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2014年11月27日

聲の形における「因果応報」を考える(7)

第4巻までの物語は、「因果応報」をうやむやにしながらハッピーエンドに向けて進んでいるように見えましたが、実際には因果応報の理(ことわり)はたえることがなく、どんどんエネルギーを蓄えながら、いつか炸裂する瞬間を待っていました。
そして、その「因果応報の爆弾」が実際に炸裂したのが、第5巻ということになります

第5巻で、まず炸裂したのは将也の「爆弾」で、それを誘爆したのは植野の「爆弾」でした

将也は、夏休みの登校日に川井に過去のいじめ(=まさにこれが将也にとっての因果応報の起点となる「罪」です)を暴露され、ようやく生まれ始めた仲間関係をすべて失った(=こちらは因果応報の「罰」です)と感じ、橋に行くのを避けようとします。
実際、将也はこのときに、自らが因果応報のループにとらわれていることに対して自覚的であることを示す、こんなせりふを語っています。

将也「きっと 遅かれ早かれ こういう日がくる運命だったんだ
   避けて通れない……
   昔のこと なしにして… 人と上手くいくことなんかないって 思いしらされる日が…
   罰が足りないんだ… 俺には…」



第5巻117ページ、第38話。

そんな風に、将也が因果応報の罰に改めて打ちのめされそうになっているところに現れたのが、植野でした。
植野は、ためらう将也を強引に橋に連れて行こうとしますが、そのときに言ったセリフがまさに、「インガオーホーなんてくそくらえ!」でした。


第5巻118ページ、第38話。

このせりふは、連載で追いかけているときには「なぜインガオーホー?」とやや唐突に映りましたが、実は将也の直前のせりふがこの「因果応報」の内容について語っているものになっていますし、また全体をとおして振り返ってみれば、まさにこのシーンは、将也が、そして植野が、それぞれの因果応報にどのように立ち向かっていくかということを語っている場面になっていることに気づきます。

実はこのシーンは、植野にとっては本当に特別な瞬間でした
「これは私の挑戦 うまくいかなかったら 私を責めていいよ だからさ 橋に行こう」と、心を込めて強く迫る植野に対して、将也は「なんで…」ととまどっています。


第5巻119ページ、第38話。

「お前 俺のこときらいだったろ」「考えれば考えるほど 植野のこと 意味わかんねーし」と、植野のことを意味不明の存在としてまともに相手していなかった将也が、唯一、この場面でだけ、植野と情を交わした真剣なやりとりをしていることからも、それは分かります。(植野の顔にはりついているバツ印も、このときばかりはほとんど取れそうでした。)

マガジンの連載版では、将也とともに橋へ向かう植野のことを、いわゆる「アオリ文」で「救世主・植野」と呼んでいました(単行本では省かれています)。


連載版第39話の冒頭アオリより。

結果として植野は火に油を注いでむしろ橋崩壊を促進してしまい、救世主どころか疫病神みたいな展開になってしまったのですが、このとき、もし本当に植野がベストの動きを見せていれば、植野は硝子よりも先に将也を「因果応報の無限ループ」から脱出させることに成功していたかもしれず、もし仮にそんな展開になっていれば、俗にいう「植野エンド」が訪れていてもおかしくなかったのです。
でも、やはり少なくともこのときの植野の覚悟程度では、「インガオーホーのループ」を打ち破ることは不可能だったのです。

そして、植野が将也を連れて行った「橋」で、あの「橋崩壊事件」が起こります。
タグ:第38話 第39話
posted by sora at 07:13 | Comment(4) | TrackBack(0) | 第5巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
聾の形、なぜだか小学生ならみんなが習うごんぎつねとかぶるなあ…と思っていたら、因果応報がキーワードだったとは。


小さなイタズラと心得違いが重大な結果を引き起こす、償いが相手にわからず撃ち殺されてしまう。罰を与えた側が真実をわかった時には取り返しがつかない結果になってしまう。小さなごんが集めた栗や松茸に応えてやれないまま死なせてしまった事が兵十に与えられた罰でした。


なおかさんの石田君への償いがごんといやに似ていました。相手に誠意が通じない、償いが悪い結果を招いてしまう。


明治男の南吉は一度の過ちを取り返しがつかないとごんぎつねで断じましたが、平成の大今さんはたとえそうでも償う思いは持つべき、どんな結果に終わろうとも、と示しました。生きていられるならあがないの時は必ず来ると。確実に世の中は進み、人はかしこくなっています。


それにしても、小さな孫娘をあんな形で捨てた奴等こそ何かの因果応報と制裁がなかったんですかねえ… 登場人物もれなく因果応報の償いをきちんと果たしていましたが。
Posted by あらやん at 2014年11月28日 06:27
あらやんさん、

聲の形とごんぎつねの類似性については、確か以前にも指摘された方がいらっしゃいました。
確かに「因果応報」でつながっている部分が強いと思います。

また、すべての人に公平に「罰」が下っていない、という件については、今回の長いエントリの「次」のエントリで書きたいと思っています。
Posted by sora at 2014年11月28日 21:44
ごんぎつね!
そういえば、著者の新美南吉は愛知県の人で、この物語もその地域の昔話に題材を取ったものでしたね。
昨年(2013年)が新美南吉の生誕100周年ということで記念イベントもありました。
言われてみれば、植野の立ち位置は『ごんぎつね』に似ていて、この作中の『いわしのエピソード』は『橋崩壊事件』にも通じるものがありますね。
なるほど、大今先生の地元とも近いので、大今先生が『ごんぎつね』にヒントを得てそのシチュエーションを取り入れた可能性もあるかもと思いました。
Posted by ぽてと at 2014年11月28日 22:57
連投失礼いたします。


娘どものごんぎつねの絵本読み返していたら、こんなことを思いました。やっぱり、他のファンの方も思い付くことはおなじなんですね。


ぽてとさまのご指摘を受けて気がつきましたが、ごんのふるさとも川辺の町でしたね。


なおかさんがごんちゃんみたいに、取り返しがつかないまま硝子ちゃんと二度と通じ合えない苦しみを味わえない苦しみを味わわないでホントに良かったです。

Posted by あらやん at 2014年11月29日 06:55
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