第54話で、硝子は悲しみ、否定し、泣き、そして最後に最高の笑顔を見せます。

第54話、16ページ。
そして、その表情をみるとき、とても重要なことに気づいて、感慨深い気持ちになります。
ああ、そうか。
硝子は、ようやく感情を素直に表すことができるようになったんだ。
ポジティブな感情も、ネガティブな感情も。
だから、今回みせた硝子の最高の笑顔を、何の曇りもなく100%信じる事ができるんだ、と。
硝子は、将也の身代わり転落のあと、家族のコミュニケーションの断絶をひとしきり泣いた後、何かを決心して「外の世界」に出て行きます(第45話)。

第6巻56ページ、第45話。
「外の世界」に出ていってやろうとしたことは「待っているのではなく、自分で動いて壊れたものを取り戻す」こと。それが結果的に「映画撮影の再開」につながっていきました。
ところで、どうやらこのとき、硝子は「作り笑い」をやめたように見えます。
その一方で、将也を傷つけた罪の意識からか、硝子は作り笑いではない、素直な「笑い」、喜びの感情も失ってしまったように見えました。
その結果として、各自視点回の硝子は、無表情のままひたすら映画再開のための勧誘だけを繰り返す「映画勧誘ロボット」というか、植野のことばを借りれば「ユーレイかと思う」ような姿に変貌していました。

第6巻142ページ、第50話。
真柴回で石田母と会ったとき、わずかに表情を見せましたが、その出会いも「対話拒否」という形でつぶされ、硝子は改めて「過ち」の重さを感じたと思います。
そんな硝子の「感情」が堰を超えてあふれ出したのが、映画が再会され、水門小のロケを終えた日、9月2日の深夜だったようです。
将也の「死」を予感した硝子は、いてもたってもいられず、深夜の街を走り「橋」にたどりつき、そこで、感情を爆発させて号泣しました。

第6巻180ページ、第52話。
その「こえ」に反応するかのように目覚め、「橋」に現れる将也。
その将也の前で、初めて硝子は、うれしさも悲しさもつらさも苦しさも、すべての感情を隠すことなく、将也の前にさらけ出したのだ、と言えると思います。
考えてみれば、硝子はまだ幼い小学校の頃から、結絃の前で、そしてクラスメートの前で、「作り笑い」をすることで辛い体験を乗り越えるという「適応」を行なってきました。
そんな「小学生硝子」の素直な「ネガティブ感情」を、たった一度だけ引き出したのも、よく考えれば将也でした(取っ組み合いのケンカ)。
その後、高校生になって再会してからは、実は硝子はその将也の前でも「作り笑い」を続けていました。
その感情の押し隠しがピークに達したのが橋崩壊事件後で、最後は笑顔のまま花火大会で別れ、自殺を決行するところにまで至ってしまったわけです。
そんな硝子が、ようやく硝子の前で、すべての感情を表に出せるようになりました。
だから、途中の涙に私たちも(将也も)心を打たれ、そして最後に見せた「心からの笑顔」に救われるのだ、と思います。
そして、その「笑顔」は「本物」なので、花火大会のときとは違って、将也も「信じる」ことができるわけです。
第54話の硝子が魅力的に見える理由。
それは、硝子が18年かけてようやく、「すべての感情をありのままに表出できる相手」を見つけたところにあるのだ、と思います。