部こうなっています。
ロシアの文化では、男性が女性に「生きるのを手伝って欲しい」なんて弱いところを見せることは有り得ないので、ロシアの翻訳者は敢えて逆の意味に変換しているのかな、などと(全部妄想ですが)私は思っています。
日本のファンは、このセリフは春に再会したときに橋で「必要とされることが嬉しい」と語った硝子への、将也からの最高の心遣いの言葉でもあることを知ってていますが、ロシアのPVやCMの翻訳者は、そんなことは思いも寄らないでしょうから・・・。
そういえば、私は映画を2回観ていますが、硝子が「必要とされることが嬉しい」と言うシーンを見た記憶がありません。
どなたか覚えている方はいらっしゃいますか?
西宮ファミリーのズンドコ話やばあちゃんの遺書が描かれていたら若い子はいたたまれないでしょうし、まだ中学生のゆづちゃんの妹から支援者になってしまった細かなプロセス、ママがインテグレーションを望んであちこちの学校を引きずり回すなどのお話は映画館でポプコーンかじりながら見られるお話ではないからです。
ただ、お友だち同士の行き違い程度でわたしがいると不幸になると思ったり、自殺されたのでは、命があんまり軽すぎるとは思いましたが。私といたら不幸になる、の手話が薄くなった、と率直に思いました。
それを割り引いても映像はすごかったです。お話の意味を考える前に、グイグイ引き込まれました。それに、若い子が自分の罪を真正面から見すえようと踏ん張る姿は好ましく思えました。大人になるとなんやかんや言い訳つけて逃げちゃいますから。
さて、うちに原作持ち込んだ高校四年生、今日は仕事の公休日。映画見物行くつもりのようですが、何を感じ取って帰ってきますやら。
以前にも申しましたが、チビの学校がある豊橋と大垣は昔繊維産業や精密機械産業が盛ん、シソジュースが家庭に常備されているなど似ているところなどの共通点がいっぱいあり、映画を見て更に親しみが増しました。
精神保健福祉手帳割引きで見る身分では、パンフも買えず、グッズ通販の情報が手に入りませんでしたが、今度お金が貯まったら、パンフ買って、ネコちゃんポーチやシールやクリアファイル買いたいと思いました。
マガジン適齢期の子どもたち、もう就職内定や短大や専門校の指定校推薦やAO推薦で進路決まって骨休めって子が多いです。また、中学三年生も身の振り方を決めて、その励みにこの映画を見物に来たらしく、制服着てやってきた子もいました。愛知県ではまだ字幕付き上映の映画館はないですが、どこもろう学校がある街なのでぜひとも字幕つけてあげて欲しいです。ソフトで字幕付きで見るのもいいですが、町に出て、映画館でポプコーンかじりながらジュース飲んでという当たり前のお楽しみを味わわせてあげて欲しいです。
私は結局5回以上観てしまいましたが、観ればみるほど、映画は原作とはいい意味で似て非なるものだという印象を強く感じています。
原作を端折っている、というとらえかたをすると原作ダイジェストに見えてしまいますが、努力して(笑)原作を忘れてみるようにすると、映画独自の「物語」を構築するためのエピソードをしっかり盛り込んで進んでいることに気づきます。
「必要とされるのが嬉しい」という硝子のことばは、映画では省かれていますが、それは映画では、結果として「君に生きるのを手伝ってほしい」と「なぜ将也が言ったのか」ということに微妙に違う意味を与えているように思います。
少なくとも、それによって物語は破綻してない、と思うわけですね。
また、原作の様々などぎつい要素が削除されたりマイルドに改変されていますが、これは多少は原作の欠点でもあったように思うので、山田監督の美意識でもって改変されたのだという印象です。
興行収入もついに20億の大台を突破し、興行的にも大成功したといっていいでしょう。多くの方にこの作品を知ってもらうきっかけにもなりました。
この作品がこのように映画化されて、本当によかったと思います。
ちなみに字幕での上映についてですが、これは本当に難しい問題で、もちろんもっと積極的にやるべきだったという意見は「正しい」のですが、もし本当にそれをやっていたら、恐らく興収は20億に届かず、それどころかその半分程度で早々に打ち切りになっていた可能性さえあると(字幕上映と興収の関係、初動動員と打ち切りの関係などについてずいぶん学ぶことがありました)思いますので。
やはり、上映そのものを字幕あり・なしで分けるのではなく、個人レベルで字幕を表示できるデバイスの導入といった形で、テクノロジーで解決する方向を目指すべきだと思っています。
久しぶりにコメントさせて頂きます。
12月24日に18切符を使って、日帰りで大垣に行って来ました。
立川の極上音響上映など、これから上映が始まる所も若干ありますが、いよいよ映画も終わりが近づいている様です。
そんな中、どうしても聖地・大垣で観ておきたいと思いました。
往復15時間以上電車に揺られ、駅とコロナシネマワールド間はシャトルバスで往復するという、まさに映画鑑賞のためだけのトンボがえりです。
大垣で観たのは初めてですが、作品自体の鑑賞は6回目でした。
この作品は、何回観ても新たな発見と感動を得る事が出来る、傑作だと思います。ホントに映画化されて良かった。
今では声優の方々の声が、そのまま私の中では各キャラのイメージと直結しています。サントラは、「lit」という曲が一番のお気に入りです。
これを聞くと、硝子の最後のシーンの幸せそうな「ケタケタ笑い」が、目に浮かんで来ます。
DVDの発売が待ち遠しいですが、連載が終了した時の喪失感が、上映終了でまたやって来ると思うと、寂しい気がします。
あと、私が観た回だけだったのかも知れませんが、大垣の音響は音量が大きすぎなのと、音声がない時は、小さな音ですが「ブーン」という、音響システムからと思われるノイズが出ていました。立川のニュースを見て私が意識しすぎたのかも知れませんが。
なので、もう一度、最後に立川の極上音響上映を観たいと思います。
http://www.japan-academy-prize.jp/prizes/40.html
改めて一般の方々からの評価も高かったのだと思いました。
そして、この原作にも読み切り掲載時点から追いかけることをできたことを自分ながら嬉しく思いました。
本当に良かったです。
タイ国や韓国などでもアニメの公開が決まったという報道もありますね。
次の楽しみはブルーレイ/DVDの発売ですね。
約2週間ぶりに日本へ帰って来たら、状況は一変していました。
立川の極上音響を観に行きたいと思っていたのに上映終了、それだけでなく関東全体で映画は上映終了になっていました。
これだと多分、私の場合は年末に大垣で観たのが最後、という事になりそうです。もっと事前に情報を集めておくべきだった。とはいえ、どのみち観に行く時間は作れなかったでしょうが。
その代わりと言ってはなんですが、DVDの発売日が発表されましたね。私も絶対に買います。
2月から上映が始まる地方の映画館もあり、多分DVD発売直前まで、どこかで映画の上映が続くのかなと思います。
アメリカを往復する飛行機の中で、初めて「君の名は」を観ました。
なるほど、これは文句なしに面白いですね。売れている理由が分かる気がしました。いわゆるエンターテインメントとして最高です。
往復で4回観ましたが、もっと観てみたい気がします。
翻って我らが「聲の形」は、扱っているテーマが「君の名は」の様な万人向けのエンターテインメントではないですね。
興行収入の差が、そのまま世の中での受け入れ度を示しているのでしょう。
全7巻で累計約300万部の原作が、その約4倍くらいの人に受け入れられたのは、映画化による賜物なのかなと思います。映画化されてホントに良かった。