2014年11月28日

聲の形における「因果応報」を考える(9)

第5巻中盤から後半、橋崩壊事件から硝子の自殺決行までで、それまで息を潜めていた将也・硝子(・植野)の因果応報の時限爆弾はすべて爆発し、それまでに築き上げられてきたすべての物語は、第5巻最終話の第「42」話でいったん「死に」ます。

そう考えると、第5巻が第43話まででなく第42話までの収録になっているのも、ある意味必然であるように思います
なぜなら、第43話からは、その「底」、どうしても抜け出せないように見えた因果応報のループの最下層から、登場人物がなんとか「脱出方法」を見つけて、ようやく抜け出していく物語に変わっていくからです。
そういう意味で、第43話は既に流れは上向きに変わっているのです。

そんな第43話から始まる第6巻は、将也、硝子(そして植野)が、因果応報の無限ループから脱出するための「ヒント」を得ていく巻になっています。

第6巻、まず将也は第43話で、「みんなの顔をちゃんと見て、ちゃんと話してちゃんと聞く」と約束し、硝子に代わってその身を投げ出しました。


第6巻13ページ、第43話。

以前も考察しましたが、硝子に代わって将也が自らの肉体を投げ出すことは、宗教的な色合いを帯びた「究極の贖罪」を表現しているようにも思われます。
そして、どうやら物語のなかで、この「因果応報」の理(ことわり)を司っているのは、「鯉」のようです。
将也の約束と、硝子の「罪」までをも一緒に背負っての身代わりの「贖罪」は、その鯉にしっかりと見届けられます。
第43話で将也が転落した川には、将也のまわりを優雅に泳ぐ鯉がしっかりと描かれています。この転落のとき、島田らが都合よく登場して将也を救出したのは、この「将也の贖罪」を一定認めた鯉が起こした「奇跡」の1つだと解釈していいと思います。

そのあと、将也は転落によって意識不明の重体になってしまうため、実際の「因果応報」のループからの脱出はとりあえず第7巻に先送りされますが、この第43話で将也が約束した「ちゃんとする」ことが、まさにその「脱出」のカギとなっていくわけです。

続いて植野です。
転落直後の暴行、そして植野回と、どちらかというと植野は第6巻では罪を増やしていく展開もあるのですが(笑)、とりあえずそれらはあまり因果応報と関係のない「目の前の悪行」として横においておきます。
植野回での小学校時代の「硝子ハラグロ」回想から、それに続く現実の硝子とのやりとりとの対比のなかで、植野は、「諸悪の根源は硝子である」という、小学校時代からずっと抱いていて、高校で将也・硝子と再会して以降も持ち続けていた自分の認識が誤ったものであるらしいということを自覚していったのだと思います。
そして植野回の最後で、植野は島田の連絡先を硝子に伝えることで、硝子が主導している映画制作の再開を間接的ながら「助ける」という選択をします


第6巻148ページ、第50話。

この「硝子への認識を改めたこと」と、「いまの硝子を助けるという選択」が、結果的に第7巻において植野が因果応報のループから脱出できるきっかけになったと考えられます。


ラベル:第50話 第43話
posted by sora at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする
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