2014年12月01日

将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(6)

では、将也が実際に「あらゆる人の罪を引き受け、その罪を償った瞬間」とは、いつだったのでしょうか?

それは、私は、

第43話で、硝子の身代わりになって川に転落した瞬間

だったと思います。


第6巻17ページ、第43話。

将也が物語の中で救世主的存在として描かれていると考えると、第43話で描かれた「度胸試し」、硝子の身代わりとなって将也が転落したことの意味は、違って見えてきます。

つまり、将也はこの場面で「転落しなければいけなかった」し、将也は転落によって「大いなる贖罪を遂に成し遂げた」ということになるのです。

以前も一度考察しましたが、このときの将也の行いは、キリストの「最後の晩餐」を思い起こさせるものになっています

硝子は、自分の周りの人間が不幸になるのはすべて自分の呪いであるという考えをもち、映画メンバーも家族も含め、あらゆる人の罪と不幸を一身に背負い、それらを償おうとして飛び降りたのだ、といえるでしょう。
だとすれば、そんな硝子を受け止め救出して、代わって自らが身を投じた将也は、硝子の背負っていた「罪」を、さらに硝子に代わって引き受けて転落した、と考えることができるのではないでしょうか。

硝子は「すべての関係者の罪」を背負って飛び降りようとしたわけですから、その硝子の身代わりとなって転落し、硝子が抱えようとしていた罪も代わりに引き受けた将也は、「硝子の罪」に加えて、硝子を通じて間接的に「すべての関係者の罪」を引き受けて、身を投じたことになったと言えるでしょう。

みんなの罪
  ↓
  ↓ 背負う
  ↓
硝子]+硝子の罪
    ↓
    ↓ 背負う
    ↓
  [将也]+将也の罪
      ↓
      ↓ 償う
      ↓
    [池の鯉


このとき、転落した川の中には、鯉がいました。


第43話、17ページ。

別のエントリでも考察しましたが、この物語のなかで、鯉は「インガオーホー」の理(ことわり)を司り、罪ある者に罰を与え、それを贖った者に奇跡を起こす超越的存在として描かれている、と思っています。

将也は、そんな鯉のいる川の中に身を投じましたが、それは「鯉」に対して自らの肉体と血を捧げる(実際、将也は第43話の見開きで血を流しています)ことであり、これまでの罪をつぐなう最大級の行為であったと思います。
ちょうどキリストが最後の晩餐でパンとワインを「これはわたしのからだと血である」と言って分け与え、そして処刑され、その処刑により人々の罪が贖われ誰もが救済されたと信じられているように。
タグ:第43話
posted by sora at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする
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