1)将也は、小学校時代に硝子をいじめたということが原因で、カースト転落して島田らにいじめられるようになり、孤立して人間不信になり、他人としっかり向き合うことができなくなってしまった。
2)硝子は、障害ゆえに周囲に迷惑をかけ、自分の近くにいる人・自分が関わった人をみんな不幸にしてしまうという「罪と罰の意識(呪いの意識)」にさいなまれ、その結果として自己肯定感が低く、他人と関わることに恐怖心があり、ひたすら自己を抑圧して生きていくようになってしまった。
3)植野は、ずっと好きだったはずの将也を「売り」、また腹いせに硝子をいじめたことが原因で、その後将也との親密な関係を手に入れることができず、ずっと後悔を続け、「あの頃こうすればよかった」「過去の素晴らしい関係を取り戻したい」といった形で、過去にしばられるようになってしまった。
そして、これら因果応報の構造は、聲の形の物語の中で「主題」の1つとして扱われ、まるで音楽のフーガかソナタのように、何度も何度もその姿を変えては現れていきます。
まず、物語の冒頭で、「硝子をいじめていた将也が、いじめられる側に転落する」という非常に分かりやすい形で「インガオーホーの基本構造」が提示され、奏でられます。
これはいってみれば、音楽における「主題の提示」です。

第1巻144ページ、第3話。
親切なことに(笑)、ちゃんとこのときに川井が登場して「ねぇ インガオーホーって知ってる? きっと それよ」と読者にもよく分かるように教えてくれているわけです。
そして、第1巻の終盤、第5話では、この因果応報のループから抜け出そうとする将也が、島田らとの和解を試みますが(限定盤CD事件)、そんなことで問題は解決せず、逆に徹底的に拒絶されます。

第1巻180ページ、第5話。
このときの「拒絶」もまた、因果応報の理(ことわり)によって繰り返される将也への「罰」の1つであることは、言うまでもありません。
そして将也は、限定盤CDと一緒に買った手話の本を最後の心のよすがとして「手話を覚えて硝子に謝罪のことばを伝えて死のう」とします。
ところが、第2巻で出会った硝子に将也は思わず「友達になれるか?」と聞き、それが受け入れられてしまいます。

第2巻22ページ、第6話。
この「事件」によって、それまでまったく解決の糸口が見つからなかった、将也にとっての「因果応報のループからの脱出」に、一筋の光が見えることになります。
それは、硝子と友達になるという行為が、「過去をとりもどす」という方向性での贖罪ではなく、「未来にむけて新しい価値を作り出す」という方向での贖罪だったことと関係しているのですが、残念ながら将也はこの時点で、その2つの「違い」に気づくことができません。
それが結果的に将也を誤った方向、つまり「過去を取り戻そうという方向の贖罪行動」に導いていきます。
