2014年12月19日

第51話から改めて考える、硝子が「諦めたもの」とは?(8)

※このエントリは、第51話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

さて、これまでの整理で、水門小時代の硝子には、「諦めずに頑張っていた」時期(転入時からノート池ポチャ事件まで)と、「諦めた」時期(ノート池ポチャ事件後から聾学校への転出まで)があったことが分かりましたが、この「諦めた」期間でも一度だけ、周囲にホンネをぶつけた瞬間がありました

それが、将也との取っ組み合いのケンカです


第1巻164ページ、第4話。

もうこの時期には、硝子は「諦めた」モードに移行していましたから、自分から周囲に積極的に関わることはやめていたでしょう。
でも将也については、自分とかかわったことでカースト転落したことを申し訳なく思っており(自己肯定感が低い硝子が、将也のカースト転落を「自分のせい」と考えて自分を責めていた、というのは十分ありうることです)、将也がいじめの被害を受けている場面では手を差し伸べることを繰り返していました。
(悪口の書かれていた机を毎日消していたのも、そういった気持ちからの行動だったと思います。)

でも、そんな行為を将也からは偽善だと罵られ、あげくに「障害をもった弱者であることを利用して大人を味方につけている」という、硝子からしてみればまったく本意ではない、「自分が目指していた方向とは正反対の非難」を受けて(ここでは、将也の言ったことがある程度通じた、と解釈するほうが物語に説得力が出ると思うので、そう解釈します)、さすがの硝子も思わず手が出てしまったのでしょう。


第1巻163ページ、第4話。

硝子「---ってゆ……! ほりぇても かんぱってう!」

ここは「頑張ってる! これでも(または『それでも』) 頑張ってる!」だと私は解釈していますが、ここで「頑張ってる」というのは、「諦める前」のさまざまな頑張りのこと、さらには「諦めた後」の自分がかけた迷惑の後始末(その端的なものの1つが、自分のせいでカースト転落した将也の「机の落書き消し」だったと思います)を指しているんだと思います。
もう「諦めた」後だけれども、なんだかんだ言って接点の一番多かった将也には、ものすごく率直な悪口を言われて、ついカッとなって反論して手が出るくらいの「距離感の近さ」を感じていたんじゃないかな、と思います。

そして、将也と思う存分けんかした、けんか「できた」硝子は、このけんかのなかで笑っています


第1巻169ページ、第4話。

なぜ笑っているのか、それはここまでの考察をふまえれば、明らかです。
このけんかには、「諦めたはずのもののカケラ」があったからです。

「当たり前の学校生活」のなかには、当然、言いたいことを言い合って、場合によっては取っ組み合いのけんかになるようなことも含まれているでしょう。
これまで、硝子にはそんな経験はなかったわけです。
もしかすると、それが結果的に「いじめ」になってしまっていたとしても、将也のように硝子を積極的に構おうとするクラスメートは、硝子の人生においてそれまでいなかったのかもしれません。(デラックス一味のいじめが「障害者排除」という色を強く帯びているのに比べると、将也のそれは、本人が意識していなかったにせよ、多分に「気になる相手への好奇心の暴走」という側面があり、少なくとも硝子を障害者として扱うものではありませんでした。

水門小での、「夢見ていた世界を手に入れたい」という硝子の挑戦は、一見まったく実を結ぶことなく挫折したように見えましたが、将也に言いたいことを言って、取っ組み合いのけんかをしたことは、硝子がわずかに手に入れた、その挑戦の果実だったと言えます。
硝子が「挑戦」していなければ、そんなホンネをぶつけあう「瞬間」は、こなかったわけですから。

ただ、残念ながら、そのけんかの後、陰湿ないじめが続き(これは植野のしわざでした)、クラスでの孤立は続いて授業についていけなくなったことから、硝子としては不本意ながら、水門小を転出して聾学校に転校することになってしまいました。

これによって、硝子の水門小での「挑戦」は完全に終幕し、それ以降はまた「諦めた」生活を続けることになったわけです。

…5年後に、「彼」が戻ってくるまでは。
タグ:第51話 第04話
posted by sora at 07:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「筆談ノートを振り払う」「口頭で言いたいことを言わせようとする」といった行動に見られるように、硝子の“耳が聞こえない”という障害を、いわば存在しない(に近い)ものとして扱い、双方向的なコミュニケーションを拒絶したことで、将也は硝子と、そしてクラスメイトとの決裂を招きました。
再会後、すでに硝子と話すために手話を身につけている将也は、硝子の障害に応じて、さまざまな場面で適切なコミュニケーションの取り方を選択しています(真柴の申し出の通訳、映画上映後の「決意表明」など)。

硝子による自己認識だけでなく、将也から硝子への他者認識においても、硝子自身の人間性から障害が捨象されてしまわないことの重要さが描かれているように思われます。
Posted by ジョー at 2014年12月19日 20:09
ジョーさん、

コメントありがとうございます。
なるほど、おっしゃるとおり、「小学校のころ」「高校で再会してから橋崩壊まで」「橋崩壊後」の3つの段階で、登場人物は少しずつ「こえ」を交わすように成長していっているのは確かで、その中心に将也と硝子がいるのですよね。
そしてそういう意味では、うまく「こえ」を伝えられなかった(けれども、成長して伝えられるようになった)登場人物には、「硝子も含まれている」ようにも思います。
Posted by sora at 2014年12月20日 01:23
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