2014年10月12日

第56話、映画のシナリオについて、いろいろ考える(3)

第56話で上映された映画のシナリオについていろいろ考えています。

今回、映画のシナリオはメインで川井が書いていますが、永束による修正もかなり入っていると思われます。
第34話で、川井が勝手に書いてきた脚本に永束が文句をつけ、実際に第36話で、川井が「永束君 修正案 できたよ?」と言っているところで、それが分かります。


第5巻82ページ、第36話。

実際、映画のストーリーを見ると、「川井が書いたと思われるパート」と、「永束が修正を入れたと思われるパート」がはっきり見えてくるように思います

このエントリでは、映画のシナリオのうち、「川井が書いたと思われる部分」について考えてみたいと思います。(次のエントリで、「永束が修正したと思われる部分」について触れます。)

さて、川井の書いたストーリーですが、その根幹は、「インガオーホーによる罪と罰のループ物」というものだと思われます。
妖精が登場し、3つの願いをかなえてくれるけれども、いじめっ子も結局救われないし、いじめられっ子の主人公も「いじめっ子を刺す」という「罪」を犯してしまったことで、同じくインガオーホーのループに入ってしまって救われない、という、「罪と罰の物語」というのが、川井の書いた脚本の基本構想だと思われます。

そしてこの脚本は、小学生の川井のこのせりふを、微妙に伏線回収しているように見えるのです。


第1巻144ページ、第3話。

このせりふは、小学生将也が島田らにいじめられているのを見て、「硝子をいじめ、自分に罪をなすりつけようとした『罪』に対する当然の『罰』だ」と感じていることを示していると思います。

川井は、割と素直に「努力は報いられる」「罪は裁かれる」といった考え方を信じる、強い「公正世界信念」の持ち主だという印象を私は持っています。

※公正世界信念:社会心理学の用語で、この世界は、良いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果が生じるという公正な世界である、という信念、価値観のこと。この信念を強く持っている人ほど、実際の社会に対して不公正感、不公平感を感じてしまう傾向が強くなり、障害者などをはじめとする弱者に対しては否定的な態度をとりやすい、といわれています。

そして、この「インガオーホー」シナリオは、もともと真柴の提案した「勧善懲悪もの」よりはかなり進化していると言えます。
もともとの真柴の構想では、いじめっ子は殺されて、いじめられっ子はいじめっ子を殺しても「スッキリ報われてめでたしめでたし」というものだったんじゃないかと思います。

でも川井は、それをよしとしなかったのでしょう。
仮に「いじめられていた」という事実があったとしても、相手を殺してしまっては、殺した自分自身も「罪」を背負ってしまう、それは良くない、そう考えたと思います
だから、「いじめは無条件に悪だから、それへの復讐も無条件に認められる」という真柴のテーマをある意味ひっくり返して、「自分が犯した罪に対してそれぞれが罰を受け、反省する」という、川井自身が好むストーリーに構成しなおされたのだ、と思います。


posted by sora at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする
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