2014年12月21日

第49話、「真柴の物語」をもう一度考えてみる(1)

※このエントリは、第49話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第49話は「真柴回」で、これまで謎に包まれていた真柴の過去が明かされる回となっています。
ただ、ざっと読んだだけでは、いろいろな行動の動機がいまいち見えてこない、けっこう難解な回想になっているのも事実だと思います。

ここでは、そんな「真柴の物語」について、いくつかポイントをあげて改めて整理しなおしてみたいと思います。

1)真柴は同級生の結婚・妊娠を見て、何を思ったのか?

真柴は、かつて自分をからかっていた同級生が結婚して子どもを授かっているのを見て、どう思ったのでしょうか?
ここでいきなり「先生になって復讐?してやる」に続いているので分かりにくくなっていますが、この瞬間の気持ちが描かれているのは、

・このモヤモヤした気持ちを昇華するには これしかないんだ


第6巻127ページ、第49話。

ここだと思われます。
つまり、かつてのいじめっ子と遭遇し、過去のいじめの報いを受けるどころか結婚して幸せになっていることを知って、「モヤモヤした気持ち」になってしまった、そういうことなのだと思います。


2)真柴が考えた「復讐」はどんなものなのか?

かつてのいじめっ子に子どもが生まれると聞いて、真柴は先生になってその子の担任になることを考えます。
ここは、文脈からいって明らかに「復讐」を意図しているわけですが、その割には「見ているだけでいい」と言っていて、あからさまな虐待等を考えているわけではなさそうです。

そうなると、真柴はいったい何をもって「復讐」をなそうとしているのかが、よく分からなくなってきます。

ここでヒントとなるのは、この一連のせりふの最後に出てくる「どんな間違いを犯すか 見てやる」だと思います。


第6巻126ページ、第49話。

恐らく、真柴はこんな風に考えているのではないでしょうか。

自分をいじめた「報い」は、親には現れなかったが、「インガオーホー」で、きっと子どもには現れてくる。だから、何もせず放っておいても、必ず「間違いを犯」して、子どもは破滅に向かっていくだろう。
だから、自分はその「間違いを犯して破滅していく瞬間」をただ見ていればいい…。


こう考えてくることで、真柴を「しばっているもの」も見えてきます。
つまり、真柴は(もともと過去のエピソードからも想像されていたとおり)、いじめを行ったものは、いずれ必ず報いを受ける、受けなければならない、そうでなければ自分がその「報い」を与える、そういう「いじめのインガオーホー」への信念にしばられて生きている、そう考えられるわけです。


3)真柴が同級生と再会したのはいつごろか?

ところで、久しぶりに再会した同級生の結婚・出産を知ったことが、真柴の「復讐心」を目覚めさせた、とすると、それはかなり最近のことでなければおかしくなります。
真柴はまだ高校3年生であり、男性だと誕生日(18歳)を迎えなければ結婚することができません。
「できちゃった婚」だとしても、遅くとも出産前後には男性側が18歳を迎えるくらいのタイミングが「最早」なんじゃないかと思います。

そして、再会したときの真柴の制服は「冬服」のようです。


第6巻124ページ、第49話。

そう考えると、真柴がかつて自分をいじめた同級生と再会したのは、高2の3学期から高3の4月くらいまでのあたりなのではないだろうかと思われます。

そこから急に学校の先生になる、とか言い出したからこそ、母親は息子の言動に不自然さを感じ、「あんた 本当に先生になりたいのかい?」と問いただしたりしたんだろうと思います。


第6巻127ページ、第49話。
タグ:第49話
posted by sora at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする
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