すなわち映画の再開とは、「失われた過去、理想の世界を取り戻す」ことではなく、「現実の世界のなかに希望を生み出し、未来の関係を作り出していく」ことであり、そういう未来の創造に自分は役に立てるんだ(周囲を不幸にする呪いなんてなかったんだ)、という「自己肯定」でもあった、ということです。
そして、その新たな「意味」のなかでは、他ならない「現在の将也」、かつては自分をいじめたけれども、会いに来てくれてたくさんの幸せを運んできてくれた「いま、ここ」にいる将也こそが、もっとも大切な存在だということにも、硝子は気づきました。
でも、その「いま、ここ」の将也は、呪いにとわれて犯してしまった自分の過ちによって転落、昏睡し、生死の境をさまよっている…。
その過ちの罪深さを思い、心からの後悔と、どうしても将也に戻ってきてほしいという心からの願いが橋の上での硝子を号泣させ、その涙は川に落ちて川の中にいる鯉に届きました。

第6巻181ページ、第52話。
繰り返しになりますが、この物語のなかで「鯉」は、因果応報の理(ことわり)を司る超越的な存在であり、罪を犯した人間を因果応報の無限ループに取り込んで罰を与え続け、一方でその罪をしっかり償った者には「奇跡」を起こして因果応報のループからの脱出に導いてくれる存在だと考えられます。
そしてこのとき、川に落ちた涙に込められた硝子の思いに十分な贖罪を認めた鯉は奇跡を起こし、将也を目覚めさせるのです。

第6巻183ページ、第52話。
…このように、第6巻で描かれていたのは、第5巻まででは「どうしても脱出できない」ように描かれていた因果応報の無限ループに対して、それぞれが「脱出のヒント」を得て、行動する過程だったと言えます。
その「脱出の方向性」はみな違いますが、1つ共通していることは、罪を犯したころの「過去」を償う、過去を取り戻そうとするのではなく、新たな「未来」を作ろうとすることが、ループ脱出のためには不可欠であるという、考え方の転換でした。
ところで、第6巻の最後、鯉が奇跡を起こして将也が目覚めた瞬間に、将也と硝子は「因果応報のループ」を抜け出した、と考えられます。
いわゆるタイムループものの物語で、ループから抜け出すことが「ループする世界」から「ループしない世界」へ、パラレルワールド間の移動を行うことになるのと同様、将也と硝子もこの「目覚めた瞬間」に、因果応報のループのない別のパラレルワールドに移動したと考えられます。
将也らがパラレルワールドを移動したことを示す「証拠」は、第7巻、第61話に登場した鯉です。
第7巻における「こちらの世界の」鯉は、魔力をもたないただの鯉で、硝子らからえさをもらってまるまると太ってしまっていました。

第61話、10ページ。
さて、なぜ「鯉」がその魔力をつけたかなどを私なりに考えてみました(かなりオカルト/ファンタジー的な妄想になります)。
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硝子が鯉に餌をやるようになったきっかけは、(人間の)友達を作るのを諦め、絶望的な状況から一時的にも立ち直るためだったと、このブログ内で考察がされています。
しかるに、その動機で鯉に餌をやりつづけたことにより、鯉には、その「呪い」のエネルギーが蓄積し、魔力を持つに至りました。そして、例の4月15日、硝子と将也が再会して西宮母によって筆談ノートが川に投げられた際、二人が川に飛び込み、一緒にノートを探した(第2巻第7話『諦めたけど』)ことによって、鯉の魔力が発動するスイッチが入りました。
ここから第6巻第52話『静寂』までの経緯は、このエントリーの通りとして、目覚めた将也が、病院を脱走して橋に直行したのは、将也自身の意志だけでなく、「鯉」が「硝子に将也の目覚めを伝える」ためもあったのではとも考えられます。
そして、「鯉」はこの二人に『最後の試練』を与えます。「二人がどのような会話をするか」です。その会話を鯉自身が見届けるためにも二人は橋の上で再会する必要がありました。
はたして、橋の上で再会した二人はお互いに過去の過ちを謝罪するとともに、それを直視しつつ、未来に向けて力を合わせていくことを誓い合いました。
これによって、鯉の魔力は「因果応報のループからの脱出」のために完全に解放され、ただの鯉に戻ってしまいました。
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いかがでしょうか?
ぽてとさんのおっしゃるとおり、硝子と将也はぎりぎり最後まで「試されている」と思います。
それをすべてクリアした2人だったからこそ、そのあと「ループを抜け出した平和な世界」にたどりつけたんだろうな、と思います。
そしてこの鯉ですが、たしかに第1話から登場しているんですよね。
第1巻23ページでは水面に顔まで出していますから、ここで鯉は世界に対して「何かをした」のかもしれませんね。