さまざまなものに作者がひそかに意味を持たせているこの作品で、なかなかその「意味」が分からなかったものの1つが、「硝子の誕生日の日付」でした。
第15話で、硝子のメールアドレスが「nichinichisou0607@mokomo.ne.jp」であることが明かされました。

第3巻20ページ、第15話。
この時点で、「この6月7日というのは硝子の誕生日ではないのか?」という議論がありましたが、結局物語内の6月7日にはなにも起こらず(永束君がお茶飲んでただけ)、肩透かしをくらっていたところ、ようやく第42話で、やっぱり硝子の誕生日は6月7日だったことが明かされました。

第5巻176ページ、第42話。
つまり6月7日は、なにかイベントを発生させるために設定された日付ではなかったわけです。それでは、なぜ硝子の誕生日は6月7日だったのでしょうか?
これについて、もっとも可能性の高そうな答えは、
6×7=42で「死に」という運命を示唆するため。
というものです。
最大の根拠は、硝子の誕生日が明かされたのが、他ならない「第42話」だった、ということです。
これはかなり強固な根拠だと思います。
そして、第42話はいうまでもなく、硝子が身を投げた「死に」回だったわけですから、硝子の6月7日の誕生日は、ある意味、硝子にかけられた「死の呪い」のようなものとして「裏設定」されている、と考えるのがもっとも自然なんじゃないかと思います。
ついでにいうと、第43話は「度胸試し」回として、第1話のエピソード(第42回度胸試し)からの厳密な数字つながりを構成しています。
当然、その1話前の「第42話」についても、構成はかっちり固められていたはずで(第43話で「度胸試し」をするためには、第42話で飛び降りなければならない)、あらかじめ第42話で誕生日を明かすつもりで、誕生日の日付を設定するのは、作者としてまったく難しいことではなかったはずです。
ちなみに、かけ算して42になる組み合わせは、以下の4つあります。
6月7日
7月6日
3月14日
2月21日
このなかで、なぜ6月7日が選ばれたのかは謎ですが、2月や3月だと「早生まれ」となり、第42話の将也の「来年は一緒に」のせりふが言えなくなってしまうこと、結絃との学年差が絶対に3年になってしまうので結絃が中3で高校受験を控えている設定になってしまうことなどから避けられたのかな、と思います。
あともう1つは、第23話の「うきぃ」告白回が6月3日にあたるので、「もし将也が告白を受け止めていたら直後の誕生日を祝えたのに」という日程感になっているのかな、とも思っています。
ちなみに最後に、6月7日はかけ算すると42ですが、足し算すると13です。
以前エントリで考察した通り、この物語はキリスト教との関係もありそうに思えるので、最後の晩餐・イエスの処刑で不幸な日付とされる「13」とも関係させているのかな、とも思います。
「にしみや」を逆読みすると「やみ しに」となるので、暗くて不吉な名前を選んだんだろうなぁと漠然と考えてはいたのですが、誕生日にまでそんな意味を持たせていたということを知った瞬間、背筋がゾクッとしました。
生まれながらに闇を背負っているというキャラに改めて何とも言えない切ない思いが募ります。
コメントありがとうございます。
また、Kindle版の「なぞ解き・聲の形」のご購読ありがとうございます。
なるほど、名前の逆読みですか。
たしかに不吉な呼び名になりますね。
ただ、硝子の名前の「西宮」については、最初に大今先生が賞に応募したオリジナル版の時点で設定されていて、この時点では連載版のストーリーの構想はなかったでしょうから、これは偶然の可能性が高いのではないかと個人的には思いました。
逆に、連載になって初めて設定された要素(硝子の誕生日、マリア、ペドロ、etc.)については、連載のストーリーに関連する裏設定が隠されている可能性があると思っています。