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2014年12月14日

第53話の超難問、「夢」の終わりをどう読み解くか?(3)

※このエントリは、第53話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

さて、超難解な第53話の3ページ目の読み解きの続きです。今度は3コマめ、4コマめです。

3)「本当の俺たちは ドコへ行くんだろう」のモノローグと、教室に座る冬服姿の将也を窓の外から俯瞰した描写。
4)「本当のみんなは」のモノローグと、真っ黒な背景、硝子を含む高校編の全登場人物が去っていく後ろ姿の描写。



第53話、3ページ。

それぞれのコマについて、まずは、

3a)これはいつの映像なのか?
4a)これはいつの映像なのか?


が考えなければならないポイントでしょう。

この3)の映像ですが、冬服です
これは、このあとの4)のコマで、みんなが着ているのが夏服であるのと対照的で、3)のコマと4)のコマの間で時間が経過していることに気づきます。

そこで改めて3)ですが、将也がこれまで冬服で自席に座っている場面は、

ア)1巻の見開きで描かれた、クラス全員の顔に×印がつけられた印象的なページ。(第5話)
イ)2巻で永束と友達になった初日、永束が将也を映画に誘うシーン。(第9話)
ウ)2巻で、バカッターへの投稿が晒され、停学になってしまう日の朝。(第10話)


この3場面しかありません。ウ)の次の登校日、停学明けには既に夏服になっています。
また、ウ)では永束はタヌキ寝入りをしていて、将也は自転車から転倒してボロボロですから、ちょっとこの3)のイメージと合いません。
一方、ア)のオリジナルの場面では、クラス全員に×印がついていることから、ア)ではない、と考えられそうですが、将也は第43話で転落前に「クラスメイトとしっかり向き合う」と誓っていることから、いまア)と同じシーンを夢に見た場合、×印は消えていると考えられるので、×がないことを根拠にア)の可能性を消すことはできません。

ということで、この場面はア)もしくはイ)あたりの時期を描いていると考えられますが、時期ははっきり特定できません。
そもそも、3)では全員の机の上に何も乗っておらずきれいですが、ア)でもイ)でも各自の机の上には筆箱などが必ず置いてあるので、厳密にはこの3)の場面はア)でもイ)でもありません。

というわけで、3)についてはここまでで一旦保留しておいて、先に4)を片付けようと思います。

4)は3)とは一転して、高校になってから再会したすべてのメンバーが勢ぞろいです。
はっきり見えない人もいますが、右から順に、

島田・広瀬・永束・川井・石田母・硝子・西宮母・植野・真柴・佐原・結絃

は確認できます。(石田母と西宮母は硝子と重なる位置で前のほうに、結絃はモノローグの下にいますね。)

ちなみに、この映像の雰囲気は、第5巻の第37話で、真柴の発言に疑心暗鬼になって、みんなが将也の過去のいじめを知って去っていくシーンによく似ています。


第5巻102ページ、第37話。

違うのは、「去っていくメンバー」に、硝子や結絃、石田母や西宮母まで加わっていることです。
「全員が去っていく」ように見えるシーンというのは、実際には「自分が去っていく」シーンの裏返しでもあります

私には、この4)のシーンは、第37話で心配していた崩壊が、第38話から第39話の橋崩壊事件までで「現実のもの」となり、さらに第40話から第42話に至っての「硝子の自殺」によって硝子や西宮家のみんなも去り、さらに第43話で自分が転落してしまったことによって、家族を含むすべての「みんな」が去る(=実際には自分が死んで消えてしまう)、という展開を1枚のコマで示しているシーンだと思われます。

つまり言い換えると、この4)のシーンは、硝子と再会後にいろいろ頑張ったことが、結局最後にはすべて「上手くいかず」失敗してしまった、という将也の思いを描いているのではないだろうか、と思うのです。

これは、2ページのモノローグで、「夢の中の俺は なぜかこのまま 何もかも上手くいくと思ってた 中学でも 高校でも」と言っていることともうまく対応します。

「夢の中では何もかも上手くいくと思ってた」けれども、「本当のみんな」とは「上手くいかなかった」、ということです。

そう考えると、3)のコマが何を意味しているかも、おぼろげながら見えてくるように思います。
つまり、3)のコマは、硝子と再会してから始まる、激動の時期の「直前」の将也を描いているのだ、と考えられるのです。

つまり、前のページで、「夢の中」(実際には夢中夢ですが)の小学生将也は、中学でも高校でも何もかもうまくいくと思っていたけれども、

3)中学から高校3年(硝子と会う前)は孤立してまったく上手くいかなかった。
4)硝子と会ってから、いろんなことがあって頑張ったけれども、やはり結局上手くいかなかった。


ということで、上手くいくと思っていた「夢」に対して、上手くいかなかった「現実」を提示しているのが、3)と4)のコマだ、という整理がつけられるんじゃないか、と思います。

あと、残っている疑問としては、

3b)「俺たち」の「たち」って誰のことだろう?
4b)「みんな」って誰のことだろう?


3c)「本当の俺たち」の「本当の」ってどういう意味だろう?
4c)「本当のみんな」の「本当の」ってどういう意味だろう?


4d)「本当のみんなは」の文章はこのあとどう続くのか?

というのがあるでしょう。

このうち、3c)、4c)の「本当の」が、前のページの「夢では」に対応しているのは明らかで、どちらも「夢とは違う現実の」と言い換えて理解すればそれでいいように思います。

次に4b)については、「将也本人以外の、将也の周囲にいる全員。別の言い方をすれば、4)のコマに映っている人たち」で問題ないでしょう。

やや難しいのが3b)の「俺たち」ですが、これは4b)と対応関係があることと、3)が中学〜高校(硝子に会うまで)、4)が高校(硝子に再会後)という関係があることをふまえると、「小学校のときに仲間だった『俺たち』」という意味にとらえればいいのかな、と思います。

将也が「俺たち」という仲間意識を持てた時代は、恐らく小学校時代にしかありません。
ですから、3b)の「俺たち」というのは「既に失われてしまった小学校時代の仲間たちと俺」、4b)の「みんな」というのは「自分以外の、いま現にそこにいるみんな」という風に理解するのが、いちばん妥当であるように思われます。

最後に4d)ですが、3)のコマの「ドコへ行くんだろう」が省略されているのか、6)の「死ぬんだろうか」に続いているのかの2択でしょう。

ここは、常識的に考えて、「ドコへ行くんだろう」が省略されているとしか考えられません。
「みんな」を全員「死ぬんだろうか」といきなり考えるというのは唐突すぎますし、意味がわからなくなってしまうので。
posted by sora at 08:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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