2014年12月02日

将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(11)

2つめは、ロケのタイミングの不自然さです。
つまり、なぜわざわざ水門小のロケを、学校が始まってしまったあとの9月2日に行なう設定にしたのか?という疑問です。
もともと(橋崩壊前に)真柴と将也でロケの許可をもらいにいったとき、真柴は「夏休み中に撮りたい」と言っていました。常識的に考えれば、9月に入って新学期が始まり、生徒が学校にくるようになってしまった後では、ロケの許可なんて普通はおりないでしょう。

もちろん、橋崩壊→映画撮影中止という事件があって、当初考えていたよりもロケのタイミングが大幅に遅れたということはあるわけですが、それにしても、物語のカレンダーを調整して、夏休みの終わりぎりぎりくらいに水門小ロケを持ってくることは、それほど無理をしなくても可能です。

にもかかわらず、「あえて」水門小ロケは新学期が始まったあとの「9月2日」になっているわけです。
これは、「映画再開・水門小ロケ→その日の夜に硝子が夢を見る→日付が変わって将也復活」という流れが最初から想定されていて、しかも「将也復活」が9月「3日」に固定されていたために、必然的に(多少不自然であっても)水門小ロケを9月2日とせざるを得なかったのだ、と考えるほかありません。

3つめは、将也の復活を火曜日ではなく「水曜日」にしている点です。
将也は、硝子の夢枕で「もうすぐ火曜日が終わる」と言って去っていこうとしているわけですから、それを硝子が引きとめて、そしてその願いがかなって将也が復活する、という展開を考えるならば、やはり火曜日中に将也が復活し、再会できたほうが美しいでしょう。そうすることで、「火曜日」というのをよりいっそう特別な曜日として位置づけることができるわけですから。

でも、実際には日付が変わってしまって、「水曜日」に将也は復活し、橋の上の奇跡につながっていきます。
なぜ「9月2日・火曜日」ではなく、「9月3日・水曜日」に将也が復活したのでしょうか。
それは、「火曜日に再会する」という「曜日」の展開の美しさよりも、「復活するのが3日である」という「日付」のほうが作者として重要度が高かったから、と考えるほかありません。

これらのポイントを見ると、多少の強引・不自然な展開を許してでも、将也の復活を「3日」にしたかったのだ、という作者の意図がはっきりと伝わってくるように感じます。
そしてその理由は、将也の復活を9月「3日」とすることで、将也の転落をキリストの処刑に、「3日」の将也の復活を、「3日後」のキリストの復活になぞらえたかったからなのではないかと思います。

そして、すべての「準備」が整い、「3日に」将也は復活します。

将也が復活したあとの世界は、将也による「救い」によって、将也や硝子をとりまくあらゆる登場人物に対して、それぞれ「救い」が与えられる世界に変わっていました。
ラベル:第51話 第52話
posted by sora at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする
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