なぜなら、島田と会っても特に何も感じなかったという、まさにその「つまらない、平凡な結果」こそが、将也にとってこの問題がついに決着したということを「劇的に」示しているからです。
もはや、島田という存在は将也にとって大したトラウマでもなく、また過去に対する幻想、ノスタルジーともリンクしておらず、特段の感情を揺さぶるようなものではまったくなくなっていた、ということです。
これは、「遊園地回」のときとはまったく違う、劇的な変化です。
では、なぜ島田と会ったときの将也の反応は、ここまで大きく変わったのでしょうか?
この「2度の再会」の間、島田と将也は「会った」ことはなく、また島田の将也に対する心情も本質的に何も変わっていません。どちらかがどちらかに、関係性を大きく変えるような言葉を投げかけたということもありません。
そういう意味では、「将也をとりまく島田の関係性」というのは、遊園地回と今回でまったく変わっていないはずなわけです。
唯一、変わったのは、
将也の心情。
これだけです。
なぜ将也にとって島田が極めて大きなトラウマ的存在だったのでしょうか。
1つは、将也が、島田の言動(突然の裏切りと継続されたいじめ)によって他人に対する信頼感を失い、人生を「諦めて」しまったという、まさに「元凶」であるということ。
そしてもう1つは、将也が「諦めた」ものを回復することは、島田が自分を裏切る前の「幸せだった過去」を取り戻すことでしか実現できない、つまり「幸福を回復するカギ」でもあると考えていたこと。
つまり、将也にとって、島田とは「不幸の元凶」であるのと同時に「幸せのカギ」でもあった、ということになるわけです。
そんな二律背反、アンヴィヴァレントな感情が、将也にとっての島田を、とてつもなく大きなトラウマ的存在に引き上げていたのだと思います。
そして、橋崩壊事件より前の将也は、そんな「失われた過去」から目を背け、ごく限られた仲間以外の人間にバッテンをつけて拒絶するクセをやめないまま、いろいろごまかしながら目の前の関係だけを大切にしようとしていました。
ですから、その「ごまかして無視している関係性」の権化のような島田と会ってしまうことは、「いま目の前にある関係」をぜんぶ壊してしまうような、とても恐ろしいことだったわけです。
でも、身代わり転落から昏睡、復活、硝子との対話をへて、そのような将也の心情は、大きく変わりました。
次回エントリ以降で、将也の心情がどのような劇的な変化を遂げたのかを考えていきたいと思います。