2015年01月12日

西宮母が選択したインクルージョン教育について (2) 4つの選択肢

「聲の形」で、硝子は普通校の普通級への通学を選択しています。
これには、西宮母の強い意向(ただし、新人賞を受賞したオリジナル版では硝子本人の意向も強い)が働いており、進路指導にあたった周囲の関係者の判断とはずれていたようです。

障害のある生徒の学習の場としては、大きく4つの選択肢があります。

1)特別支援学校。
2)特別支援学級。
3)通級指導教室。
4)完全普通級。


特別支援「学級」というのは支援が必要な生徒のための特別なクラスが普通校に併設されているもので、特別支援「学校」というのは、支援が必要な生徒のための特別な学校をさします。聴覚障害のための特別支援学校は、「聾学校」とも呼ばれます(というか、こちらのほうが歴史の長い呼び名です)。
通級指導教室というのは、普段は普通級にいる生徒が、一部の時間(週数時間程度)だけ支援のある指導を受ける学級です。

聲の形の硝子の場合、恐らく4→3→1というルートを小学校の間に移行していることがわかります。

将也のいた水門小学校での硝子への支援体制は、4)ではなく3)です。「きこえの教室」というのが通級指導教室にあたると思われます。


読みきり版、12ページ。

この3)の体制について、西宮母は1巻番外編で「理解のある学校」と期待をしていますから、それまでに通っていた学校(第2小など)は、4)だったと思われます。


第1巻62ページ、番外編。

そして、水門小からの転校先は、竹内が35話で「そーいう学校への転入」と言っていますし、オリジナル版ではもっとはっきり書いてありますから、1)の聾学校ということになります。


第5巻51ページ、第35話。

硝子は、自らの障害に甘えるといった態度はいっさいなく、クラスに適応しようと(子どもなりに)最大限の努力をしていたことは明確です。
それでも、結局はうまくいかなかったわけですから、竹内・喜多という2人の担当教師の指導や監督がひどかったということはありますが、巨視的に見れば、硝子は最初から1)を選択するのが(少なくとも「聲の形」ワールドにおける特別支援教育体制のなかでは)望ましかったのではないか、ということは言わざるをえないと思います。
西宮母は硝子に無理をかけすぎたと思いますし、その点では、竹内の転入指導は「政治的には」適切な部分があったとも言えるでしょう。

ただ、この問題は、現状がそうだから、結果がそうだからそれが「正しい」ということにはならない、難しい問題です。
そもそも、硝子が水門小を離れざるを得なくなった大きな原因は、いじめによる孤立や、支援体制の不備によって一部学習についていけなくなったりしたことだったと思います。これらは、もう少し硝子をとりまく環境がマシなものであったら、十分乗り越えていけたレベルのものだったとも思います。
フィクションの世界にさらにたらればを重ねるのはやや空しい行為のように思いますが、水門小が本当の意味で、あと少し「理解のある」学校であったなら、硝子はうまくやっていけたのではないかと思います。
(ただ、「物語としては」、そうやって無理をして一時期であっても普通校にこだわったからこそ、硝子や西宮家は将也と出会うことができて人生が変わっていくわけで、何事も「禍福は糾える縄の如し」ではあるとは思いますが…)
posted by sora at 10:16| Comment(6) | TrackBack(0) | その他・一般 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。障害児の学校選択は難しい問題ですね。

昭和の軍隊映画、独立愚連隊のテーマソング、何処へ行っても鼻つまみが昨今の障害児の立場です。支援学校やろう学校に行けば行ったで進路の選択肢は狭まる、通級は原籍校と区域外の学校との通学に苦労するし専門性の低い先生に当たると目も当てられない、普通学級は心ある先生に当たらないと悲惨な結果をもたらす。正直何かを諦めないとやっていられません。

硝子ちゃんが5年生になったあたりで、普通学級で障害児への配慮が義務付けられる制度が始まったはずです。 聞き取りが苦手なら板書やレジュメのプリント、指示をメモ書きは必須、支援プランを保護者を交えて話し合う、通級で補聴器のフィッティングや管理を習うなど。うちでは、知的に遅れのない自閉を知らない先生に当たり、支援プラン作るまで3年もかかってしまったり、先生間の引き継ぎがなっていなかったり、腐ったお蜜柑呼ばわりされたり、ちくわ耳のあだ名をたてまつり。養護学校やスクールカウンセラーの巡回相談や児童相談所との連絡が入るまで全く配慮が受けられないなど使い勝手が悪い制度ではありました。竹内先生や喜多先生は決して特殊な教員のケースではなかったのです。わたくしの自治体の不登校支援室は養護学校は基準外、通級も設置校が遠かったり満杯で利用できない、普通学級でもやっていけなかった不登校児で賑わっていましたよ。

硝子ちゃんのママは、残念ながらろう学校の影の部分しか見ていなかったのでしょう。それに、手話やキュードという自分が知らない言語で友人や先生とのやり取りをされて、自分がカヤの外に置かれるのも辛いこと。逆の意味のつんぼ桟敷の淋しさを隠すために、家族の食事中の手話に文句垂れたと解釈いたしました。

ことの起こりは、ママの学校選択。確かにそうでした。硝子ちゃん本人もなんとか普通学級で頑張ろうとした。だけど、そこにあった物が健常者の無支援と悪意だけなんて悲しすぎます。石田君がいなかったら、水門市の成人式さえ出られなかった事でしょう。こっぴどいいじめをした子ではありましたが。
Posted by あらやん at 2015年01月12日 12:55
この件は、私にとっても身につまされるものがあります。
私自身が1(小学)→3(中学)→4(高校)を体験しています(硝子とは逆の順番ですが)ので、硝子及び西宮母の苦悩は実感としてよく理解できます。3の段階でいじめも受けましたし。
あらやんさんも指摘されていますが、本当に難しい問題です。
障害の軽重だけでなく、周囲の理解や配慮、クラスの空気、その他もろもろも関係してくるので、一概にこうすべきと言い切れないのですよね。
既にこのブログ内でのエントリーや各コメントで言い尽くされた感もあるのですが、小学時代は失敗したものの、5年後になってようやく実を結ぶことができたのは、西宮一家だけでなく、将也や佐原たちにとっても本当に良かったです。
Posted by ぽてと at 2015年01月12日 15:15
長々と失礼いたします。
インクルージョン、インテグレーションの事は、この漫画の読者全てに考えて欲しい事です。知的に関しては学校が足りなくて肢体、病弱、ろう、視覚の学校と併置問題であちこちでもめていますし、軽度の子は支援学校に入れずムリして普通高校や高等専修学校にいます。新設しようにも土建屋さんや職人さんが足りなくて延期を余儀なくされている現実もあります。広さも十分ではありません。今年の春に新設した学校もすぐに満杯になるでしょう。うちの県では普通高校のあき教室を間借りできても、体育館やプールの共用に苦慮する。給食設備もない。行事は一緒にやっていますが。重度の子が高等部から退学する事態に陥るほど深刻な問題も起きています。
うちの子の定時制高校の生徒の2割が外国人で、連絡文書は日本語とポルトガル語が当たり前になっています。異質な人たちと嫌でも一緒にやっていかないとならない時代がもう来ているのです。修学奨励金出して支援学校に行ってもらっても、学令期が終われば地域社会に一緒に生きることになるのです。次女が勤務するお店にお金の計算がおぼつかない高校生、明らかに自閉症の大人、補聴器つけてつたない口話で注文する高校生がお客さんとして来られると、つくづく思うそうです。学校帰りにバーガーやポテトを買い食いする楽しみは私らといっしょなんだって。


硝子ちゃんもろう社会に居っぱなしにならずに済む事を考えて、普通学級にムリして通って無惨な結果に終わりました。普通学校の先生も、大人になったら自分と同じ社会で生きる仲間になることを考えて教育をお願いしたいのです。
Posted by あらやん at 2015年01月12日 16:07
皆さん、コメントありがとうございます。

障害当事者のみならず、親としても、インクルージョンを志向するかしないかというのは難しい問題です。
我が家の場合は重い知的障害をともなう自閉症ということで、ほぼ最初から支援学校一本の選択肢だったためにあまり迷う事はありませんでしたが、もしここでうちの夫婦がもっと「普通教育志向」だったら、悩みも苦労も今以上に尽きなかっただろうと思います。
(エントリとも関連しますが、この問題は「あるべき論」と「現状がどうであるか」ということが交錯するために、さらに問題がややこしくなっていると思います。)
Posted by sora at 2015年01月14日 00:07
理念と現状の狭間での苦悩、親であり、聴覚障害者の子どもであり、発達当事者という立場に終生付きまとわれる立場ゆえ、たらたらと申す事を平にお許し下さいませ。


ただ、学校で子どもがいろんな事を習ってくるのは楽しみな事ですよね。それだけはどんな状況でも変わらないと信じます。

硝子ちゃんのママも、心の中ではろう学校で理容を習ってゆづちゃんの髪を上手に切れる事を喜んでいたと思いたいです。
Posted by あらやん at 2015年01月14日 12:56
あらやんさん、

コメントありがとうございます。
西宮母は、硝子が理容師になることは少なくとも反対はしていなかったようですね。
実際、手に職をつけることで自立への道筋を開いていくというのは合理的ですし、(将也との再会がなかったとしても)地元の理髪店への就職のようなことを漠然とイメージしていたんじゃないかと思います。
Posted by sora at 2015年01月21日 00:07
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