第3巻になって登場してくる、因果応報に関する重要キャラクターは、いうまでもなく植野です。
植野は、将也視点から見ると、自身のカースト転落後、完全に没交渉となり、それ以降は自分とまったく関係ない世界で楽しくやっていたように映っていたことでしょう。
それなのに、硝子や佐原と再会したあたりから、なぜか将也のまわりに現れるようになり、硝子との関係を邪魔したり、いまの自分は嫌いな方向に変わったと言ったり、さらにはかつての親友だった(でもいまはトラウマになっている)島田との関係修復にまで奔走するようになります。
これらの行動は、将也にとってはまったく理解不能であり、将也は第3巻の後半で「意味わかんねーし」といって、「関係の拒絶」の象徴であるバツ印を植野につけてしまいます。

第3巻136ページ、第21話。
実は植野は、(因果応報という視点で物語を語るならば)「将也いじめと硝子いじめ」という2つの罪によって因果応報のループに転落し、あの頃の「楽しかった過去」にとらわれてずっと抜け出せないままになっていたのでした。
そのループに巻き込まれたまま、将也との関係を「過去の楽しかった頃の形に」なんとか修復しようとする植野は、因果応報のループのなかで何度でも「罰」を受け、その試みすべてにおいて失敗を繰り返します。
将也と再会した日に、将也からバツ印をつけられて、その後ずっと関係を拒絶されてしまうというのも、また因果応報の理によって課せられた「罰」であったわけです。
さらにいえば、植野の「将也が好き」という感情についても、少なくとも第6巻までは、「小学校のころ、小学生だった将也が好き『だった』」という感情がそのまま塩漬けになって続いていたものにすぎない、と私は思っています。

第3巻153ページ、第22話。
つまり、植野は、もはや存在しない幻想にすぎない「小学生時代の将也」に対して、高3になっても恋愛感情をいだき続け、そしてそれにとらわれて、逆に「いまの将也」を否定せざるを得ない立場に置かれ続けていたのです。
こんな植野の、幻想を対象とした恋愛感情が成就する可能性などありえません。
でも植野はそれにとらわれて、そういう構造、自分がおかれた状況が見えていません。
そう考えると、植野の将也への恋愛感情すら、実はそれ自体が因果応報のループのなかで与えられた「罰」だった、という考え方さえできるわけです。
そして、そんな因果応報のループから抜け出すために、「西宮さんがいなかったころの将也や島田との過去」を取り戻そうとあがく植野は、「失われた硝子の過去」を取り戻そうとする将也とそっくりです。
将也とそっくりの行動原理で「因果応報のループ」を抜け出そうとする植野は、当然に、この先の展開で、将也とまったく同じ過ちを犯し、同じ破滅に向かっていくことになります。