6)将也に接近して、実際はどうだったのか?
では、真柴は実際に将也に接近して、望んでいたもの、つまり「自分は変わっていない、普通だ」という実感は得られたのでしょうか?
真柴のモノローグを読めば、その答えは「得られなかった」であることがわかります。
だけど実際は そんな実感なんて 得ることはなく むしろその逆で
理由はわからないけど ただ 漠然と 自分が 愚かに思えた

第6巻128ページ、第49話。
でも、得られなかった、というのはどういう意味なのでしょうか?
単純に考えると、
・将也は思っていたよりも「普通」で、変わった奴ではなかった、だから自分のほうが普通だという実感が持てなかった
となりますが、どうやらこれは正しくないようです。
このモノローグの直後に、「やっぱ 変わってるよなあ… 石田君は」というせりふが、真柴の頭にかぶせられています。

第6巻128ページ、第49話。
このせりふ、最初はクラスメートの誰かがしゃべったのが真柴に聞こえた構図かと思ったのですが、吹き出しをよく見ると、真柴自身から出ているように見えます。
そうすると、真柴は将也と知り合って、いろいろあった今でも、将也のことを「やっぱり変わっている」と考えていることになります。
さらに、将也ではありませんが、硝子の筆談ノートを見て、自分がいじめられていたにも関わらず「みんなの関係を壊してしまった」と考えて行動する硝子のことも「変なことを考える人なんだなあ」と評しています。

第6巻122ページ、第49話。
つまり、真柴は将也に接近して、将也や硝子と知り合って、狙いどおり?「どいつもこいつも変わったやつばかり」という感覚は得られているはずなのです。
でも、「期待していた実感」は得られなかったわけです。
これはどういうことなんだろう、と改めて真柴の接近の狙いを振り返ってみると、
石田君といたら 自分が普通なんだと 実感できると思った だから近づいた

第6巻128ページ、第49話。
とあります。
つまり、「将也が変わっていることを見る、確認する」ことが、「自分が普通なんだと実感する」ための手段になっている、ということがわかります。
真柴は、将也が変わっている様子を見れば、「自分が普通だという実感」を得られる、と思っていたわけですね。
でも実際には、「将也が変わっている」ということは「狙いどおり」実感できたにも関わらず、「自分が普通である」ということは実感できなかった、そういうことになります。
真柴は、無意識のうちに気づいたのだと思います。
「変わっているー普通」というのは、1本の物差しの左と右といったような単純なもの(1次元の尺度)ではない、ということに。
たしかに将也は変わっています。
そして、硝子も変わっています。
でも、その「変わった生き方、考え方」はみんな違っていて、誰かが「変わっている」ことは、別の人が「そんなに変わっていない」ことを証明したりはしません。
さらにいえば、そもそも「普通」なんていう生き方、考え方があって、そこにいれば安心、安全なんていう考え方こそ「幻想」なのではないでしょうか。
ひとを「変わっているー普通」という1本のものさしにあてはめ、「普通」であるほどいいんだという価値観を持ち、その価値観の下で、他人との比較のなかで自分の位置を確かめて安心する、それらすべてが、実体がなく、空しいことだ、真柴は将也に接近することで、むしろそういう「実感」を得つつあるのだと思います。
そのことをまだ真柴自身ははっきり言語化して認識できていませんが、「理由はわからないけど ただ 漠然と 自分が 愚かに思えた」と考えているところからわかる通り、ゆっくりと「答え」に近づいています。
そしてこれは、真柴にとっても「自らを縛る呪いからの解放」でもあるでしょう。
「普通」なんてものは幻想でしかなく、みんな、たった一人の「変わった生き方、考え方」で毎日を過ごしているし、それでいいし、誰かと比べる必要はないし、誰かを断罪する必要もないのです。
真柴が将也に接近して得た(得つつある)のは、当初の「狙い」とはまったく異なる、でもそれよりもはるかに価値のある「実感」なのだと思います。
ラベル:第49話
