今回、第49話の巻末あおりは、「硝子の"こえ"に、この男も応えた!」でした。

第49話、18ページ。
「この男」というのが竹内、ということはないでしょうから(まあ、応えてはいますが…笑)、ここで「応えた」と言っているのは真柴のことでしょう。
真柴も、硝子の映画再開の提案に賛同しましたから、"こえ"に応えた、というのはその通りだと思います。
でも、そもそもですが、なぜ真柴は、硝子の"こえ"に応えたのでしょうか?
言い換えると、第49話で、硝子と真柴との間には、どんなコミュニケーションが成立したのでしょうか?
こんな問いを立てるのには理由があります。
これまでの各自視点回を振り返ったとき、永束は筆談ノートを駆使することで、佐原は手話を駆使することで、硝子との深いコミュニケーションを成立させることに成功しました。
一方、川井は筆談ノートを叩き落として勝手に「川井劇場」を展開してしまったために、硝子の「こえ」が伝わることはありませんでした。
そして、真柴のケースを振り返ってみると、今回、硝子との直接のコミュニケーションは成立していません。第48話での態度を見た限りでは、特に硝子と会話するつもりもなさそうでしたから、そのままの流れでは、川井と同じように、硝子の「こえが届かない側」の人間になってしまうところだったと思います。
その流れを変えたのは、偶然拾った筆談ノートです。

第6巻113ページ、第49話。
そこには、永束と語り合ったときの、硝子の生々しい「こえ」が記されていました。
硝子が死を選んだ理由も、いまやろうとしていることも、映画を再開しようとしている理由も、そこにははっきりと書き込まれていたわけです。永束の質問も一緒に残っているはずなので、硝子の考えは完璧に近い形で伝わったはずです。
これは、真柴が直接硝子と話したとしてもおそらく得られないくらい、深く詳しい硝子の「こえ」だったと思います。
つまり、
・佐原が手話を通じて、
・永束が筆談ノートを通じて、
硝子の「こえ」を聞いたのと同様に、真柴は、
・永束の書込み済の筆談ノートを通じて、
硝子の「こえ」を聞いた、と整理することができるでしょう。
そして、その硝子の「こえ」が本物である=硝子は本気で映画再開で「壊したものを取り戻したい」と願っている、ということは、真柴が水門小で、ロケハン許可を懇願する硝子を見たことで、確信に変わったと思います。
興味深いことに、この水門小のエピソードでも、真柴と硝子は直接会話を交わしていません。
硝子が真柴に伝え、真柴がそれに応えた「こえ」とは、直接の会話以外のもの(書き込み済みの筆談ノートや水門小での行動)だった、という点で、永束や佐原とは際立った違いをみせています。
いろいろな「こえのかたち」がある、ということを示すことが、この作品の中核テーマの1つであることは間違いありませんが、今回の真柴のエピソードは、そのテーマの一端を表しているように思われ、大変興味深いところです。
