第55話で、さっと読むと具体的になにを指しているのか分かりにくいせりふが2つほどあります。
このエントリでは、それらのせりふを取り上げて、それぞれの登場人物がそのせりふに込めた意味を考えてみたいと思います。
1)私たちは幸運すぎます(西宮母)

第55話、9ページ。
「私たち」といっていますが、ここの主語は「西宮家の全員」だと思います。
そして、「幸運すぎます」の対象は「硝子の命を将也が救ってくれたこと」に加えて、「将也の命が無事だったこと」でしょう。
まず、硝子の自殺を将也が救った、ということだけを見ても、西宮家にとっては幸運すぎる食らうの幸運だと思います。
西宮母の視点で改めて振り返ってみると、直前の花火大会まで朗らかに生きていた硝子が、突然自殺を決行してしまったわけですから、それだけで大変なショックだったでしょう。
もし「たまたま」将也が絶妙のタイミングで部屋に乗り込んでくれていなければ、硝子はもうこの世にはいませんでした。硝子は自殺を現に「決行」してしまっており、すでに飛び降りてしまった硝子を将也が空中でつかんでいるわけですから(そこもそこで「ものすごい幸運」です)、将也があの場にいなければ、確実に硝子は転落して命を落としていました。
西宮母は、硝子の自殺の兆候を見抜くことができませんでした。
恐らく、今回の自殺だけでなく、硝子が幼いころからそういう気持ちを心に秘めていたことも、西宮母は気づけていなかったのではないかと思います。
そのことについては、西宮母はその事実を、初めて結絃から聞かされたのではないかと予想します。
第45話で、結絃は「硝子の自殺を防ごうとして」ずっと撮影し続けていた死体の写真をすべてはがしました。
その写真はがしのとき、西宮母とのやりとりがあったことがまんがの中でも描かれています。

第6巻50ページ、第45話。
そこではごく簡単な会話だけしか描かれていませんが、実際には、この場面、さらにはそれ以降も含めて、なぜ死体写真を撮っていたのか、結絃は西宮母にしっかり伝えたのではないかと思います。
その話を聞いて、西宮母には2つの思いが生じたのではないでしょうか。
1つは、自分がいかに硝子のことを理解していなかったのかということに対する後悔です。
硝子がそれほどまでに人生に絶望していたことを、幼い結絃ですら気づいていたのに、自分は気づかなかった。
そして、硝子はそういった率直な気持ちについて、結絃には伝えて自分には伝えなかった。
西宮母は、辛うじて命をつないだ硝子に対して、これからはちゃんと「こえ」を聞こう、話をしよう、と決意したのだと思います。
(今回、将也宅で食事中に手話が飛び交うのを西宮母が特に止めなかったのも、そのことと関係があるかもしれません。)
もう1つは、そんな風に「硝子の絶望」を知っていた結絃でさえ、今回の硝子の自殺を察して止めることができなかった、ということへの悲しみです。
つまり、西宮母は「硝子の絶望、自殺念慮に気づいて、硝子の今回の自殺を阻止する」というところから最も遠いところにいて、将也がいなければ絶対にそれを止めることができなかったわけですが、そのあたりについて多少は分かっていた結絃でさえ、今回は手を打つことができなかった、ということです。
そう考えると、将也が「その場」にいあわせた偶然と、自らの命も顧みず硝子を助けた将也の勇気ある行動があったおかげで硝子の命は救われ、それらがなければ西宮家の家族は硝子を失っていたことになります。
このことを「幸運すぎる」と呼ぶのはとても自然なことです。
そしてもう1つの「幸運」は、硝子救出の結果、転落してしまった将也の命が無事だった、ということでしょう。
硝子は助かりましたが、もしも代わりに将也が命を落としたり、深刻な障害が残ったりしていたなら、硝子と西宮家は将也を傷つけた「罪」を一生背負い続けなければならなかったでしょう。
将也はマンションの相当高いところから転落して、大ケガをして2週間も昏睡していましたが、幸い無事に目覚め、大きな障害も残さず復帰しました。
これもまた、西宮家にとって、非常に大きな幸運であったことは間違いありません。
端的に言えば、2人の命が失われる可能性があったにもかかわらず、結果的にはどちらの命も助かったこと。
このことをもって、西宮母は「私たちは幸運すぎます」と言ったのだと思います。

確かに。まず、親にとって娘が自ら命を絶つ行為をしながら失わずに済んだ。 しかも、仰るとおりたった6年生の娘が死にたいと妹にはそう言って泣いたのに、自分にはそうしてくれないままこんなことになっても、硝子ちゃん亡くさずに済んだ。親は、何にも話してくれないまま自殺される事は辛いことの筆頭てすから…リアルに知っている成人式迎えずに自死した子のお母さんは、30年近く経っても事あるごとに泣いていますからね。
娘の愚行のせいで死にかけた石田君に死なれずにすんだ。ありがたい事だったと思いますよ。
ただね、6年生の硝子ちゃんの死にたいという言葉を当時の西宮ママに受け止めるだけの力があったかな?それを含めて幸運過ぎます…って言葉が出てきたのでありましょう。家族の再生のスタート切れた。石田君が助かった。なんと幸運な事でしょう。
それにしても石田ママはすごい。西宮ママが差し出した封筒からぴらりとお金を一枚だけ抜き取ってにっこり笑ってお寿司食べましょ、なんて普通できないよ。
話はずれますが、石田ママと知り合えた事も西宮家族にとってものすごい幸運だと思いますよ。
コメントありがとうございます。
そうですね。このエントリはだいぶ前に書いたものなので、このせりふだけに限って考察していますが、実際、おっしゃるとおり西宮母、そして西宮一家は、将也や石田家と高校3年になってから再会できたことで、あらゆる運命が好転する「幸運すぎる」状態になったことについては、「将也=救世主」という長いエントリで考察したとおりです。
たしかに、小6のときにはすべてがまだ熟していなくて、高3のこのタイミングだったからこそ救われた、というところはあったんだろうな、とも思います。