第49話で描かれた真柴の過去や行動の動機をひもといていくエントリの続きです。
4)真柴が将也に接近したのはいつごろのことか?
真柴がかつての同級生と再会し、「復讐」のために学校の先生を目指すことを決め、その不自然さを母親からとがめられた、といった一連のイベントが起こったのは、真柴が高3になってすぐのころだと考えられます。
なぜなら、そういった母親からの指摘を受けて、「自分は変わっているんだろうか?」と自問したときに、将也の川飛び込み事件を見て「いや、僕より変わっている奴なんてくさるほどいる」と自己正当化をしているからです。(この「川飛び込み事件」が掲載されたのは、4月30日だと思われます)
そして、次に「ねーねー 石田君」と声をかけるシーンが出てきますが、これは第15話で停学終了後、将也が登校してきた初日のことですから、5月12日ごろのことになります。

第3巻10ページ、第15話。
このときは永束に阻まれて友達になることはできませんでしたが、その後、第4巻の24話で映画メンバーの一人として将也と友達になります。これが6月4日のできごとです。

第4巻9ページ、第24話。
つまり、真柴は、4月のバカッター事件をきっかけに将也に興味を持ち出して、5月から接近しはじめ、6月に念願かなって?将也と友達になった、そういう時系列になることになります。
5)真柴はなぜ将也に接近したのか?
では、なぜ真柴は将也に接近したのでしょうか?
第49話のなかで「石田君といたら 自分が普通なんだと 実感できると思った だから近づいた」とあります。

第6巻128ページ、第49話。
つまり端的にいうと、「自分が普通なんだと実感するため」だったということになります。
では、なぜ「自分が普通だと実感」したかったのでしょうか?
それは、まゆ毛のことをいじめられたことで、自分が「変わっている」と指摘されることへの恐怖があったのだろう、と思います。
言い換えると、真柴は過去のいじめによって、「変わっている」と他人から見られることへのトラウマをかかえている、ということなのだと考えられるのです。
「変わっている」ことは悪であり、いじめられる原因になる。
「普通」であればいじめられることもなく、自分の側が「正義」になれる。
登校日の将也との会話での「そう 僕 変わってるんだ 変わってなきゃ いじめられないよね」という真柴のせりふも、まさにその考えを示しています。

第5巻93ページ、第37話。
でも真柴は、過去のいじめっ子の子どもの先生になることで子どもの転落を見守りたい、などと考える自分が、ふと「変わっている」のではないか、という恐れを感じ、トラウマを刺激されてしまいます。
その「恐怖」を否定して押しつぶすためには、「自分は変わっていない、いたって普通だ」という「実感」が必要で、その実感を得るためには、自分よりも変わっている奴の近くにいて、そいつの「変わった行動」を「見ている」ことが一番だ、と考えたわけです。
それで、バカッター騒動で明らかに「変わった奴」に見えた(しかもそれ以外のときもひとり孤立していて、放課後はバイトばかりやっているという)将也に近づいて、友達になろうとしたのだ、ということです。
でも実際には、真柴は将也に接近しても「自分は変わっていない、普通だ」という実感を得ることはできなかったようです。
