2014年10月25日

第58話、では島田問題は決着しなかったのか?(5)

小学校時代に突然の仲間からの裏切り・カースト転落を経験して、将也は「どうすれば孤立から逃れられるのか分からない」という状況に陥りました。

そんな状況のなか、将也は中学のとき「これが(孤立から抜け出すための)正解なんじゃないか」と考えて、名古屋で手に入れた「限定盤CD」を手に勇気をもって島田らに話しかけたわけですが、その行動も島田らから徹底的に否定され、改めて将也は「答えが見つからない世界」に叩き落とされることになります。


第1巻179ページ、第5話。

このような挫折の繰り返しによって、将也はいわゆる「学習性無力感」に陥ったと考えられます。

学習性無力感(Wikipedia)

「学習性無力感」というのは心理学の用語で、ある課題に対して、解決策として思いつきうるあらゆる反応をしてもすべて問題解決にいたらない、という経験を繰り返すと、「どんなことをやっても正解には辿りつけない、期待する結果は得られないのだ」という「無力感」を学習してしまうことをいいます。
いちど「無力感」を学習してしまうと、その後は新しい課題が与えられ、その課題なら容易に解決策が見つかるような場合であっても、もはや新しい反応自体を試みようとしなくなってしまいます

将也にとっての「人間関係の改善」という課題への反応も、このような学習された「無力感」に支配される状態になったと思います。
そしてこれによって将也のなかで、「どんなことをしても孤立したままのいま」と、「どんなことをしても仲間がいた『かつて』」とに人格が分裂し、「いまの将也」はすべてを「諦め」て、「かつての将也」を憎むことになります
簡単にいうと、「いまの将也」は、「かつての将也」が硝子にひどいことをしたという罪を背負い、そのことに対する終わらない罰を受けているんだ、という認識にいたってしまったのだと考えられるわけです。

そして、将也にとって、その「かつて」と「いま」の両方のカギを握る男が、島田でした

「かつて」の将也にとっては、一緒にバカをやって遊んでいた「親友」「仲間」として。
「いま」の将也にとっては、自身のカースト転落、孤立の直接の実行者であると同時に、(おそらく将也の本音ではこちらのほうが大事だったのだと思われますが)「なぜ孤立させられたのか」の理由、「正解」を知る人物として。

だからこそ、「島田と決着をつける」ことが、これまでの将也にとって決定的に重要だったのでしょう。
島田と決着をつけることで「孤立し続けてきたいまの自分」を否定し、そのうえで、「自分はなぜ孤立したのか」を理解しその部分を直すことで、初めて将也は「孤立し続けてきた」自分を克服して自由になれる、将也にとって島田はずっと、そんな存在だったはずです。

言い換えると、将也にとって「答えは島田の中にしかない」という状態が続いていたわけです。

でも、そんな状況を劇的に変えたのは、硝子の存在でした。
ラベル:第58話 第05話
posted by sora at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする
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