でも、身代わり転落時の決意、転落による昏睡と復活、そして硝子との対話、映画メンバーとの対話という過程の中で、将也には大きな変化が訪れました。
硝子に「生きるのを手伝って」もらうことによって、将也は苦しみながらも、人間関係拒絶の象徴だったバッテンをすべて外すことに成功しました。(第57話での「バッテン外し」は、その場にいなかった島田にも適用されていた事が、今回、第58話で判明しています。)
これは、「いまの将也」の問題の解決につながっています。
そして、それと同時に、将也にとっての「島田と過ごした楽しい過去」の意味も変わりました。
島田との楽しかった過去は、どうしても回復しなければならないような強迫的なものではなくなり、将也自身の中で消化し、自分ひとりで卒業できるような「単なる過去のこと」にまで昇華できたように思います。
こちらは、「かつての将也」についての(いまの将也からみた)問題の解決につながっているのです。
この点を理解するには、将也にとって「バッテンを外せた」ことは、単に目の前の人間関係を改善することに成功したことに留まらないということを理解しなければなりません。
将也にとって、「他人を信じることができた小学校時代」と、「他人を信じられなくなったカースト転落以降」との間には大きな断絶があります。
将也はおそらく、「なぜ自分が急に仲間から裏切られてカースト転落し、孤立したのか」の理由がまったく理解できなかったと思います。
実際には、自分だけが暴走していた硝子いじめの「罪」を周囲になすりつけ、自分の責任を逃れようとしていた態度が島田らの逆鱗に触れたわけですが、将也からみると「自分だけが悪いわけじゃないということを(いままでと同じように)率直に主張しただけなのに、急にみんなに裏切られた」と感じられたことでしょう。

第1巻143ページ、第3話。
当初、将也はその「理由」を「硝子が来たせいだ」と考えていました。

第1巻145ページ、第3話。
でも、それが愚かな間違いであったことを、将也は硝子転校後に(机の落書きを彼女が消していたことで)知ることになりました。
その結果、将也からすると、「どうすればカースト転落や孤立を避けられたのか」、「どうすれば孤立から抜け出せるのか」「どうすれば今後、同じようなことが起こらない形で周囲と人間関係を作っていけるのか」ということが想像できなくなってしまいました。
これは悲劇というほかありません。
自分がやったことは何かが「間違っていた」、だから「否定された」、ということはわかるものの、それが「なぜ」間違っていたのか、「どうすれば」回避できたのか・できるのかが分からない、という状況におかれてしまうと、人は「正しい行動・選択」をとることができなくなってしまいます。