2014年07月16日

第45話、改めて最大のなぞ:硝子はどうやって立ち直ったのか?

さて、第45話で、硝子が小学校時代、筆談ノート池ポチャ事件のときに「死にたい」とまで絶望していたことが明らかになりました。

だとすると、ますます謎になってくることがあります。

こちらで考察したイベントカレンダーも参考にしつつ時系列を追うと、この「池ポチャ→死にたい」事件があったのが9月中旬。

そして、学級裁判で石田母が西宮母と示談して補聴器代を弁償したのが10月下旬。この間、約1か半です。
そして、この学級裁判→示談の日には、どうやら硝子はすでに一旦立ち直って、ある程度の明るさを取り戻していることが分かります。


第1巻135ページ、第3話。

そしてこれ以降は、なぜか机拭きをはじめとして、将也を助けるような行動を続けるわけです。

この1か月半の間に、いったい何があったのでしょうか? そして、硝子はどうやって「死にたい」という絶望から立ち直ったのでしょうか?

おそらくここには作者が意識して伏線が仕掛ていると考えています。

なぜなら、「筆談ノート池ポチャ」の第1巻116ページから、示談の日に将也が硝子とかちあう第1巻133ページまで、硝子は何度も登場するのですが、なんと一度も表情を見せていない!からです。
全部後ろからのカットになっていて、表情が見えないアングルが徹底して選択されています。

このうち、池ポチャの日には、硝子は絶望し死を意識した顔をしていたことが、結絃視点からの第45話で明かされました。
一方、「示談の日」には硝子は既に立ち直っていることが、上記のとおり将也視点からの第3話で既に明かされています。
そして、この間、1か月半もの期間について、硝子の表情はすべて隠されていて、いつ表情が変わったのかがまったく分からなくなっているわけです。
さらに、この期間、硝子の気持ちが明るいほうに変わるようなイベントが起こっているかといえばまったくそんなことはなく、将也が硝子の補聴器を繰り返し繰り返し壊し、硝子いじめを続けているだけです。当初の絶望的状況はむしろ悪化しており、硝子にとって気持ちが切り替えられるような状況にはまったくありません。

これはなかなかに大きな謎、伏線ですね。
この謎が明かされるとき、将也だけが「犯人」ではない、当時の硝子いじめの全容も少しは見えてくるのかもしれません。


ラベル:第03話 第45話
posted by sora at 14:51| Comment(10) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも楽しく拝読させていただいております。
私は、弁償の日、硝子がおばあさんが作ったとおぼしい「しょうこ」とアップリケのついた袋にパンを入れ、鳩にパンをちぎってあげていた描写に、おばあさんが硝子の心を癒すことに関わった可能性を考えています。
今はおばあさんがいないという対比も含めて。
Posted by 山田 at 2014年07月16日 16:15
山田さん、

コメントありがとうございます。

そうですね、あの「しょうこ」のかばんはインパクトがありますよね。(小6だと普通はあれはないですよね)
あれを作ったのはおばあちゃんでほぼ確定だと思いますし、もしかすると「ハトにえさをやることで自分が必要とされてることを感じられる」みたいなことも関係しているかもしれません。(高校では鯉のえさやりをやっていたこととも関連して)
Posted by sora at 2014年07月16日 22:23
ありがとうございます。
おばあさんが硝子の「死にたい」を直接知って居たのかどうかは詳らかではありませんが、おばあさんが、たとえば鳩への餌やり、草花の世話、といったように生き物を慈しむことを教えることで自分の存在の手応えを取り戻させたのかな、と考えました。
死を見せようとした結弦とは対照的に。
そういえば、硝子が熱心に行っていた早朝の教室の花当番もその延長線上にあり、そしてささやかながら人の役に立つことですね。
Posted by 山田 at 2014年07月16日 22:56
山田さん、

ありがとうございます。

ひらめきました。

たしかに、おばあちゃんを通じて、動植物と触れ合うことを教えてもらって立ち直った、という可能性が十分に考えられますね。

・示談のとき鳩にえさをあげていた
・早朝の花当番の描写は小学校編後半にしか出てこない
・手話サークルでも植物の本を読んでいた
・手話サークル後にすすんで鯉えさ当番をやっていた
・メールアドレスはニチニチソウ
・猫ポーチのお返しはガーデンピック

そしてポイントは、

・「死にたい」より前には、硝子が動植物にかかわっている描写がまったくない

ということですね。

そして、そう考えると、ちょっとベタですが「諦めたこと」についても、それが「ヒトと関わること」(代わりに動植物と関わることを選択)と考えることもできて、いろいろ抽象的なことを考えるより分かりやすい気もしてきました。


これはいちどエントリにまとめてみようと思います。
Posted by sora at 2014年07月17日 07:11
思いつきにおつきあいいただいて恐縮です^^

タイトルロゴにも草の意匠がありますが、ガーデニング好きや鯉や鳩への餌やりというモチーフに、単なる趣味嗜好ではなく、積極的な意味が有るのではないかと考えてみた次第です。

草花や小動物は、世話をするにあたり難聴であることが大きなハンデになることもなく、いじめたりなじったりもしませんし、じっくりと世話をしたなら、しただけの手応えがあります。
硝子と他の人々との関わりがどうであれ、裏切られることのない拠り所として草花や小動物の世話を土台におき、そのうえで出来る範囲で皆のよろこぶことを行ったり、困っている人を助けてあげるといい、といった方向付けをおばあさんは行い、それが硝子の心の回復につながったのかなと。

気長に、じっくりと、硝子に発音を教えていたおばあさんの姿は、そんなあり方を身をもって示しているように見えます。
また、巾着に付けられたアップリケの花が笑っている意匠には、この巾着を使って小さな生き物を喜ばせてあげてね、というおばあさんのメッセージが込められているのかな、とも思えます。

と考えますと、早朝の花係や机ふきは、その延長線上に有り、直接人と係わるのではないが人の役に立つという、なかなか絶妙な位置づけの行いになります。ひっくりかえっていた将也の教科書ノートを集めたり将也の傷を拭いてあげたのも、基本的には将也だからというよりは、そのような心がけの表れなのかと。もちろんそれは慈母のような心ではなく自己確認のために相応のエネルギーを以て行っているので、将也がヒキョーだとなじったさい「こんなことでも頑張ってやっている」と答えているように思えます。

ともあれ、ベストならずともベターな指針であったかとは思いますが、恋愛も含め他人と深く関わろうとする際には限界は生じてきますね。

長文、失礼いたしました。
Posted by 山田 at 2014年07月17日 12:00
山田さん、

コメントありがとうございます。

こうやって議論をしていくと、細かいところでだんだん分かっていくことがありますね。

もしかすると、小学校時代の硝子の考えていたことや「立ち直った経緯」なんかも、最後まで詳しく説明されることはなく、今回のように既に描写されている内容をパズルのように組み合わせて理解するものであって、今後出てくるのはむしろ「パズルのピース」に相当するものなのかもしれません。
Posted by sora at 2014年07月17日 18:09
このエントリーには驚きましたが、たしかに山田さんの説に従うと、うまく説明できますし、第2巻26ページの「必要とされるのが嬉しい」ともスムーズにつながりますね。

そうすると、今までにも何回かこのブログで取り上げられた第1巻163ページでの硝子のセリフ「ほりぇてもかんぱってう!」の意味も変わってきます。

うーん、このタイミングになって、初期のイベントにさらに新たな意味が加わるなんて。
これほど何十重にもしかけを施した漫画は初めてです。
うまく完結に持っていくことができれば、歴史に残る漫画として評価されるのは間違いないでしょうね。
Posted by ぽてと at 2014年07月17日 20:58
確かに言われてみますと、最大の謎かもしれません。

ここ最近の展開から、「死にたい」の時点で硝子は全てを諦めたようにすっかり思い込んでいたのですが、小学校時代には「ほりぇてもかんぱってう!」に至る展開があり、まだ諦めていない何かがあったのですよね。

だとすると、高校編での「自分のせいで将也が不幸になったこと」に対する自殺という選択は小学校時代とは対照的で、もしこれが伏線なのだとしたら、自殺の理由にさえまだ裏があるのかと思ってしまいます。

「ほりぇてもかんぱってう!」後に完全に諦めたため、今回は早々に自殺を選択したともとれますが、2人の関係が当時と異なることを考えれば「今度こそ!」と思うのが自然な気がしますし、山田さんの説が正しいとすれば、祖母の死が硝子にとってかなり大きかったということなのかもしれません。

この間の経緯はsoraさんの仰るように最後まで明確にされないのかもしれませんが、もしかしたら42話で予告(?)されていた「西宮硝子の話」が今後実際にあり、その中で語られるのかも・・・という気もしてきました。
Posted by sin at 2014年07月18日 07:47
sinさん、

コメントありがとうございます。

別エントリのコメントであったかと思いますが、おそらく最終話のサブタイトルは「西宮硝子」だと思います。(第1話との対比で)

小学校の時に自殺決行にいたらず、高校では結構してしまったのは、小学校のが「自分が不幸になる事件」だったのに対して、高校のは「大切な人が不幸になる事件」だったからだと思っています。
Posted by sora at 2014年07月18日 20:29
こちらのコメント欄でやりとりさせていただいた内容で、エントリを1つ書こうと思います。

みなさんのご意見が大きなヒントになりました。ありがとうございます。
Posted by sora at 2014年07月20日 18:21
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