ペドロの再登場
でしょう。

第62話、3ページ。
誰もが予想しなかった最終回での登場ですが、ここでふと考えるのが、このペドロの再登場はあらかじめ計画されていたのか、それとも連載後の読者の反応を見ていて、たった1コマしか出ていないのに非常に人気があったために、読者サービス的にハッピーエンドの輪の中に加えて登場させたのか、どちらなのか?ということです。
私はこの疑問については、
最初から予定されていた。
という説をとりたいと思います。
なぜなら、ペドロが最終回に登場することによって、
「第1話」と「最終回」というまさに物語の両端での登場
という、極めて特異な(そしていかにも大今先生が好みそうな)シンメトリー(対称)の構造を実現する形になっているからです。
そしてもう1つの、ペドロ最終回登場の必然性として、「これまでまだはっきりした役割が与えられていなかった」ということがありました。
この物語において、明らかにモブキャラとして登場しているキャラ以外には、それぞれ登場する「意味」が与えられています。
そういう視点で第1話で登場したキャラクターを拾ってみると、
デラックスは、無鉄砲な将也の性格を表現するため、そして「デラックス事件」を通じて、島田らと将也との関係のすきま風を表現するためのキャラクターでした。
そしてこのキャラクターとあわせてフォーカスの当たった「ゆうたろう君のスニーカー」は、その後「硝子捜索事件」をきっかけに結絃に渡り、結絃はそのスニーカーをずっと履き続けます。
そう考えてみるとデラックスというのは「将也をとりまく友情の姿」をあぶりだすキャラクターだった、と言えるでしょう。
また、「げんき君」については、将也の向こう見ずな性格の出自、あるいは「汚い大人」の象徴として(そして恐らく「姉がペドロをパートナーとして選ぶための対比軸として)登場したのだ、と思います。
また物語の展開上は、デラックス事件の「影の仕掛け人」として使われた側面もあります。
このように、サブキャラはサブキャラなりに、ちゃんと物語上の意味をもたされて登場しているわけです。
いっぽう、ペドロはどうだったでしょうか。

第1巻42ページ、第1話。