2014年12月10日

第58話を社会心理学の視点から読み解く(10)

※このエントリは、第58話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

島田が登場し「片手間だからこんなモンだろ」吐き捨てたことで、映画が酷評されたという「結果」事象に対して、

4)努力(=内的、かつ変動する)

への原因帰属が提示されました。

この新しい帰属に飛びついたのが、植野と佐原でした。


第58話、14ページ。


第58話、15ページ。

この二人については、かなりはっきりと衣装を否定されたという「出発点」があるうえ、そもそも衣装というのは「他人から評価される」ことが大前提のものです。
ですから、「見る人が悪かった」という「運」に帰属させるのは、実はあまり納まりが良くありません。
さらに、当然ですが、「能力」に帰属させてしまうと、二人が目指している進路に必要なスキルを自ら否定することになってしまいます

それに対して、「今回は全力を出さない片手間だったから、あまり評価されなかった」という「努力」に原因帰属させることができれば、ある意味もっとも自己肯定感を損ねることなく、結果を冷静に受け入れることができることになるわけです。

この「努力」への帰属は、前半で永束と川井がけんかしていたときに出てきた「能力」への帰属と、ちょっと似ているようで実はまったく違います。
「能力」に帰属してしまうと、「自分には能力がない」から「結果が出せなかった」のだ、ということを認めなければならなくなりますが、「努力」に帰属すれば、「自分には能力がある」けれども、「今回は全力を出さなかった」から「結果が出なかった」のだ、と考えることができます
つまり、「自分には能力がない」という認識を受け入れるのは困難な場合が多いですが、「自分には能力はあるが今回は努力が足りなかった」という認識は、それよりもはるかに受け入れが容易なわけです。

そう考えると、この島田の「努力帰属」のせりふに即座に反応した植野に、もともと上昇志向(努力志向)の強い佐原が乗っかるのは当然の流れでしたし、川井と永束、そして真柴についても、その「原因帰属」がもっとも受け入れやすいものであったことは明らかです。


第58話、15ページ。

結果、すべての映画メンバーは「今回は全力を出さなかったから評価が低かった」、という「努力への原因帰属」を受け入れて、納得しました。
これによって、今回「映画が酷評された」という辛い結果は「過去のもの」となり、あわせて、「こんどはもっと努力していい結果を出そう」という前向きな認識も残すことができたことになります。

これは、今回のような問題の着地点としては、とてもいいものだったと思います。

ただ、真柴については、本当にこれで良かったのでしょうか?
そう簡単には「努力」に帰属できない状況にあるはずの真柴が、あっさり「うん」と言って場を収めているのは、ある意味ちょっと切なく映りますね。


ラベル:第58話
posted by sora at 07:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
連載中58話を読んで、「このコンテストは素人の寄せ集めが挑戦して、賞を取れるようなものではなかった」と思いました。
エントリ通読しましたが、1番の「課題が難しすぎる」に値すると思いました。
賞金も200万円と大金で、本気で映画を作ろう、つまり映画のプロになろうという人向けのコンテストでしょう。
なんでそんなコンテストの用紙が高校で配られたか不明ですが…。

連載中も、メンバーの誰一人として1番の考えを持たないのが私には不思議でした。しかし、4番の「努力不足」として気持ちに整理をつけた彼女らは偉いと思います。
真柴は気の毒ですが、その後もあのままの姿で映画やり続けているので(無理強いされている気もしますが)、コンプレックスは払拭されたのかもしれません。
Posted by せら at 2014年12月10日 11:26
そうですねえ、映画甲子園じゃ200万円の賞金は出ないだろうし。


高校生向きコンテストなら、そこそこ良いとこ行ったかもですね。長束君が映画専門学校のオープンキャンパスあたりで拾って来たのかも。自分の力量の見定めがつかないのは若さの特権。それにガツンとかますのはクソみたいな奴とはいえ大人の役目。


こどもたちに誰向けの映画か、どんな層が参加するか、見定めをさせなかった大今さんの意図はわかりかねますが、メンバー同士が橋をかける事にフォーカス当ててお話を作った事は私にもわかりました。酷評喰らって、仲間割れしかけて、また再生する。自分の努力が必ずしも他人の評価に繋がらなかった時のお話を若い子に伝える役目は充分果たしていると思いますし。

Posted by あらやん at 2014年12月10日 18:26
皆さん、コメントありがとうございます。

確かに、この賞の全体の雰囲気からすると、永束たちは「背伸びしすぎ」だったようには思います。
実際、彼らの映画は明らかに「片手間」だったわけですし、そんなもので200万円の賞金が手に入るレベルになるとは考えにくいですからね。
でも、ここで「努力」に原因帰属できたことは、若い映画メンバーにとっては最良の選択だったと思います。

こんな短い作品のなかに、映画制作ががっつりと入ってきたことについて、私も途中までは意図がよく分からなかったのですが、結局は映画もまた、この作品のテーマである「何かを他人に伝える(ことの難しさ)」ことそのものだったんだな、と今になってみると思います。
Posted by sora at 2014年12月10日 23:17
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