2014年12月06日

第60話でも登場、石田家のホットプレートは万能?

※このエントリは、第60話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

さて、第60話では、久しぶりに石田家の料理のシーンが描かれました。
そこに登場するのはまたもやホットプレートです。


第60話、18ページ。

マリアの皿に盛られている様子からすると、ホットケーキのようですね。

この作品のなかで、石田家の料理(特に石田母の料理)といえばホットプレート料理です
これまでにも様々なホットプレート料理が作られてきましたので、それをまとめて見てみたいと思います。

1)第1話:焼きそば


第1巻47ページ、第1話。

第43回度胸試しが流れ、島田・広瀬も家に遊びにこなくなり、「退屈に負けそうに」なっている日に出てきた料理。石田母が作っています。


2)第4話:水餃子なべ?


第1巻151ページ、第4話。

将也がカースト転落し、島田らにいじめを受けるようになった頃、上履き紛失が続くのをみて石田母が「先生に言っておこうか?」と聞くときに出ていた料理。石田母が作っています。


3)第7話:焼きうどん?


第2巻45ページ、第7話。

ここから高校編です。
硝子と再開した日の夜、170万を返してくれた息子の事が嬉しくて、ホットプレートいっぱいに山盛りの焼きうどん(またはスパゲティ、焼きそば?)を創っています。


4)第10話:ハムエッグ


第2巻88ページ、第10話。

将也が硝子と2度目の再会を果たしたころ、石田母は朝ごはんのハムエッグをホットプレートで作りながら、将也が自殺を考えていたことをカマをかけて突き止め、追及します。
将也は石田母にもう自殺しないと約束して、気持ちを前向きに切り替えて登校しますが、途中で結絃にいじられ、さらに登校したらバカッター騒動が起きていて停学の憂き目にあってしまいます。


5)第12話:お好み焼き


第2巻141ページ、第12話。

硝子からバカッター騒動を起こしたことをとがめられ、家出した結絃は公園で将也に発見され、そのまま自宅に連れてこられます。その日の夜に出てきた料理がこのお好み焼きでした。
最初は食べるのを拒んでいた結絃ですが、マリアから「あーん」されて思わず食べてしまってからは、家出して空腹だったこともあって、がつがつと料理を平らげていました。
これも石田母が作っています。


6)第14話:謎カレー

服とカメラを石田宅に取りに来た結絃と永束がかちあい、全員で食べることになったこの料理、最初は魚を入れた鍋料理だったはずが、最後にはごはんにかけてスプーンで食べる、謎のカレー風料理に変貌していました。
これも石田母が作っています。


7)第43話:ホットケーキ


第6巻3ページ、第43話。

第2巻から第6巻に一気に飛びます(もし途中に漏れがあったら教えてください)。
ここは将也の回想で、花火大会の朝に平和にホットケーキを食べていたシーンを思い出しています。
そしてこれを思い出している将也は、マンションから飛び降りて絶体絶命の硝子を引上げようと必死になっているところでした。
このホットケーキは、石田母ではなく姉が調理したようです。


8)第59話:焼肉

KOEKATA_59_017.jpg

第7巻、第59話17ページ。

将也が目覚め、自宅に戻ってきて、また石田家のホットプレート料理が見られるようになりました。
硝子の上京志望を聞いた将也が、制服も脱がないうちから石田母に必死にそのことを語っている姿が微笑ましいですね。
そして、将也のそんな姿を見て、硝子のことが好きで離れたくないという気持ちがにじみ出ているのを優しく受け止めている石田母もとても素敵です。
もちろんこれも、石田母が作っています。


9)第60話:ホットケーキ


第60話、18ページ。

そして今回、ほんの一瞬ですが登場したのが、第43話でも調理されていた「ホットケーキ」です。
もしかするとホットケーキは石田姉の得意料理かもしれないので、これは石田母か姉か、どちらが作ったのかははっきりしませんね。

そして、こうやってチェックしてみた結果分かったことは、

・石田家の手料理はすべてホットプレートで作られている!

ということです。
どこまで万能なんだ石田家のホットプレート(笑)。


posted by sora at 08:13| Comment(3) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。


ホットプレート、今では万能調理器です。高火力、マルチプレートは当たり前。石田ママが薬飲んでる描写みて、あんまり丈夫じゃないママが、店をきりまわし家事戦力外の子どもに食わせて行くとき、キッチンの動線を工夫することが必要だったと思われます。プレートの上で玉子割ったり、テーブルの上で味付けしたりの描写でわかりました。焼きそばの野菜も今ではカットベジダブルありますしね。それに、テーブルで調理しながらでも子どもと話ができますし。体壊して調理師リタイアする前はマルチプレートにお世話になっていましたよ。でも、電気代ハンパないだろうなあ…
Posted by あらやん at 2014年12月06日 08:48
あらやんさん、

たぶん関東より関西の方がホットプレートはよく活躍していると思います。
私は関西出身で上京してきた身ですが、実家ではよく使ったホットプレートですが、こちらではあまり見かけませんね。
いろいろなものが作れる万能さがありますが、電気代も高いですしワット数も大きいのでよくブレーカーが落ちますね(笑)。
Posted by sora at 2014年12月06日 22:22
そうなんですか?少し前までの東三河の冠婚葬祭の引き出物にホットプレートや電器グリル鍋は定番でした。価格の割りに嵩が大きいから、見栄っ張り気質にぴったりでした。一軒のおうちに何台も回ってくることも珍しくないです。うちでも現役機の他に未使用の品が2台眠ってますよ。水門のモデル、大垣は関西と中部の文化の混成地と知ってはいました。わたくしの田舎の三河よりも京都大阪に近いので調理文化も西よりなんですかね。


料理研究家坂本廣子さんが、阪神淡路震災の時の経験を書いた本の中で、ホットプレートの活用法を教えておられました。都市ガスの復旧が遅れた時に活躍したそうです。 石田ママ、言葉は東寄りですが震災経験したり、たこ焼器がおうちに普通にある地域にいたことがあるんでしょうか?

逆に東日本震災で停電を経験した関東エリアの親戚は、石田家メニューでもてなしたら大喜び。エアコン+ホットプレート+テレビゲームであえなくブレーカー落ちましたとも。
Posted by あらやん at 2014年12月07日 19:48
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