当ブログでは、いわゆる発売日前の「フライングのネタバレ」に関する話題は扱いません。フライングのネタバレとなるコメントはご遠慮ください。ご協力よろしくお願いします。(発売日後のネタバレはOKです。)

おすすめエントリ(最初はこちらからどうぞ)

2014年08月01日

第47話で改めて考える、「ガムシロ組」とは何だったのか?

以前、「つながりマップ」のエントリを書いたときにも図示しましたが、将也・硝子をとりまく人間関係は、大きく「ガムシロ組」と「それ以外」に分かれています
ここで「ガムシロ組」というのは、第4巻第32話「ガムシロ」で、将也が祖母の死去で落ち込む結絃を励ますときに「仲間」として名前をあげたメンバーのことで、具体的には下記のメンバーになります。

・将也
・硝子
・結絃
・佐原
・永束


逆に、ここから外れる「橋メンバー」は、以下となります。

・植野
・真柴
・川井


この2つのグループの違いはなんなんだろう?ということを、少し考えていました。

もちろん、相対的に仲がいい・悪いということでもあるのですが、それはあくまで結果論であって、「つながりマップ」を見れば分かることです。

それより、今回、第46話、第47話で、次々と「ガムシロ組」が硝子を中心として結束していくのをみて、気づいたことがあるのです。

それは、

ガムシロ組のメンバーは全員、コミュニケーション上の障害を持っている硝子と、深いコミュニケーションができるスキルとレディネスを持っている。
そして、「非ガムシロ組」は、全員、そうではない。


ということです。

第46話で、永束がやたら筆談ノートをうまく使いこなすという「隠れた才能」を見せたこと、そして第47話で、佐原が硝子から「どうしたの?」「必要」という手話での会話を通じて、過去のトラウマを乗り越える糸口を見つける描写を読んで、

ああ、「ガムシロ組」というのは、つまり、会話の輪のなかに硝子が入っても、全員のコミュニケーション、意思の疎通に問題が起こらない人たちなんだな。

ということに気づいたわけです。

・将也:手話ができる
・結絃:手話ができる
・佐原:手話ができる
・永束:筆談ノートの達人

・植野:手話も筆談も大嫌い
・真柴:硝子との会話に興味なし
・川井:硝子との会話に興味なし



第46話、5ページ。

そして、もう1つ興味深いことは、「ガムシロ組」はみな、硝子と物理的にはコミュニケーションに支障がないにも関わらず、誰もがトラウマを抱えていて、心理的にコミュニケーション不全に陥っていた、ということです。

その筆頭が、「諦めていた」「愛想笑い」の硝子だったわけです。

その硝子が「覚醒」し、コミュニケーションが取れるガムシロ組のメンバーと、積極的に話をするようになったことで、46話、47話でガムシロ組があっという間に結束を強め、「橋事件」以前よりもずっと前に進んだ関係を構築しつつあるのは、ある意味自然なことなのだと思います。

そしてやはり、インタビュー等で大今先生のいう「和解できる」「和解できない」の境界線は、おそらく基本的にはこの「ガムシロ組」か否かのところに引かれるのではないかと予想します。

そうなってくるとやはり、「和解できるか否か」のボーダーぎりぎりに立っているのは、植野、ということになりそうですね。
硝子とはコミュニケーションできない(したくない)という植野が、将也や、あるいは硝子と「和解」できるのか…これは、作者にとって「コミュニケーション」がどういうものとしてとらえられているのかをはっきり示すものになるのではないかと思います。
タグ:第47話
posted by sora at 07:11 | Comment(4) | TrackBack(0) | 第6巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>ガムシロ組のメンバーは全員、コミュニケーション上の障害を持っている硝子と、深いコミュニケーションができるスキルとレディネスを持っている

そして非ガムシロ組はその正反対、と。
なるほどこれは言われるまでまったく気づきませんでした。

つまるところ、これって「理解を絶した他者」に対して敬意や配慮、柔軟性を持てるかどうかということだと思うんです。
健聴者の硝子とのコミュニケ―ションは、表層的には「障害者という社会的弱者」とのものと思われがちですが、実は「まったく異文化圏の住人」相手のそれなのではないか、と。

「異文化圏の住人」相手のコミュニケーションは、言語的、文化的、あるいは歴史的な、日本人マジョリティの「理解を超えるもの」を乗り越えながらなされ、そしてそれは必ず「偏見とのたたかい」を伴います。
非ガムシロ組は、そのマジョリティ的常識への囚われや無関心などから、硝子への理解を放棄した人々といえるでしょう。

ガムシロ組は自分たちがいざ立場逆転し、ある社会のマイノリティとされる立場に立たされても(わかりやすいのは、海外移住とかですね)、そのコミュニケーションにおけるスキルとレディネスをもって困難を克服する潜在力を持っているのではないでしょうか。

…しかし、深読みしすぎな堅っ苦しいコメントですね(苦笑)。もし興を削ぐ発言だったとしたら、深くお詫び致します。
Posted by ブラウニング at 2014年08月01日 09:17
ガムシロ組が硝子とコミュニケーションを取れたのは、彼らに何かしらの能力があったからではないと思います。
石田とサハラは手話を習得していますが、それも元をただせば硝子のため。
手話が出来たから硝子との関係を構築できたという訳ではありません。

ではガムシロ組の共通点は何かというと、それは彼ら自身もマイノリティであるという点です。
石田にせよサハラにせよ永束にせよ、ガムシロ組は皆虐めるより虐められる側の人間。
彼らが硝子を「味方側」にとらえるのは極々自然なことです。

そうなるとやはり注目すべきは植野ですね。
二人がスカーレットとメラニーみたいになれたら、それは本当の意味での−からの関係の構築だと思います。
Posted by 白えんぴつ at 2014年08月01日 16:22
もしかしたら、植野は、ここまで内罰的であったように思われる硝子が真に拒絶をつきつけることになる対象として立ちはだかるのかもしれませんね。石田(つかみ合い)・結弦(神拳)とのやりとりを経て、硝子は徐々に怒りや否定の感情を表に出してみせるようになりました。
あるいはそれとも、当面コミュニケーションに応じそうもない植野に対して、「嫌い同士でも平和でいられる」ための交渉あるいは駆け引きに臨むのでしょうか。今後の展開が待たれます。
Posted by ジョー at 2014年08月01日 18:41
皆さん、コメントありがとうございます。

ブラウニングさん、

堅苦しい?コメント大歓迎です。
このブログでは抑え目にしていますが、私も、マイノリティへの視線という観点からこのまんがを読み解くのも本当はとても興味を持っています(自閉症療育ブログではそういうエントリも書いています)


白えんぴつさん、

これはにわとりと卵の関係のようにも思います。
将也は、いじめられる側に転落する前から、硝子を「異文化のひと」として興味を持ち、また手話という「異文化との交流技術」に興味を持っています。
また、「マイノリティだから別のマイノリティの気持ちが分かる」というのも、本当にそうかな?という気がしています。
真柴あたりは、まさにそういう「分かりそうな立場にいるのに分からない」というキャラとして描かれているようにも思います。

今後は植野がキーパーソンになる、というのは私も同感です。


ジョーさん、

おっしゃるとおり、植野はこれから、「拒絶」という形の「救い」を受けるのかもしれないな、と私も感じるところはあります。
植野は、相手を怒らせるようなことを言って、それで相手との距離をはかるといった行動傾向もみられます。
それに対して何の反応も(昔も今も)しなかったことがいらだたしくて仕方ないというのが植野の硝子評だと思うのです。

だから、硝子が植野にはっきりとした拒絶を示すことは、間違いなく植野にとっては「救い」となるはずです。
でも、同じことを将也からもやられたら、それは「救い」になるのだろうか。それは難しいところですね…。
Posted by sora at 2014年08月01日 21:17
コメントを書く
お名前: [必須入力]
※複数の名前の使い分け、なりすまし、名無し投稿等はご遠慮願います。

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]
※エントリの内容に沿ったご意見をお待ちしています。なお、批評の範疇を超えたキャラ叩き、断罪、作品叩き、中傷コメントなどは遠慮願います。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/402977975
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック