2014年09月04日

第51話、将也登場シーンをどう考えるか?(2)

第51話の後半部分、将也の登場シーンについて考察するエントリの続きです。

まず最初のポイントとして、今回硝子が「見た」将也は、すべてあの再会の日、4月15日の「場面」として現れている、ということを押さえる必要があると思います。

硝子は、この「夢」を見る前に、カレンダーと時計を見ています。
カレンダーには、火曜日に星印がついていました。
時計は、今日が火曜日で、その火曜日がもうすぐ終わることを示していました。


第51話、13ページ。

そして、現れた将也のいた「場面」は、硝子に訪れた夢のような日々のきっかけとなった「最初の火曜日」の場面でした。
一方で、そこで語られた将也のメッセージは、将也が、今日の火曜日の終わりとともに死んで硝子のもとを去っていくことを示唆するものでした。

つまり、この将也登場シーンの「場面の設定」は、将也とともに過ごした楽しい日々の「最初の火曜日」と「最後の火曜日」を同時に表すための場面設定になっている、と考えることができるように思うのです。
いまの硝子にとって「火曜日」は特別な日ですが、それは「火曜日」自体が特別だったのではなく、そこに将也がいたからこそ、火曜日が特別な曜日になっていたのだ(だから、将也のいない火曜日は、実は「ただの火曜日」であり、将也のいなくなった火曜日は「失われた火曜日」になってしまう)ということに、硝子は改めて気づいたのではないかと思います。

次に、最初に将也が現れた場所が病院ではなく「初めて再会した福祉会館」であることをふまえると、このときに将也が言っている「見つけた 最後に挨拶してから しのーと思ってさ」には、ダブルミーニングがかけてあることになります。

1つは恐らく、

1)いま昏睡している将也が、リアルタイムに危篤状態に陥っていて、死の前に硝子の夢枕に立って語っている。

という意味で、もう1つは、

2)4月15日に再会したときに、実は将也が胸のうちに秘めていた自殺念慮が、この場面で硝子に伝えられた。

という意味です。

このシーンを素直に読むと、硝子の夢枕に立った将也が、いま危篤状態に陥っていてダイイングメッセージを届けにきた、つまり1)ということになると思うのですが、だとすると不自然なところがいくつかあります。

まず、将也は転落直前に、硝子にしっかり向き合って謝罪することや、硝子の自分に対する気持ちを聞くこと、そのうえで自身の硝子への恋心を打ち明けることなどを考えています。
それに対して、今回現れた将也は、謝りかたも結構テキトーで、お互いの気持ちを確認することなく、一方的に、万事OKだから俺は死ぬ的なことをいって硝子を振りきって去っていってしまいます

それにそもそも、いまわの危篤状態で挨拶にきているなら、場面が時間をさかのぼった再会シーンである必然性はないことになります。

そしてさらに、最後に「じゃーな」で小学生将也になってしまう、ということを、どうとらえればいいのでしょうか

このあたりを整合的に解決する「答え」が、いまのところ自分のなかで1つだけあります。
ちょっとベタでご紹介するのに多少勇気がいる(笑)のですが、次のエントリで、その「仮の答え」について書いてみたいと思います。
タグ:第51話
posted by sora at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする
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