2014年12月13日

硝子と将也、ふたりの「告白」を比較してみる

※このエントリは、第54話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第54話の将也の「君に 生きるのを手伝ってほしい」というのは、将也から硝子への事実上の「告白」だったと言っていいと思います。


第54話、15ページ。

そして、聲の形で「告白」といえば、なんと言っても第23話の硝子からの告白を思い出します。


第3巻178~179ページ、第23話。

第23話の硝子の「告白」と第54話の将也の「告白」、比べてみるといろいろと興味深いことが見えてきます。

1)前回は硝子から、今回は将也から。

2)前回は伝わらなかった。今回は伝わった。

3)前回は6月3日、今回は9月3日

4)前回は満月の夕刻、今回は月のない闇夜。

5)前回は口話で、今回は手話で。

6)前回は過去と向き合っていなかった。今回は過去としっかり向き合えた。

7)前回はダイレクトな感情表現、今回は間接的だけれどむしろずっと深い親愛の情の表現。

8)告白の前後で登場したサブキャラは、前回が佐原・結絃、今回が石田母・西宮母・結絃。どちらにも登場しているのは結絃のみ。

9)前回・今回、どちらにも「鯉」が近くにいる

10)前回は「橋」に将也が行ったら硝子がいなかった、今回は「橋」に将也が行ったら硝子がいた


このなかでも、比べてみて初めて気づいたのが、3)の日付の件です。
2回の「告白」、どちらも「3日」に行われていて、ちょうど3か月違いになっていたんですね。(その3か月の間に実にいろいろなことがありましたが…。)

第23話での硝子の告白は、最初に読んだときはこの作品の雰囲気を一気にラブコメ一色にする、非常に甘酸っぱいシーンに感じられましたが(恐らく多くの読者にとってもそうだったのではないでしょうか)、それにしては将也が「小学生将也」を殺しているシーンが「告白」直前に差し込まれていたりと微妙に不穏な演出が混ぜ込まれていました。


第3巻176ページ、第23話。

その「不穏さ」は第5巻の後半で一気に露呈し、あの「告白」が実は「通じ合わない『こえ』」の象徴として残酷に描かれていたことに気づかされたわけです。

そして、最初の「告白」から3か月、それぞれ死の淵から這い上がってきたふたりは、今度こそお互いの「こえ」を通わせることができました。
現状を見るなら、あのとき硝子の告白が将也に届かなくてむしろ良かった、とも思えますし、逆説的に言えば、あのとき硝子の告白が届かなかったのは「必然」だった、とも言えるのかもしれません

そして、今回、第54話の「告白」は、結果的にダイレクトなものにはなりませんでした(みんなが探しにくるのがもう少し遅ければ、もしかしたらという感じでした)が、もう「気持ち」は十分すぎるほど伝わっているので、もう再度の告白イベントは発生しないかもしれません。

でも一方で、第4巻の番外編で硝子は「練習」してますし、この練習の成果を活かすために、将也も「ちなみに 俺はさ」の続きを言って、お互いに告白し合うという展開の可能性もまだ残っていますね。
ラベル:第54話 第23話
posted by sora at 07:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
二度の「告白」では、直前に告白される側が共に「殺したい昔の自分」「障害を持たなかった自分」という、(現にある)自分自身の存在そのものに関わる矛盾を投げかけていますね。
第53話で、将也は架空の硝子と出会い、現実とは異なるかりそめの学校生活を思い描きました。その“夢”を将也は否定し、自身が身を置いている現実に帰ることを選んでみせます。
その上で、硝子と一緒に生きたいと将也が願ったことは、結果としては硝子からの一方的な呼びかけに終わってしまった、第23話の告白と対照をなす点でもあるように思われます。
Posted by ジョー at 2014年12月13日 12:23
橋の上の「告白」、この漫画の山場ですが、本当に
伝わったのか?イマイチ不安なんですよね・・
気になるのは

1.59話で将也と硝子が進路で揉めますが・・
硝子の東京行でワケのわからない(笑)ことを言って取り乱す将也も将也ですが、硝子側も将也が東京行によりどう反応するのか全く考えていないようにみえた点。将也に反応されてやっと気づいたって感じで。

将也に無理やり聞かれてやっと答えるくらいだから、相談する気すらなかった?
ママ宮やゆづるのことについては悩んでいたようですが、もしかして石田君のことは全く眼中になかったとか?

59話って「橋の上の奇跡」から作中時間でまだ2、3ヶ月しか経っていないのはずですが。

まさか?とは思うが頭の中は憧れの東京生活と野良先生で一杯?切り替えが早すぎるだろ~、
まさか「生きるのを手伝って」「はい」はその場の勢いで・・ってことはないよね?
という疑惑。

2.それでも61話で「一緒に頑張ろう」なんて殊勝なこと言っていたから、2年も経てば具体的な約束でもしているのかな?と思いきや最終回62話にそんな描写はない・・どころかお互い、少なくとも将也は硝子の進路について何も知らない、話し合った形跡すらない・・・

本当に「人生のパートナー」なんだろうか?普通の友人でももっと率直に話し合わないだろうか?と・・。

この2点が気になってどうも素直に感動できないんですよね。相変わらず素直でなくてすみません・・・。
Posted by prijon at 2014年12月13日 20:37
皆さん、コメントありがとうございます。

今回、コミックSPのインタビューで大今先生自身が語っているように、将也の「生きるのを手伝って欲しい」を聞いたときの硝子は、やはり将也に対して「罪の意識」にさいなまれているんですよね。
だから、(このエントリは古いものなのでそこまで書けていませんが)その点についても実は23話と54話は相似形だと思います。

将也と硝子の「距離」があっさりと縮まらないことも、この大今先生のことばから一定説明できるようにも思います。
つまり、少なくとも「硝子の側」については、「罪と罰と贖罪」の物語はまだ終わっていない、のかもしれません。
だから、あっさりと誰が見ても分かるような「恋人」になかなかなっていかない部分もあるのでしょう。

ただ、私はprijonがイメージされているような「恋人」には、ふたりは最後までならない、と感じています。
そういう「恋人」にはならずに、硝子はいつか地元に戻り、ヘアメイクイシダで働き、将也と結婚し、子どもを作るんじゃないかな、と。
でも、そこまでいっても、たぶんふたりの「距離感」は、最終回の雰囲気と大して変わらない、一見友だち止まりのようなものなんだろうと思うのです。

そういう雰囲気の夫婦って見たことないですか?
私は何組も知っていますし、うちも割とそんな感じなので、そういう距離感での男女が実は仲がとてもいい、ということにあまり違和感がないのです。
Posted by sora at 2014年12月13日 23:59
そういう雰囲気の夫婦には石田と植野の方がなりそうな気がしますよ
石田と西宮は若々しい交際を経て、悲壮感もなくお互い成長して自然と離れるか…
あるいは、この漫画のテーマは恋愛よりも友情に重きを置いていて石田と西宮はその主役なので
一生よい友情を育むのかもしれません
Posted by ウフコック at 2015年03月15日 09:10
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