・コメントで雑談するためのエントリです。
・聲の形に関する話題について、テーマフリーでご自由に使っていただいてかまいません。
・議論の途中で別の話題について語るのも自由です。
・このエントリに限り、作品・登場人物・作者等に対するネガティブコメントもOKです。ただし、もちろん他人の中傷や他のエントリでの議論をあげつらう等のマナー違反行為はご遠慮ください。あまりに議論が荒れた場合にはエントリを閉じる場合もあります。
・他の掲示板等の話題はご遠慮ください。ただしTwitterやソーシャルネットの話題はOKです。
・いわゆるフライングのネタバレについては、このエントリでも禁止とします。
・このエントリで興味深い議論が出てきた場合には個別エントリを立てることがあります。またそうでなくても本エントリの内容と個別エントリの内容がかぶる可能性があることをご了承ください。
・たまには下記Amazon・楽天へのリンクを活用いただけると励みになります。
よろしくお願いします。
こういう形がうまく機能するかどうか、やってみないと分からないのですが、「個々のエントリでの、テーマを絞った深い議論」と、「この雑談エントリでの、フリーテーマでの制約の緩い自由な議論」とで、うまく切り分けられたら、と思って立ててみました。
上にも書いているとおり、いわゆる批評という意味でのネガティブコメントもこちらのエントリ限定で解禁してみます。
(個人への誹謗中傷などはもちろんご遠慮ください。)
しかし承認制となると、管理人さんの負担がかなり増しそうで、心配といえば心配です。
また議論に参加する側としても、このスペースが掲示板やアフィブログのたぐいではないことをよく自覚のうえで、意見を書き込むことが求められるべきでしょうね。
まあ、これ以上あれこれ書くと「自治厨」みたいですから控えましょう(笑)。
なんにせよ、ここが意義ある議論の行われる場となってくれることを願います。
コメントありがとうございます。
コメントの「承認」自体は、ボタン1つでまとめてできるので特に負担にはなりません。
(むしろ、一度公開状態になっているコメントを個別に選んで消すほうが面倒です。)
まあ、ぶっちゃけこのブログの運営は、負担ということでいうと「今までに書いたブログとは比較にならないくらい重い(主に書く原稿のボリューム面で)」のは事実です(笑)。
アフィリエイトについては、まあブログを書くうえでの最低限のインセンティブのつもりで貼ってはいるのですが、そういう意味ではこのブログのパフォーマンスはほとんど最低です。
(まあ、聲の形の読者が細かいディテールを議論するブログなので、既にコミックは持ってる人しか来訪しませんから…(笑))
私も本来はあまり制約をかけないでやりたいタイプなんですが、今回はブログの方向性が「なぞ解き」なので、エントリのコメント欄にはある程度制約をかけていかないと後で見た場合の読解性に問題が出そうだと思っていました。
もし、雑談エントリが活性化するようなら、ジャンルを少し細分化してより使いやすくするなどの工夫もできるかな、と思っています。
いずれにせよ少し運用してみて様子を見たいと思っています。
さて、今までこのブログで語られたことのない中で(もし、エントリーを用意されていたのでしたら、ご容赦ください)こんな話題はいかがでしょうか?
『硝子の特技は何か?』
聴覚障害者なので、「西宮神拳」と揶揄されるほどの高速手話の使い手であるのは、当然のこととして、読んでみると、意外と手先が器用、特にヘアメイクなどがうまいのではないのでしょうか?
当初の頃はヘアスタイルのバリエーションがなかったのですが、第23話ではポニーテールを決め、第30話し『支え』・第31話『手紙』での祖母の葬儀の時は未亡人のようなアップ、第41話『花火』でもアップの別バージョンを決めています。
何よりも、第36話『欲しかったもの』では、巻貝みたいなイメージ画を見て佐原と植野が「この髪型、結絃ちゃん、出来るのかな」と会話しているそばから、結絃の髪型をそれっぽく纏めてみせていますよね。
この時は、普段は口の悪い植野も素直に「ふーん、うまいわね」と褒めているのですから、相当なものなのでしょう。
素直に考えれば、専門学校へ進んで資格を取って石田母の店を継ぐ伏線なのですが、大今先生のことですから、すんなりとそう行くかどうか?
硝子は料理もうまいですよ。
あの母親の誕生日のときも、いちごをつまみ食いする結絃、部屋のにおいをかいで喜んでいる変態将也を尻目に、電動の器具も使わずに淡々とあのバカでかい誕生日ケーキを作ってしまいました(笑)。
ヘアメイクの才能もあるし、料理の才能もあるし、手先が器用なんでしょうね。もしかすると、聴覚に障害があることで、それ以外の感覚がそれを補うために研ぎ澄まされているということもあるかもしれません。
連載になって、大今先生が将也の自宅を理髪店に設定したことにも絶対に意味があるとふんでいますので、硝子の将来はヘアメイクイシダ、というのは十分考えられると思うのですが…
それだとハッピーエンドすぎて「打ち切りみたいなエンディング」にならないのかも(笑)。
もしかしたら、将也が部屋の匂いを嗅ぎ終わった後、硝子にクリームやスポンジのホイップという力作業を手伝わされたりしていて。
その手伝いをしてもらうことが硝子の将也を呼んだ目的の一つだったら笑ってしまいます。
理容師さんですか…不勉強にして知らないのですが、実際のところ、聾者の理容師さんっていらっしゃるのでしょうか。
http://ribiyo-news.jp/?p=938
もちろん欠格事項にはあたらないので、免許をお持ちの方はいらっしゃるはずです。
ところで佐原について前から思っていたことがありまして
佐原が硝子に再会できたのは石田のおかげじゃないですか
つまり石田に会うまで佐原は「自分から」硝子には会いにいかなかったということです。
ではもし石田がいなかったら佐原は自分から硝子に会いに行ったでしょうか?
これを考えるにあたって作中で石田が佐原に向かって放った言葉が大きなヒントというかほぼ答えになると思うんですが、
石田の言ったように佐原はたしかに「逃げている」と私も思います。
佐原は硝子に会いたいと思っていたにも関わらず、硝子との再会のきっかけは石田の行動です。
佐原が自分から動いたわけではありません
受け身なわけです。つまり佐原は「逃げの姿勢」だったと言えます
よって結論を述べますと、佐原は自分から硝子に会いに行くことはできなかったと私は考えます
このことは作中で今のところ(はっきりと)言及されていません
(もしかしたら石田は佐原が硝子に会いに行かなかったことも「逃げ」の意味に含ませていたかもしれませんが)
私は佐原が硝子に会いに行かなかったということについて、大きな問題だと考えています。続く
残念ながら公式サイトのようなものはありませんでしたが、ろう理容師大会も行われているほどですから、ご活躍の方は相当数いらっしゃると思われます。
不見識で申し訳ないです。
ところで将也自身は、仕事についてどう考えているのでしょうか。継ごうとか思っているかまでは描かれていないので、何とも判断の仕様がありません。
余談ですが、私の弟夫婦は理容師です。私も弟も理容師の子どもではありませんが、義妹は両親とも理容師です。
昔から視覚障害者の職業にマッサージ業関連があったのと同様に聴覚障害者の場合はかなり以前から理容業もありました。
このブログの5月22日付のエントリー『硝子は転校後どんな学校に通った?』で硝子は岐阜聾学校に転校したのではないかと考察されていますが、その岐阜聾学校には昭和29年から理容科が設置されています。
http://school.gifu-net.ed.jp/gifurou-s/gaiyou/gaiyou.html
実際に夫婦で経営していているケースも多いです。例えば、奥さんが健聴者で、お客様からリクエストを聞いて、その内容を手話で(聴覚障害者の)夫に伝え、夫が実際のカットを行うというやりかたでうまくやっています。
少ないながらも夫婦とも聴覚障害者の理容店もあります。例えばここです。
http://ameblo.jp/barbic/entry-11464191867.html
googleで検索してみれば他にも色々と見つかると思います。
ご参考になりましたでしょうか?
はじめまして。まだ続きがあるようですが、ひとまず判断材料となりそうな要素について言及しておきましょう。もし「先回り」のような指摘になったらお詫び致します。
>佐原は自分から硝子に会いに行くことはできなかった
これは言われてみれば、確かにそうかもしれません。
コミックス2巻17話で、佐原+硝子再会後のカラオケパーティーの夜、帰宅した石田に佐原が画像を送ります。
その画像は佐原+硝子ツーショットのプリクラで、添えられたひとことが
「私達を会わせてくれてありがとう」。
最初読んだときは、単純に石田への感謝を伝える心温まるエピソードのように思えましたが、その後の展開とマスクさんの指摘とを併せて考えると、佐原はどうも「硝子をなにがなんでも探し出して、自分の言えなかった気持ちを伝えよう」という意志に欠けていたらしいことが、この石田の行動による「タナボタ」を無邪気に受け身の立場から喜んでいるような言葉からうかがえますね。
これは佐原の罪、とまではいきませんが
作中で(佐原自身が)言及ないし解決すべきことかと思います
硝子にも同じことがいえます
もし石田がいなかったら
たとえ会いたいと思っていても佐原に会いに行くことはなかったでしょう
会いに行けなかった理由は、自殺しようとした理由と同じでしょう
また私は硝子の自殺願望(のようなもの)について、
石田との再会前にも持っていたと考えています
つまり石田は(私の考えでは)その開き直った行動力によって硝子の自殺を封じ込め且つ佐原との再会を思い起こさせることができたと言えます
まあ橋での事件で、佐原にとっても硝子にとっても石田の言動が逆効果になってしまったようですが……
でも今週、佐原はヒールが折れても怯みもしませんでした
いけるぞっ!!がんばれ佐原!!まだいけるっ!!
そして石田はよ起きろっ!!
この数週間の怒涛の展開を踏まえたうえで、この佐原からのメールを読み直すと改めて色々と考えさせられるものがありますね。
実は、このメールの少し前、単行本でいうと第3巻の58ページ~59ページにかけて、将也と佐原が硝子を見送るシーンで将也が「気をつけて帰れよ」と手話をしているのを見て、佐原が驚きの表情を浮かべています。
ここで、佐原は2つの意味で驚いたのだと思っています。
1つ目は、将也が手話を使えるということと、硝子がそれを自然に受け止めていたこと。
このシーンの前まで、佐原の目の前で将也が手話を使うシーンがなかったことと、36ページ~37ページの将也と佐原との会話で将也の「今も仲がいいってほどじゃないけど…最近よく会うから」言葉どころでなく、将也と硝子が手話で会話するのが当たり前というところまで仲が進んでいることにも気づいたのでしょう。
2つ目は手話の内容が「気をつけて帰れよ」だったこと。
小学時代、クラスメートだった佐原は、当時の将也が手のつけられないガキ大将だったことをよく知っています。なので、将也の「気をつけて帰れよ」という手話に、50ページでのカラオケに入るシーンでの「西宮にはここは楽しめないだろ!」という言葉もオーバーラップして「いつのまに、こんなに気配りできるようになったんだろう」と驚きを感じたのでしょう。
さらにその後の将也からの硝子いじめの告白は衝撃的なものだったのでしょうが、同時に将也がその贖罪のために硝子に尽くそうという気持ちも感じとって感銘もうけたのでしょう。
こうしてみると、もしかしたら、この時点で佐原の心の隅のどこかで「将也が変わったんだから私も変わらくては」という気持ちが芽生え始めていたのかもしれないですね。
自分だけでは気付かないような点ばかりで更新を今か今かと楽しみにしています。
今回このようなエントリがあるなかで、提起したいと思った主題がひとつあります。流れをぶった切るような形で申し訳ないです。
それは、「硝子は果たして甘えているのか」という問いです。
色々なところで、硝子は甘えている、もっと自分で何かができるはずだ、という論調をよく見ます。
しかし、作中の描写のみであっても硝子は小学校時代によく頑張ってますし、それでも伝わらなかった時に諦めてしまった表現があります。以降は生きながらにして死んでるような生活が続き、ヤーショーとの再会でその生の灯火に火が点いてしまったがために精神的に不安定になってしまい、結果的に身を投げるという経過はよく示されていると思います。
これらの経過を以て硝子が甘い、とするのはちょっと表面上をなぞってるように、個人的には感じられてしまいます。
皆さんはどう感じているでしょうか。
忌憚ないご意見を聞かせてもらえれば幸いです。
さっそくこのエントリでしかできない議論ですね(^^)。
この論点については、まず「何を指して『甘えかそうでないか』を考えるのか」をそれぞれ明確にして意見を述べるべきだと思います。
私がざっと思いつくのは、
1)小学校時代、クラスメートや先生に特別な配慮をしてもらって当然のように振舞っていたのは甘えだ。勉強についていけないなら自分から特別支援学校への転校を希望するなどの手もあったのに、それもやっていない。
2)高校編で、橋メンバーの友情が壊れたくらいで、家族や友人がどう思うかも考えず、安易に自殺なんていう選択をしたのは甘えだ。
3)全体的に、硝子は自分から積極的に動こうとせず、結果的に家族や将也から助けられることで物事が解決するような展開になっている。硝子は(総合的に)甘えた性格だ。
4)自殺しようとした硝子があっさり許されたり、将也が頑張ることで待ってるだけで友人が増えたりするなど、作者は硝子に甘い。硝子はヒロイン特権で甘やかされている。
このように論点がいくつかあるので、どの論点についての意見かをはっきりさせたうえで議論をすると、生産的になるかと思います。
ちなみに私は個人的にはどれも甘えだとは思っていませんが、そのあたりは機会があれば書き込みます。
それは虐めに起因することであり、
辛さから「逃げたい」と思ったからでしょう。
ちょっと極端に言えば周囲や世界の否定で、
周りの世界を消せるならば、「逃げる」必要も無いわけです。
あの状況下で、そう思うことを「甘え」や「弱さ」と糾弾するのは
小学生に対して酷に過ぎます。
今回の自殺未遂は、周囲の否定ではなく自己否定からでしょう。
家族も石田の存在も大切で否定など出来ない。
けれど自分の存在がそれらの存在に不幸をもたらしてしまう。
ならば自分を消すしかない。
つまり「逃げ」ではなく「選択」だったわけで、
これも極端かもしれませんが、周りの人を守るためには、
寧ろ生き続けることのほうが「逃げ」に思えたのではないでしょうか。
42話のラストの西宮の表情を見れば、
本当は「死にたくない」と思っているように見えます。
ずっと家族や石田のそばにいたい、その方が西宮にとって幸せであるのは
西宮自身も判っているでしょう。
でも、周りと自分の幸せを天秤にかけた場合、
西宮にとっては、周りの幸せのほうが重かった。
本当は、周りと自分を天秤にかける必要などなく、
お互いの幸せを両立させられるはずで、
それに気付けなかったのは不幸なことではあり、
愚かな選択といえばそうなのですが、
それも西宮の境遇を思えば仕方の無い面もあるかと思います。
「甘え」ならば、他者が不幸になろうが自分が生きやすい道を選びます。
幼い頃からあの境遇を耐えてきた西宮が弱いはずはなく、
逆に「強い」からこそ間違った答に辿り着いてしまったようにも思えます。
もし西宮が、石田に対して我が儘言ったり甘えたりしたなら
単純に上手くいきそうな気もするんですが、
あの漫画でその展開は期待出来ないでしょうね。
佐原については、花火大会のときのメールで示されたとおり、この物語全体を通じて「弱かった自分を克服して成長する」ということが隠れテーマとして描かれているのかな、と思っています。
そのうち、「佐原にとっての成長とは」といった視点から、このあたりもエントリとして書かせていただくかもしれません。
44話で、硝子をかばった佐原は植野に突き飛ばされたはずみで愛用の靴のヒールが折れました。「似合わねーモンはいてるからだ」と植野はなじりますが、佐原は「慣れるためにはいてるの!」と決然と答えます。
別エントリでのコメント欄に、このやりとりについて「佐原はモデルになろうとしているのでは」と推測している方がいらっしゃいましたが、私はその見解にはあまり同意できません(すみません)。
モデルになるのなら、学生時代から事務所に所属してキャリアを積むことも可能であるし、現在彼女がコツコツ服飾デザインを学んでいる必要はないと思えるからです(国際的なショーモデルをめざすというのならまた違った道があるのかもしれませんが、こちらの場合どのような資質や経歴が必要なのか、正直よくわかりません)。
となると、佐原は何に「慣れる」ことを求めているのか?
これはなかなか難しい問いに思えます。今の時点でこれだ!という推論は私も出しかねています。
ただ、彼女はあれほど高いヒールをはかなくても十分なほどの長身の持ち主です(素足でも石田より少し低い程度と推測できるくらいに描写されています)。よく言われる「長身を目立たせることで自信を回復するため」なら、すでに自分の肉体ひとつで勝負できているはずです。
なのになおかつあれだけのヒールをはいて通学しているということは、一種毎日が「不安定さ」との戦いになってくるでしょう(満員電車にも乗りますし)。
あえて言うなら、この「不安定さ」との葛藤に佐原は何かを見出そうとしているのではないか、と私はこじつけています。そしてその葛藤を克服した時、おそらく彼女は「拘束具」としてのヒール靴を脱ぐのではないか――そういう気がしています。
いつも楽しくブログを拝読させていただいています。
これまでは、コメントをつけることがためらわれていたのですが、「雑談」エントリということなので、コメントしてみることにしてみました。
○聴覚障害の理容師について:
上でぽてとさんが書かれているように、聾学校には全国的に理容科があるところが多いです。
高校の課程を終えてから専攻科という形で学ぶ聾学校がわりと多いように思います。
「聲の形」の舞台からいうと、やはり岐阜聾学校が一番近いのでしょうね。
ただ、理容科に進んで、理容師になった後に順風満帆に続けられる人はわずかです。理容師という職業は、実はかなり社交性とコミュニケーション力が必要とされます。だから、お客とのコミュニケーションまたは同僚とのコミュニケーションがうまくいかずに離職する方も、残念ながらかなりの数いらっしゃるようです。
○佐原のヒールについて:
個人的には、ヒールは「背伸び」の暗喩だと思っています。
精神的にちょっと無理して背伸びしている感じですね。
かつて不登校だった佐原にとっては、同年代のクラスメイトたちと接することだけでも、「背伸び」が必要なことなんじゃないかと思います。
つまり、「慣れるため」というのは、そんなふうに背伸びした自分に慣れるため(普通に同世代と接することに慣れるため)のおまじないみたいなものだったのではないかなぁと思っています。
将也の手話に驚いているのは間違いないですが、それまでの無邪気な表情とはうってかわった微妙な表情をしてますよね。「やるじゃん、石田くん!」ではなく、「・・・え?」っという感じの。
今回読み返して思ったのですが、佐原はこの時カラオケボックスで将也が佐原に抱いたのと同じような気持ちー将也への嫉妬と自分の不甲斐なさーを感じたのではないでしょうか。
そう考えると、帰り際少し怒っているように見えたのも、メールの「硝子ちゃんが笑ってたから、私も笑うことにした」も、半分は硝子に会いに行くのを避けていた過去の弱かった自分に対するものだったかなと思えます。
ただ、手話の勉強を続けていた以上、硝子にはいずれ自分から会いにいったかも知れず、「将也がいなければ会いにいくことはなかった」というのはやや佐原に厳しすぎるような気も・・・。
個人的には、ここで話題に挙げられた佐原の「弱さ」や「逃げ」、それにヒールの件については、これから将也が佐原と向き合う過程で佐原の口から語られるような気がしています。
これは、私も考え直さなければならないかもしれません。
ともあれ、第44話で佐原が自分自身の弱さを克服しようとするフラグが立ったので、ヒールの理由も含めて、どのように明らかになるかを見守りたいと思います。
逃げ腰だからの中立と成長を示す中立と行動自体はおなじようなものだけど意味するものが違う、と。
作品の人気アップにも、非常に貢献されているのではないでしょうか??
何よりこれだけ議論させる、若干25歳の作者様の力量、ほんと凄いですね!!
いやしかし、
ここ数回に、やーしょー不在の44、45話、怒涛の展開ですねぇ~
この2話で、主人公の2人のコメント?は、過去の硝子の“死にたい”だけ?!
45話2コマ目の植野さん、
|口;))バトルマンガ並に、ほんとめっちゃ恐い!!
今回ママ宮さんがどう動くか気になっていた展開も、無言で「バシ」な右ビンタの応酬のみ!!
そんな殺伐とした展開の中、ゆじゅうの回想に一コマ出て来た、故人?!聖人?!のようなやーしょー!!
上半身だけのコマでシャツの右側のスソが書かれてなく美化されてて??
めっちゃ癒されました~
でも硝子が“死にたい”って言った日の、死にたいの原因全部ではないとしても、濡れて帰った原因はその聖人ですよね~?
天使のような雰囲気が売り?の硝子の覚醒?後はどうゆう動きになっちゃうの??
まだまだ続きの展開が気になります!!
こんな書き込みさせて頂いてもアリでしょうか??
それと、石田の通う、東地高校の制服は女子も同じ臙脂色??
制服としては、結構珍しいカラーじゃないですかね??
石田の実家が美容室、幼少時の硝子の髪型や硝子にヘアメイクの才能あり、ゆじゅうのショートカットのエピソードと髪がひとつのキーワードじゃないかなと思います
はじめまして。
いつも非常に興味深く読ませて頂いています。
フリーエントリということで、少し前に気づいて
嬉しくなった小ネタを一つ。
3巻で永束くんが取り違えた猫ポーチですが、
もし取り違えなかったら、「ずっと好きでした」メモは
誰から誰に渡っていたでしょうか(受け取るのは硝子ですよね)。
そうなると、今の展開とは全然別の方向に進んでいた気がします。
そうですね、あそこで取り替えなければ、将也が中身に気づいていたら将也×植野のかけあいが、気づかずに渡していたら…どうなっていたでしょうか。
すぐに硝子が将也にリアクションしていなければ、21話と同じ修羅場が、かなり違うニュアンスで繰り広げられていたことになりますね。(笑)
あるいは、さっさと硝子が将也にOKを出して、逆に将也がきょとんとする展開とか。
いろいろイメージが膨らみますし、これこそまさにスピンオフでSSが書けそうです。
川井さんのあの一言がここにきて再び意味を持って響いてくるとは自分では思ってもみなかっただけに、聲の形という漫画の全体にわたって“髪”に関することがちょくちょく触れられていることに改めて気付いた思いです。将也の「ハゲ」、番外編1、映画製作でのヘアメイク、そしておっしゃるとおり結絃の断髪と、枚挙にいとまがありませんね。
このことがこの先の展開にも反映されるのか、もし反映されるとしたらどのようになるのか楽しみです。
いつも解説を読ませて頂いています。
私も髪について
すこし気になった小ネタがあったので
書き込みしようと思いました。
45話の1コマ目
上野が左手に持っている草みたいなものは
硝子の髪の毛だと思うのですが、どうでしょう。
もし気づいていたら、申し訳ありません(汗)
これからもブログ更新楽しみにしています(´`*)
本当ですね!
これは気づきませんでした。とても面白いネタです。
せっかくですので、明日アップする予定の「第45話コネタ集」のエントリの1つのネタとしてとりあげたいと思います。
情報ありがとうございました!
毎度的確な深読みをされていて、非常に興味深く拝見しております^^
シノドスの大今先生のインタビューを読んだのですが、一番引っかかったのが「何も解決しない物語が好き」「和解だけが救いの形じゃない」っていうことですよね。
このインタビューを踏まえたうえで45話の硝子の”何かを決意した横顔”を見ると、将也との別れを想像してしまって、なんだかとても切ない気持ちになってしまいます。
ここまできて分かりあえつつある関係を最後の最後でブチ壊すっていう展開はあり得ないでしょうけど・・・。
大団円でなくてもいいから、せめて将也と硝子の2人がきちんと救われるのであれば、それでいいと私は望んでます^^
いつも楽しく拝見させていただいてます!!
ゆづるが硝子さんにどうやれば自殺を防げたのか葛藤して自問自答していますが…
伏線やメタファーは全く関係ないのですが笑笑
僕はスキンシップが必要だったのではないのかなと感じました
硝子さんが気持ちが高ぶったときにスキンシップで感情をあらわしていたのが印象に残ってます(石田の手を握ったり、ゆづるを抱きしめたり)
硝子さんの肌に触れることであなたが必要だと言うことは伝えられなかったのでしょうか?
西宮家の崩壊は見ててとても悲しいです。ここが一番の悲しみの底だと信じて力強く再生してほしいです!
長文失礼しました!
いつもお越しくださってありがとうございます!
将也は硝子へのスキンシップを1度やっていますよ。
(第34話6ページ)
その結果がどうだったかと言えば…
まだ将也には、硝子に対してそこまで踏み込む準備ができていなかったということなんだと思います。
今回の転落で、ようやく将也も「覚醒」し、硝子もまた前に向かって進む決意をしたようですから、逆に今度こそ、スキンシップも深めていけるんじゃないかと期待しています。
死の決意を隠した作り笑い
飛び降り時の涙
転落する将也を追う悲壮な目
植野に責められる時の暗く絶望に満ちた目
死にたい
強化硝子!!
普通の18歳の女の子の顔がみたい・・・
>強化硝子!!
お茶噴きそうでした。
「強化ガラス!!」…強そうだ(笑)。
しかしご要望には激しく同意致します。
46話では、硝子のケガの手当状況がこれまでで最もよく観察できました。やはり右腕は吊っていましたね。かなり厳重?に固定されていることがよく分かります。上に羽織っている黒い服はカーディガンのように見受けられました。
ところで、医療関係にくわしいコメンターの方にお伺いしたいのですが、現在のところ硝子のケガは「脱臼であろう」と本ブログでは推定されています。
ああいう特殊状況での肩(ヒジも?)の負傷ですから判断は難しいかと思われますが、大まかな推定として完治までにはどれくらいかかるものなのか、ご教示いただければ幸いです。
古い考えかもしれませんが、鉢植えは「根付く」=「寝付く」で見舞い品としては良いものではなかったはずです。
そこまで硝子が無知とは思えないんですけど…大今先生が意図的に鉢植えを選んだのだとしたら、石田は終盤ギリギリまで目覚めない可能性が高くなりますよね。
あれは鉢植えじゃなくてフラワーアレンジメントではないかと私は思っています。
すると、1周年記念ということで、表紙・巻頭カラーになる可能性があるんじゃないでしょうか?
ちょっと楽しみです。
カラーページ+増ページを期待したいところですね。
ただ、個人的には、2週間あくとエントリのネタが…(笑)。
その間、どうやってブログをつなごうか今から考えておかないと。
ご飯にかけて食べられている料理って麻婆豆腐なんじゃないんでしょうか
カレーよりは可能性あるかと、自信はありませんが…
でも魚をどっさり入れているんですよねえ…
だからカレーとも言い切れないし、何ができたのかさっぱり分からないです(笑)。
何度かツイッターではお話させていただきましたが、こちらにコメントするのは初めてになります。
「誕生」「誕生日」などでブログ内検索をかけても「誕生石」に関する話題は見つからなかったので、ちょっとこれについてコメントさせていただきます(コネタではありますが)。
寺尾聰の「ルビーの指環」の歌い出しは「くもり硝子の…」ですが、これを「くもりしょうこの…」とつい読んでしまったことがきっかけで、なんとなく誕生石について調べたら、硝子の誕生石(6月の誕生石)の中に「ムーンストーン(月長石)」がありました。石言葉は「恋の予感」「純粋な恋」だそうです。
月長石に関しては、他にも、どことなく『聲の形』を匂わせることが書かれていましたし、他の6月の誕生石(パールとアレキサンドライト)も同様の印象を持ちました。
もしかすると、ある程度、裏設定的に関連しているのかなあと…
ツイッターではいつもお世話になってます!
誕生石については、私も軽く調べてみたおぼえがありますが、あまり直接つながりそうなところはないなあ、と思って、そのままエントリ等にはしなかったように記憶しています。
誕生石も1つのヒントですが、大きな謎として「なぜ硝子の誕生日は6月7日に設定されているのか?」というのが、まだ分かっていません。
なにか意味がありそうなんですが、まだ見つからないんですよね…。
6月7日という日付に何か「裏設定」がある、というのは、きっと間違いないと思うのですが…。
「6月7日」……気になりますね。特に1996年の6月7日について重点的に調べてはみたのですが、どうにも関係ありそうなものは見つけられず…。
まあ、単純に「6」と「7」を足したりかけたりしてみると「13」と「42」という不吉な数字が出るわけで、私なんかはこの時点で「大今先生は硝子を幸せにする気はないのだろうか」という不安に駆られ、それ以上調べる勇気を大幅に削り取られているのですがね…。
あ…それ、答えですきっと。
「6+7=13」「6×7=42」だったんですね。
硝子の誕生日があかされたのは、「第42話」でした。
そしてあの回は、いうまでもなく「死に」回でした。
さらにいうと、(こちらはオカルト色が強まりますが)先日のこのエントリ
http://koenokatachi.seesaa.net/article/400868849.html
で書いたとおり、この「第42回」(~第43回)は、イエスの「最後の晩餐」になぞらえている可能性があり、そちらは俗に言う「13日」の金曜日です。
まあ後半は違うかもしれませんが、前半の「6×7=42」を第42話で明かした、というところは確実に大今先生が狙っていたことだと思われます。
(第43話の「度胸試し」がピンポイントで狙っていたわけですから、第42話も当初構想からずれていないと考えられるので)
これはいいネタですね。独立させてエントリ書きたいと思います。
ありがとうございます!
うう……やっぱり、これが答えなんですかね(苦笑)。なんだか、神(作者)によってあらかじめ不幸を約束されているようで(まあ、先にしっかり構成をしているわけなので当たり前ではあるのですが)ますます硝子がかわいそうで…。とりあえず、救世主・将也の復活を信じます(余談ですが、植野の誕生日も気になります。もし7月7日だったりしたら、わかりやすい伏線になっていそうですが、「硝子の幸せを願う会」の会員としてはちょっと……)。
ちなみに、調べてみると、2014年の6月13日が、ちょうど「13日の金曜日」ですね。『聲の形』の世界では、この日に何か特別なことが起ったわけではなさそうですが(ただし、その直後に波乱の遊園地が…)。
なんとかできないかと、考えてみました。
やはり、将也は硝子の呪いを解く救世主と考えるのがよさそうです。
硝子の誕生日が呪いのキーになっているので、将也の誕生日がその呪いを解くキーになっているのでは、と考えました。
花火大会の時の会話では、将也の誕生日はまだ来ていない模様だったので、それを前提にすると例えば
・9月4日
→(6+7)ー(9+4)=13ー13=0 でチャラに。
(6×7)+(9×4)=42+36=78で「ラッキーセブン」+「末広がり」に。
・12月1日若しくは1月12日
→(6+7)ー(1+12)=13ー13=0 でチャラに。
(6×7)ー(1+12)=42ー13=29で「福」に。
うーん、無理っぽいかな?もっといい方法があればいいんですが。
実際、硝子はすでにある意味運命を将也に入れ替えられていますからね。
小ネタです。47話で佐原にモデルを依頼した4人組ですが、一番後の娘だけ顔が隠れてます。そして、16話で石田と西宮が佐原を探していた時の4人組と同じと思われますが、このときも同じ娘の顔が隠れています。敢えて隠す必要を感じませんが何か意図があるのですかね。そして、その子も左利きと言うのも気になります^^;。
また、別件ですが、もし宜しければ考察を教えて頂ければと思います。5話で石田が西宮に会いに行く時、「60とかになると思ってたけど・・・」の60は年齢の事ですかね。とすると「もう会わないといけないのか」と言うのは西宮ではなく神様と言う事なんですかね。何度読み返しても、腑に落ちないので未だに悶々としてます(汗)。
長文失礼しました。
47話と16話の後輩は同じ4人組ですね。
そして16話でラーメン食べてる子は47話も含めて、おっしゃるとおり顔が出ていません。
石田姉も顔が出ていませんが、これは大今先生の好みの演出というだけなのかな、と思ってます。
佐原後輩のうちの1人、というのは限りなくモブキャラに近いので、顔を出さないことに意味があるとは思えません…。
「60くらいになると思ってたけど」は、私もどういう意味かよく分からないです。
いちおう、
・硝子を見つける。
・170万かせいで親に返す。
の両方ができるのに60歳くらいになるまでかかると思っていた、ということなのかな、と解釈しています。(それができるまでは、何の希望もなくても生きているつもりだった、とか。)
「60くらいになると」について、もっと納得できそうな説明をお持ちの方がいれば、私もぜひお聞きしたいです!
と高齢になりますし色々と無理があるので
母の寝顔アップの流れからして母の年が「60とかになる~」じゃないかなって思ってますけど
ちょっと強引ですかね…
コメントありがとうございます。
ここは何が正しいか、正直なところさっぱり分からないですね。
こんなにはっきりと「60くらいに」と書いているわけですから、作者としては明確な意味があるのだと思いますが、どうしてもすっきりと読み解けないな、と感じます。
もしかすると単純に「硝子を見つけるのに何十年もかかるだろう」と思っていただけ、というオチなのかもしれませんが(^^;)
将也自身の割と重要なモノローグな筈なのに、断片的で意味が取りづらいですよね。
私も前後を何度か読み返して、出した解釈は大筋でsoraさんと同じものです。
5-7話では将也が、
1. 硝子と再会し、彼女に謝罪する(2巻P21など)
2. 母が弁償した170万を返済する(1巻P185など)
3. 1と2を済ませたら高い橋から飛び降りてさっさと自殺する(2巻P27)
の3つを行おうとしていた事が示されています。
「一生かけてでも硝子を見つけ、彼女への謝罪を済ませたらその日に人生を終わらせよう」と中学生の頃から考えていたのが、思いのほか早く見つかったという事で良いのではないでしょうか。
つまり、
……もう (西宮に)会わないと いけないのか
(見つかるのは)60(歳)とかに なると思ってた けど…
(今日で俺の人生も終わりか)
と読むのが自然だと思います。
自殺するつもりだった事が明示されるのが2巻になってからなのでボヤカしていますが、深読みせず、素直に読むのが適切なのだろうと。
参考:直前の流れ
- 1巻PP178-83の回想シーン(将也は中2)で、自分の行動力を知り(限定CD入手)、それでも届かないもののある人生に悲観し、死ぬ前に「やり残したことを片付け」る事を決意→「やり残したこと」は硝子への謝罪。恐らく母への賠償と自殺も決意
- 同P183の2コマ目で硝子が見つかった連絡を受けた事を起点に、再会=自殺決行の日でカレンダーを破り、その日に向けて170万返金の準備を始めた→行動のトリガーは硝子との再会
- 同P185の2コマ目で母に謝罪→いじめで親を困らせた事はもとより、予定している自殺を謝っている
元々誰に対してもいい顔をしておいしいところだけ頂いていく嫌な奴No.1を地で行く女でしたから、
化けの皮がはがれて溜飲が下りた人も少なくないのでしょうね。
一方で、ここで川井がクローズアップされたことは、川井を単なるサイコパス女として終わらせずに川井の問題を作品中の課題として扱うことを意味していて、最終的には川井にも何かしらの救済措置があるのだろうという気がします。
……PAワークスで岡田磨里な聲の形も見てみたかったのですが、時期的にもうないのだろうと思うと寂しい限り……
だって、実際には西宮家は引越しもせず、将也の家ともそんなに離れていないところにずっと住んでたわけですから、その気になればすぐ見つかったような気はします。
川井については、まさに「次回」、植野とのぶつかりの中でなにか(川井にとって)精神的に大きな衝撃になるようなやりとりがあるのかもしれませんね。
31話の手紙にてお茶を持ってきたママ宮と結絃がすれ違った時、結絃はどういう表情をしていたと思います?
怒ってる顔だと思ってたらその後にママ宮が石田に「仲良くしてくれてありがとう」って言われてあれ?怒ってる顔じゃないのかな?って思いましたけど・・・
泣いていたのかもしれませんね。
その場面、結絃の表情を西宮母はしっかり見ている描写がありますから、もし「単なる怒り」の表情をしていたとするなら、ちょっと西宮母のせりふが変わってくる感じがします。
このブログのいつぞやの記事に「石田母の作っていたご飯が昆布やら魚やら使っていたのにカレーになっている」とありましたが、多分完成品、カレーじゃなくて麻婆豆腐じゃないでしょうか…?具がネギに見えたので。
はい、その話題はこちらで扱っています。
http://koenokatachi.seesaa.net/article/395612364.html
麻婆豆腐説も出ていますね。
ここはなかなか難しいです。
5巻41話を読み返していて気付いたのですが、主要メンバーが皆それぞれ花火を見上げているシーンで、永束くんは手の下にケータイを持っていますね。
橋崩壊のときに「元気になったらメールくれよな」と言い残して去っているので、もしかしたらずっとケータイを肌身離さず持って将也からの連絡を待っていたのかもしれません…。
そう思うと、永束くんの優しさを感じられるようで、なんだか泣けてきます(涙)。
コメントありがとうございます。
それでいうと、永束のケータイに本当に連絡が入ったとき、相手は将也ではなく石田母で、内容は将也の大ケガだったわけで、電話がかかってきたときの永束の喜びと、内容をきいたときのショックを思うと切ないですね。
また、ケータイということでいうと佐原も近くに持ってます。
佐原もまた、将也に送った「成長の証明」のメールの返事をずっと待っていたのかな、と思います。
最近このサイトを見つけ、過去のエントリを遡って読んできて、ここにたどり着きまして、
「60くらいに~」のくだりの解釈、今の今まで全く気にしていなかったんですが、
皆さんのコメントや、管理人さんの過去のエントリを読んでると、何故まだ出ていないのか不思議なくらいの説なのですが、それってようは、
60話でようやく
本当の意味で、二人が出会う。ちゃんと向き合って互いのこえを聴き、本当のこえをとどけることができる。
みたいなことじゃダメなんですかね⁇
コメントありがとうございます。
たしかにそれはすごい新説です(^^)。
もしそれが実現したら、「第43話 度胸試し」に匹敵するくらいの大今先生のピンポイント攻撃です。
たしかに、これは連載で追加された部分ですし、第60話というとちょうど7巻ラストから3つ前の話で、クライマックスが来るにはちょうどいいタイミングではありますね。
ここのせりふを振り返ると、
「もう会わないといけないのか 60とかになると思ってたけど」
となっています。
もし本当に大今先生がここに「第60話」をかぶせてくるなら、
・7巻で何らかの理由で将也と硝子が会えない関係になる
・その間に、2人が「本当に心を通わせられる状態」に変化する
・そして第60話で、手話センター(このせりふで見上げてる場所)でふたたび再会。
・第「60」話で、ようやく本当の意味で「会う」ことができた、となってクライマックス。
・残り2話でエンディングへ。
となる感じでしょうか。
これ、なかなか興味深い仮説ですね。
ちょっとエントリ分けて書いてみようと思います。
残り話数とか、きちっと把握してなかったので、全く見当違いなこと言ってたらどうしようかと思ってました(^^;;
ユニークな仮説、ありがとうございました!
私も最近一気に最新号まで読んでしまったのですが、残り話数とかはあまり把握できていなかったので・・・皆さんの考察の鋭さはすごいな、と思います。これからも参考にさせていただきます。
個人的には最終回までに結絃の今後についての回があればいいなーって思ってます
ばーちゃんの言ってた「自分自身とは向き合おうとしない」状態から硝子の頑張っている姿を見て「俺も自分自身と向き合わなきゃ」ってなって学校に行き始める・・・
みたいな展開を期待してます
結絃の優しさと行動力に毎回元気をもらっていたので、どう自身の道を進んでいくのか・・・今後が楽しみです!
結絃ですが、そもそも最近全然登場していないところが気になりますね。
次号あたりで「橋で久しぶりに全員集合」という場面が出てくると思いますが、そこに結絃がくるか?というのが1つのポイントだと思います。
もし登場すれば、「橋メンバーと一緒に成長」という流れ、登場しなければ「何か別の新しい事を始めた(その後成長して再登場)」という流れかな、と思ってます。
読み返してて思ったのですが、最近、やたらに先生竹内が出て来ません?
それと、既にストックとしてあると思われますが、かつ、やや自己完結ぎみですが、
お姫様シンデレラは硝子の靴(のようなのを)履いて行く先はーーーやはり、王子様ではなく魔法使いのおばさんに会いに行くのでしょうか?
そしたら、助けてくれる魔法使いは誰何だろ…。。
竹内は、ここ最近の流れとしては、「映画」と「水門小学校」をつなぐキャラとして必要だから出てきたという印象です。
学校でのロケが終わったら消えそうな感じがしています。
また、今回のラストがシンデレラだ、というのはとても興味深いですね。
なぜなら、前回の植野回が「白雪姫」ないし「眠れる森の美女」だ、という話があったからです。
植野「白雪姫」vs硝子「シンデレラ」という構図を考えるとなかなか面白いものがあります。
講談社もコミックス以外にファンブック的なものをたくさん出されておりますが、聲の形も人気なので出ませんかねぇ~?
いつもsora様のこのサイトで、サラッと読むだけでは解からなかった謎を補完させて頂いておりますが、サイトを知らない方にはなかなか解からない点も多いのではないかと思いますし。
オマケはねんどろいどプチの西宮verと植野verとの二種類で、売上げ2倍!とか~
西宮硝子のねんどろいどとか、すごーくマッチしそうで、可愛い~のが出来そうに思うのですが~
ファンブック、欲しいですねえ。
「記録」ということでは、オリジナルの投稿作の読みきりをきれいな印刷で欲しい(もちろん新しいほうの読みきりも)のと、連載時のカラーページをカラーで残したいんですよねー。
あとは、設定とかインタビューで補完して欲しいです。
たぶん、デラックス事件の真相とか、もしかすると島田の中学でのいじめの真相とか、このまま「お察しください」で終わってしまいそうな予感がするので、ファンブックで補完して欲しいところです。
ねんどろいど、ファンブックのおまけでも単体売りでも買ってしまいそうですね。硝子、植野、結絃、佐原とか出たら全部買ってしまいそう。
全部書下ろしと叶ったら本編より分量が多いかもしれないけど。
男女の役割が逆転してアレンジされているのが面白いですね。眠ってしまった王子様こと将也に、目覚めないようキスをする植野。硝子は、王子様に見つけてもらうべく、魔法が解ける前に自分の靴で走り出す。硝子の願いに応える魔女は、フェアリー結絃でしょうか。どうなるかはわかりませんが、もしかして次回、久しぶりに視点を与えられるかもしれませんね。
これを考えているうちに、鏡に向かって「世界で一番かわいいのはだぁれ?」とやっている委員長が浮かんでしまいました(笑)
彼女は着々とギャグ要員になりつつあるような気がしています。
硝子は物語の中で聖性・異界性を付与されたオブジェクトであり、役割を終えると退場するのでは、という米欄での議論を見て、私は『風の又三郎』を思い浮かべました。実は、風の又三郎こと三郎の風貌が現在の硝子とよく似ているのです。
具体的には、初登場シーンでは1) だぶだぶのねずみ色の上着 2) 白い半ずぼん 3) 赤い皮の半靴 4)赤い髪、の少年であり、迷子の夢に現れるシーンではこれに加えて 5)ガラスのマント 6) ガラスの靴、をまとっています。さらに初登場シーンで「いっこう言葉の通じないよう」という比喩が出てきます。赤い靴以外はよく似ていますし、ガラスのマント・靴も硝子と通じます。
三郎は「風の又三郎」だと子供達にからかわれ、なにも言わずに転校して行きます。彼が本当に童謡に歌われた物の怪だったのかは作中では明かされず、むしろ単なる転勤の多い父を持つ子供とも考えられます。聲の形という作品自体「転校して行った不思議な友人と再会出来たらどうなるか?」というファンタジーではあるので、つながりはあるように思います。
もし作者が本当に硝子を又三郎になぞらえているのだとしたら、健常者側からのかなり残酷な見方をえぐり出しているのではないかと感じます。また、三郎の場合は彼が学校へ馴染むのを助けた、子供達の未知への不安や好奇心が、逆に迫害へと繋がってしまった状況を描いているのかもしれないとも思います。
自分は、西宮母が硝子と選び、県のコンクールに応募した結弦の写真が気になっています。鳥の死骸があった跡に様々な花や植物が芽吹いている美しい写真です。無残で目を背けたくなるような死のあとに、それを糧にして縁取るように芽生える新たな生命。
硝子や将也、そして無残に壊れてしまった全ての関係も、最後には写真に象徴されるような新しい関係の芽吹きとなるのでは。
私は宮澤賢治は割と好きなほうですが、細かい所は忘れてしまいました。また読んでみたいと思います。
結絃については、あのコンクール写真は確実に伏線回収されて、「結絃の将来の進路」を示すものになると予想しています。
それがいつごろ登場するかといえば…たぶん最後の最後なんじゃないかな、と思っていますが。
他にも黄色いバラやアサギリソウなど諸説ありますが、耳が聞こえない=コミュニケーションがとれないという障害を表してるという点で、作者が意味を込めたと考察できますね。
なんだか呪いのようですが、花言葉は「洗練」「優雅」「とても幸せ」「喜びを運ぶ」。恋の花なのです。ぜひ二人に幸せを運んでほしい。希望が感じられるダブルミーニング。
ちなみに硝子のメアドのニチニチソウの花言葉は、「楽しい思い出」「友情」「楽しい追憶」です。単純に花が好きでメアドにしているだけなのか、友情を育みたいという願いを込めているのか、なんだかいじらしい。。。
将也の誕生日と誕生花も気になります。物語上で語られていないので、秋~冬にかけてだと仮定すると、3月15日の誕生花「ワスレナグサ」じゃないかな…。
この花の名前の由来は、川に落ちた恋人(騎士)が関係しています。花言葉は「真実の愛」です。
でもこのエピソードだと、恋人は死んでしまうのです。となると、将也ってやっぱり死ぬのだろうか…?
そこから今回の文字の欠け具合から『硝子は左耳に補聴器をつけている』という説に発展していますが二巻の結弦に阻まれすごすご帰る将也を追いかけて髪をかきあげた硝子を見ると補聴器は右耳についているんです。この時点で既に水没から二週間が経過しています。
ですが三巻のうきぃ回でポニーテールにしている時には補聴器は左耳のみでした。
三巻での佐原に会いに行く為に駅に来た時には右耳の補聴器を調整しているような描写があるのですが三巻のその後植野に補聴器を奪われた時には既に左耳だけになっているようなんです。
一体いつ補聴器が片方になったのか読み返すと更にわからなくなりました。ヽ(・_・;)ノ
主さんはいつだと推測されますか?
ノートはまさに自ら硝子が「あきらめた」ものの象徴。
それをひろい、硝子に「忘れ物」と届けてくれた将也。あの出来事は本当に深い意味があったんだなって52話を読んで今まで以上に思いました。
私は、硝子は(少なくとも再会時に池に飛び込んで以降は)左耳だけに補聴器をしていて、右耳にしている描写は作者の作画ミス、と思っています。
最大の根拠は、植野との再会時に補聴器を奪うシーンですね。
あの場面は非常に重要なシーンで、大ゴマで、さらに「片方だけ?」というせりふまで言わせていますから、このシーンを「基準」に考えて問題ないと思っています。
このとき、植野は補聴器を右手に、つまり左耳から奪って持っていますから、硝子の補聴器は左だけ、と判断しています。
ノート池ポチャ事件で硝子がノートを落とす描写は、読みきりでは入っていたんですが連載では描かれずにこれまで進んできました(連載で将也視点に固定されたため、硝子視点で描かれていた読みきりのこのシーンはカットされていました)。
連載ではそのまま放置かな、と思っていたら、今回ようやく描写されました。
まさに、このノートは硝子が「あきらめた」ものの象徴。それを、「忘れ物」という「手話」で手渡してくれ、「(まずは最初に)俺と友達になろう」と伝えてきた将也への驚きは、本当に大きかったのでしょうね。
この作品は、こんな風に、後で描かれたことを知ってから前のシーンを読むとまったく違って見えるようなことがとても多く、本当に奥の深い(週刊連載とは思えない)作品だと思います。
でも二回も同じ作画ミスがあるっていうのも不思議な気がします。それも硝子が耳を出すっていう貴重なシーンで。
右耳の補聴器が登場するのは二回でどちらも補聴器の調整をしたのか?と読み取れる描写なので水没の後調整しながら着けていたけれど結局壊れてしまい佐原に会いに行った後外す事にした…って感じでしょうか?
どうなんでしょうねえ…
もしそうだとすると、
「小学校のときより西宮家は貧乏になっている」
という描写でもあることになりますが、どうなのでしょうか。
いずれにしても謎ですね。
手話言語法の制定を求める動きが全国各地で起きているそうです。
その記事の内容で、ろう学校での授業の様子が少しわかりました。
ろう学校は口の形を読み取る教育が基本で手話を導入する学校は少ないそうです。
これで、31話で喜多先生が言っていたこと、硝子に手話で会話しなかった意味が分かりました。
「転校先では苦労した」→口話での授業についていくこと
手話を使わなかった→ろう学校でも手話は使っていないから口話にした
みなさんはどう思いますか?
小学校時代は、水門小にきたあとだけで8個補聴器が壊されても買い続けていた(第二小でも捨てられていた)西宮家が、高校になったら1回(たぶん久しぶりに)壊れただけで買いなおしを断念する、というのが、西宮家って貧乏になったのかな?と考えた根拠です。
昔も今もあまり裕福でない、というなら、それはそれでわかるのですが…。
せらさん、
第31話の喜多先生の会話は、どの部分でしょう?
喜多先生の話は「硝子が転校した後も硝子の祖母には世話になった」という内容のように読めるのですが…
セリフカットや変更があれば誰かが指摘しているので、私の記憶違いだと思います。
すみませんでした。
一個頭21万2500円を八個ですもんねぇ。
小学校の間は夫からの離婚時の慰謝料等で賄っていたのかも知れないですね。もしくは硝子の進路の関係で進学資金を作るため片方が無事なら我慢しなさいって事かも知れないですね。
いえいえ、どこか読みおとしがあるのかもと思いましたが、そうでなかったようで安心しました。
ちなみに連載時の喜多先生のせりふも確認してみましたが、単行本と特に違いはありませんでした。
ぽこさん、
この「補聴器問題」は、ずいぶん何度も意図的に描かれているわりに、いまだにクリアに答えが出ていないので、今後ちゃんと「伏線回収」がされる可能性は残っていると思います。
(大今先生は、しっかり描いている伏線は割とかっちり回収するスタイルのようなので)
打ち切りみたいな終わりかたで硝子と将也が幸せになれる終わりってあるんでしょうか。
それでも二人が幸せになるには硝子は『他者へ対する呪いの意識』将也は『他者へ対する拒絶・硝子に対する贖罪の意識』を乗り越える必要があり残り一巻でそれを描き上げるというのは大今先生なら可能かもしれませんが…。
あんなに苦しんできた二人なので何が何でも幸せになってほしい!
と私は熱く語りたいのです。
佐原は誰かに幸せにしてもらうよりも、自分の力で幸せをつかむ道を選びそうな気がします。どっちかと言うと、むしろ王子様キャラなのではないでしょうか。だからこそ、女子校の後輩たちにあんなに慕われるのだと思います。
そういえば、3巻18話で初対面の佐原に話しかけられた時、結絃は柄にもなく恥ずかしがっていますね。実は結絃は背が小さいことを気にしていて、背の高い女性に憧れを持っていたりするのでしょうか?佐原は不登校を克服した経験も持っていますし、同じ芸術系の夢を追っていて、少しボーイッシュなところも似ていますね。佐原は結絃にとって、大切な目標になっていそうな気がします。
私は、「この状態で2人が付き合っていくのなら、間違いなく幸せになれるな」という関係に2人がなれて、でも交際はこれから、という終わり方だったら、個人的には十分満足できそうです。
ありがとうございます。
確かに結絃がキョドってます。(^^)
じゃあ、佐原さんは女子高の王子ですね。笑
冠をかぶった姿が目に浮かびます。笑笑
それと、皆さんに
今回の第53話は、7巻の最初の話なんですよね?
最後のページを見ると、今回が6巻のしめに思います…。
朝マガジン読んでびっくりしました。先日私が予想した通りになってました!
びっくりしました!
個人的には、「6巻の最後」にしてもらって、最終話を大増ページ!っていうのをやってほしいなあ、とは思います(これもエントリ書きます)。
ぽこさんの予想は、ほとんど完全に当たっていましたね(^^)。
私はさすがにチューブもカテーテルも全部抜いて脱走するとは思いませんでしたが、さすがメチャクチャなところだけ行動力のある将也は違いました(笑)
私自身フィギュアとかは一つも持っていないのですが、このマンガのキャラのものは出たら欲しいです~
アニメ化とかされないと無理ですかねぇ~??
現在販売されている製品を見てみたのですが、
個人的なお顔のイメージで~
硝子は艦これの赤城さんのイメージ、
ゆじゅうは進撃の巨人のミカサ、
川井は化物語の羽川翼、
植野はWORKING!!山田葵?
しゃはらさは…
個人的にイメージ近いのが見つかりませんでした(T-T)
持ち物に筆談ノートやガーデンピック、ヘアーカタログ、猫のポーチ、ゆじゅうはカメラに将也に貰ったスニーカーと色んな食べ物、植野は硝子からの手紙や猫、しゃはらさはパンプスとか~
硝子は西宮真拳の時の顔が欲しいなぁ~
将也のものがあれば、お金返しますの170万入り封筒とか、育毛剤ですかねぇ~
育毛剤て!(笑)
アニメ化されなくてもねんどろいど出てるのはありますけどねぇ。(東方など)同人活動してる人が何か作ってアップしてくださったらいいですけど。
ガーデンピックをクナイか何かのように持ち西宮神拳の時の表情をした硝子のねんどろいどなりフィギュアなりを作ったらバトルマンガみたいで面白そうですよ
植野の小物は猫耳やしっぽとかもありますねぇ~
硝子の目だし帽バージョンとかもいいなぁ~
小物については7巻の話で映画撮影が進むと、もっと色々出てきそう~
出るとすれば、やっぱり完結してからですかね~?
欲しい~☆
フィギュアorねんどろいど案ですけど「友達になれるかの手話」をしている将也と対になる感じでノートで顔を隠す硝子なんてどうですかね?
またねの笑顔の硝子は欲しいです~
ゆじゅうは西宮真拳を受けたときの顔、植野は極悪顔とか、う~ん欲しいです~
大正義しゃはらさんも、是非欲しい~
横向きに向かい合って置きたいですよね。
植野バイトバージョン(髪アップ)もいいかも知れないですね!私はあの植野好きです。
結弦は妖精の衣装バージョン出たらかっわいいでしょうね!
佐原さんはあえての水着で
植野のアップといいますと、硝子はポニーテールバージョンも欲しいですね~
将也は薄毛バージョンとか、停学の時の堤防?でのポカーンな顔とか、ギャグ要素が欲しいです~
服装はタグの出たTシャツに裾の出た制服、う~ん想像膨らみますわぁ~
なんか植野の硝子ボコリのシーンの下地ってこっからきてるんだろうかと思うと「聲の形」世界ではかなりやり過ぎだなって改めて思いましたね(汗)。
カジノ編が特に熱かった!
それにしてもこれだけ毛色が違う作品を描けるっていうのはすごいですよね。
第41話「みんな」で西宮姉妹のリアクションが似ていたことと第14話「西宮結絃」で男風呂に投げ込まれて悲鳴と頭からきのこ雲を出し、中指と薬指の間からちゃっかり見ているリアクションから硝子のリアクションも予測していたのですが・・・。
カテーテル下ネタどーなるのでしょうね?
マリア以外の、口には出さない人達との対比の意味があり、
また、登場人物達は忘れない、だからお前(読者)も忘れるな、ということを
ゆるい雰囲気の55話の中でも厳しく(?)伝えたかったからからなんじゃないか
と思いました
トランクス姿で降りていって西宮家来訪に気づいてびっくりしてTシャツを引っ張ってるシーン硝子は苦笑いだけですが結弦の視線はちゃっかり下向いてますね(笑)。
>マスクさん
マリアのリアクションですけど石田母が「入院の事は伝えたんだけどね」って言ってますけど石田母が冷静にマリアに伝えられたかどうかですよね。不安にかられて「もしかしたら死んじゃうかも」くらいな事を口に出してしまっていた可能性もあるかも知れないです。多分石田家でマリアが物心ついてから入院っていう状況に陥った人がおらずマリアにとっては入院=体がものすごく悪いっていうような印象なんじゃないかと。お見舞いにも行っていないみたいですしずっと近くにいた将也が2週間も帰って来なかったらこのまま死んじゃうんじゃないかと幼心に不安をふくらませていたんでしょう。それで実際帰ってきた将也を見て感情が爆発してしまった感じだと思います。
前話で罪の精算などはきれいに行われたと思うのでわざわざ刻み込み直す描写ではないような気が私はするのです。
その後のマリアと結弦のお寿司のネタや買い物時の品物で死んでる?生きてるってやり取りが微妙にツボにはまっています。
流れと違う質問ですみません。
皆さん、日々草の花言葉についてどう思われますか?
花言葉は「楽しい思い出」「友情」「楽しい追憶」なのですが、もしこれが聲の形のラストを暗示しているものだとすると、私が願っている石田と硝子の幸せなラストとは違う結末になってしまうのではないかと不安な気持ちがあります。
お互いの想いが成就するような展開になって欲しいと心から願ってますが、この花言葉をどう理解したらいいか悩んでいます。
この作品は恋愛ものではないというのはよく理解していますが、お互い惹かれているもの同士が寂しい結末を迎えてしまうのはあまりに悲しいので、どうか素敵な結末になってくれたらいいなあと思っているのですが・・・。
いまの硝子はある意味「それ以上のもの」を手に入れている気がしますが、だからといってそれが壊れることを暗示しているということはない…と信じたいところです(笑)。
日々草の花言葉が最終回をネガティブに暗示しているのではないか、という件ですが私はネガティブ暗示はなしと考えていいんじゃないかなと。
「楽しい追憶」っていうのが特に引っ掛かっておられるのでしょうか?
二人は別々の道へ歩き始めふと「あぁこんな事もあったな」くらいにしか思い出さないような感じのラストを予感されているのでしょうか?
案外ちょっと時が進んだ石田家で将也の回想シーンの後物思いにふける硝子を見つけどうしたの?って聞いて「昔の事を思い出していた」みたいになって「俺も同じ事考えてた」ってなって二人でにやにやしててこころなしか硝子のお腹がちょっとふっくらしてるようなラストかも知れないですよ(笑)
お世話になってます。ご返信本当にありがとうございます。
おっしゃる通り、硝子が小学校時代からずっと願ってた思いという風に解釈すればすうっと心に入ってくる気がしますね。
54話を見ていると、2人の関係はもう将来を誓い合った伴侶のようにしか見えないので(笑)、どうかこの2人に幸せなラストをお願いしますって気持ちで読んでます。
54話、55話と素敵な話が続きすぎてるので、逆に不安になってるのかもしれませんね、自分。
>ぽこさん
どうもこんにちは。コメント本当にありがとうございます。
そうですね。「楽しい追憶」と、あと「友情」って部分に引っ掛かってました。
今の石田と硝子の関係はどう見ても友情を超えてますし、「生きるのを手伝ってほしい」のセリフも、もう告白を超えて(意識的・無意識的に関わらず)プロポーズといっていいものだと思いますし。
それだけに日々草の花言葉とは噛み合わない所があるなあと思ってました。
ぽこさんが書かれたようなラストなら諸手を挙げて大喜びです(笑)
おふたりのコメントを読んで本当にほっとしました。
ありがとうございました!
その方が、活気あふれて良いと思うのですが。
当初は、一番上にくるようにしてたような気もしますが、←淡い記憶です。
はい、このエントリも当初は最上位においていたんですが、そうすると新着エントリがずいぶん下のほうにおいやられてしまうんですよね。(^^;)
なので、カレンダーエントリの文章のなかに、この「フリー雑談」エントリのリンクをおくことで対処しているつもりです。
もう少しルートがはっきりするように、少しリンクの貼り方を変えてみます。
ありがとうございます。来やすくなりました。
背表紙側には、各巻の内容が紹介されていますよね。
表紙側の文面は購入当時にはこの文面はどうか?と思うものが多い気がしていましたが、連載を追っている状態で、聲の形という話の内容を(示唆しながら?)紹介している文面なのかな?と勝手に理解しています。が、5巻の『少年と少女が少年と少女をやめる。』の部分がまだ良く分からないです。
残り少ない話数で、そういう表現が使われるのでしょうかね?
今後に期待。
私の私見を述べさせてもらってもいいですか?
その帯があったのは五巻だと思うのですが五巻の内容は橋崩壊事件からデートごっこを経て硝子が身を投げるという内容なのですが
硝子が身を投げるという行為は「今の自分を捨てる」という行為となり表現としては「少女をやめる」と表現できなくもないのではと思います。
基本帯の煽りは編集さんの仕事だと思うのですがマガジン本誌では微妙にずれた煽りをされる事もあるのでそっくりそのまま内容通りともいかないです┐('~`;)┌
「少年と少女をやめる」は、「大人の階段をのぼり始める」ということで、むりやりこじつけるなら橋崩壊事件を過去の関係にしがみついた友達ごっこの終結(今後は青年としての関係を作り直す)と位置づければ解釈できなくもないかな、とか思っていますが…。
ほんとですね。
非常に微妙ですが、確かにそんな風にも見えます。
でも、ここで左につけてるとすると、ますます謎が深まってしまいますね…。
「左耳につけている」のはおかしくないですね。
よくわからないのは、「右につけてるかどうか」でした。
漫画が終わる前にいちどお尋ねしたかったのですが、自閉症の娘さんがいらっしゃらなかったら、soraさんは「聲の形」を読んでいなかったと思いますか?
うーん、どうでしょうか。
まあ、うちの子どもの障害はかなり重いので、子どもに障害がなかった人生は今とは相当変わっているだろうな、とは思います。
そういったことと、基本的な私の読書の趣味などを総合的に考えると、
読んでいなかった
可能性のほうが少し高いかな、とは思いますね。
ふだんはあまりこういう学園ものみたいなジャンルは読まないので…。
また、読んでいたとしても、受け止め方はずいぶん違っていただろうと思います。
お返事ありがとうございます、
私も、おそらくsoraさんとは違った立場で、ほとんど同じ意見を持っている…と思っています。ややこしい言い回しでごめんなさい。
私自身が私のような性質の人間でなかったら、私ももしかしたら
読んでいなかった…かも、しれません。
あと質問の言い回しを間違えていました。
「いらしたから」、「 読まれていますか」。
でした。ごめんなさい。
”左耳にも補聴器を着けているように見える”・・両耳に着けていた時期だったのでは?と言いたかっただけです。
小学生時代以外、両耳に補聴器が装着されていると判る話は、再開した日と、仮に描画ミスではないとして、この15話でした。
普段は両耳に着けるのが習慣だったと思うので、川に落ちてから18話まで着けたり着けなかったりしていた期間があったのではないか。と思っています。
再開した日、7話で川に落ちて西宮母が補聴器はだめになったかもと言っていますが、9話で右耳にあれだけはっきり描かれて登場なので壊れてはいなかった。でも不調にはなった。だから、よく聞こえるように右耳側を調整していた?とか。左耳は描画なしですがきっと着けてると思います。
他、
13話、両耳とも描画なし(でも両耳にきっと着けてる。んで、2度目の水濡れ。)。
14話、右耳描画なし。左耳描画あり。(でも両耳にきっと着けてる)。
15話、両耳着けてる。駅では右耳不調でいじってた。不調度MAX。
17話、カラオケ待ち合わせ時、右耳に着いていない(耳穴黒い)。修理中?左耳描画なし(必ず左に着けてる)。
植野の21話すぐ前に登場の18話、P68でも右耳に補聴器を着けているように見えます。左耳は描画なし。
で、21話では、せりふからも左耳のみに装着確定。以降には確かに右耳に着けている絵は見当たりません。
よって、最長、植野に会う前日までに壊れたのではないでしょうか。
なぜ買い足さないのか。お金の理由も有るでしょうが、補聴器着けてもほぼ聞き取り不能程度なので意外と必要性を感じなくて放置してる。とか。
まさか進行性が発現して補聴器効果が無くなっていたから。なんてのは嫌ですよね。。
逆に、両耳に補聴器を着けていないのが、51話の布団から54話で、これで判るのは祥子と将也、結絃(風呂の回から)、あと、きっと佐原との間には補聴器は全く不要なんでしょうね。
(でも車に気づかずクラクション鳴らされているような飛び出し方をしているのでは超危険。)
ん~硝子が補聴器を必要と感じる身近な相手は現状西宮母??母???
ところで、硝子は素では左耳の方がより聞こえるのかもしれないですね。それも低音域のみ低感度で。
51話と55話を見てそう思いました。
あと、もうすぐ単行本で修正の有無が確認できると思いますが、46話の病室前では左耳に補聴器が描かれていなく、永束と喫茶コーナーでは左耳だけに描かれていますね。
友達と会話することになったので途中で着けた。と思えばそんなに変ではないと思いますが、やっぱり変でしょうかね。
と、書きながら1巻を見直していたらP186の硝子の右耳の穴が黒いんだよなー
右の耳は、もしかしたら、補聴器を付けても意味が無いレベルになっているという表現なのかもしれませんね~。
連載時にがんばって解読した方や、こちらのブログを読んで会話の内容を理解していないと、単行本では全く何喋っているのか分かりません。
それほど聞こえないと言う表現を強調していると言う事なんでしょうか?
遅くなりましたが、帯の件の返信ありがとうございました。色々な考えを教えて頂けると楽しいですね。
6巻の帯の文句はちょっと斬新過ぎな気がするけど・・・(笑)。
確かに読めなくなっていますね。
比較の画像を作ってみましたが、半分くらいの細さになっていて、もはやほとんど解読不能です。
https://koenokatachi.up.seesaa.net/image/KOE_NO_KATACHI_06_154.jpg
ここは、メタ的にいえば「読めないことに意味がある」ということなんだと思います。
週刊誌掲載後より更にセリフが削られるという事は聴覚障害の世界を描くにあたり表現が生ぬるかったと思われたのでしょうか。
指も直っていましたし、硝子のメモで「橋」がのぎへんになっていたのも直っていました。
あとあちこち背景を描きなおしている場所があるようです。(45話で植野が泣いているシーンが夕方っぽくトーンが貼られていたりとか)
硝子回の文字が削られたのは、ネットとかで「これなら普通に聞き取れてるじゃん」という意見が多かったせいかもしれません。
さすがに単行本のレベルだと「これだと聞き取れないね」という感じになっています。
でも逆に、読者も何を言っているかほぼ分からない状態になってしまいましたが…。
本来なら、閲覧のみでコメント等するつもりは一切無かったのですが、ひとつ、気になってしょうがない事があるので質問させて下さい。
コミック6巻なのですが、偶然カラーカバーが外れてしまい、中の本の表紙を見たのですが、カラーと違い、ゆらゆらと水中から見ているような表現ではないのです。
漫画に関する知識が乏しい為、詳しくはわからないのですが、色がのってないので下絵の段階でしょうか?しかし、こんなに綺麗に書いた後で、ゆらゆら書くのは大変ではないのでしょうか?(二度手間では?)
今、貸してしまい手元に1巻~5巻が無いのですが、カラーカバーを外して何かないか探したくてしょうがないです(笑)
意味はない、下絵が真っ直ぐなのは当然だ、など、もしわかるようでしたら教えて頂ければ助かります。
つまらない事を長々と失礼致しました。
はい、私もそれは気づきました。
恐らく、原画はまっすぐ描いて、フォトショップかなにかでうねうねの効果をつけて(レイヤーを使って硝子の上半身はうねうねしないようにして)いるんだと思います。
(改めてみると、「うねうね」が非常に規則的でCG的ですからね。)
大今先生は、カラーの原稿はフォトショップなんじゃないかな?と思っていますが、どうなんでしょうね。
なるほど、フォトショップ…?CGなんですね!それなら中身表紙にあまりこだわりはなかった、ということでしょうか。
(というか、中身表紙にはCG出来ない?それなら仕方ない?)
気泡?など、明らかに水中からの視点にしようとしてる絵なのに、真っ直ぐな線は違和感でしかなかったので、なんとなく大人の事情を知った感じで納得しました。
ありがとうございました。
私も絵は素人なのではっきりは分かりませんが、まず手描きで下絵を書いて、それをスキャンしてデジタルデータ化して、そこからフォトショップとかペイントソフトに取り込んで下絵を綺麗に修正し、色を塗っていくという感じかと思います。
そして、表紙の下の下絵は、手描き段階の大今先生の原画なんじゃないかな?と思っています。
ですから、そういう意味では貴重な絵だと思います。(^^)
佐原回で必要の手話をしている時に左の裾に少しほつれがあるのを見つけました。
衿元もボタンか何かないか探してみたのですが見当たらずTシャツの首回りの生地が少し厚くなる辺りまでしか切れ目が入っているようです。
どうやら硝子は将也のTシャツを羽織ってるんじゃないか説は確実なんじゃないかなと思います。
転落後の硝子が少し強い目をしているのは硝子にとっての将也の強さを身にまとったからなのかも知れないですね。
え、でも55話の時点で将也 同じ服着てますよ?
まさか、漫画内のキャラたちは同じ服を何着も何着も持っているとか…。
それなら、小学校の頃みんないつも同じ服だったことも成り立ちます、、。
硝子は自身から見た将也のようになりたいとは やはり思ったでしょうね。
こんにちは。
将也が着てるのはクルーネックに半袖という典型的なデザインのTシャツですが、硝子が着てるのは(多くのコマで)広Vネックにフレンチスリーブというレディース特有のデザインに見えます。元からカーデガンのような作りではなかったとしても、将也のTシャツとは別物ではないでしょうか。
また、転落前に将也から貰っていない限り、硝子が将也のTシャツを入手するタイミングが無いように思います。
1つ目、
1巻の時点からずっと思ってたんですけど………、猫にラクガキってできるんですか?
2つ目、
コネタで触れてくると思い、コメントせずそのままだったんですが、55話に出てくるコンビニの入り口にある上の垂れ旗、にいる二人、将硝に似てません?
僕は似てると思うんですが、
抽象的に書かれてるので横の四文字は わかりませんが、四文字なら『聲の形』とか『祝映画化』とか入りそうですよね。笑
猫の落書きは分かりませんが(私は猫を飼ったことがないので(笑))、55話のコンビニのキャラクター、男のほうの髪がツンツンしてませんね。
なので、微妙に違いそうな気がしますが、どうでしょうか。
んんー…。僕は髪の毛の生え際がそれなりに後ろな点で判断したんですが…微妙ですね。
まぁこの疑問にこだわりがあるわけではありませんが。
ありがとうございます。
これって硝子お得意の表面上の笑顔を示唆してるんじゃないかなって思いました
無理あるかな…
これまで使っていなかった顔文字を使っているあたり、無理をして上京中止が自分の積極的な意思だということをアピールしているように見えます(これは明日のコネタエントリで取り上げる予定でした)。
川井の髪型ですが、フられたかどうかは不明ですが、髪型のことで真柴に何か言われたのかなあ、とは思います(無理しなくていいよ、僕は前のほうが好きだった等)。
川井と真柴の距離は、60話ではむしろ近づいているように見えますので、真柴が「フった」というよりは川井が「吹っ切れた」というほうが近いかな、という印象はありますね。
そうなんですよねー。
なぜか、聲の形にカラーがくるときは、いつもグラビアが橋本環奈なんですよねえ。
そして今回も。
不思議です。
西宮の口話(グリーングリーンが一番)が特に難しそうなのと内容が内容だけに結構な話題になりますね。
でも期待して楽しみに待っています。そして映像化おめでとうございます。
たしかに噂が飛び交っていますね。
ただ、この噂はどうやらいわゆる「早バレ」によるもののようですので、水曜日のマガジンで正式に発表されるまでは、当ブログでの議論はご遠慮いただければ幸いです。
水曜日0時になったら、私もいろいろ妄想を語りたいと思います(^^)。
→聲の形が終わったらこのブログどうなるの?
いつもは聲の形だけ大学の帰り買い物ついでに立ち読みするだけだったけど明日だけは朝一で買ってから読みます。
最終回が終わっても話題は尽きなさそうですね。
このブログですが、エントリのネタが残っている間は更新します。
その後は、おそらく記事を更新せずそのまま残しておくことになると思います。
あと2時間で解禁です!(^^)
アニメ化企画進行中ですね。
進行中…
来年の早い時期に出てくるかも。
手の握り方が「右手-右手」になっていることには私も注目していて、エントリを書く予定です。
海外版が逐次出版されることになったようです。
まずフランス語版が来年(2015年)1月から、続いて英語版も5月から出版されるようです。
英題が"A Silent Voice"なのには、ちょっと抵抗も感じますが。
いずれも、アマゾンで予約できるようです。
フランス語版
http://www.amazon.fr/Silent-Voice-T01-Yoshitoki-Oima/dp/2355927715/
英語版
http://www.amazon.com/Silent-Voice-1-Yoshitoki-Oima/dp/163236056X/
海外でも評価を得ているようですね。
「うきぃ」のやり取りなど、どうやって訳するのか興味があります。
英語はともかく、フランス語は読めませんが(笑)、仏日辞典も買って首っ引きで読んでみようかと思います。
コメントありがとうございます。
へえ、フランス版の噂は聞いていましたが、英語版も出るんですね。
英語はクランチロールがオンラインでやってましたから、それを書籍したものになるのでしょうか。
個人輸入して買い集めても面白いかもしれません(^^)
(本当に近所なんですよ。景色とかほぼ分かります。)
その中で、作中の細かな疑問が知りたくて調べていたところ、こちらのブログに出会いました。
複線の話や設定の考察など、本当にありがたいブログです。
ところで。
最近は最終話の話題が少し出始めていて、ネタバレしそうで怖いので、コミック派の自分は最新刊を読み終えた後に、こちらのブログの終盤を一気読みさせていただきたいと考えています。
その前に。
既出でしたら申し訳ないのですが、気になって仕方のない(些細な)話題を書き込ませてください。
■10話
バカッター事件の記事で。
「彼の投稿履歴をさかのぼってみると・・・」って文章です。
今回の投稿は、結絃が投稿したものだというのは既知の事実ですよね。
そしてそれは、将也が久々にやってきて硝子と親しげになろうとしている事が気に入らなくて「今回初めて投稿した」と考えていました。
となると「彼の投稿履歴」って何?って思ったんです。
おまけに「彼の投稿履歴」をさかのぼってみると「度胸試し」をしていた・・とまで書かれています。
将也はここ数年「度胸試し」なんて事はしてないし。
※結絃も「度胸試し」のようなことをしていた将也の素性は(この時点では)知らないはずだし。
個人的にはすごく引っかかる・・・のですが、管理人さんは何か考察をもたれていらっしゃいますか?
鯉の餌やりの話題は取り上げられているのに、こちらは話題になっていなかったような気がして。
気にしているのは自分だけかな?と思ってしまい、こちらのエントリーにコメントさせていただくことにしました。
コメントありがとうございます。
たぶん、そのポイントについては議論したことがないと記憶していますが、少なくとも結絃が将也のインチキ投稿を作れたのは、再会してからわずか2週間ほどの間(カレンダー参照)なので、例えばですが、
・バカッター投稿
・それとあわせて、インチキブログを作って、そこには時間を遡ってバカなことをずっとやっていたかのようなエントリを投稿しておく
・リンクで連携
みたいな「仕掛け」を結絃が作ったんじゃないか、と想像します。
やはり、そういう想像になりますよね!
伏線的にも大したことは無く、あまり気にするポイントでも無いのかも知れませんが、気にしているのは自分だけ?!と思って、こちらを利用させていただきました。
来月の最終巻販売後には、またこちらのブログを読み進めたいと思います。
幾多の気づきをいただけるブログです。
楽しみにしています!
ありがとうございます!
まだもう少しだけ更新も続きますので、よろしくお願いします!
あと、細かい台詞と何組のヤツ
コメントありがとうございます。
単行本第7巻ですよね。
たしかに映画のシーンとか、かなり描かれ方が変わっていました。
選考会のときの永束の、途中で消えたヒゲも単行本では最後まではえていましたね(笑)。
そうですね。
以前、アニメは情報量が膨大なのと、「飛ばし読み」ができないので、考察に非常に時間がかかるため、考察はしない予定だということを書きましたが、「情報」については、できるだけ拾ってここでも取り上げていければと思っています。
大垣市界隈の風景のみで施設などの掲載はありませんでしたが、何か嬉しいものを感じました。一応リンクを貼っておきます。
http://www.ogakikanko.jp/koenokatati/
コメントありがとうございます。
はい、ここへきて、大垣市が全面的に「聲の形」の聖地としての町おこしに本腰を入れてきたな、と感じます。
https://www.facebook.com/ogakikanko/posts/1110163815663482
https://twitter.com/kemukemu55/status/670768561460129792
いよいよ、来年の前半くらいには映画になるのでしょうか。楽しみです。
また、フィギュアも準備されているようです。
https://twitter.com/tokoslime/status/670441413960593414
プレスリリース
http://www.pref.kanagawa.jp/prs/p972535.html
リーフレット(PDFファイル)
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/792948.pdf
大垣市が『聲の形』観光ガイドを作成したのは、大垣市が舞台のモデルになっているという理由がありますが、神奈川県と『聲の形』との関連性がちょっとわかりません。
単に「手話シーンが多いことでも話題になっている」だけで選んだような気もします。
気になるのは。リーフレットの最終ページに「神奈川県と『聲の形』は今後もコラボレーションしていきます!」と書かれてる点です。
つまり、神奈川県は今後も手話関連のイベント等に『聲の形』キャラクターを使っていくんじゃないかなと想像できます。
一体、どうなるんでしょうね。
「広報おおがき」平成27年12月1日号の1面に『聲の形』舞台ガイド等が掲載されました。
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000028857.html
↓PDF
http://www.city.ogaki.lg.jp/cmsfiles/contents/0000028/28854/2015_1201_01.pdf
http://www.nisimino.com/nisimino/
他の舞台紹介と異なり一般の方では撮影不可能なモデルとなった小学校の中も載っているので是非見てください。
コメントありがとうございます。
大垣市は今回は気合が入っていますね。
特に「ポータルサイト西美濃」の記事はすごい情報量ですが、こちらの記事は、私がツイッターで存じ上げている、聲の形ファンのこの方が作成されたようですね。
https://twitter.com/ReikoMaman/status/675294610508275712
さすが、ファンの方が本気で作られただけのことはあります。
納得です。
そうそう、別途、ツイッターでも書きましたが、例の橋の南側にあった古い工場、廃業してしまったようです。以前、聖地巡礼した時も操業している様子がなかったですが。
今は分譲住宅の工事中です。
アニメが完成する頃には、この付近の雰囲気が原作と変わってしまいそうで、ちょっと残念な気持ちです。
そうなんです、将也の自宅のモデルを発見された、あの方が監修?されて作成されたようです。
だからすごい情報量だったんですね。
そしてこのあたり、景色がどんどん変わっているようですね。それは少し残念ですが、景色が変わるということは街にまだ活気があるということですから、そういう意味ではいいのかもしれません。
まだ訪問していなかった舞台が「ポータルサイト西美濃」で特定できたので、昨年の年末に、約半年ぶりに『聲の形』の舞台を巡りました。「西美濃」に感謝です。
橋の南側の住宅は完成していました。あそこに住めるとは羨ましいです。
ところで、当初「西美濃」には1巻の表紙紹介で小学校の中が載っていましたが、今はもう載っていません。何か問題があったのでしょうか・・・
「聲の形」がアメリカで、「10代に読ませるべき作品10選」に選ばれたらしいですね。私が追っかけているロシア語版の方も、現在6巻49話まで進んでいます。洋の東西を問わず、この作品に心を動かされる人々がいることを嬉しく思います。
橋の住宅はもうできているんですね。
あそこで駅徒歩何分くらいなんでしょうか。利便性と景観が両立しているなら、住む場所としても魅力的ですね。
また、この作品は地味な?少年まんがとしては異例なくらい翻訳がどんどん進んでいるようなので、映画のほうも海外進出が期待できるのではないかと思っています。
全米図書協会の選出リストに入っています!
http://www.ala.org/yalsa/2016-great-graphic-novels-teens-top-ten
海外でも高い評価を受けてるってことですね。
あの橋は大垣駅から約1.5キロ、徒歩20分といったところでしょうか。
第21話『友達ごっこ』のように商店街を南下して大垣公園そばを通ってから行くのもいいし、第52話『静寂』のように天満宮から川沿いに行ってもいいです。こちらのコースは水門小学校のモデルの前を通りますし、松尾芭蕉の句碑も並んでいたりして、大変風情があります。川では季節によってカモやシギ等もいますので天気のいい日は、とても気持ちがいいです。また、その中間のコース(大垣公園をつっきるようなコース。この公園は第12話『姉ちゃん』で結絃が倒れていたところでもあります)では、大垣城を見上げることもできます。
なので、利便性という観点からは「自転車があればベター」といったところでしょうが、景観としては申し分ないと思います。
駅前の和菓子屋(第29話『ばーちゃん』に出てくる饅頭はここの商品)も大変美味しいです。
そういう場所なので、私もここの住民が本当に羨ましいです!
いつの間にか映画の情報が出ていました。
2016年の秋に公開予定だそうです。
http://cinema.ne.jp/recommend/shochiku20162017/2/
だいたい、聲の形関連の話題は、実現が「思っていたよりも遅め」になっているような気がするので、秋公開で、11月末とか12月くらいの公開なのではないか、と漠然と予想していますが、いろいろ大人の事情があって締め切りが厳しいのなら、意外と9月くらいという可能性もあるかもしれませんね。
私が追っかけていたロシア語版の聲の形は、第52話『静寂』まで進んでいたのですが、先週突然、全話が削除されました。
恐らく正式なものではなかったのでしょうから、仕方がないと思います。
累積閲覧数は175万になっており、ロシアにも沢山のファンがいますので、正式なロシア語版が発行されれば良いなと思います。
ところで、「水都旅」の2016年春号の表紙は、聲の形らしいですね。
大垣・西美濃観光ポータルにUpされるのを、楽しみにしています。
桜の季節に大垣へ行ってみたいです。
http://animeanime.jp/article/2016/02/14/26979.html
日本とフランスとでは学校生活がかなり異なる(フランスの学校にはクラブ活動がない等)のため、いわゆる学園モノは受けれられないのだそうです。しかし、『聲の形』のテーマの一つである「障害者へのイジメ」は普遍的なテーマであったことから受け入れられたのだそうです。
ポテトさんの情報、大変参考になりました。ありがとうございます。
他の国々で受け入れられているのも、フランスと同じ理由なのでしょうね。
ところで先週、アメリカへ行く用事があったので、空港と町の書店を何軒か廻ってみました。
店員さん達はみんな親切で、PCで在庫を確認してくれました。
でも、聲の形はどの店にもありませんでした。
定価は約11ドルですが、ウオールマートなどのサイトをみると半額近くで売っているので、前もって注文してホテルに送っておいてもらえば良かったなと思ってます。
次のチャンスはいつになるやら・・・
ロシアでは第52話で翻訳が打ち切られたので、ファン達は7巻掲載の全話を読めない状況になってます。
有料で構わないので正式版を発行して欲しいという声もあがっており、実現すれば良いなと思います。
ロシア語訳は1ヶ月に1話くらいの遅いペースでしたが、擬音や背景もロシア語になっていました。
硝子の筆談ノートの悪口や、花火大会の屋台のメニューなどもです。
せりふも、英語と日本語両方を参照していた様で的確に翻訳されており、そのまま正式版にできるレベルでした。
掲載サイトにはコメント欄が設けられており、読者の様々な感想や疑問に翻訳者が答えていました。
その回答内容も的確でした。
私は、翻訳者が「なぞ解き」を読んでいたのではないかと思っています。
23話の告白シーンでは、「好き」というロシア語「フリュブレナー」を硝子がうまく発音できず「リュエナー」と言い、それを「ルナー(=月)」と将也が勘違いしており、とても自然な名訳でした。
マガジンでの連載が終了してもうすぐ1年半、海賊版とはいえ毎回楽しみにしていたロシア語訳が打ち切られ、喪失感大です。
秋の封切にかけて映画の情報が出てくるのを、楽しみに待つしかないですね。
>23話の告白シーンでは、「好き」というロシア語「フリュブレナー」を硝子がうまく発音できず「リュエナー」と言い、それを「ルナー(=月)」と将也が勘違いしており、とても自然な名訳でした。
はあ…痺れました!
特報の動画を見る限りでは、原作の絵のタッチはかなり充実に再現されているみたいで、今から楽しみです!
充実→忠実
です。
失礼しました。
アイズナー賞の解説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%BC%E8%B3%9E
下のリンクの"Best U.S. Edition of International Material-Asia"見出しのところです。
http://www.comic-con.org/awards/2016-eisner-award-nominees
欧米での評価も高いってことですね。
スマホ向けアプリ「マガジンポケット」にてマルドゥック・スクランブルの復刻連載が始まりました。聲の形は42話で終わってしまいましたが、これは単行本を買えってことで良いんでしょうかね(勿論私は買っています)。
また、秋から新連載が始まるようでこれもまた楽しみです。映画と新連載、どちらが先でしょうか?
キャストの入野さん早見さんは実力派のお二人で期待が高まります。
上映劇場はかなり多く、自分の住んでいる地方でも上映するようで安心しました。
いよいよ公開が間近になってきた感じで、とても楽しみです!
トゥエルさんの書き込みを見て、映画「聲の形」公式サイトが、リニューアルされたことを知りました。
新しいビジュアルと共に、声優のキャストも発表されましたね。
将也・硝子とも、経験豊かな声優が担当する様で、楽しみです。
聲の形のプロモーションビデオは、講談社コミックのものと、松竹映画のものがありますが、私の耳には将也の声が同じ声優の声に聞こえます。
この声優が映画本編の担当にもなったら良いなと思っていたのですが、実際はどうなのでしょう?
私はアニメの世界に詳しくないのですが、ご存知の方がいらしたら、教えてください。
新しいビジュアルも「美麗」ですね。
でも硝子のスカートがどんどん短くなるのは、適切な言葉ではないかも知れませんが、なんだか商業的に媚びているみたいに思われそうで、気になります・・・。
スカートの短さと相まって、新ビジュアルの「大嫌いだった。もう一度、会うまでは」という言葉にも、実は私には少し違和感がありますが、皆さんは如何でしょうか?
確かに、硝子のことを「大嫌いだ」と将也が心の中で言っているシーンはあります。
でもその後、落書きを消していたのは硝子だったと知り、何年もかけて手話を独学で習得するなかで、硝子が将也に伝えたかった声(友達になってください)を理解します。
小6のクラスメートの中で、硝子が本当の友達になり得る唯一の存在だったと知った時点で、将也は硝子のことが「大嫌い」ではなくなっていたでしょう。
将也が硝子と再会したときに涙したのは、家族以外の唯一の味方/理解者にやっと再会できた感激の涙で、硝子に許されるはずがないと思っていた将也は謝罪して死ぬつもりだったのに、「友達になれるか?」とつい言ってしまったのは、硝子と心を交わして生きたいという望みが、心の底で捨てきれなかったからだと思っています。
ということで、美しく成長した硝子に再会して「大嫌いじゃなくなった」のでは決してないと思います。
でも、なんだかんだ言っても映画の完成が楽しみです。
https://www.amazon.de/Silent-Voice-01-Yoshitoki-Oima/dp/3770489969/ref=sr_1_7?ie=UTF8
これとは別に7月15日付「広報おおがき」によると、9月のアニメ公開と前後して、地元で原画展など様々なイベントを企画しているみたいです。
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000032066.html
今後も色々と目が離せませんね。
西欧の主要な言語への翻訳が進んでいますが、ドイツ語の次は、ぜひロシア語版を出して欲しいです。
映画の本予告プロモーションビデオも、既に誰かがロシア語字幕を付けて、ロシアのネットにUpしています。
まだ視聴回数は約3,600と少ないですが、今後どれくらい増えて行くかウオッチして行こうと思います。
それから、「広報おおがき」に添付されている写真を見て驚きました。
背景の壁に「子育てなら大垣市」と書いてあります。
西濃運輸のトラックの後面に、可愛いカンガルーの親子のイラストと共に、「子育てなら大垣市」と書いてあるのを、街で見かけることがあります。
西濃運輸のトラックは結構走っているのに、書いてあるのは10台に1台くらいなので不思議だったのですが、これは大垣市のPR活動だったのですね。
そういえば、大垣ナンバーのトラックにしか書かれていない様です。
このPRを見かける度に、「また大垣に行きたいなぁ」と思っていました。
大垣市のイベントが、青春18切符の使用可能期間内に行われるなら、行こうかなと思います。
もし、ロシア語版も発行されるとしたら、ぜひ入手してみたいですが、いわゆる西欧圏よりもネット注文など敷居が高そうです…。
それから「子育てなら大垣市」の件、そういえば大垣市が発行している「大垣暮らし応援します」という市内への引っ越し勧誘(?)パンフレットも表紙が硝子と結絃のイラストなんですよね。
昨年7月に行われたJ2リーグFC岐阜のコラボマッチのイベント会場でも配布していました。
↓の[(9)大垣市ホームタウンデーPRブース]文のところで、その表紙の写真を見ることができます。
http://www.fc-gifu.com/information/9634
ということで、大垣市は今後も何らかのキャンペーンを行う都度、『聲の形』キャラクターを使っていくのかもしれないですね。
私もFC岐阜コラボマッチの際に、「大垣暮らし」のパンフとウチワをゲットしました。
あのイベントは、すごく良かったですね。
大垣市が今後企画するイベントに、あの様なものがあるとしたら、絶対行きたいです。
そう言えば、水都旅の最新号(vol.9)の表紙にも硝子と結絃が登場しているのですが、大垣の観光ポータルにはまだUpされていません。
ずっと待っているのですが・・・もし大垣の観光案内所で今でも手に入るのなら、いっそ取りに行こうかと思ってしまいます。
ところで、「子育てなら大垣市」のカンガルー親子のイラストの作者が気になったので調べてみました。
http://mainichi.jp/articles/20160307/ddl/k21/040/033000c
・・・というわけで、大今先生や聲の形とは関係がない様です。
でも私は、このPRがすごく気に入っており、西濃運輸のトラックを見つけると、貼ってあるか必ず確認してしまいます。
声優さん達によるアフレコの品質は、大今先生のお墨付きということで、期待が高まります。
私は京アニの自選総作監修正集付きの前売り券も、予約してしまいました。
映画が終わったあとは、連載が完了したときの様な余韻や喪失感を、また味わうことになりそうです。
この週末、時間があったのでロシアのネット情報を漁ってみました。
6巻までのロシア語版が、かつて掲載されていたサイトの読者コメント欄に、7巻分のロシア語版を見れるサイトがあると書き込まれていました。
ちょっと探してみたら、すぐに見つかりました。
ただ、翻訳とレイアウトの担当者が変わり、50話までの高品質ぶりとは比較にならないものになっていました。
51話からは、日本語や英語の擬音語がそのままになっている部分が多く、英語の海賊版を基にロシア語翻訳している様です。
驚いたのは、「君へ」の橋での将也から硝子への語りかけで、オリジナルとは違う内容になっていました。
「そんな顔をしないで、俺に何か話してほしい」、「俺は君の悪口を言ったけど、本当は君を傷つけたくはなかったんだ」、「他の沢山の人も君の悪口を言ってた」、「でも、君は俺に親切にしてくれた」、「いまだに、どうしてあのとき親切にしてくれたのか分からないんだ」、「そんな俺のエゴイズムが君をベランダから飛び降りさせたんだ」、「何年も言えなかったけど、俺は君に泣いて欲しくないんだ。君が泣いたら俺も泣いてしまう」等々、オリジナルと違うなと思っていたら、その先、「俺は意識が戻ってすぐに君に会いに来た」、「君を抱きしめて、何もかも、きっとうまく行くよと言ってあげたい」、「君を支えて幸せにしてあげたい」、「そして君には俺が生きるのを手伝って欲しい」と来て、思いっきり告白してます。
「因みに俺はさ・・・」の続きとして、有り得た展開かもしれませんが・・・。
まさか大今先生や講談社が、日本語版と外国語版で内容を変えているってことはないですよね。
どなたか、英語の正式版の7巻をお持ちの方がいらしたら、正式にはどう英訳されているか教えてください。
貴重な情報ありがとうございました。
さて、英語版は持っていますので、その部分の将也のセリフを
英語のまま書いてみます。
----------
Shoko...
I am Sorry.
Well,I never Really ...
Apologized for that stuff i did when we were kids.
...or for everything that happened later...
I intended to listen to youe voice...
But really...
...It was nothing but intent.
I already knew that...
Even then,
I interpreted the stuff I didn't understand
about you in ways convenient for myself...
That's just so... ...Me.
My selfishness...
It led you to...
... To that balcony... where...
But... Shoko...
Uh!
Shoko...
C... Come on... Don't cry.
...
I thought...
... the same thing.
But...
... Still,Like...
... It wasn't worth dying for.
Oh...
Even though I know I'm not in any position to tell you this...
So...
Um...
I Don't really want you to crt,but...
If crying solves anything...
... I want you to cry.
If there is...
Something I need to do starting today...
...It's to hang out with wveryone more.
And chat a lot...
And goof around...
I want you to help with that.
I want you...
... To help me live.
----------
こうしてみると、英語版は日本語版にかなり忠実である印象を受けますね。
ちなみに英語版はアマゾン日本からも購入できますし、ドイツ語版も扱いを始めたようです。
アマゾン日本のサイトに入って、
a silent voice yoshitoki oima
でやってみてください。
ドイツ語版の方が安いのはドルとユーロとのレートの違いか、何かでしょうか?
I Don't really want you to crt,but...
の"crt"の部分は"cry"が正しいです。
キーボードで"t"と"y"が隣り合っているので打ち間違えたと思います。
どうもすみませんでした。
地元商店街がアニメ化コラボ企画として描き下ろしイラスト入りのオリジナルショッピングバッグのキャンペーンを始めたのですね!限定4000袋とのことで、あっというまになくなってしまいそうですね…。
http://www.okbstreet-kuruwamachi.com/news/%EF%BD%8F%EF%BD%8B%EF%BD%82%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88x%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8C%E8%81%B2%E3%81%AE%E5%BD%A2%E3%80%8D-%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB/
やはり正式な英語版は、オリジナルの日本語版に忠実なのですね。
日本語版では1回しかなかった将也の「硝子呼び」が、英語版では連発されていますが、あちらでは打ち解ければすぐに下の名前で呼び合う様になるので、恋愛感情とは違うのでしょうね。
ネットで見つかる海賊版の英語版を、いくつか見てみましたが、ロシア語版と同じ内容の物は見当たりませんでした。
ということは、翻訳者が意図的に改変したのかなと思います。
将也は、小学生時代だけでなく高校生になった再会後も硝子に対して大きな過ちを犯してしまったと思っているので、「君へ」の時点で硝子にあからさまな告白を出来る状態ではなかったでしょう。
将也が硝子への確かな恋愛感情に気付くのは東京行き騒動の「何者」の頃の様ですが、その後も告白の描写はありません。
硝子と一緒に未来に向けて歩み出した卒業後に、たぶん将也はようやく過去を清算し、告白したのだろうと思われます。
ロシア語版は、そういうデリケートな部分を無視した形になっており、海賊版とは言えひどいと思います。
ロシア語版では「君へ」で2人が恋人同士になったのですが、その先が日本語のオリジナル通りだとしたら、成人式までの間は恋人としての付き合いが進展している様には見えないはずで、ロシアのファン達は、変だと思ったのではないでしょうか?
もしかしたら、「君へ」の先にも改変があるのかも知れません。
先を注意深く読み込んでみます。
細かい翻訳ミスの様なものは結構ありましたが、前に投稿させて頂いた53話「君へ」の橋上の将也の語りかけの様な、改変と言えるほどの大きな違いは、ありませんでした。
それでも、次に挙げる3か所は少し気になりました。
55話「帰宅」の将也のモノローグ「そうか・・・そーだったのか・・・」が、「そうか・・・あれは西宮だったんだ・・・」になっていました。
オリジナルの、「硝子の髪をおかっぱな感じにカットしたのが自分の母だと将也は知った」という意味が、「将也はあの日に店で見かけた少女の事を覚えており、それが硝子だったと改めて知った」という意味に変わっていました。
61話「卒業」の硝子の手話でのセリフ「私も、同じ事を考えてた」が「わかりました」になっていました。
オリジナルでは「二人とも、同じ職業を目指すことにした理由が勘違いされるのを恐れ、それでも来年の誕生日を一緒に祝うことを望んでいた」という意味でしたが、「硝子が将也の話を単に理解した」という意味に変わっていました。
62話「聲の形」の将也のモノローグ、「俺が昔、西宮を嫌いだったように」は、「だから子供のころ、西宮が嫌いだった」となっていました。
直前には、将也の中学生の頃から成人するまでに変化してきた人生観が語られています。
しかし、その人生観のせいで小学校の時に将也が硝子を嫌っていたのではないはずなので、意味が分からなくなっていました。
海賊版が完結してしまっているので、正式なロシア語版が出版される可能性は低いのかなと思いますが、もし出版されたら絶対に買います。
それにしても海賊版とはいえロシア語まであるとは驚きです。
翻訳は前出の方(arcos1546さん)のコメントによればかなり酷いところがあるみたいですね。
もっとも原作の日本語も「これはどう解釈すれば?」と人により様々な意見が出るくらいだし、感覚の違い(異性に対する下の名前呼びとか)もあって外国語になる際に食い違いが出てくるのはある程度は
しょうがないかな?と。
アメリカでは特に人気が高いようですね。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160423/p3
イジメだとか障がいだとか人間関係の悩みは国に
関係ないのかな?とありきたりな感想を述べてみます。
ネットのコメントなどを見る限り、感想や人気の
あるキャラ、嫌われているキャラ(植野、川井)も
日本のそれとあまり変わらない感じです。
ただ、この漫画をもって「日本の学校のイジメって
酷すぎないか?」みたいなことを言われるのは困りますけども(苦笑)
久々に読み返してみたのですが、真柴の川井に対する
感情がなんだかわからないのですね。
明らかに彼女の嘘というか白々しい部分というか本質は見抜いているような感じなのですが、といってそれを正面から指摘するでもなく、冷ややかに眺めていますよね。
といって全く切り捨てるわけでもなく、彼女の恋心を受け入れもしないけど拒否もしない・・。
川井の好意について真柴はどう考えているのか?
最終回では結局、彼らの関係はどうなったのか?
どこかにヒントはあるんでしょうか?
川井は読者の嫌われ度NO.1でしたが、個人的には好きでもないけど否定もできないキャラ。
イジメの現場では最も多いタイプ。自分が一番可愛くて要領よく立ち回って加害者にも被害者にもならない圧倒的多数派の一般人を代表するようなキャラだと思ってます。
川井へのヘイトは読者のこれまた圧倒的多数のイヤな
部分を生々しく見せられるような気になるから?と
思ったりもします。
もっとも当初はインテリヤクザ的な冷徹な女性を想像していたのですが、後半になるに従ってあんなに「イタイ人」だとは思いませんでしたけど。
最終巻7巻での川井さんは白々しさ、「気持ち悪さ」の消えた素直な好感の持てる女性でなんとなくいいお母さんになりそうな雰囲気を持っていたように思います(笑)。真柴君には認められているといいですけど。
以前、ロシア語のサイトで「聲の形」のロシア語版が(正式訳ではないけど)見られるとおっしゃっていましたね。
今日、Wikipedeiaを見たら、どうやらロシア語版の正式発行が始まったみたいです!?
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A4%D0%BE%D1%80%D0%BC%D0%B0_%D0%B3%D0%BE%D0%BB%D0%BE%D1%81%D0%B0
ロシア語は読めないですが、第1巻・2巻が既に発行されている!?
読めないくせに、ぜひ入手してみたいと思っているのですが、入手方法はないものでしょうか?
なんと、今度は婚姻届・出生届に『聲の形』を取り入れたオリジナルデザインのを導入したそうです!
岐阜新聞にも記事が載ったようですが、大垣市公式サイトの記事へのリンクを張っておきます。
いつまで、キャンペーンを続けるんでしょうね。
下世話ながら、大今先生のところにはロイヤリティがどのくらい入ってるのかも気になってしまいます。
大垣市公式サイトでの記事
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000033984.html
情報ありがとうございます!
嬉しいニュースです。
早速、ロシア語版ウィキペディアと、Istaricomics出版社のサイトを確認しましたが、公式ロシア語版の1巻と2巻は2016年12月に発行されてます。価格は300ルーブル(約600円)です。11月から先行予約受付していた様ですが、私は全く気付いていませんでした。
今思えば、おおっぴらに定期的にネットへUpされていた海賊ロシア語版が、6巻の途中で突然打ち切られ削除されたのは、Istaricomics社が講談社からライセンスを購入する動きと重なっていたのでしょう。
さて、Istaricomicsのサイトは通信販売に対応していますが、発送対象国はロシア連邦、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシ、となっています。
残念ながら日本へは発送されません。
何年か前に、ロシア在住の友人に本を買ってもらい、ロシア版のEMSで日本へ送ってもらったことがあります。
でも、日本に近いウラジオストクからでも送料が4,000円くらいかかり、とても高額な買い物になってしまいました。
一応、購入にどのくらい時間がかかるか、日本へ郵送したらいくらかかるか、ロシアの友人に確認してもらおうと思います・・・。
今回、一度に2巻発行されましたが、この後、どのくらいのペースで残りの巻が発行されるのでしょう?
私の周囲には、定期的にロシアと日本を往復している人が何人かいますので、彼等に一括購入とハンドキャリーをお願いするのが、時間はかかりますが一番良い様な気がします。
ロシア語版入手に必要な金額や時期について、新しい情報が入り次第、また書き込みします。
私の方は今月、約1年ぶりにアメリカへ行く用事ができました。
前回は、町や空港の本屋を何軒もまわったのに在庫がなかったので、今回は宿泊するホテルに配送される様、ネットで英語版を前もって注文してから出発します。
大垣市の映画「聲の形」オリジナル婚姻届・出生届の件、婚姻や出産をしないと届け出用紙をもらえないのかなと思っていたら、そうではない様ですね。ネットのオークションに、複数の用紙が出品されているので。
「従来どおり、一般の婚姻届も選択いただけます」という配慮は素晴らしいと思います。
大垣住みの方でも、聲の形に興味がなかったり共感できない方は、いらっしゃるでしょうから。
でも、聲の形版と従来版と、どのくらいの提出比率になるのか、興味がありますね。
東京の某区の原付自転車のナンバーに、名誉区民の漫画家さんのアニメキャラクターバージョンがあります(従来バージョンも選択可)。
通勤時に、いつも気にして見ているのですが、従来バージョンよりアニメキャラクターバージョンの方が圧倒的に多い様です。大垣の場合もそうなるのかなと思います。
ところで婚姻届・出生届って、オリジナルが申請者の手元に残るのでしたっけ? 私が届出したのはもう20年以上も前ですが、手元には残っていません。
公式ロシア語版の1巻と2巻の件、Istaricomics社に直接メールで問い合わせていたところ、「日本へも発送可能」との回答がありました。
送料は917ルーブルとのことですので、支払い総額は単行本2冊600ルーブル+送料915ルーブルで、1,515ルーブル(約3,000円)となります。
1冊約1,500円ならリーズナブルだと判断し、注文してみることにしました。
ただ、彼らのサイトで会員登録してみようとしましたが、日本の住所では登録できないので、注文や支払いはどうすれば良いか、更に問い合わせています。
注文や支払いは出来たとしても、本当にロシアから届くのか、時間はどれくらいかかるのか、不安はありますが、試してみます。
英語版の方は、注文から3日でホテルに届きました。来週、ピックアップします。1年越しで入手できるので、すごく嬉しいです。
アメリカのホテルに届いていた、聲の形の英語版をゲットしました。
いわゆるペーパーバックという装丁で、サイズは日本語版より一回り大きく、見返しのイラストはカラーになってます。
まだパラパラしか見ていないのですが、面白そうなので、じっくり読んでみたいと思います。
例えば7巻53話「橋へ」の将也のモノローグ、「死ぬんだろうか」は、日本語は主語が省略されていて、誰のことを指しているのかハッキリ分かりません。
昏睡状態に陥った将也が、自分のことを「死ぬんだろうか」と思っているものと私は解釈していました。
ところが英語版をみると、「みんな」のことを指していることが明確に分かります。
私としては、「えー?そうなの?なんでみんなが死ぬの?」という思いですが、なにしろ講談社の正式版ですから・・・
そう言えば、英語版の3巻には夏目漱石のエピソードの解説があると、ファンブックに大今先生が書いていましたが、見当たりませんでした。
奥付を見ても何版か分からないのですが、私が買った版では削除されたのかも知れません。
ロシア語版の方は、支払い方法として QIWI, Euronet, ロシアのインターネット銀行、もしくはクレジットカードが出版社から指定されました。
クレジットカード以外の方法は恐らく実現不可能で、クレジットカードはカードとセキュリティの番号が求められています。
ロシアの会社にメールでクレジットカードの詳細を連絡するというのは如何なものかと考えていたら、モスクワの友人から「とりあえず2冊ずつ注文して1,200ルーブル払った」という連絡がありました。
書店では注文も購入もできないので、出版社のサイトに会員登録してくれたそうです。
友人には相談しただけなのですが、「2月末はお前の誕生日だから動いてやった」とのことで、嬉しい話です。
このルートが動き出したので、出版社との直取引はやめることにします。
ただ、「納期は30日という回答があったので、誕生日には間に合わない」と言われています。
人気があって供給が追いつかないのかなと、ポジティブに考えたいですね。
なんにしても、モスクワから東京に運ぶ手番もありますし、入手は4月頃になりそうです。
2月22日pm5:30からのテレ朝「スーパーJチャンネル」で聖地巡礼に関する番組が放送されます。
聲の形をかなり激しい調子で批判しているブログを発見しました。
日々格闘記 ~イカロスの翼~
ttp://wing-of-icarus.blogspot.jp/?m=1
というサイトです。
聲の形の内容から大今先生や劇場版の山田尚子監督
まで徹底的に批判しています。
はっきり言って誹謗・中傷すれすれの内容のエントリ
もあるので閲覧はあまりお勧めしません。
件のブログのブログ主は劇場版を製作した京都アニメーションに抗議まで行なったそうです。
映画版の最後で植野が到達した境地のように、いろいろな価値観を持った方がいることをそのまま受け止めればいいんじゃないかと思います。
作品に否定的な意見でも、しっかり読み込んだうえでそれを語っている方もいらっしゃいますし、逆に、肯定的に評価されている方のなかにも、個人的にはずいぶん誤読が含まれているな、と感じる方もいます。
聲の形のロシア語版の1巻と2巻が、昨日届きました。
モスクワの友人が出版社に注文してから受け取るまで約3週間、友人がEMSで発送してから約1週間、都合1か月かかりました。
全部で2か月くらいかかるかなと思っていたので、かなり早い印象です。
ロシア語版は、日本語版より一回り大きく、英語版より一回り小さく、英語版の様なカラーのページはありません。
装丁は英語版の様なペーパーバックではなく、日本版と同じ様にカバーがついています。
また、昔の輸入盤のレコードの様に、透明なフィルムで包装されています。
ロシア語では海賊版が完結しており、52話「静寂」までは品質が高かったことを、前にも書かせて頂きました。
52話までは翻訳の質が高かっただけでなく、擬音語や背景の文字も含めて、100%とは言えませんが殆ど全てがロシア語化されていました。
今回入手できた正規ロシア語版は、ざっと見たところでは、海賊版以上の品質の様です。
海賊版に負けてはならないので、当然なのでしょうね。
例えば、1巻の表紙にある教室の黒板や掲示物に書かれていることも、全部ロシア語になっています(これらは正規の英語版でも日本語のままです)。
ロシア語正規版の3巻以降の出版時期は未定の様ですが、是非、7巻まで続けて欲しいと思います。
先程、投書させて頂きましたロシア語版の件ですが、当初私は、誰もが実行できる輸入方法を実践して、ぽてとさんの様なロシア語版の入手を希望するファンに活用して頂くために、出版社とのメールに使えるロシア語定型文を投書しようと思っていました。
しかし出版社が指定した支払方法に不安を感じて、最終的には個人的なコネクションを使ってしまいました。
いずれにしても今回の話は、ぽてとさんに掲載して頂いた情報が基で実現しましたので、もしご希望でしたら、2冊を出版社の定価(1冊600円)でお譲りしたいと思います。
4冊まではEMSの送料が同じでしたので、各巻を2冊ずつ購入しています。従って、ロシアからの送料の御負担は不要です。本の送付先や支払い先を、どの様に連絡するかが課題ですが、何か良い方法が有りますでしょうか?
私は、4月に日本を去る事になったので、3巻以降も今回と同じ事が出来る保証は有りません。この点はご承知おき下さい。
それはありがたい話です。
可能であれば、ぜひ欲しいです。
もし、Soraさんさえお差し支えなければ、Soraさん経由でやり取りできる手段を用意願えますでしょうか?
コメントありがとうございます。
私が介在して、というのがいまひとつよくわかりませんが、どのようなやり方を考えてらっしゃいますか?
一つ考えられるのは、acros1546さんからこちらのコメント経由でメールアドレスないしTwitterアカウント等を教えていただき(もちろん公開はしません)、それを私のほうでぽてとさんにお知らせする、というやり方です。
これで問題ないなら、こちらのエントリへのコメントで連絡先をお伝えいただければと思います。
昨日、ロシアからEMSで届いた聲の形の単行本が入っていた箱を捨てようと思って、中をもう一度確認したら、聲の形のポストカードが入っているのを見つけました。 危うく気付かずに捨てるところでした。
ポストカードは単行本一巻につき一枚発行される様で、2週類が入っていました。 そのデザインは、第1話の見開きカラーページと、2巻のカバーのイラストです。 こういうサービスは嬉しいですね。 続巻の出版が楽しみです。
あと、ぽてとさん宛に発送するために、梱包前に単行本をもう一度良く見てみたら、目立たないですが裏表紙に「12歳以上推奨」のマークがあるのを見つけました。 英語版を見たら「13歳以上推奨」になってます。いじめの描写が、海外では規制基準に引っかかるのでしょうか。
外国語版の単行本は、ファンにとってはノベルティの一種だと思います。 今回、soraさんのブログを通じて、ぽてとさんとロシア語版をシェアすることが出来て、嬉しく感じます。
どうも有難うございました。
おかげさまでロシア語版入手できました。
まさか、本当に入手できるとは思わなかったのでうれしいです。
おっしゃる通り黒板の板書や擬音・背景の文字等すべてがロシア語になっているのは徹底していますね。
ロシア語は読めないのですが、ページをめくっているうちに固有名詞や擬音などはNの鏡文字⇒I,C⇒S,X⇒Hと置き換えれば、なんとか読めそうということに気がつきましたが、これで合っているでしょうか?
附属のポストカードもなかなか素晴らしいです。
特に第1巻付属のポストカードは第1巻冒頭の見開きページに全く文字が入っていないきれいなカラー印刷!これは国内でも意外と入手困難だと思います。
こちらこそ、arcos1546さんに深くお礼申し上げます。
改めて本当にありがとうございました!
実は、公式ファンブックを読み直していたら、『新人賞投稿版』(「聲の形」最初のバージョン)で、ちょっと目立たないですが、気がついてみると、とんでもない作画ミスがあったのを発見してしまいました。今まで、ツイッターなどでもこの件について触れた話題をみたことなかったので、ほとんどの人が見逃していたと思います。
『新人賞投稿版』最後のページから9ページ前の左上、高校生になって硝子と再会した将也が「手話でいいよ」とセリフを述べるコマです。
よく見ると、将也のブレザーが左前になっています!
まぁ、大今先生は母子家庭で育ったらしいとかそういうことが今までに何度も言われていますので男性の服を描くのに慣れていなかったのかもしれないですね。
ロシア語版を楽しんで下さっている様で、嬉しいです。
ロシア文字からローマ字への読み替えが出来ると、楽しいですね。
「聲の形」はロシア語では「Форма Голоса」、ローマ字では「Forma Golosa」となります。Ф=F、P=R、Г=G、л=L、ですね。
以下のサイトに詳しい対照表がありますので、リンクを貼っておきます。
http://rick08.hatenablog.com/entry/2014/01/29/000859
文字の変換のあとは、発音が気になりますよね。
「Forma Golosa」は「フォルマ ゴーラサ」となります。
「聲の形」の読み切り版を、ロシア語版の漫画と同期させながら朗読(?)している動画がyou tubeにありますので、興味があったらご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=d1EvdHVWDpQ
https://www.youtube.com/watch?v=014gD_mxJDs
ロシア語版、目を通していくと、思ったより丁寧な訳をしていることがうかがえますね。
たとえば第2巻で将也が硝子に会ってもいいのかどうか悩み、右手に剣、左手に盾を持つ様子をイメージするシーン(日本の単行本で51ページ目の最下段のコマ)
ロシア語版では盾に書かれた単語が直線状でなく円状になっていて、ちょうど欧州での盾に紋章が刻まれてているようなイメージになっていますね。
このあたり、機械的に翻訳するのでなく、いかに訳文をイメージに合った配置にするかの工夫も素晴らしいと思いました。
第3巻での「うきぃ」シーンも、いまから楽しみになってきました。
個人的な事なので投稿すべきか迷ったのですが、感謝の気持ちをお伝えしたく、羽田空港から書き込みしております。
>私が原作に興味を持ったのは、当時私には仕事上で取り返しがつかないと思える様な出来事があって落ち込んでいたので、将也がどの様に立ち直るのか知りたかったこと、が理由でした。
上記は、ファンブックが発売された頃に、投稿させて頂いた内容です。
6年前、海外の前任地で私には様々な問題が発生し、心身ともに危うい状況になって、日本に帰って来ました。
何とか会社には踏み留まったものの、この失敗は長く尾を引いて、私の評価がようやくプラスに転じたのは、帰国後4年目からでした。
その間、何度も諦めたくなりましたが、「聲の形」に励まされて前に進む事ができたと思っています。
そして今、再び海外駐在に赴く機会を、私は得ることができました。
この6年間で私は変わることが出来たのか、新任地で前任地と同じ様な事が起きたら上手に処理できるのか、正直なところ確固たる自信はありません。
でも、互いに理解し共感し信頼し合うことや、希望を捨てずに前を向き続けることの大切さ、どんな時も支え合える家族の存在の大切さ、といった、「聲の形」から読み取れる大事なことを忘れずにいれば、何とかなると思っています。
今の私の心境は、同窓会の扉を開く将也の心境と、まるで同じな気がします。
たかだかマンガ、なのかも知れませんが、この作品にこんな状況の時に出会えたのは、幸せなことだったと思います。
作品のみならず、こちらのブログでsoraさんの深い考察と先輩の常連の方々のコメントに触れさせて頂いたのも、大いに励みに繋がりました。
本当に有難うございました。
やっと最終回の将也の心境に追いつく事ができた今、そろそろ「聲の形」は卒業かなと思いますが、これからもロシア語版の出版は続くでしょうし、DVDも出るし、明日、扉を開けた後も凹んだ時には読み返すでしょうし、絶対に忘れることはないだろうと思います。
遅まきながら「聲の形」の原作を読んで心を動かされ、ネットサーフィンするうちにここへたどり着きました。
普段は漫画すら読んでいなく、最後まで読み切ってから次の日には読み直すくらい漫画に嵌ったのはこれが初めてでした。
大変な量の考察をされ、それをまとめて本まで出されている熱意は素晴らしいですね。
さて、非公式とはいえ本まで出されているので、ひとつ考察が気になりました。
橋の上での将也の「生きるのを手伝ってほしい」を硝子が受け入れたのを、男女のパートナーシップを結んだと考察されていますが、あれは明らかにフレンドシップを結んだということではないでしょうか。
恋愛感情でいえば、硝子にとって彼は大切な人になっていますが、将也にとって彼女は一生かけて罪をつぐなっていかなければならない友達であり、せいぜいクラスメートの異性に抱く淡い感情くらいしか描写されていないように感じます。
その温度差がいわゆるラブコメ展開になっていますし。
ラストに彼女が大写しになっている描写については、そんな報われない硝子の気持ちに対して、今まで散々辛い思いをさせた彼女のために作者が贈った精一杯のプレゼントであり、あの後に同窓会の席で彼女が将也に抱きついてチューでもしない限り、彼と結ばれることはないと思います。
作者の公式な見解も示されているようですし、soraさんの思いを否定するつもりはないので、今更掘り返すのもいかがなものかと思いましたが、少し考察を掘り下げてみてはいかがでしょうか。
コメントありがとうございます。
パートナーシップについての考察は、当該エントリに書いたとおりのものであって、特に反論が必要なところもなさそうなので、改めて読んでいただければと思います。
「明らかに」「ない」といった断定的な言葉を使われていますが、その一方で、当方の考察を否定するために使われているキーワードであるはずの「フレンドシップ」という言葉の定義も明確でありませんし、当方の考察についても、そして個人的には「作品そのものについても」、誤読されている部分があるように感じられますので、少し読み解きのレベルを掘り下げてみてはいかがでしょうか。
(この先、このやり取りは特に続ける気はありませんが、将也と硝子のパートナーシップを割引こうという意向が妙に強い意見は、みんな同じ傾向があるなというのは感じます。)
これ以上は掘り下げる気がないとのことですので、私もこれにて失礼いたします。
念のために申し上げれば、それまでは将也は彼女への謝罪の気持ちでいっぱいだったものが、そこで初めて友達として協力してほしいというフレンドシップになったというものです。
男女の物語であるために、それを読み込まれるのは楽しいですが、それはテーマと絡み合う糸ではないかと思うのです。
もちろん、soraさんのいうパートナーシップの意味合い自体を否定するものではありません。
因みに私は硝子に感情移入していましたので、もちろん2人には幸せになってほしいと思っていますけど。
お互いの利益にならないので、本当はこれ以上お話しするのはやめるつもりでした。
でも、このままではコミュニケーションしようとする大切さを伝えているこの漫画を読んだ甲斐がないと思い直しましたので、もう一度だけ声をかけさせていただきます。
まず、橋でのあの場面についてです。
貴方の趣旨に従ってできるだけ細かく書くよう努めました。
キリスト教からたびたび読み解かれていますので、それに倣って話を進めれば、あそこで行われているのは、本来なら神に対して行われる罪の告白です。そして、その罪は死によって償われようとしていましたが、生きて自らが罪を受け入れることによって引き受けていこう(コミュニケーションしていこう)として、そのためには自分と同じく罪を背負っている「君」の助けが必要だということだと言っている、ということではないでしょうか。このときの2人の関係は、家族でも夫婦でも恋人でもなく、同じ立場にある対等な関係(この漫画では友達)であると思います。
そして、2人はともに「聴覚障害」と「独りよがり」というディスコミュニケーションの原罪を背負っており、それが原因でお互いに傷つきあい、それでも繋がろうと藻掻き、そして罪を告白しあうことでやっと協力関係を築きましたので、特別な繋がりで結ばれているのは間違いないと思います。
ただし恋愛感情でいえば、最初から繋がりを求めて、それをやっと彼からもらったと思っている硝子の気持ちと、最初から繋がりを壊して、謝罪のために彼女との繋がりを求め続けていた将也の意識とでは、身代わりになる前の感情に明確な違いがありますし、身代わりになるその刹那でさえ、彼女を救うために祈り、罪を受け入れようと決心した一方で、彼女への愛をはっきり意識していなかった彼が、夢の中で彼女の声を聞いただけで、罪の告白をしたとたんに彼女へ愛の告白をするのは唐突で違和感があります。
それに、謝罪したと同時に彼女へ犯した罪が赦されて、その相手に「これから私が犯した罪を償うために(パートナーとして)隣で支えてほしい」って何だかおかしくないですか?相手の好意に付け込んでいるように見えてしまいます。
また、2人があの橋の場面の後のやりとりでは将也からの愛の引力が弱すぎますし、彼の硝子への反応の描写はいわゆる男の子の異性に対する興味や感情がほとんどで、仮に、彼女と繋がるうちに彼の中に愛が育まれたというには、その片鱗が描写されていない気がします。もし彼にはっきりとした恋愛感情があるなら、例えば硝子が東京に出る別れのタイミングでガーデンピックの回収をギャグとしてやる必要が一体どこにあるのでしょう。恥ずかしがるにもほどがありますし、まさか捕まえた魚には餌をやらなくても大丈夫だとでも言いたいという話でしょうか?
つぎに、上のお話をお伝えしたことです。
非公式であれ、いわゆる解説本を出されているからには、この場面は漫画の核であり、その解釈にはできるだけ私情が挟まれていない方がいいと思ったからです。
ブログやツイッターに自由に感想や考察を書き込んだくらいでは、そういう人もいるんだくらいのものですし、解釈が人それぞれなのは自然なことですから、わざわざお話しすることはありませんが、解釈の余地を楽しんでもらおうと考えているフシのある作者が、出版社にのせられているとはいえ、公式な解説本を出すことに同意した遠因は貴方にもあると思っています。
だから、せめて漫画の核だけは慎重に解釈されてみてはいかがでしょうか。
もし、この漫画の核が男女の愛だとしたら、趣向を凝らしているとはいえ、結局は甘いスイーツみたいな話になってしまいますし、下手をすれば犯した罪を償ううちに愛が芽生えて、最後には愛で解決みたいな話になりますけど、本当にそれでいいのでしょうか。
PCメールアドレスをもっておらず、メールできないためにこの場をお借りしましたので、公開してもらわないほうがいいと思っています。
もし私にコミュニケートしていただけるのであれば、たとえ以前と同じ結論になったとしても、今一度の考察を期待しています。
最後になりましたが。
考察なんて面倒なことから離れると、最終話になっても集合写真で硝子の隣にも行かない将也には不満でいっぱいでした。橋でのあの場面の後の2人のやりとりを見ていると、彼に言ってやりたくなります。「もう、将也のバカァ~。このドンカン!!」
コメントありがとうございます。
いただいたコメントを掲載するかどうか少し考えていたのですが、今回のコメントで非常に興味深い点に気づいたので、その点を指摘するために掲載することにしました。
T.Sさんは、2日前の最初のコメントで、「今になって初めて原作を読んでネットサーフィンをしてここに来た」とおっしゃっていました。つまり、T.Sさんの「聲の形」に関する知識は、2017年の7月になって初めて獲得されたものだということになります。
ところが、今回のコメントで、作者が公式ファンブックで決め打ちの解説をすると決意した遠因として、当ブログの存在があったと考察をされています。
公式ファンブックが出たのは昨年の9月で、今から約10か月前です。なので、大今先生がファンブックの原稿をまとめていたのは1年以上前でしょう。
私のブログが事実上更新をストップしたのは2014年12月で、今から2年半以上前です。
さらに、「聲の形」の連載が終わったのはさらに遡って2014年の11月です。
つまり、T.Sさんは、つい最近になって初めて「聲の形」に触れ、そしてネットサーフィンで偶然このサイトにたどりついたという、言ってみれば「作品が連載されていた時代から3年近くたって初めて作品を知った層」という設定でコメントを書き始めていたにもかかわらず、今回のコメントでは、その3年ほど前の作品連載時の読者の雰囲気、記事をがんがん更新してユーザーからのコメントも非常に活発にあった当ブログの雰囲気、さらにはそれらに対する大今先生のリアクションの傾向、そして公式ファンブックが出たころにいろいろ取りざたされた大今先生のスタンスの議論、そういったものを全部ご存知であるかのように、ナチュラルに「当ブログが大今先生に何らかの影響を与えたのではないか」と発言されているわけです。(そして、そういった意見は某掲示板でも何度か見かけたことがありました)
これは、とても不思議なことですね。
ここから、いただいたコメントについて、何らかの仮説が立てられそうです。
ちなみに私の「考察」というのは、基本的には今回の矛盾の発見のように、語られていることの細部というよりは全体の大きな構造を発見し、その構造を読み解くために「細部」を参照する、というスタンスをとっています。
最初から「こうあってほしい」という先入観をもって、それに合致する描写を拾ってくるようなスタイルをとってしまうと、いくらでも自分の思い込みに沿った解釈ができてしまうので、できるだけそれを自戒して避けるようにしているわけです。
最後になりますが、大今先生の解説に当ブログの存在が影響しているということはまったくないと私は思っています。
大今先生はかなり初期から、この作品の登場人物を嫌いだと言い、突き放した発言をされていましたし、公式ファンブックで恋愛面についてクールダウン方向で語っているのは、ほぼ間違いなく「続編の可能性への布石」だと読んでいます。(続編が出るとは言っていません。これについても以前書いています)
終えて思ったんですが、硝子の怪我について
どうなんだろう?と疑問が消えず、コメントに
書かせていただいてます。
「硝子の怪我」
ですが、転落事件後の固定具合を見るに
脱臼辺りが妥当と思っていたんですが
読み返した時に、「本当に脱臼?」
って疑問になりました。
脱臼を疑う事になったトコロは
6巻第51話4,5コマ目や、次ページ5,6,8ページ辺りです。
将也の転落で、気が動転し、アドレナリン等の脳内物質等で痛みが実感できていないのか?
とも思うのですが、エレベーターの扉にもたれかかっているトコロでは、ちゃんと肘から手が肩よりも上がっています。
固定の仕方から、脱臼を考える方が妥当と思うんですが、どうしても、このシーンが気になってしまって・・・
あぁ、なんかまとめられない自分がもどかしい><
http://tsutomu-uematsu.hatenablog.com/entry/2017/08/02/100934
おひさしぶりです。
「公式ファンブックの恋愛という言葉が意味する……(以下略)」
の所で長文妄想を2月に書かせていただいたエドです。
まだあのネタは、小説化しておりません(笑)
まぁ、気が向いたら、書いてみます。
で、今回、ここに書き込もうと思ったのは、上記に書かれているTSさんのコメントについて自分なりに考えたことを聞いてもらおうと思ったからです。
僕は、TSさんの考えがある程度、当たっていると思っています。あの、「生きるのを手伝ってほしい」に将也は恋愛感情は入ってないと思います。
では、将也と硝子は結ばれないか、と聞かれると、あの「恋愛という言葉が意味するもの」の長い妄想のように、結ばれるだろうと思っています。
あの「生きるのを手伝ってほしい」によって、硝子はまさに将也がピンチの時は命をかけて、助けに行くと決めたと思います。
そんな硝子が、他に恋人というものは作らないと確信しています。
もちろんそれは、将也の側もほぼ同じ感情でしょう。
これは将也と硝子のパートナーシップと言ってもいい気がします。
結果としてパートナーシップができている。
「生きるのを手伝ってほしい」という言葉から生まれているのです。
つまりです。
言った言葉の感情と、そこから生み出される結果が一致しないのが、この物語の強い特徴な気がするのです。
例えばです。
将也と硝子の関係です。
最初は嫌いあっていた小学生時代から、週に一度会うようになり、友達を含めカラオケにいくようになり、プレゼントを交換し、みんなで遊園地に行き、一緒に映画を撮り、二人きりのデートをし、互いの両親に会い、「生きるのを手伝ってほしい」といい、成人式で一緒に手をつないでドアを開ける。
これは、外から見れば、ほぼラブストーリーなのです。しかし、互いの関係性が深くなっていく要因は、実は強い恋愛感情(弱くはあると思いますが)ではない。
私が「恋愛という言葉が……(略)」で書いた二人が結婚する妄想過程も、メインは恋愛感情ではなく、互いの信頼関係です。
外から見れば、大恋愛の末に結婚した、と見えますが、実はそうではない。でも、結果として結婚している。
その感情と結果の齟齬が、この物語のすごいところなのかもしれない、と最近思うのです。
ひょっとしたら、管理人さんは、キャラクターの抱いた感情と結果の部分が、一部重なってしまって、考えられているのではないか?
作者も、それを狙って書いたのではないか、そんな風に思うのです。
管理人さんは、以上の考えをいかが思いますか?
エド
コメントありがとうございます。
T.Sさんについては、これは個人的な推測にすぎませんが、某掲示板にも連載中から現在に至るまでずーっといて、当ブログのコメント欄にも名前を何度も何度も変えながら常に植野age硝子disを熱心に続けてきたのと同じ方の可能性が高いように思っています。
ですので、その方の主張を蒸し返すことはしませんが、エドさんのご意見については、だいたい似たようなことを以前書いています。
http://koenokatachi.seesaa.net/article/442304800.html
私自身は、個人的には情動的なものが必ずしもないような穏やかな相手への気持ちまで含めて「恋愛感情の一種」と考えているのですが、その辺りについては言葉の使い方次第で、将也と硝子の関係を「恋愛感情」とか「恋愛関係」と呼ぶかどうかが違ってくると感じますね。
コメントありがとうございます。
うーん、結局、言葉の使い方に落ち着くしかないかもしれませんね。命をかけて守りあい、一緒に頑張っていこうとする二人、互いが互いを必要としている気持ち、全部をひっくるめて何と呼ぶ? という感じでしょうか?
でも、私は恋愛という言葉を使うのは、ためらいます。それは、将也が抱いた感情(罪悪感・人への拒絶・友情・自殺念慮・相手を知りたいという気持ち・守ってあげたいという気持ち・一緒に頑張りたいという気持ち)の過程を吹っ飛ばしている気がして、この物語の、硝子との交流の過程をないがしろにしてしまう気がするからです。
ですので、この議論はやめようと思います。
では、あと一つ、管理人様へ質問があります。
これは、私が思う「全部聞く」「全部見る」ことにより様々な人の聲を引き出すことができる理髪師さんに将也がなる、という妄想を裏付ける考察です。
それは57話のバツ印を友達から外すシーンについてです。
このブログをまとめたキンドル本を見ていて、自分が発見したことがあまり指摘されていないことに気づき、自分の推測を聞いてもらいたいのです。
(もし、指摘していたらすみません。キンドル本を見落としているかもしれません)
57話で、管理人様は佐原・川井について、救われたコメントを将也がしているという指摘がありました。
しかし僕は、それは他のメンバー、真柴・永束・植野についても救いの言葉があったと思っています。
その内容を、わかりやすい順に説明します。
①永束
彼のコンプレックスは、「友達いないだろ」です。
その彼の映画に対して、将也は「最高」と叫びます。
それは、彼のコンプレックスに対して、自分の作ったものを「最高」と言ってくれた。それは、喜びの言葉になったのではないか、そんな風に思うのです。
②真柴
6巻の個人回で、真柴は川井と別れるときに、「自分を含めて身勝手だ」と思います。また、過去の回想の終わりに、「自分が愚かに思えた」と感じます。
「自分は身勝手で愚かだ」と思っています。
そして、将也との再会時、「許せなかったら、殴っていいんだよ。僕は受け入れる」と言います。それに対して将也に「いや、やらないよ」と返されます。
言い方を変えれば、
「身勝手で、愚かな自分を許してくれるか?」と真柴君は言っていて、将也はそれを「許した」わけです。
真柴君の心は、少し救われた、そんな風に見えます。
③植野
彼女は小学生の時、そして、お見舞いの時まで強いある思いにさいなまれています。
「私には、見ていることしか、できなかった」と。
その強い後悔があります。
それに対して、再開の時、将也は言います。
「そうだな。でも、お前も毎日俺のお見舞いに来てくれてたんだろう。似合わないよ……でも、ありがとな」と。
「見ていることしか、できなかった」と強い後悔を持つ植野に、将也は
「毎日お見舞い(見ていてくれて)ありがとう」と答えているわけです。
ほんの少しでも、植野さんが救われていたのではないでしょうか?
このように将也は人のコンプレックスを癒す力を持っていると思います。
(ちなみに、5巻の橋崩壊は、かれらのコンプレックスを悪いほうに指摘していると思います)
管理人様はこの57話の考察をいかが思いますか?
連載が終わって3年、映画公開からも1年近く経つと
さすがに閑散としますね。
ところで、例の「君に生きるのを手伝ってほしい」
作者インタビューでは恋愛がらみの話ではない・・とのことですし、確かに原作は石田が泣きじゃくっている上に「みんなと遊んだり、一緒にいたりしたい」など自分の弱さや願望を外聞などなく晒していて、恋愛じみた雰囲気はなく、私も作者と同様の読み方でした。
映画の石田はそんな「泣き言」は言わず終始冷静なイケメンモードで「君に生きるのを・・」で最後は 硝子を引き寄せて手まで握ってて、本当にプロポーズ
してるように見えましたねぇ。
まあ、手話は「友達」になってましたけど(笑)
硝子も最後はクスと笑って「約束」の手話で原作と
違ってえらく爽やかな橋の上の奇跡だったなぁ・・という感想。原作通りにやっても良さそうなところですが、あえて雰囲気もセリフも改変したところに京アニ、山田監督の意図がいろいろとありそうです。
それにしても「君に生きるのを手伝って欲しい」
作者は恋愛とは無関係・・とはいいますが、すごい
殺し文句ですよね~。ありきたりな「好きです」とか
「愛してる」より考えようによっては強烈な殺し文句のような気が。
俺、カミさんにそんなこと言ったことあったかなぁなどと思ったりもして。
あと、聲の形がいかつい硬派な男同士の、あるいは麗しき女の子同士の友情物語として「君に、お前に生きるのを手伝ってほしい」なんていったら・・・。
うーん、人にもよりけりですが、今一つサマにならないというか、ちょっと薄ら寒い感じがしてきますね(笑)。
やっぱり、これ異性間だからこそサマになるセリフなんじゃないですかねぇ?という気が。
植野さんと佐原さんは互いに「生きるのを手伝って・・」なんて誓いを立てたんでしょうか?(笑)と
いろいろ気になるのでした。
>公式ファンブックで恋愛面についてクールダウン方>向で語っているのは、ほぼ間違いなく「続編の可能>性への布石」だと読んでいます。(続編が出るとは>言っていません。これについても以前
うーん、これ気になりますね。確かに恋愛面のクールダウン方向な語りは実際の作品中の表現と乖離が大きいところがあって??なところはありましたが。
でも、まあ可能性は限りなく低そうです。
それこそ、永束のギャグ回とか、サブキャラの他愛ない話くらいの番外編が関の山でしょう。
第一、聲の形ってティーンエイジャーの話だからこそ
面白い・・ってところもあるし、大人になってからの話を延々とやっても面白いのかどうか?
とはいえ、全くないと思うのか?というとそうでもなくて、私が気になるのは、恋愛方向の話より、石田母、美也子さんのこと。
確か原作7巻では持病持ちで倒れてたり、薬飲んでた描写があったような・・・。
この伏線、ファンブックでもコミックスでも映画でも
全く回収されてないですよね?。
真面目な続編があるとして、美也子さんが倒れたり
寝込んだりでヘアメイク石田に危機が・・という
あたりから一波乱・・というスタートとなるのでは?と予想(もちろん、根拠のない妄想です)。
あと個人的な希望としては八重子ママの過去だけではなくて、美也子ママの過去もいろいろ知りたいな?と。
本当に石田父はハゲをからかわれて、店と家族ほっぽり出して家を出たんでしょうか?w。知りたいな。
聲の形のあのエピソードをつい思い出しました。(笑)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170903-00000008-jct-soci
月がきれいだから、電話…、うーん、
雅な方々のやることは下々の民とは
違いますな(笑)
こちらで質問させてください。
第42話「花火」の硝子の落下に駆け付ける
将也のセリフです。
室内に入る時は
「西宮!!」
ダッシュする時には
「硝子ッ」
と、名前に変わりました。
何回となく読み返しても
????
と・・・・
引き上げる時は、いつもの「西宮」に
戻ってます。
なぜ?
「硝子ッ」
と、名前に変わりました。
ご想像におまかせ・・としか。
公式ファンブックにもその他の作者インタビュー確か、その辺に関する話はなかったような・・。
もっとも、作者先生に聞いても
「急に下の名前を思い出したんですよ」
って答えが返ってきそう(笑)
まあ、そういうことにしておきましょう(笑)。
コメントありがとうございます。
普通に考えれば、将也は本当は硝子を下の名前で呼びたかたけれども、そういう親しさを込めてはいけない(自分は硝子に対してそういう親しさを手に入れるに値する人間ではない)という自制をもって遠慮していたのだろう、と推測できると思います。
実際、そういうしがらみのない結絃については下の名前で呼んでいるわけですからね。
その「自制」が、あの瞬間だけは解除されて、またそのあとはもとに戻ってしまったと考えるのが自然なのではと思います。
大変ご無沙汰しております。
日本を出て早6ヶ月が過ぎましたが、私は今でも頻繁に「聲の形」のサントラを聞いたり、DVDを見たりしています。
この間、久しぶりにネットで「聲の形」に関する情報を検索していたら、公式ロシア語の3巻と4巻の先行予約が始まっていました。
早速、モスクワの友人に調べてもらったところ、来週入荷することが分かったので、買ってもらうことにしました。私の手元に届くのは、11月になりそうです。
海賊版の3巻23話の告白シーンは、「好き」というロシア語「フリュブレナー」を硝子がうまく発音できず「リュエナー」と言い、それを将也が「ルナー(=月)」と勘違するという名訳でしたが、正式版ではどうなっているのか、見るのが楽しみです。
ネットで見れる映画の海賊ロシア語吹き替え版では上記の訳は採用されておらず、「リュブリュー」を「リュリュー」と発音して「ルナー」に勘違いされています。
吹き替え版と言えば、ネットで正式英語吹き替え版のPVが、3種類見れますね。10月30日にDVDが発売されるそうです。
PVでは、将也母、将也、川井、永束、結絃、佐原、そして硝子の声が聞けますが、どれも自然な感じです。
硝子の声は、聴覚障害をもつ声優が演じているそうです。
音声は英語と日本語で、日本語には英語の字幕がつくとのことで、これは絶対に欲しいです。
旧英国領在住でありながら、私は英語があまり得意ではなく、PV動画をスロー再生してやっと聞き取れるレベルなので、DVDは良い教材にもなるでしょう。
日本で映画が公開されてから1年以上経ちますが、こうやって新しい商品が発売されるのは、ファンとして嬉しいですね。
公式ロシア語版の3巻と4巻を入手しました。
3巻23話の告白シーンで硝子が言った言葉は、「リュブリュー」(I love you)ではなく「フリュブレナー」(I am in love with you)でした。
発音は、3回のうち最初の2回は「フリュナー」、最後の叫びは「リュナー」、でした。
1巻と2巻もそうでしたが、海賊版と公式版では、使われている単語や言い回しが結構変わっています。
覚えてしまうほど海賊版を読み込んで来た私には、公式版の方に違和感があったりします。
いつか時間ができたら、一つひとつ、違いを分析してみたいと思います。
きっと、すごく良いロシア語の勉強になるでしょう。
今回は、ロシアの知人がモスクワのアニメ関係のショップで単行本を買って、私の住んでる国までハンドキャリーしてくれました。
前回の1巻と2巻は、出版社からの直接購入で、ポストカードの恩典があったのですが、今回、ポストカードは付属していませんでした。
知人は、「映画聲の形」のチラシがプリントされた白いビニール製の肩掛けカバンも買っており、私のところに置いていってくれるのかと思っていたら、しっかりモスクワへ持って帰って行きました。
ショップの説明によると、ペテルブルグの業者が制作しているとのことで、日本では手に入らないお宝だったのかも知れません。
また、5巻と6巻は今年中に出版されると、ショップの店員さんは言っていたそうです。
ロシア語版の最新情報ありがとうございます。
訳に苦心したであろうことが偲ばれますね。
なるほど「うきぃ」「ちゅき」は「フリュナー」、「リュナー」なんですか。
ラテン語圏では「月」を「ルナ」というので、まことに巧妙な訳ですねぇ。
で、第1・2巻と第3・4巻とでは、ずいぶん間隔があったので(9か月間)一時は発行計画が頓挫したのかと思っていましたが、今度は年内に5・6巻もでるんですか。すると
最終巻(7巻)は来年の春くらいになりそうですかね?
第6巻では硝子の聴こえ方をどうロシア語で表現するかが今から楽しみです。
さて、最近になって久々の『聲の形』関連ニュースが飛び込んできましたね。
フランスで年に2回行われる"Japan Expo Awards"のマンガ部門で最高の「マンガ大賞」を受賞したとか。
岐阜新聞のホームページにも載っていました。ニュースソースはこちらのようですが、フランス語なのでまるで読めないです。( ;∀;)
http://www.livreshebdo.fr/article/silent-voice-daruma-dor-des-japan-expo-awards-2018
あと、話は変わって、京都アニメが今度新作『リズと青い鳥』を作成するのですが、そのスタッフのほとんどがアニメ『聲の形』スタッフなのだそうです。
そこで、そのニュースを見たら…
https://www.fashion-press.net/news/36940
・予告編の36秒~38秒目あたり
・「あらすじ」のすぐ上の写真
で右端に一人座っている少女、西宮硝子っぽくないですか?モブキャラとして特別出演?
1人だけ離れて座っている様子を見ると、この作品でも「孤独な少女」という性格付けになっているのでしょうか?
このブログの本題からちょっと離れた話題になってすみません。
先ほど、久しぶりにistaricomicsのHPを覗いてみたら、「聲の形」5~7巻の先行予約受付が始まってました。
出版予定は6月の模様です。同時に「不滅のあなたへ」の2~3巻もアナウンスされています。
ちょうど今、モスクワに知人が滞在しているので、「聲の形」5~7巻の予約をお願いしようと思います。
やはり、恩典のポストカードが欲しいです。3巻と4巻のポストカードを逃してしまったのは、大変残念でした。
「映画聲の形」の英語版DVDは、UKアマゾンから私の実家に、とっくの昔に到着しています。
日本から私の国に運ぶことができず、お預け状態でしたが、4月中にハンドキャリーされる見通しなので、ようやく観ることができそうです。
英語版そのものはネットで観れるのですが、どうしても聞き取れないところがあるので、英語字幕を見るのが楽しみです。
ポテトさんの投稿を読み、「リズと青い鳥」のPVを観てみました。確かに、硝子さんっぽい少女がいますね。
アニメをじっくり観たのは、90年代にロシアで吹き替え版が放映されていた「ボスコアドベンチャー」くらいまでで、その後はご無沙汰していました。
でも2016年に、「君の名は。」「この世界の片隅に」そして「映画聲の形」を観て、日本のアニメの素晴らしさを再認識しました。
それで、こっちに来てから、ネットで観れる日本のアニメ映画を、時間の許す限り沢山、観てみました。
京都アニメーションの作品も沢山観ました。
残念ながら、「リズと青い鳥」の前作にあたる「響け!ユーフォニアム」は、観れていません。
ロシア語版ということもあって、全体のストーリーが全く理解できないのですが、「境界の彼方」という作品のヒロインは、小学校時代の硝子さんに見た目が似てますね。
山田尚子監督の作品は全部観ました。その中でも「映画聲の形」は、ダントツで良いと思います。機会があったら、「リズと青い鳥」も観てみたいです。
特に良いなと思った他の作品は(京アニではありませんが)、「おおかみこどもの雨と雪」と「言の葉の庭」でしょうか。
「言の葉の庭」には、「聲の形」に近いものを感じました。
あと、「秒速5センチメートル」も、何回も繰り返し観てしまいました。
ストレートに「好き」と言えないのですが、この作品には間違いなく何か心に刺さるものがあります。
日本のアニメは、世界に誇れる文化・技術ではないかと思います。
私が出張で使う当地の航空会社の機内エンタテイメントには、日本のアニメというジャンルがあり、出来る限り観てます。
最近は「ひるね姫」「花とアリス殺人事件」を観ましたが、結構おもしろかった。
ただ、いい年こいたおっさんがアニメを観てる、というのは奇異に写るらしく、周囲の乗客の冷たい目線を感じます。
「この世界の片隅に」や「映画聲の形」には、観てもらえれば「アニメは子供が観るもの」という固定観念を変えるパワーがあると思うのですが・・・
実際、ウチの嫁さんも日本で暮らし始めた当初は、「何で日本では大人がマンガ読んだり、アニメ観たりしてるの、子供のままなの?」なんて言ってました。
でも今は、私が家で日本のアニメを観てると隣に来て一緒に観るし、「コスモナウト」の女の子の気持ちが良く分かる、なんて感想も口にするようになりました。
どうしたら日本のアニメは世界でもっと観てもらえる様になるんだろう、などど取りとめもなく考えてしまいます。
「聲の形」とあまり関係がない投稿で、済みません。
日本では「リズと青い鳥」の上映が始まったそうですね。
私の方は、ようやく「響け!ユーフォニアム」を見ました。
京アニの劇場用の作品は、TVシリーズのアニメをベースにしたもの多いそうです。、
中にはTVを見ていなかった人にはストーリーを理解できないものもある様ですが(「境界の彼方」は、その類かと。自分のロシア語能力を棚に上げて思っております)、「響け!ユーフォニアム」は、「涼宮ハルヒの消失」、「たまこラブストーリー」、「けいおん」同様に、映画単独で楽しめる作品になっていました。
このなかで、「響け!ユーフォニアム」と「涼宮ハルヒの消失」は、いつかTVシリーズも見てみたいと思います。
で、「リズと青い鳥」は、どうなんでしょうか?
前作の「響け!ユーフォニアム」も、なかなか見ごたえのある内容でしたが、「映画聲の形」を超える作品になっているのでしょうか?
6月末には日本へ行く機会がありそうです。
その頃まだ上映していたら、是非見てみたいです。
UK製「映画聲の形」の英語吹き替え版DVDを、ようやく入手しました。
英語が聞き取れない部分を補うつもりで、私は字幕に期待していたのですが、声優さんが話している英語と字幕の英語は、ほとんど別物でした。
何故この様になっているのかは、分からないです。
音声はイギリス英語で字幕はアメリカ英語かなと始めのうちは思いましたが、観て行くうちにそんなレベルの違いではなさそうと思いました。
字幕のスペース上の制限の問題かなとも思いましたが、スペースが有り余っているシーンも沢山あり、そうでもなさそうです。
英語字幕版は、吹き替え版よりかなり早い時期から存在していたはずなので、吹き替え版は字幕の英語を自然な表現に改良して台本化したのかな、と想像します。
特典で、日本のPVやTVCM、制作スタッフのインタビューが収録されています。
インタビューには、英語の字幕がついてます。
ロケ地の実写映像を紹介している動画もあります。
それと、UKのTVCMも収録されています。
UKのTVCMは、私の大好きなオーストラリア・ニュージーランド向けPVと同じか短縮版かなと期待しましたが、全く別物でした。
何となく、イギリス連邦諸国の繋がりで期待してしまったのですが、プロモーターが違うのでしょうね。
私の勝手な期待と違った部分は若干有るものの、このDVDは「聲の形」ファンのコレクターズアイテムとしては、なかなか宜しいのではないかと思います。
モスクワの知人から連絡があり、ロシア語版「聲の形」5~7巻を受け取ったとのことです。
istaricomicsの直営店に出向いたらしく、店頭で3巻と4巻のポストカードもゲットしてくれたとのこと。
他にも、「おおかみこどもの雨と雪」「君の名は」など、istaricomicsがライセンスを受けてロシア語化した、色々な作品のポストカードも貰えたらしいです。
私の所に届くまで、まだ1ヶ月くらいかかりそうですが、今から楽しみです。
「映画聲の形」は8月25日にTV放送が決まったとのことで、この機会に沢山の人々に観て頂けたら、そして、興味を持って頂けたら嬉しいですね。
いつか、私の常用している航空会社の機内エンターテイメントでも、観れる様になると良いな。
機内エンターテイメントと言えば、最近「サマーウオーズ」「時をかける少女」「バケモノの子」「おおかみこどもの雨と雪」が「日本のアニメ」チャンネルに載りました。
この中で観たことがないのは、「バケモノの子」「サマーウオーズ」で、先ずは「サマーウオーズ」を観てみましたが、メチャクチャ面白いですね。
京アニ関係では、「涼宮ハルヒ」のTVシリーズをロシア語海賊版で観ました。
これがまた、もの凄いパワーで、私は完全にKnock-outされました。
作画、声優、音楽、みなそれぞれがノリノリで、楽しんで創っている感じが伝わって来ます。
最近は、通勤中に「涼宮ハルヒ」のサントラを聴いています。
アニメのサントラでは、「映画聲の形」「君の名は」を最近聴いていて、古いところでは「ルパン第一シリーズ」「ダメおやじ」が好きなのですが、「涼宮ハルヒ」もなかなかのクオリティです。
「スピンオフ?」の「長門有希ちゃんの消失」も観てしまいました。
「聲の形」の原作に関しては、私は「これ以上何もなくて良い」と思っているのですが、原作とは関係なく、アニメでこんな「スピンオフ」も有ったら良いなと思ってしまいました。
次は「ユーフォニアム」のTVシリーズを観たいと思っています。
ロシア語版「聲の形」5~7巻を入手しました。
特典のポストカードは、逃していた3巻と4巻の分も含めて、ゲットできました。
1巻2巻と同様で、各巻の表紙とその他1枚の2枚セットになっています。
「その他」はそれぞれ、15話、40話、62話の扉と、18話の「またね」の硝子のコマ、50話の「ユーレイかと思ったわ」の硝子のコマでした。
各巻の内容は、未だざっとしかみれてません。
53話の「死ぬんだろうか」は、英語版では「みんな死ぬんだろうか」になっていて意味不明でしたが、ロシア語版ではちゃんと「俺は死ぬんだろうか」と訳されていました。
驚いたのは、54話の橋での再会シーンです。
ロシア語海賊版では思いっきり愛の告白に改変されている旨を前にレポートしましたが、今回のistaricomics版もオリジナルと違います。
「もし俺が今日からやらないといけないことがあるとしたら」の続きは、こんな風になっています。
「君がみんなと一緒にいられる様に」、「みんなと話したり、遊んだりできる様に」、「俺は君を助けたい」、「俺は君が生きるのを助けたい」。
映画のPVの海賊ロシア語版も「俺は君が生きるのを助けたい」になっているものが多かったですし、今回の公式ロシア語版によって、ロシアではこの解釈が決定的になりました。
因みにネットで観れる海賊ロシア語版の映画本編では、私の知る限りでは2つのバージョンがありますが、どれも「君に生きるのを手伝ってほしい」と正しく翻訳されています。
投身自殺を図ってしまった硝子への言葉として、この解釈でも話は繋がりますが、どうなんでしょう。
講談社や大今先生の了解を得ているのか、余計なことかもしれませんが気になります。
さて、これで私にとっての「聲の形」関連の出版物は、全て出揃いました。
もう待つものが何もなくなってしまったのは、さびしい限りです。
希望は、映画の公式ロシア語吹き替え版です。
でも、ネットでロシア語字幕の海賊版が観放題な現状からすると、期待はできそうもないですね。
今回、「不滅のあなたへ」のポストカードもゲットしました。
「不滅のあなたへ」は、マーチが死んでしまったあたりから読んでいません。
既に連載期間は「聲の形」を超えていますし、どうなっているのか読んでみようかな、と思います。
先週、アメリカで「聲の形」が公開されていたことから、感想のツイートが沢山発信されていますね。
この間、成田空港に行った際、アニメツーリズムというテーマで、日本のアニメの聖地を88箇所紹介するパネルが展示されているのを見ました。
「聲の形」と大垣市は見当たらず、なんでだろうと主催者のサイトを見たところ、2018年6月~8月にかけて世界中のアニメファンに投票してもらって作品を選んだという趣旨のことが書かれていました。
どの様にアナウンスしたのかは分かりませんが、投票者の比率は海外からが全体の75%を占めているそうで、「聲の形」は世界では未だ認知度が低いのかなと思いました。
アメリカでの公開は劇場も期間も限定されていた様ですが、いよいよDVDが発売される様ですし、来年度の88箇所には選ばれるのかな?
私の住んでいる国でもぜひ公開して欲しいなと思いつつ、久しぶりにEnglish castのDVDを観てみました。
映画版では硝子が筆談ノートを池に落とす場面が無かったと思っていましたが、水面に浮かぶノートを硝子が上から押さえて池の底に沈めている描写になっていることに気付きました。
今更ながら、毎回観るたびに新しい気付きがありますね。
全くの余談ですが、最近は「NHKにようこそ!」というTVアニメシリーズに嵌ってます。
放映は、あの「涼宮ハルヒ」第1シリーズと同時期の2006年で、あまり人気が無かった様です。
ミステリアスなヒロインには「聲の形」と重なる部分があり、興味深いです。
全24話で6時間の映像が視聴できます。特に最後の23・24話が秀逸です。
今更ながら、「聲の形」もテレビシリーズがあったら良かったのに、と思う次第です。
先日、日本へ行く機会があり、講談社青い鳥文庫の小説「聲の形」の上下巻を購入しました。
帰りの飛行機の中で、上下巻ともイッキ読みしました。
前に映画の小説版を購入して後悔した経験があるので、一抹の不安があったのですが、全くの杞憂でした。
これは大変良い作品です。
児童書に相応しくないと判断されたのであろう、ヤリチンや西宮家の両親の離婚の話は、カットされています。
しかし、原作では難解であった硝子と将也が一緒に見た夢や、橋の上の再会での硝子の手話など、非常に分かり易く文章化されています。
エンディングも最高です。ちょっと引用します。
「緊張?実は俺も緊張している」
弱々しい笑顔で将也が言うと、硝子の顔に笑みがこぼれた。
将也はその顔を見て、しみじみと思う。
小学生の時とは全くちがう、そしてお互いの気持ちが聞こえなくて、すれ違っていた高校時代ともちがう、新しい関係になれていることを。
そして、それはこれからも一緒に築いて行けることを。
将也は、硝子に笑みを向けると、扉に左手をかける。
そして、右手で硝子の手を取り、その扉を開いた。
原作の漫画版よりも、二人の新しい関係と明るい未来が期待できる内容になっています。
ファンブックが発売された時に感じたモヤモヤが、解消されました。
大今先生は、沢山の新作イラストをこの小説に提供していることから、このバージョンを承認しているのかなと思います。
イラストと言えば、「うきぃ」の正面からのシーンは必見でしょう。
ご一読をお勧めします。
何の関係もないであろう従業員の方々が犠牲になりました。
ありえない出来事であり、あってはならない事です。
亡くなられた方や、負傷された方、そのご家族の事を思うと胸が痛みます。
そして、このニュースを知って自分がどんな行動を取ったら良いのか…
ただただ驚いて、亡くなられた方のご冥福を祈る事と、負傷者の早期回復を祈るぐらいしかできない自分が情けないす。
先日の京都アニメーション放火殺人事件、大変な惨事になりました。
アニメ『聲の形』スタッフも相当な人数が死傷されたのかと思うと、胸が張り裂けそうです。
また、サーバー類もやられたため、同社の今までの作品のデータや資料類は全て焼失したとの報道がありました。
従って『聲の形』原画なども完全に失われたことになります。同アニメは劇場公開時の120分枠しばりのため、やむをえずカットしたシーンもいくつかあると聞いております。いつの日か、そのシーンも入れた『完全版・聲の形』円盤がでないかと期待していたのですが、それもかなわなくなりました。
本当に残念です。願わくば、負傷されたスタッフの方々が一日も早く回復して職場復帰できるようになることを願ってやみません。
「映画聲の形」を観て初めて京都アニメーションを知り、大好きになりました。
日々の暮らしの中で凹むことは多々あるけれど、京都アニメーションの作品に癒されてきました。
その京都アニメーションに、あんな事が起きるなんて!
8月に日本へ帰った際、18切符で第1スタジオに行きました。
惨状を目の当たりにして、現実だと認識せざるを得ませんでした。
ガラにもなくネットで寄付しました。
大今先生の「聲の形」の追悼色紙は、残念ながら買えませんでした。
「バジャのスタジオ」には思わず涙がでました。
「けいおん」「日常」「氷菓」「ハルヒ」「バイオレット」「ユーフォ」のサントラが大好きで、通勤のクルマの中で毎日聴いています。
これらの作品は何度も何度も繰り返し観ていて、曲を聴くと場面が目に浮かぶ感覚にまで至ってます。
作品を観て京都アニメーションの素晴らしさを感じることが、海外在住のファンとして唯一できる供養だと思ってます。
4月には「バイオレット」の新作が劇場公開されるそうで、京都アニメーションの復活を心から祈ってます。
第一部が完結した「不滅のあなたへ」のアニメは、NHKで10月から放映されるそうですが、制作会社が京都アニメーションだったら嬉しいです。
小説の『聲の形』が発売されているのを知らなかった。
ということで買ってみました。
まだ読み切れていないので、楽しみながら読んでみます。
大今先生、『聲の形』のこぼれ話やその後を書いてもらえないかな?
連載が無ければ書くと言っていたので、楽しみにしています。
「映画聲の形」が金曜ロードショウでTV放映されたのですね。沢山の感想をツイッターでみました。
私もDVDで久しぶりにみてみました。
公開されたのは4年前ですが、今みても新鮮です。
京アニの事件から1年後のTV放映も、タイムリーだったと思います。
「映画聲の形」で好きになった京アニの作品は、「犬夜叉」と「フルメタルパニック!ふもっふ/TSR」を最近みています。
「犬夜叉」は、京アニ回を中心にみてます。ストーリーが面白いので、そのうち全話みてみようと思ってます。
この様な2000年代初期の作品のエンドロールに出てくる人たちが、後進を育て名作を生み出して行く。
これを素晴らしいと思うと共に、その歩みを止めさせてしまった事件を、本当に残念に思います。
この後は「あたしンち」に寄り道して、元請作品で保留中の「ムント」、「ツルネ」、「Free」をみようと思います。
今年1月に日本へ出張したあと、私はコロナの制限で駐在国から出られない状況になってます。
9月には「バイオレット」の新作が劇場公開されるそうですが、私は当分おあずけです。
ちょうどそのころ、家内には在留カードの更新で日本へ行く予定があります。
彼女は、ロシア語吹き替え版のTVシリーズを全話みていて、「バイオレット」の事は良く知っているから、映画をみて来てもらおうかな。
月日が経つのは早いですねー
硝子たちがもう25歳ですか…?その後、彼らがどうなったのか想像が膨らみますね。ゆづるも高校卒業して成人しているってことですよね。
硝子や植野・佐原は今も東京にいるのでしょうか?『聲の形』ワールドでもコロナ禍であれば帰省もままならず、石田とはZOOMなどを使って手話べりしているのでしょうか?硝子のお母さんは映画では看護師という設定だったので忙しくしているのかも?
ああ、段々と妄想が膨らみます。
ご無沙汰しております。
>硝子や植野・佐原は今も東京にいるのでしょうか?
これについて、聖地巡礼で大垣駅北口の大垣移住促進の看板の硝子イラストをみてモヤっとしましたねw
「んー?硝子、東京に行っちゃったよ?原作みても
大垣に帰るかどうかはっきりした描写ないよ?」
というわけで。
まあ、私としては成人式後は大垣に帰っていただきたいですね。大垣市の「顔を立てて」w。
あと(帰っていない場合)「生きるのを手伝う」はどーなったんだよぉぉぉ・・ですし。などとしょうもないことを考えるのでした。
実家が理容室でご両親が夫婦で営んでいたのですが、お父さんが絵や彫刻などの芸術活動にかまけて、やがて店をほっぽり出して出奔してしまいます。
残されたお母さんが店を切り盛りし、さいとうさんたち子供たちを女手一つで育てあげたそうな・・
子供時代のたかをさんは大変ヤンチャというか悪ガキで・・あれ、どこかで聞いたような(笑)。
なんだか、リアル石田家だなぁ・・と思った次第。
聾唖の少女との出会いがあったのかどうかは知りませんが。
ちなみにたかをさんも学校を出て専門学校出てお姉さんと実家の後継いで理容師やっていてのですが、
漫画家への夢をあきらめきれず、結局転身してしまうのですが。
思わぬところで「聲の形」を思い出した・・という
次第。お粗末でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86%E3%83%BB%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%92
https://dot.asahi.com/wa/2018071200012.html?page=1
私は今、中東の空港で日本へ帰任する便への搭乗開始を待っています。5年前に羽田を発つときは想像もしなかった、コロナ禍での海外事業所の運営は非常に大変でしたが、やり残した事は何もありません。
仕事に関しては、今は晴ればれとした気分です。「聲の形」が連載されていた頃に私が持っていた悩みは、完全に解消されました。
それよりも、現在進行中の戦争が気になります。
既にご存じかと思いますが、私の妻は侵攻している側の人間で、日本で私の到着を待っています。結婚して26年、お互いの祖国が対立することもあるだろうと思ってましたが、まさか21世紀にこんな事が起きるとは思いもしませんでした。
妻は、家の外では私と日本語で話したいと言っているので、祖国が非難されている事と、その理由を理解しているのでしょう。「聲の形」は家族愛の話でもありました。私は「私と一緒にいると不幸になる」と妻が言わない様に、家族を守って行きたいと思います。
硝子は27歳ですねー(聲の形がサザエさん時空で
なければ)。
もう、結婚して子育てにまい進していても不思議では
ない年ごろ・・・。
結婚とか恋愛とかいうと、ここに限らず「聲の形」スレは何故か荒れるので、相手について敢えて触れません・・・(笑)