2014年07月02日

(超深読み)改めて考える、「鯉」が象徴するものとは?

「聲の形」の重要場面で必ず登場する鯉。
それがもつ意味について、これまでも何度か考察してきました。


第2巻15ページ、第6話。

将也の心象風景に現れる鯉
なぜ40話の表紙に鯉がいるのか?
繰り返される「飛び込み」、硝子が「諦めたもの」、そして「鯉」の謎とは?

今回は、従来のこれらの考察よりもさらに深読みをして、ちょっとオカルトというか「さすがにそこまで考えてないだろ」というレベルにまで踏み込んでみたいと思います。
(というわけで、まあある意味のことば遊びでもあります。あまり本気にせずに気軽に読んでいただければ。)

これまで、「鯉」について、将也のまわりに現れる鯉は、将也の犯した「罪」を象徴した存在であり、それとは別に、硝子がいつもえさをやっている橋の下の鯉はそれほど深刻なものではなく、「鯉にえさをやって(将也との)恋を育てる」程度のもの、と、これらを別々のものとして考えていました。

でも、第43話で、将也が川に飛び込む前にいきなり神様に祈りはじめて、それから川に転落したことで、1つつながった(オカルト的に)ことがあるのです。

これは、キリストの「最後の晩餐」とつながっているのではないか、と。
最後の晩餐では、イエスは弟子たちに「このパンは私のからだ、ワインはわたしの血だと思って食べなさい」と言ってパンとワインを与えました。
パンはそれを与えているひとの「からだ」を象徴していると言えるでしょう。
そして、「鯉」がこれまでどおり「かかえている過去の罪」を意味するのだとすれば、「鯉にパンをあげる」というのは、「過去の罪を償うために自らの身体を提供する」という行為を象徴している、ととらえられないでしょうか?

そしてこれは、将也だけではなく硝子にも当てはまるのです。
硝子は、生まれながらの障害により、周囲の人を不幸にしてしまう、という「罪」の意識にずっとさいなまれています。
ですから、「自らすすんでパン当番になって鯉にパンをあげる」というのは、上記のとおり、「自らの罪深さを償うために、身を切り刻んで(パンをちぎって)提供している」ということを意味しているのではないでしょうか。


第2巻26ページ、第6話。

そう考えると、将也のまわりにいた「鯉」と、硝子がえさをあげてきた「鯉」は、実は同じものだ、ということになります。

そして、このバカッター事件の記事にある「最近、鯉の元気がない」というのは、鯉に十分にえさが与えられていないということだと考えれば、この直前に将也が考えていた「罰が足りない(贖罪=鯉にえさを与える、が不十分)と符合します。


第2巻104ページ、第10話。

そして、第43話です。
将也は、まず神に祈ります。
そしてそのあと転落。
転落後の川には、えさを与えるべき(=贖罪の対象である)鯉がいます。
そして、将也は自らの身を投げ、同時に出血しています。


第43話、17ページ。

と、いうことは…

最後の晩餐で、パンとワインになぞらえられたのは、イエスの「からだ」と「血」でした。
そして第43話のラストで、将也は川のなかに「からだ」と「血」を捧げ、そこに「鯉」が泳いでいる…。

しかもそれは、もしも将也が硝子を引き留めなければ、硝子がやっていたことでした。
その場合も、これまでは「パン(「からだ」の象徴)」を鯉(過去の罪)に与えていた硝子が、ついに本当の「からだ」(と「血」)を鯉に提供する、という形になっていたはずです。

もしそうだとするならば、将也は、過去の罪を償うために、ついに自らの「からだ」と「血」を、贖罪の象徴である「鯉」に捧げた(それによって救済が成った)、と考えることはできないでしょうか

これらは、単なる偶然の符号なのでしょうか。
それともここには、将也が「過去の罪」をあがなうために、「からだ」と「血」を捧げた、という「宗教的な描写」が含まれているのでしょうか?

ここまでくるともう意図的なものか、オカルト的な深読みなのか、私自身もよくわかりませんね。(^^;)
(もし本当に「パン」=「からだ」なのだとしたら、第4巻95ページ、第28話の「このパンもいいパンだ」が微妙にエロくなりますね(笑))

もしそうだとすると、この花火大会があったのが「金曜日」で(最後の晩餐の曜日)、将也はそれから3日目の日曜日に復活する(イースター)、という展開もありえるかもしれません。
また、そうやって復活という奇跡をおこした将也は、硝子を含むあらゆるメンバーに「救済」を与える存在となるのかもしれません。

また、これもこじつけかもしれませんが、将也と硝子が再会した「4月15日」というのは、どうやらキリストが復活した日であるという説が割と有力なようです(その2日前の「13日の金曜日」に刑が執行され、15日の日曜日に復活)。
あとは、将也の姪が「マリア」だ、というのも、その親が「ペドロ(=ペテロ)」だ、というのも、キリストと関係ある名前ですね。これも偶然?

ちなみに、キリスト教と鯉との関係としては、かつてのキリスト教では肉を食べてはいけない日があり、その日に肉の代わりに食べる魚として鯉が養殖されるようになった、ということがあり、特に東ヨーロッパでは、クリスマスには鯉を食べるという風習がいまでもあるということです。
タグ:第43話
posted by sora at 20:46| Comment(25) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
拭えない罪を背負い、未来を築くために奮闘してきた将也は、2つの死を克服することができるのでしょうか…?私は貝になりたい。
Posted by ジョー at 2014年07月02日 20:58
おお、ついにイエスキリストまで
出てきましたか。なんという奥深い
マンガなんだ。ということは、石田の
「復活」もありうる??プリン石田母は
聖母マリア?いや、すでに将也の姪の名は「マリア」だし。

硝子はイエスの恋人と噂され、復活後のイエスが最初に会いに行ったマグダラのマリアなのか?とりあえず、硝子は自殺禁止のカトリック信者になった
方がいいかも?
もし、石田が障がいなく蘇ったら、その日はまさに聲の形信徒の復活祭の
日となりましょう(笑)
Posted by レッドバロン at 2014年07月02日 22:00
ジョーさん、レッドバロンさん、

コメントありがとうございます。

実は私の中では、この話はかなり初めのうちから、キリスト教のかげがちらついている気がしてならなかったのですが、さすがに突拍子がなさすぎると思って放置していたのですが、今回、将也がいきなり神に祈りだしたところで、「あれ、やっぱり関係あるのかな?」という気持ちになっているところです。

まあ、こういう深すぎる深読みはあまりかっこいいものではないと思いますし、やりすぎると気持ち悪いと思いますので(笑)、今回くらいにしておこうかなとは思っています。
Posted by sora at 2014年07月02日 22:27
命を返すことになるとか言ったらホントに石田が血まみれになったでござる。
ごめんよ石田……

鯉の餌が聖体拝領だったというのは大きな発見ですね。
何か「借金を返している」程度にしか思っていませんでした。
迫害と贖罪と過ちがテーマで硝子が障害を抱えているのだから、
畢竟聖書っぽい問題が節々に出てくるのでしょう。
「咎人だから報いを受けたのだ」とか言う人もいるし。
遠藤周作が好きなのもあって、
私は最初から石田の贖罪を主食にしておりました。

けれども、「あなたはもう許された。行って伝えなさい」
とはなりませんよね。
そこに神様が介在しない点で、この作品は宗教臭くはないです。
同時に、犠牲になることで何かを解決しようとする態度も、
硝子がさんざんとっていますが肯定はされていません。
「私のせい」にされないためにも石田には早く元気になって欲しいですね。
Posted by 白えんぴつ at 2014年07月03日 01:56
はじめまして。
今回のエントリ、たいへん興味深く読ませていただきました。

本論もそうですが、石田家の「マリアとペテロ」の存在についてのご指摘は、目からウロコでした。偶然にしてはできすぎな気もしますし(南米ではポピュラーな名前ですけど)、ペドロは初対面時、将也に「お前のこと守る」って言ったようですからね。さすが第1使徒(笑)。

そう考えると、上のコメントで「マグダラのマリア」について触れてらっしゃる方がいましたが、性的に放縦だった将也の姉こそが実はマグダラのマリア的存在かもしれませんね(「聖書上の役割を実際に担うキャラ」という意味でなく、単純な図式=遊びとして)。

管理人さんご自身も「深読みはカッコ悪い」と自戒していらっしゃるように、あまりこういう読み方を自慢げにふりかざす(しかも宗教がらみ)のは控えた方がいいということはよく理解できます。
それでも大今先生が、キリスト教的モチーフを少なくとも断片的に意識して作品に取り込んでいるのは、私個人は間違いない気がします。
Posted by ブラウニング at 2014年07月03日 09:05
この作品の背景の一つにキリスト教的モチーフという仮説を拝見して、はたと膝を打ちました。
このブログからもリンクされている『大今良時インタビュー (2)』の中で、新人賞に挑戦していた時、『聲の形』の前の作品3本はいずれも中世ヨーロッパの魔女裁判を題材にしたものだったと、大今先生が述べています。
魔女裁判と言えば、キリスト教の暗黒の歴史とでもいうべき事件です。
となると、表立って議論するのははばかられるかもしれませんが、やはりキリスト教的モチーフが背景の一つになっているという仮説はうなづけるものがあります。
Posted by ぽてと at 2014年07月03日 16:44
そういえば、川の飛び込みもキリスト教プロテスタントのパブテスト派の受洗式は川に入ること・・なんですよね。

確かにやりすぎると気持ち悪くなる予測ではありますが、この状況で石田が無傷で「復活」しようと思ったら、キリスト教的な「奇跡」に頼るしかなさそうな。

ちなみにカトリック作家遠藤周作氏の著作「私にとって神とは」によれば「奇跡」とは「常人にできぬ愛の行為」なのだそうです、うーん・・・。
Posted by レッドバロン at 2014年07月03日 20:23
皆さん、コメントありがとうございます。

このトピックは、他のエントリと違ってかなり踏み込んだことを書いていると思っていますので、突っ込んだ議論ができると面白いですね。

せっかくなので、さらに妄想を深めてみました(あえてさらにオカルト的に)。

この作品で、将也はキリストとして描かれている。
将也の父が描かれないのは、将也がいわゆる処女懐妊によって生まれた「神の子」であることを示唆している。(なので、恐らく将也の父は最後までまったく描写されない)
一方、硝子はキリスト教における「原罪を背負った人間」の代表として描かれている。
キリスト教において、ひとは生まれながらの罪=原罪を負っているとされるが、硝子は生まれながらの障害により、周囲が不幸になってしまうという呪い=罪を背負わされて生きている。神でない人間が原罪をつぐなえないのと同様、硝子はこの「周囲が不幸になる呪い」を、どうしても自力で解決できない無力な存在として描かれている。

そこに登場するのが将也である。
将也は4月15日、いわゆるキリストの復活の日に、硝子の前に現れる。

その後いくつかのイベントがあったものの、結局硝子は「生まれながらの呪い=原罪」にうち克つことができず、死を選択するが、そこに突如将也(キリスト)がおりたち、硝子(原罪を負った人間)の代わりに自らのからだと血を捧げることにより、硝子を心身ともに救済する。
この救済によって初めて、硝子はこれまでどうしてもあらがいきれなかった「周囲を不幸にする呪い」を祓い、これまでと違った人生を歩み始めることができるようになる。

硝子(人間)の代わりとなり転落(処刑)された将也(キリスト)は、転落(処刑)から3日目の日曜日に回復(復活)する。

※あえて言うことでもないかもしれませんが、ここまでのレベルはあくまでもネタとして書いてますので(^^;)。
Posted by sora at 2014年07月03日 21:24
この妄想、面白いのでさらに乗っかってみました。
「キリスト復活の日」はいわゆる「移動祝日」ですが、最近で4月15日が「復活の日」に相当したのは2012年です(東方教会の場合)。
そこで、2012年の6月7日(硝子の誕生日)は、と見たら「聖体の祝日」。「最後の晩餐」における聖体の秘蹟と結び付けられており、現在のカトリック教会典礼ではこの祝日は、至聖なるキリストの体と血の儀式とされているのだそうです。
やはり、キリスト教をモチーフの一つとしていると考えてよいかもしれません。


Posted by ぽてと at 2014年07月03日 23:04
ぽてとさん、

おーかーるーとーだー!(笑)

まあ、こういうのはいくらでもやろうと思えばできる、ということがよく分かりますね。

でも私も、「マリア」「ペドロ」のネーミングに気づき、またぽてとさんが先に指摘されたように「魔女裁判」の作品も大今先生が書いていたというところから、大今先生がこの作品を連載化するにあたって、「硝子と将也のキリスト教的な意味での贖罪」、あるいは「現代における罪と罰」のようなモチーフをある程度取り込んだことは、たぶん間違いなさそうだという印象を持っています。
Posted by sora at 2014年07月03日 23:22
いやあ、オカルトといいつつ、もっとも説得力のある作品解説のような気が
しますねぇ。
私にとっては目から鱗(これもキリスト教、聖書関連用語でした)ですわ。

なんでこんなところで自殺未遂、身代わり転落、川飛び込みなんだ?とか
現実離れした石田と硝子の贖罪意識とか、そもそもこの作品はどういうまんがなんだ?という諸々の疑問は、これらはキリスト教モチーフの描写なんだ、とみれば、「謎はすべて解けた」
ですね。
もし、そうならば、これを機に石田も
硝子も逃げない強い人間になる、救われるということ?
しかし、そのまま「殉教」の可能性も
ありますからね(笑)。まだ目が離せませんね。
Posted by レッドバロン at 2014年07月04日 12:15
キリスト教のモチーフをある程度背景に取り込んだという仮説に立って、読み返してみると、今までに上がったネタ以外にもいくつか面白い符合に突き当たることに気が付きました。
(こじつけも相当にあります)
・小学生時代の硝子は第2小学校在籍当時は石をぶつけられる虐めにあっていた。
 ⇒罪を犯した女が市民から石を投げられているところに通りかかったキリストが「罪を犯したことのない人のみが石を投げてもよい」と言ったエピソード(硝子は「原罪を背負った人間」の代表)
・西宮硝子の「西宮」は西方教会の暗喩?
・「硝子」は教会につきもののステンドグラスの暗喩?


その他にもいくつかありますが、きりがなくなりますので、そろそろ…。
Posted by ぽてと at 2014年07月04日 12:46
こんにちは。
こじつけですが、
将也>やーしょー>「耶蘇」でもあるのかな?と考えました。
Posted by かさ at 2014年07月04日 21:20
皆さん、コメントありがとうございます。

いろいろおもしろい「説」が出てきましたね。

特に、ぽてとさんのおっしゃっている「石を投げるいじめ」は、なんとなくつながりがあるような気がします。

ところで、そういうことでいうと、私ももう1つ「こじつけネタ」を持っています。

第22話で結絃が将也に話しかける場面ですが、

http://koenokatachi.up.seesaa.net/image/KOE_KATACHI_03_159.jpg
第3巻156ページ、第22話。

ドアの影で、「結絃が十字架を背負っています。」
これはほぼ確実に、十字架の演出だと当時から思っていたのですが、なぜここに十字架?と思ってこれまでネタとしては扱っていなかったのですが、やはりキリスト教的モチーフの1つなんじゃないかと思えてきますね。
Posted by sora at 2014年07月04日 21:37
soraさんのコメントで「結絃が十字架を背負っている」というネタが出されていたので、先ほどの私のコメントで敢えて書かなかったことについて触れてみたいと思います。

硝子は結絃をうまく「ゆづる」と発音できなくて「ゆじゅう」と言っているという設定になっています。
ところが、調べてみたら「ゆじゅ(yuj)」というのは、『結ぶ』『つなぐ』という意味のサンスクリット語であり、「ヨガ」の語源とも言われてるそうです。
つまり、硝子は本来の呼び方をしているということになってしまいます。

ここから先は、うまく説明できないのですが、「罪深い者と救済者との橋渡しをする存在」とでもいうような位置づけになっている、そういう立場が結絃に与えられているのではないか。

もちろん、これは相当こじつけっぽく、物語のスケールが広がりすぎるというのは承知しています。
Posted by ぽてと at 2014年07月04日 23:31
ぽてとさん、

コメントありがとうございました。

少し前のぽてとさんの「魔女裁判」の話題を改めて考えてみると、

魔女裁判=いじめ

ということで、実はつながってることに気づきました。

要は魔女裁判、魔女狩りというのは私刑=リンチであって、いじめと本質的には同じものです。
ですので、この作品は、「現代の魔女狩り」として障害者いじめを描いている部分もきっとあるんだろうな、と思った次第です。
Posted by sora at 2014年07月05日 15:34
ははぁ・・と思ったのは小学時代の硝子が受ける
石投げのイジメ。

いくらマンガとはいえ、子供とはいえ、今時こんな昭和なイジメなんてやるか?もっとヒネリのあるイジメ方があるだろ、大垣の民度はそんなに低いのか?なんて失礼(笑)なことまで考えちゃいましたが、キリスト教絡みの描写・・となればなんとなく納得ですね。

ところであの西宮姉妹に石投げてた健脚コンビによく
似た二人は本当に植野の取り巻きの健脚コンビと同一人物なんですかね?
もし、そうならカメラ越しに健脚コンビをみていた
結弦に「あっ、あいつら・・」みたいな反応があっても良さそうですが、そんな描写なかったしなぁ・・。
Posted by レッドバロン at 2014年07月05日 21:42
レッドバロンさん、

コメントありがとうございます。

同感です。「石を投げるいじめ」は、イエスにまつわる逸話の、

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E3%81%AE%E5%A5%B3

とつながっていそうだと思います。

これで石を投げられるのは女性ですし、先に出ていた「マグダラのマリア」とも同一視されたりすることもあるようです(またつながっていますね!)。

そしてこれは「罪を犯しながらも、イエスに許される場面」ということですから…


健脚コンビは、見た目的には単なるモブキャラだと思うので、デラックスの仲間とは、単に「モブ同士だから描き分けられていない」だけかもしれませんね。
Posted by sora at 2014年07月05日 23:01
こんにちは。非常に深い考察を読ませていただき、この作品に込められた重層的な意図に改めて驚いております。極めて宗教的な問いまで含意されているとは!

確かに、硝子と一緒に鯉にパンをあげたことのある人は、佐原と将也で、どちらも硝子に謝りたいと感じていたメンバーです。よくよく読みかえして気づいたのですが、5巻までの内容では、結絃はカメラをいじってばかりで自分の手から鯉にパンをあげた明確な描写がないようですね。とても興味深いと思います。もし新たに贖罪意識を持つ人が現れたら、その人が鯉に餌をやることになるのでしょうか。手元にコミックスしかないので、連載中の回でどうだったのか確認できないのが残念ですが。
Posted by alps at 2014年08月27日 03:37
alpsさん、

コメントありがとうございます。

このエントリは、いまだにときどき新しい方が見にいらっしゃって、いろいろと感想を語ってくださる、ありがたいエントリになっています。

たしかに「パンをあげたことのある人」は橋メンバーでも限られていますね。
そして驚くべき事に、確かに結絃はパンをあげてないはずです。

パンをあげているのは、硝子、将也、佐原くらいでしょうか。
このことにも、確かに大今先生は意味を持たせているのかもしれません。
Posted by sora at 2014年08月28日 00:31
姉妹ブログはじめ、いつもたのしく拝読しております。
パン=肉体の象徴との解釈を敷衍すれば、物語上のパン初登場シーン(7話3ページ)はなかなか思わせぶりですね。
硝子がブレザー内側?に忍ばせたパンを「赤面」「汗」ばみながら引っ張り出して将也に見せる、という演出はシンボリックな含みをもたせつつ、深読み読者へのちょっとしたサービスショット(笑)と言えなくもないです
Posted by ISO at 2014年11月03日 14:29
ISOさん、

コメントありがとうございます。

あのシーンには、本当にそういうニュアンスが込められている可能性があります。

というのも、あのシーン、微妙に不自然じゃないですか?
別に制服の中から出さなくても、後ろ手に持ってるパンを出しても構わないのに、わざわざ微妙に不自然になるのを分かっていながら「身体の中から」出す描写にしているわけですから、ここはそういう意味を含ませてあると読んでもおかしくないと思います。
(硝子がデラックス一味に「石を投げられる」という、いまどきなさそうな昭和テイストないじめを受けているのも、やはりキリスト教のニュアンスを含ませてあるからではないか、というのはこのエントリの議論でも出ていますね。)
Posted by sora at 2014年11月03日 23:36
soraさま

丁寧なご返信恐縮です。
通常レディースのジャケットに内ポケットは無いですし、ご指摘の通り、あきらかに不自然なアクションですよね。
ふつーにパン潰れるだろうと。
硝子の表情にしても、逡巡と苦痛が入り混じっているようで
(先のコメントでの「サービスショット」うんぬんは不適切・軽薄でした、すみません)
これは硝子にとって極めて心理的障壁の高い、自己開示行動の端緒にみえます。

それにしても、パン1つにフォーカスするだけで(バゲット包装紙脱落~永束との再開場面など)ハイコンテクストなプロットが随所に組み込まれていて感服させられます。

泣いても笑ってもあと2回、完結後の一気通読とsoraさまのレビューを心より楽しみにしています。
Posted by ISO at 2014年11月08日 21:31
初めまして、このような時間のたった木地にコメントすることを、どうかお許しください。そして、全く違う内容であることをご了承ください。
僕は、英語のCarpが、複数形でも形が変わらないことから、「ひとりぼっちが二人」といった意味合いの煽りも併せて、独りだと感じた時に現れているのかとも考えていました。
Posted by 774 at 2015年06月19日 23:29
久しぶりの投稿です。

ネットを見ていたら、こんな記事が目に入りました。
http://grapee.jp/275835

これをみて、このエントリーで「東欧ではクリスマスに鯉を食べる」と書かれていたのを思い出しました。
本当に鯉を食べるんですね…

『聲の形』ストーリーとは全然関係ないですが、鯉の話題ということで失礼いたしました。
Posted by ぽてと at 2016年12月25日 22:52
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